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BUMP OF CHICKEN がとき放ってくれた許しと救い

絶望の底でみつけた音楽と言葉という希望の光

<心を殺した教室>という<与えられた居場所>が苦しくて、<絶望>の果てに、しばらく<毛布の内側>に逃げ込んで涙を流していたら、<希望>が見えた。<流れ星>のような<希望>の光が。
(引用した言葉は「流れ星の正体」&「望遠のマーチ」より)

「流れ星の正体」において<心を殺した教室>というフレーズを初めて聞いた時、一瞬で中学生時代にタイムスリップしてしまって、思わず泣けた。だから、その時代を振り返ってみたくなった。今までは嫌な思い出として蓋をしてしまっていたけれど。バンプの曲のおかげで、つらい過去が少し浄化できそうだから。

そしてこれから長々と書き綴ることは、自分のためだけでなく、今、学校に行きたくないとか思い悩んでいる人に何か解決策を与えられるきっかけになればと思い、バンプの音楽の力を借りて、ここに書き残すことにした。(夏休み明けに間に合わせたかったけれど、少し遅れてしまった。)

学園ドラマでよくあるパターンが、クラスにちょっと馴染めない生徒や荒れているボス的キャラの生徒が、悩みや問題を解決する熱血教師のおかげで、最終回になると、クラスに打ち解けていて、全員仲良しハッピーみたいな展開だ。私は学園ドラマが嫌いじゃなくて、うっかり感動もしてしまうけれど、それが理想の学校像と印象付けるような展開はあまり好きではない。現実の学校ではそんなのほぼ、あり得ないからだ。

ゆとり教育先駆け時代だった小学生の頃はそんなドラマとしては理想的な学校生活を過ごしていた。幼稚園の頃からの持ち上がりで、1クラスしかなかったから、いじめらしいいじめもなかったし、みんな仲が良かった。だから大人から注意されることも少なかった。自由にのびのびと甘やかされて生活していたと思う。そんな夢のような6年間とは対照的に、2度と戻りたいとは思えない、死んだような中学生時代の3年間が、純粋無垢だった私を見事にひねくれ者に変えてくれた。当時、入学した中学校は特に荒れていた時期だったらしく、そこに赴任した先生方はみんなピリピリしていた。良い先生だったなと思える人はほぼいない。特に体育教師は最悪だった。大抵、体育教師というのは生徒指導もしていて、常に竹刀を持って、威圧的な態度で生徒を見下していた。今なら問題になってもおかしくないような行き過ぎた生徒指導だったと思う。

入学して早々、まるで軍歌でも教えるかのように、1日中校歌の練習をさせられた。別に歌は嫌いじゃなかったけれど、あまりにも繰り返し、1日中歌わされたものだから、夜も耳の奥に残ってしまい、なかなか寝付けなかった。おかげで歌が少し嫌いになってしまった。

体育の授業では、別に手を抜いているわけではなかったのに、走るスピードが遅いと、例の体育教師が竹刀を持って、追い駆けてきて、お尻を突いてくることもあった。掛け声を出さないといけない時は、声がよく通る女子が褒められていた。私は女子のわりには声が低いから、声の通りが悪い。声が小さいと注意されることもあった。そんなこんなで、元々体育は得意じゃなかったけれど、ますます体育が嫌いになった。

他の小学校から来た生徒の中には荒れているような子もいて、学校で耳にピアスの穴をあけたり、隠れてタバコを吸っていたり、ひどいイジメもしていたりで、これが当たり前の現実なんだと、今まで平穏に過ごして来た時期の方が夢だったんだと、信じていた自分の世界観が完全に崩れてしまって、始まってしまった過酷な現実生活についていくのが精一杯だった。

少人数でも荒れていれば、クラス全員、学年全員、学校全体が白い目で見られ、校長は臨時集会の度に生徒たちを叱咤した。
私は何も悪いことをしていないのに、どうして一緒になって怒られなきゃいけないんだろう、集団生活なんてうんざりだと、優等生を演じ続けていた私は内心、反抗的な気持ちが湧き出していた。ある意味、不良になっていく同級生たちの気持ちが分かるようにもなっていた。

極めつけが、部活の顧問だ。美術部に入った。2年生の先輩が1人もいないことに違和感を感じつつも、3年生は数人いたから大丈夫だろうと絵を描くことが好きだった私は迷わず美術部に入ったのだ。顧問の先生は美術教師という芸術家のためか、荒れている学校だったせいかは分からないけれど、ひどく変わり者だった。平気で生徒を贔屓するし、テストでカンニングしただろうと気に入らない生徒には濡れ衣を着せたり、ヒステリーだし、かと思えば急に機嫌が良くなったりと、同僚の先生方も手におえないという感じで、距離を置かれるようなそんな問題ありすぎの大人だった。子どもだった私はああ、こんな人間もいるんだと知らない大人の世界に足を踏み入れてしまったような感覚になった。ひとつ上の学年に先輩がいなかったため、2年生になると、私は部長になってしまった。どんなに扱いにくい顧問だとしても、部長としてコミュニケーションを取らないといけない。なるべく怒らせないように、慎重に関っていたつもりが、何が先生の逆鱗に触れたのか分からないまま、急に怒り出して部活停止をくらった時期もあった。部活に関しては、ひとつ下の学年も入部者0だったため、2年生の頃は仲の良い同級生4人だけの部活だった。急に顧問が怒り出すこともあるものだから、私たちは一緒に泣くことも度々あった。ひとりじゃなかったから、何とか乗り越えられたのかもしれないけれど、その頃から、食欲が落ちて、ひどく痩せてしまった。(今の体型と比べたら信じられないけれど)

相変わらず、同級生はどんどん不良になっていく。そりゃあそうだ。こんな学校にいたら、誰だって反抗したくもなる。学校に行きたくもなくなる。それがある意味、正常な子どもの反応だと思う。こんな学校にいて、優等生を貫ける方がよっぽど異常だ。私もきっと異常になりつつあったと思う。でも本当の異常者にはなりたくないから、正常を保ちたいがため、心の中でだけ不良になって、誰も信じない、特に大人なんて信じられないという人間不信に陥っていた。

部活の仲間以外は親しい友達がいなかった。小学生の頃のように友達が多い方がいいなんて法則もないことに気付いた。別にみんなと仲良くしなくたって、最悪ひとりだって生きていける。むしろ仲間が多ければ多いほど、集団行動を推奨する中学校では誰かひとりがミスすれば、みんな注意されることになってしまう。私はわずかな人間関係の中だけで生活するようになっていた。

そんな中、周りの大人たちは手を差し伸べてくれるどころか、逆に助けを求めてきた。新任の先生なんて、問題児だらけのクラスを担当して、泣いていることもあった。優等生っぽい生徒を頼りにして、問題児の世話をさせた。自分のことで精一杯なのに、私もそんな先生から頼まれて、問題児と関わらざるを得なかったりで、へとへとにくたびれてしまった。

自分はいじめられているわけでもないのに、大人でさえ手をこまねくクラスの雰囲気に馴染めなくて、特に幼稚に思える男子がいたり、そんな男子に媚びる女子がいたりで、うんざりしていた。そんな子たちに限って、流行りの音楽を好んで聞いている。私は大人に対してだけでなく、派手な同級生に対しても反抗心を持つようになっていたから、その当時、流行していた音楽をリアルタイムで聞くことはほぼなかった。ミリオンヒット曲が次々と世に生まれていた1995~97年の時期である。今思えば、もったいないことをしたと思う。もちろんヒット曲は意識しなくても、自然とテレビや街中で耳にすることはあったから、まったく聞いていないと言えば嘘になってしまうけれど、じっくり聞き味わうことはしなかった。本当は興味のある曲も、苦手な同級生たちが好きな曲だと思うと聞く気にはなれなかった。ジレンマを解消するため、ピアノのインストならいいかと流行りの曲がピアノで演奏されたCDを聞いて、その曲をピアノで練習することもあった。基本的に当時はクラシックを聞いていたけれど、興味を持ってしまった自分を納得させるために、流行していた曲のピアノソロを聞くという手段を取っていたのだ。

そんな風に生きていた中学生時代、たぶんストレスから、数日間原因不明の40度近い高熱でうなされた時期があった。今と比べたら、真面目過ぎたのだと思う。要領も悪かったのだと思う。人間不信に陥りながらも、でもその人間たちとまったく違う生き方をできるわけでもなく、嫌いな大人たち抜きで生活はできないし、子どもは大人を頼らないといけないし、地味な優等生のフリをしつつも、派手な同級生に憧れる部分もあり、流行りの音楽さえ否定して、常に何でも否定して、かといって自分に自信も持てなくて、
<嘘と本当に囲まれ 逃げ出す事もままならないまま 
秒針にそこを指されて止まっている>
(以下、注意書きのない歌詞はすべて「望遠のマーチ」より引用。)
このような状態で生活し続けた結果、考えすぎて高熱を出してしまったのだと思う。
その高熱の少し前、学校に行きたくないと思うようになった。無駄な努力に疲れ果ててしまったのだと思う。考えなくてもいいようなこと、どれが正しいとか何が間違っているとか、そんなことばかり考えすぎてほんとに疲弊してしまっていた。本当に学校に行くことを放棄しても良かったのに、なぜか私はたった1日だけ休んで、翌日から学校に行った。ずっと休み続ける勇気がなかっただけだと思う。大人や同級生に対する精一杯の反抗心は1日限りで終了してしまった。所詮、私の反抗なんてその程度に過ぎなかったのだ。その後、高熱という体調不良で、数日間は休んだものの、不登校にはならなかった。おかげで表面上、優等生のままでいられた私は、地元の進学校に入学できたけれど、別に、進学校に入れたからと言って、その後の人生が順調だったわけでもなく、今だって立派な大人として生活できているわけでもない。順調に大学を卒業したって、大学院まで進める人がいたって、そういう人たちが全員、望み通りの人生を送れているとは限らない。

つまり私は何を伝えたいのかと言うと、
<与えられた居場所が 苦しかったら そんなの疑ったって かまわないんだ>
という言葉に尽きる。
自分の過去はただの例え話に過ぎず、伝えたかったのはこのフレーズだ。

学校に行きたくないなら、無理して行かなくていいと思う。いじめがない、誰もが馴染みやすい学校、場所、社会なんて現実はあり得ないから、馴染めなくたって別に構わないと私は思う。
ただ、家や部屋や自分の中に閉じこもっていても、絶望の中にいても、希望は忘れないでほしいし、できれば生きることはやめないでほしいし、
自分が<叫びたい言葉>をみつけて、
<心はいつだって 止まれないで歌っている 
繰り返す今日だって 今日だって叫んでいる>
というように、自分の命の声とは向き合ってほしい。

私は2度と戻りたくはないけれど、20年以上過ぎた今となれば、暗闇の中で過ごした中学生時代も自分の人生には必要だったんだと思える。
<本気で迷って 必死にヘラヘラしている>
カッコ悪いくらい、どんなちっぽけなこともバカみたいに真剣に悩んで生活していたあの時期があったからこそ、純粋なままでは大人になれないということも分かったし、今のようにひねくれながらも生きる術を身に付けることができたと思うから、あの頃の自分を否定はしない。でももうちょっと、部活の仲間以外にも、信じられる人がいたら、できれば信じられる大人がいたら良かったのになとは思う。もし当時、バンプの曲が世の中に知れ渡っていて、私が頑なに聞くことを拒否していたヒットチャートの中に紛れ込んでいたら、私はもう少し苦しまずに生活できたんじゃないかなと思ったりもする。バンプの曲はいつだって自分の中に閉じこもりがちな人に勇気を与えてくれるから。

今、ここまで、この文章を読んでくれた人はきっとバンプや音楽が好きな人だと思うから、たとえ学校に行きたくなくたって大丈夫だと思う。とりあえず、何もしたくないとか、ひとりで音楽を聞いていたいだけの時期があってもいいと思うし、
<夜を凌げば 太陽は昇るよ>
という1日を繰り返すだけでもいいと思う。
<羽根は折れないぜ もともと付いてもいないぜ>
らしいから、どんなに<嵐の中>にいたって自分の力さえ信じればどこへでも飛べるはず。
誰も信じられなくてもいいけど、自分を信じることはやめないで、
<渇いた喉が震えて 聞こえない言葉を呟いている>
自分の内なる言葉に耳を澄ませてほしい。

そしてこんな長々とした文章を読んでくれているということは、きっと生きる希望を失っていない。
<死んだような今日だって 死ねないで叫んでいる>
というタイプだと思う。むしろ死にたいと思う人ほど、実は生きたい人だと本で読んだことがある。生きたい欲求が強いからこそ、理想通りに生きられないと絶望し、死にたくなるらしい。今は何もしたくないと、自分の中に閉じこもっているかもしれないけれど、実はそれは真逆で、何かをしたくてもできなくいもどかしさで動けなくなっているだけ。うまく生きれなくて、ちょっと立ち止まってしまっているだけだから、大丈夫。いつか自分の心の声を拾えるようになる時が来るから、それまでは自分の好きな曲とか、バンプの曲でも聞いて過ごせばいいと思う。
誤解のないように付け加えておくと、自分は死にたいとまでは考えたことはなく、学校から逃げたかっただけで、本当に死にたいと悩んでいるような人の心には寄り添えないかもしれないけれど、少なくとも、活き活きと生きている類ではないため、今こうして真剣に綴っている。

<いこう いこうよ>って思えるようになるまで、私はけっこう時間がかかってしまったけれど、中学生時代以外にもいろいろあるけれど、小学生の頃、思い描いた未来とはかけ離れているけれど、
<描いた未来と どれほど違おうと 間違いじゃない 今 君がいる>「Spica」
でもこんな私でも何とか37年間、生きて来られたから、何とかなるものだよと伝えたかっただけ。
全然理想通りの未来ではないんだけれど、でも、「今 バンプがいる」、バンプの音楽が側にいてくれるから、暗闇から這い上がれたし、生きていて良かったって思える。

<体は信じているよ 君の全部を 叫びたい言葉が輝いている>
高熱から回復した後、自分は何て無力なんだろうとしばらくの間、それまで悩んでいた人間関係とか小さなことを考えることを休んでみたら、言葉が自然と湧き出してきて、当時は自分の気持ちを詩という形で表現していた。もがき苦しんだ時期があったからこそ、自分の言葉を書き残すという行為に至ったわけで、あり得ないけれど、平穏な小学生時代のような暮らしをいまだに続けていたら、何も悩むことも、考える必要もなく、書こうとも思わず、バンプの歌詞に惹かれることもなかったかもしれない。だからあの3年間は自分の人生に必要だったんだって肯定できるようになった。

話をまとめると、学校が嫌で仕方なかった頃、親に勧められて嫌々始めた習い事のピアノの影響でクラシックを聞いていたら、いつの間にか当時流行っていた歌のピアノソロバージョンを聞くようになり、音楽に目覚めた。好きじゃない同級生が聞いている音楽を聞きたくないという理由だけで、本当は興味が湧いたヒット曲を原曲のまま聞くことなく、ピアノソロという美しいメロディだけを耳でなぞっていたら、今度は言葉に目覚めた。ひねくれ者の私は、心を殺して良い子ぶっていた。本当は他人には言えないような本音を隠し持っていた。全然良い子じゃなくて、ただの偽善者だったから。誰も助けてくれなくて、泣きながら<毛布の内側>にいたら、自分の殻が破れて、言えなかった本音が言葉になって溢れ出してくる瞬間があった。言いたくても言えないことをひとりで書き綴った。詩のような抽象的な形式で。そしたらなんだかすっきりした。それを覚えたら、少し元気が出た。なんとなく、今まで目を背けていたことに立ち向かえる気がした。卒業文集にも詩を残した。苦手な派手で不良っぽい子たちも詩を綴っていたから、私も大人に対して、やっとちょっとした反抗心を示せた気がして、満足した記憶がある。
これはただの思い出話で、別に自分の過去だけを語りたくて、長々と綴っているわけではない。

つまりさらに言いたかったことは、別に学校へ行かなくても、部屋に閉じこもっていても、そういう気分になっていても、全然悲観することはなくて、そのつらい時間が永久的に続くわけではないのだから、とりあえず音楽でも聞いて過ごせば、時間が解決してくれるということだ。

当時は毎日つらくて、途方に暮れていたけれど、今となっては過去の思い出として俯瞰して見られるようになったし、今は今で別の問題も抱えて生きているけれど、なんとかなるだろうって気楽な気持ちで暮らすようにしている。
そうできるようになったのは、私にとっては音楽の力がかなりあったわけで。当時、変な反抗心を持たないで、同級生と同じように、ヒット曲を原曲のまま、もっとちゃんと聞いていれば良かったって後悔する時もあるけれど、でもピアノソロという形でも、聞くことができて、ずいぶん心が救われた。

今は当時聞けなかった分も取り戻すかのように、過去に遡って音楽を聞き貪っていて、こうしてバンプの曲とも出会えて、随分生きることが楽になった気がする。バンプの楽曲は、今のまだダメな自分だけじゃなくて、過去のもっとダメダメだった自分のことさえ肯定してくれる。どんな人の人生もないがしろにすることなく、認めてくれるやさしさがあるから、多くのリスナーから愛されているのだろう。

そして音楽と言葉が自分の人生に寄り添い続けてくれたおかげで、「音楽文」という両方を兼ね備えた場所をみつけることもできた。偶然みつかったわけじゃなくて、私の場合は、検索しているうちに、必然的に探し出した感じがする。まるで「理想郷」を探し当てたような感覚になった。ここなら、リアルでは人付き合いが苦手な自分も、他者に自分の気持ちを表現できる気がした。たぶんリアルでは何考えてるのか分からない、むしろ何も考えていないような人って思われがちな自分が、自分の思いを言葉することで、誰かに何かを感じてもらえたり、希望を与えられるかもしれないから、ここが自分の居場所かもしれないと思った。

そう、つまりもっとも言いたかったことは、人生諦めずに、音楽など好きなものをみつけて、何となく生きていれば、自然と自分に合った居場所は見つかるから、今学校に行けなくて、つらい人たちもきっと大丈夫だよと伝えたくなって、書き残すことにした。
<どれだけ待ったって 誰も迎えにこないじゃない>
という状況なら、自分から、自分に合った居場所を探しに行くしかない。

音楽文を読んでいる人なら、なおさら大丈夫だと思う。もうすでに好きな音楽があって、読んだり書いたりしている人だと思うから。もちろん、公に公開するということは、共感してくれる人だけでなく、考察に否定的な人と遭遇する場合もあるかもしれないけれど、でもそれさえ、私は必要なことだと思えるようになった。どんな人のことも肯定してくれるバンプの曲のおかげで。疑問に感じるくらい読み込んでくれたのかと思うと、共感してくれる人と同じくらい大切な存在に思えるから。中学生の頃の自分だったら、自分に否定的な人のことは避けたと思う。バンプのおかげで少しは大人になれた気がする。バンプに出会わなければ、嫌いな人は嫌いなままで、嫌な過去は嫌なままで克服できずに未だに引きずっていたかもしれないから。自分のことも他者のことも否定し続けたまま生きていたかもしれないから。

中学生の頃、絶望の底でみつけた希望が、今もまだ完全には絶望から抜け出せていない自分の希望の光として暗闇を照らし続けてくれている。藤くんの言葉で表現するなら、これは<ハートのランプ>「LAMP」ってものかもしれない。火を灯したランプがハートにある限り、<もうきっと多分大丈夫>「Aurora」と信じ続けたい。

そう言えば、「何、この世の終わりみたいな顔してるんだ」と顧問の先生から指摘された日があった。「あなたがいるから、こういう暗い顔になってしまうんですよ」とは言い返せなかったけれど、生徒にこの世の終わりのような絶望感を与える先生のことを好いている人もいることを知った。何十年も昔、教師になりたてだったその先生にまた会いたいと言っている年配の人の話を知った時、なんとなく先生のことを許せた気がした。あぁ、どんなに嫌われ者と思っていても、きっと性格が穏やかな時期もあって、他人から慕われていた時期もあったんだ。それにあんな先生にも大切な人はきっといるだろう。どんな人でも誰かからは好かれていて、誰か好きな人はいるはずだから、そうだとすれば、その人のことを否定ばかりしちゃいけないと気付いた。
<汚れても 醜く見えても 卑怯でも 強く抱きしめるよ>「Spica」
さすがに抱きしめたいくらいの愛は持てないけれど、先生のことを少しだけ認められる気がした。

だから、今、大嫌いな人や、自分をいじめるような人がいるとしても、その人にも大切な人がいることに気付ければ、少しは楽に生きられると思う。もちろん耐えられない時は離れることも大切だけれど、嫌な人のことを嫌な人のまま死のうとか発想する人がいるとすれば、私は止めてあげたい。そもそも嫌いな人がいるせいで命を絶つのはどうかと思うから。同じく死ぬとすれば、例えば戦時中によくあった話で、誰かをかばって、自分の命を犠牲にするとかそちらの方が同じ死でも少しは納得できる。自分の命は自分のためと大切な人を守るために使えたらいいと私は思っている。嫌いな人のために命を無駄にすることはないと思う。こういう風に考えられるようになったのも、やっぱりバンプの音楽のおかげだから、中学生の頃、絶望の果てに、音楽と言葉という希望をみつけられて良かったと心から思う。音楽に興味を持てたおかげで、バンプにも出会えたのだから。

そしてこういうことを考えるきっかけを与えてくれたのもバンプであり、バンプの曲を聞いていなかったから、考えもしないことだし、きっと書こうとも思わなかった。
あれから長い時を経て、藤くんが説き放ってくれる言葉のおかげで、許すことを覚えて、長年のわだかまりから心が解き放たれた感じがする。許すことで救われる場合もあることを知った。

<絶望の最果て>まで落ちてみると、何か見つかるというか、<希望の底>が見えたりするから、それを掴み取れば生きていける。(「シリウス」より)
今はまだ苦しいかもしれないけれど、いつか今の苦しい時期を肯定できる日が来るかもしれないから、秒針に刻まれ急かされながらの人生も、ゆっくりマイペースに生きていこう。音楽と共に。

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