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2017年6月23日

彩葉ろい (18歳)
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チャットモンチーのやさしさ

大人になるために

 私は18歳になった。18歳という年齢は17歳よりもずっと強く現実を目の前に突きつけてくる。もうスイートセブンティーンなんて浮ついたことを言っていられる時期は過ぎ、免許も取れれば選挙権も与えられる。自分の進む道に責任が問われる年齢になったのだ。
 正直18歳になったからと言って突然何かが決定的に変わるわけではないし、今までのような高揚感もない。小さい頃、誕生日は素敵なことで大人に近づくのは憧れのいっぱい詰まった世界に近づくことだった。いつのまにかそこに将来への不安や焦りが入りまじるようになり、それは年を追うごとに増していった。17歳になった時、青春真っ盛りのこの一年を過ぎたらきっと私は今よりずっと自信に満ちた人間になっていると信じて疑わなかった。けれど18歳になった私は依然として漠然とした焦りや不安に苛まれている。まるでなんの装備も身につけず丸腰で放りだされたような気分だ。

ひとりになれなくて 思いが伝えられなくて
こわくて さびしくて これじゃやっていけないわ

ちゃんと生きていけるだろうか?(ちゃんと大人になれるだろうか?)
誰かに言いたくても口に出せない(夢って何だろうか?)
ちゃんと歩いていけるだろうか?(ちゃんと大人になれるだろうか?)
楽天的な私はどこへ行った?(昔に戻りたい)(チャットモンチー 夕日哀愁風車)

 初めてこの曲を聞いた時そのあまりのストレートさにものすごくびっくりした。だって私の言いたいことを全て代わりに言ってくれたような歌詞だ。
 いつからか私は自分がちゃんと生きていけるような大人になれるのかどうかいつだって不安に思うようになっていた。誰でも自分の中にワガママで利己的な怪物を持っていて、大人になるということはその怪物をうまく隠してしまうことだ、というようなことを言っていた人がいた。その怪物は普段はなりを潜めているが、家族や恋人などごく親しい人たちの前に姿を現すことがある。
 私が大人になることに不安を感じるのはワガママな自分にうんざりした時だ。私の怪物は不安定で、うまく隠しきれずに時折暴れだす。そんな時、一人になると途端に後悔と自己嫌悪が襲ってくる。誰でも結局自分が大好きで自分だけが可愛いのはあたりまえだけどそれにしても、私はなんて甘ったれで自分勝手なんだろうとか、子どもっぽく当たりちらしたり人前で平気で他人を傷つけて恥ずかしいとか、とにかく自分のダメなところばかり思い出して悶々とする。本当にこんなんで大人になれるのかどうか、自分の中の怪物をコントロールできるようになれるのか。私のそんな気持ちを見透かしたかのような曲が、「夕日哀愁風車」だった。

 チャットモンチーを好きな理由は色々ある。まずシンプルなのに特徴的でそれだけでも成立するようなメロディライン。3人という少ない人数ならではのそれぞれのパートが際立つように工夫されたサウンド。わりと荒削りなギターとうねるようなカッコイイベース、ちから強く躍動感のあるドラム、そこにかぶさるキュートなヴォーカル。二人体制になってからのチャットが頑張ってる姿は、同じようにメンバーが二人になってしまった私のバンドと重なり、勝手に親近感をおぼえたりもしている。
 一見(一聞というべきか?)すると「シャングリラ」や「風吹けば恋」などに代表されるポップでキャッチーな印象がチャットの世界観のように思えるが、その実楽曲の雰囲気は多様に変化する。
 もちろんそれはメンバー全員が作詞をしているからというのもあるだろう。例えば「ツマサキ」や「Boyfriend」といったいかにも女の子らしくかわいい歌詞の曲、「ハナノユメ」や「海から出た魚」といった不思議な雰囲気の曲、「真夜中遊園地」や「余談」といった疾走感溢れる曲、「拳銃」や「Last Love Letter」といったロック色強めの曲などなど様々な表情の楽曲があり、そのどれもが歌詞と曲を作ったのが別人である(そうでないこともある)ことが信じられないほど、まるでシナプス結合のように言葉が綺麗に音にはまっている。日本語の良さを生かしたメロディの乗せ方というか、とにかく後から音をつけたと思えないような絶妙な相性で歌詞と旋律が織りなし合っているのだ。
 しかし何と言ってもチャットモンチーの最大の魅力は、彼女たちの歌詞に時折見られる辛辣さや毒だと思う。いい意味で普通っぽい見ためやガールズバンドという肩書と相反するようにところどころに散りばめられたアイロニックな歌詞の影に、決してきれいごとではすまされない私達の日常に潜む怪物の片鱗が垣間見えるのだ。それは「恋愛スピリッツ」「橙」の中の自己愛的な部分であったり、「世界が終わる夜に」や「モバイルワールド」に覗える明らかな現代社会への批判であったりと多岐にわたるが、その中でも「告白」のアルバムの最後に収録されている一曲「やさしさ」は、単調でまどろむように始まり、しかしサビの部分でエゴイズムが爆発する。

明日ダメでも 明後日ダメダメでも 
私を許して 
それがやさしさでしょう? (チャットモンチー やさしさ)

 大人になる覚悟がまだちっともできていないみっともない私は、自分の中の怪物を常に持て余しながら生きている。そんな私に「やさしさ」は誰の中にもある利己的で醜い部分を曝け出し、堂々とぶつかってきた。泣いているような今にも張り裂けそうな声でえっちゃんが歌いあげる怪物の主張はこの上なく痛々しくて、私の心の一番脆い部分に容赦なく突き刺さる。たった3行の歌詞にこめられた切実な欲望に、どうしようもなく共感する私がいる。
 ワガママでダメダメな私をそれでも受けとめて欲しいという悲痛な叫びは同時に、そんな怪物を許せるやさしさをお前は持っているのかと私に問いかけながら、私の中にも間違いなく存在している怪物を揺さぶって、誰の中にも必ず汚れた部分があってその醜い怪物と共に生きていかなければならないことを私に思い出させる。それこそがチャットモンチーのやさしさなのだ。
 チャットモンチーの歌詞は、つまらない日常に潜むちょっとした幸せや鬱陶しいけれども愛しい人間関係やまだ癒えない恋の傷や、ズルくてダサくて青臭くて自己愛に満ちた私達自身の姿を映す鏡になる。だから何気ない言葉にとてつもなく共感したり、自分ではよく見えない感情まで炙り出されてギョッとしたりといった体験ができるのだ。
 
きっといつの日か笑い話になるのかな
あの頃は青くさかったなんてね
水平線に消えていく太陽みたいに
僕らの青春もサラバなのだね (チャットモンチー サラバ青春)

「なんでもない毎日が本当は記念日だったって今頃気づいたんだ」なんてそんなことを爽やかな声で歌われると、切なくってわけもわからず泣きたくなってしまう。ちょっとでも気を抜くと、あえて今は見ないフリをしている「卒業」とか「別れ」への感傷が一気に襲いかかってくる。でもチャットが気づかせてくれたその感傷から目を背けないで今を噛みしめるため、私は部屋で一人大音量のサラバ青春に合わせて歌詞を口ずさむ。
 
 自分自身の身勝手さに失望して自分が嫌いになりそうな時でも、その醜さごとひっくるめた全てが私だと、たとえ大人になっても怪物をコントロールするのじゃなくてうまく付きあっていかなきゃいけないんだとチャットモンチーは教えてくれた。まだ18歳になったからといって大人になることへの不安が完全に消えたわけではないけれど、間違いなく今の私の一部はチャットモンチーのくれたやさしさによって生かされている。

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