2364 件掲載中 月間賞発表 毎月10日
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

生きる才能

THE BACK HORNと描く「鮮やかな未来」

人生で思い出すシーンは、いつもつらいものばかり。
26歳までどうして生きてこられたかといえば、音楽がわたしの代わりに感情を吐き出してくれたからだった。

まだ10歳、小学5年生ごろ、わたしは友達の勧めでTHE BACK HORNに出逢った。あれはたぶん、必然だった。
当時のバクホンといえば、ヒリついた生と死の境界を禍々しいほどのエネルギーで曲にして放出していたから、小学生が「偶然」で出逢うわけなどなかった。
その出逢いは神様からの贈り物だったと思う。神様が居るのかわからないけど。

「これ、かっこいいから聴いて!」
不要なものの持ち込みが禁止の小学校で、CDをこっそり渡してくれた。

イキルサイノウ

CDジャケットにうつる、生肉と真っ暗な瞳の男が強烈な印象を与えていた。

当時はまだ音楽の好みもなく、親に連れられるままカラオケでテレビから流れていた流行りの曲を歌う程度だった。
音楽にテレビ以外の世界があることも知らなかったわたしの世界が一変するきっかけだ。

まじめなわたしは上から順番に聴いていく。

愛が地球を救うなんて誰が言う
笑っちまうような絶望の底で
(THE BACK HORN/惑星メランコリー)

神様 俺達は悲しい歌が
気が触れる程好きです
(THE BACK HORN/孤独な戦場)

居場所なんて何処にも無い。もう笑うしかないけれど、
笑う才能が無いから、顔が醜く歪むだけ。
(THE BACK HORN/ジョーカー)

鮮烈だった。
世界にこんな感情があることも、言葉になり曲となって誰かに届くことも、そしてそれに自分が揺さぶられることも、初めて知ったのだから。

その負のエネルギーに魅了されていくのは、実際には1年ほど後だった。
幼少期から両親の間で緩衝材を務めてきたわたしは、中学に上がるころにはもうすっかり消耗していた。
「この子が居るせいでまだ離婚できない」
「お前が面倒を見ろ、金など出さない」
そんな言い合いの果てに、幼稚園で習ったばかりのひらがなで、画用紙に「わたしなんていなきゃよかった」と書いて仲裁したのが、いちばん古い記憶だ。

中学生のわたしは、幼く未熟ながら自分の中に、どうやら同年代の多くが持ち得ない種類の「さびしさ」が深く根を張っていることに気づき始めていた。
でもずっと、親たちが爆発させる感情のケアが最重要で、自分の感情が優先されたことなんて無かったから、到底言葉にできるレベルのものではなかった。

自室でひとり、生きづらい理由もわからないまま、ただ心が共鳴するのを感じていたその時間が、わたしを生かしていた。

激しくも切ない演奏だけが体を満たして、歌詞が心に残って、胸が詰まって、涙がこぼれる。

気が触れそうに寂しくて腕を切ったときも、泣きつかれて眠るときも、交際相手の詰問に声が出なくなった時も、親が怒鳴りあっているときも、ヘッドフォンで耳をふさいで山田将司の声で頭をいっぱいにした。

「生きる才能」が無いのかもしれないと感じつつ、学生時代はそうして生き延びた。
なんとか、まともそうな形を保って、進学校から私学トップくらいの大学にも進んだ。
よく見ると歪でも、通り過ぎてゆく人や親には100点だったのではないかと思う。

転機は、社会人になってからだった。
就職してすぐ、わたしは精神面の不調で試用期間終了と共に解雇された。

「生きる才能」の無さを、決定的に突きつけられた気分だった。
社会から必要ないと言われた。
やっとひとりで自由に生きられると思ったのに、それすら許されず、またクッションとして死んだように生きるのか。
日々をやり過ごして生き延びた先に見えたのは、何もない世界。

学歴はキャリアの無さと不健康の前では無力で、昼間働くことはその時もはや叶わなかった。
やり過ごすくらい当たり前だった「生」は、「死」の現実を帯びて加速度的に回り始めたのだ。

「どうにでもなればいい」と「生きていたい」の狭間で、銀座を皮切りにネオンの海を泳ぐことにした。
新橋と銀座を隔てる線路は、紛れもなく昼と夜の境界だ。
わたしの思い描いていたふつうの大人にはなれない。
「昼の人間」を諦めるのに、2年の月日を要した。

昔生きるために刃を当てた腕には、シングル曲である「夢の花」をイメージしたタトゥーを覚悟として入れた。
つらく悲しい過去を、“想像さえ 越えるような色に染”め上げたかった。

その最中、今まで蔑ろになっていた自分の感情を味わい整理することで、他者の感情の機微にも気づけるようになった。
わたしは、海を進むのに必要な装備を整えて、沖へと漕ぎだしていった。

ネオンの海の中で、いろんな人間が漂流しているのを見つけた。
自分の感情がみえないくらい疲弊してしまった人
気持ちが言葉になる前に呑み込んでしまう人
恨みや悲しみに支配されてしまった人
裏切られ、人間に怯えている人

海の中にひとりぼっちで漂っているそれらの人は、あの日々の中、わたしが音楽に縋って乗り越えた自分の姿だった。
あてどなく浮かんでいる人々は、いまにも暗い水底に沈んでいきそうで。
しがみつく浮きも無く、飲み込まれる瞬間を静かに待っているようにさえ見えた。

たぶん、生きるのに必要なのは、「才能」じゃない。
ただ、「きっかけ」だ。
わたしにとっての、THE BACK HORNがそうだったように。

わたしは、漂流している人が流れつける島を作ることにした。
生き延びる「人生のきっかけ」を共に探せる、そんな場所。

山田将司が、曲間に私たちへ声をかける

「また生きてここで会おうぜ」

ライブの予定が、確定された寿命となるわたしの日々。

わたしは、わたしの作った島に漂着した、過去の私によく似たお客さんに同じように声をかける。

THE BACK HORNが生かしてくれたわたしの存在が、あなたの鮮やかな未来への橋渡しとなることを願って。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい