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方舟「aurora ark」から観測した「イマ」というほうき星

BUMP OF CHICKEN Live Tour 2019「aurora ark」

※まだツアー期間中なので、詳細なネタバレは回避し「aurora arkがどれだけの魅力を秘めているか」「あの頃バンプを好きだったけど今は離れてしまった人にこそaurora arcを聴いて、aurora arkを体感してほしい」というざっくりしたことを伝えるために書きます
 
 
 
 

「千葉県佐倉市から来ました。BUMP OF CHICKENです!!」

冒頭、一番最初のMCでベースのチャマが言い放った。

そう、彼ら4人はどこまでも「千葉県佐倉市から来ました。BUMP OF CHICKENです!!」だった。

まだ駆け出しで誰もファンがついていないようなバンドが小さな小さなライブハウスで別に自分たちの音楽を聴きに来たわけではないがとりあえず目の前に立っている10人の観客を前に言い放つのと全く同じ温度感で放たれたそのセリフ。

今日自分がいるこの場所は、疑いようもなく、彼らの音楽を聴きに来た3万5000人もの人々が集う京セラドームのはずなのに、なぜか自分が小さな小さなライブハウスにいる10人の聴衆の内の一人であるかのように感じた。

ステージ全体に広がったとてつもなく巨大なスクリーンに映し出される繊細で芸術的で幻想的な映像。
ドームの広い空間を埋め尽くすように絶え間なく発射されるド派手なレーザー光線。
天井に拡がる光の輪に、七色にきらめいて揺らめく観客の腕。
どこまでも最新鋭の技術を駆使した演出が惜しみなくされているのに
どうしても小さな小さなライブハウスで聴いているように思えてしまう。

派手なのに急に泥臭くなる。
広いのに急に狭くなる。
遠いのに急に近くなる。
すごいのに急に普通になる。
真逆の感覚を同時に味わえる、不思議な感覚のするライブだった。

その感覚は一体どこから生まれるのか。

きっと彼らは今ここで「自分たちの音楽が誰かに届くはずがない」と思っていた「あの日」に立ち返っているのではないかと思った。

「自分たちの音楽が誰かに届くはずがない」と思っていた「あの日」から
「自分たちの音楽が誰かに届いている」と確実に思える「イマ」。

1曲目のあの曲は「自分たちの音楽が誰かに届くはずがない」と思っていた「あの日」を歌っていて、
本編ラストのあの曲は「自分たちの音楽が誰かに届いている」と確実に思える「イマ」を歌っている。
 

「あの日」から「イマ」を辿る航路、それが「aurora ark」だ。
 
 

翌日、改めて、演奏された曲の一覧を見た。

「FLAME VEIN」から聴いている人。
「THE LIVING DEAD」から聴いている人。
「jupiter」から聴いている人。
「ユグドラシル」から聴いている人。
「orbital period」から聴いている人。
「COSMONAUT」から聴いている人。
「RAY」から聴いている人。
「Butterflies」から聴いている人。
「aurora arc」から聴いている人。

「バンプファン歴」の長さが違うのかもしれない。
「バンプへの気持ち」が違うのかもしれない。
「バンプの愛し方」が違うのかもしれない。
10代、20代、30代、40代、50代・・・と、世代が違うのかもしれない。
性別が違うのかもしれない。
国籍が違うのかもしれない。

そこにあるたった一つの共通点は
「BUMP OF CHICKENの音楽が届いた人」なのだと思った。

それ以上も以下もなく、ただ、それだけでいい。

そんな思いが、演奏されたすべての曲と、4人が上下共に無地の真っ黒のどこにでも売っていそうな普段着のような衣装でステージに現れたことと、4人が千葉県佐倉市から来たただの兄ちゃん4人組として繰り広げるフツーの会話をそのまま何万人がいる京セラドームにスピーカーから垂れ流していたことと、フツーの一人の人間としての本心から「グッズを買ってくれ」「まだ物販行ってない人は行け」「物販担当によるとこれとこれが売れ行きが悪いらしいから買ってくれ」「ここにいる全員必ずインスタとツイッターをフォローしろ」「ガラケーでも諦めるな」「アナタノコトガトゥキダカラーー」と叫び続け最終的に今はLAにいるらしいグッズのデザイナーの名前を3万5000人に3回も大声で叫ばせ本気でLAまでその声を届かせようとしては子どもの頃大阪の親戚に呼ばれていたあだ名を暴露して自分はアイドルだったんだと喚き散らす金髪の兄ちゃんがいたことと、「みんなぁーきょうはほんとありがとねぇーまたねぇーばいばーーい」とひょろひょろひらひらしながらどうどうとひとりですてーじのどまんなかにおかれたすたんどまいくのまえにたちどこまでもゆるいあいさつをかますいつまでも童顔で年齢不詳すぎる兄ちゃんがいたことと、「正直、あなたには何も言う事がない。」と金髪の兄ちゃんに賛美されただニヤニヤと余裕の笑みを浮かべているだけだったけど最後の最後とある場面でカメラに背を向けたが為に髪の毛にイヤモニのケーブルが盛大に絡まっている様子が巨大スクリーンで何万人に放映されまさかそれを見られているとはつゆ知らずまるで家にいる時のように背後と髪の毛を気にせず適当にケーブルを外すことによりまた後頭部のあられもない様子が巨大スクリーンで何万人に放映されあわや放送事故になりかけていたことをきっと知らないであろうひげが生えてちょっと見ぬ間に割と丸くなった兄ちゃんがいたことと、これ以上あなたがカロリーを消費してしまって大丈夫なのかむしろ私が代わりにカロリーを消費してあげたいと心配になるくらい汗をダバダバと滝のように放出しながら本当にこの人は何者なんだ?と疑ってしまうようなその凄まじい表現力を遺憾無く発揮し人々をオーロラの中や深い森の中や「あの日」に簡単にホイホイ連れて行く「歌って喋って歩くタイムマシン兼どこでもドア」的な四次元ポケットも驚きを隠せない驚異のパフォーマンスをしたかと思えばピックを咥えながらギターを弾きこの世の「かっこよさ」の全てをかっさらい最終的にこの世界の醜さも美しさも喜びも葛藤も全てを受容した結果ついにきらっきらのスーパーアイドルに転身してしまった兄ちゃんがいたことと、フツーにドームの床を歩きながら数百人とフツーのテンションでハイタッチをしまくり観客が持っているぬいぐるみの頭をぽんぽんと撫で車椅子席にいる観客の前に立ち止まり真正面から向き合い笑顔で固く握手をしていたフツーの兄ちゃん達の様子から伝わってきた。

そして本編ラストの曲の締め方は、私がこれまでに行ったどのアーティストのどのライブの本編の締め方よりも美しくて儚くて、まるで夢の中にいるような感覚を覚えた。

そこで、《「イマ」という ほうき星》が可視化された瞬間を見た。

「23年かけて、ここに到達したんだな。」と思った。

色んな出来事があり私が彼らから目を離していたちょうどその頃、もしかしたら彼らは何かに悩み壁にぶち当たり大きな葛藤を抱えていたのかもしれない。私がたまたまスマホの画面の中でチラッと見た、ちょっとオシャレでスタイリッシュでいろんなものがジャラジャラぶら下がっている王子様風の衣装を着て、某テーマパークのパレードのようなキラキラした音楽と飛び交うカラフルで眩しいレーザービームの中で音楽を奏でている4人の兄ちゃん達の姿に、画面越しにですら「葛藤」を感じた。

でも、そんな「葛藤」を経て、「葛藤」を最高の形で全て飲み込んで消化して、昇華して、彼らは今ここに「到達」したんだと確信した。

《「イマ」という ほうき星》を「君」と「僕」で追いかけ続けた23年。一体何が《「イマ」という ほうき星》なのかという答えに辿り着いた、本編ラストの曲。自分たちとリスナーを「aurora ark」という方舟に乗せ、23年という航路を辿る。どこまでも完璧な航海だった。多分、一旦彼らはここで「到達」してしまったのだと思った。この先どうなるのかなんて誰も分からない。でも、今、航海の中で、ある到達点に「到達」した。その航路を、自分たちの音楽が届いた人たちと一緒に辿りたい、辿って欲しい。自信のない迷子がまた同じく自信のない迷子に対して「今まで流れ星を飛ばしてくれてありがとう」と感謝を告げ、また「これからも流れ星を飛ばしてほしい」と改めて願う、そんな静かで強い思いが伝わってきた。そして方舟の上で、「君」と「僕」はまた新たな約束を交わす。それがこの「aurora ark」ツアーなのだと思った。

ステージには本当に4人しかいない。
サポートメンバーも、他の楽器も、何も、ない。

フツーの兄ちゃん達のフツーの演奏とフツーの歌に
フツーじゃないハイクオリティーな演出と映像が添えられている。

それなのになぜ、フツーの兄ちゃん達は輝けるのか。

彼ら4人は「世界最高のフツーの兄ちゃん達」だからだ。
 

世界最高のフツーと、世界最高のフツーじゃないが絶妙に混ざり合った場に、
世界最高のフツーの兄ちゃん達と共に《「イマ」という ほうき星》を追いかけ続けたフツーの人間たちが何万人も集まる。
そしてこの世界のどこにもない、今この時ここにいる人にだけ見える唯一無二の「Aurora」を作り出し、
そこで「天体観測」をして《「イマ」という ほうき星》を観る。

きっと「世界最高のスゲー兄ちゃん達」では「Aurora」は作り出せない。
「世界最高のフツーの兄ちゃん達」だから「Aurora」が作り出せるのだ。
オーロラは絶妙な気象条件が絶妙に揃って初めて見られるという。
彼らも同じく、どこまでも「絶妙さ」を持ったバンドなのだ。
 
 

こんなことをやってのけるフツーの兄ちゃんたちは
絶対にこの世界のどこにもいない。
 
 

14歳の頃、真っ暗な自分の部屋の青いMDコンポのラジオから流れてくる宇宙初オンエアのプラネタリウムを聴いた。
あの時、真っ暗な部屋に広がった「見えない」一面の星空を私は忘れない。

その頃の私は教科書通りのスーパー反抗期で、スーパー思春期だった。
持ち物の全てに「BUMP OF CHICKEN」という文字を書いた。

そしてとある出来事があった大学時代、バンプから完全に離れた。

今は28歳になった。
フツーに働き、
フツーに結婚なんかして、
フツーの大人になってしまった。

個人的で勝手な話なので誰も気にしないで欲しいのだけど、正直「BUMP OF CHICKEN」という文字を堂々と持ち物にぶら下げるのはもう恥ずかしいお年頃になっている。お年頃になっている、というか、自分で勝手にそう決めつけているだけだ。あの頃は「中学生」という肩書きしかなかったが、今は「会社員」だとか「妻」だとかなんだかあの頃とは違う重みをまとった肩書きを背負っている。自分が14歳だったあの頃から何も成長できていない気がするから、自分で勝手に「恥ずかしい」と思っているだけ。「時間は確実に流れているんだよ」と自分に勝手に言い聞かせている。

だけど、やっぱりこのフツーの兄ちゃん達が好きだ。
どうやらそれだけは、14年経っても、この先何年経っても絶対に私の中では変わらないようだ。

「aurora ark」は「方舟」という意味だと知り、真っ先に14歳の時擦り切れる程聴いたあのアルバムのジャケットを思い出した。
とっくの昔に方舟から体は降りたつもりだったけど、どうやらまだ心は乗っていたらしい。
「aurora ark」に乗船して、望遠鏡を覗き込み《「イマ」という ほうき星》を見てそう確信した私は、パジャマを着て眠そうにしているネコのステッカーを1枚
そっとスマホの透明なケースの間に挟み込んだ。
きっとこれなら、会社の人も夫も周りの友達も、誰もあのフツーの兄ちゃん達のことだと分かりはしないだろう。

今はもう、これでいい。
これ以上は、いらない。

他にどんなものを好きになろうとも、
どうしようもなく大好きだ。
あの頃から成長していないんじゃない。
「自分の心の中にずっと変わらないものがある」だけだ。
どんなに強がっても、
どんなに恥ずかしがっても、
どんなに大人になっても、
私はいつまでも自信がなくて弱虫で迷子のままで、
私の心の奥深くのど真ん中にはいつもフツーの兄ちゃん達がいる。
 
 

このネコを見るたびにただそれだけを思い出そう。
 
 

方舟の上で「君」と「僕」は約束を交わした。

流れ星は必ず消える。
だから、そのたった一瞬を、お互い全ての力で輝こう。

《飛んでいけ 君の側まで 生まれた全ての力で輝け》
 
 

でもここは「到達点」で「終着点」ではない。
不器用でへなちょこで弱虫の「君」と「僕」はいつまでも、
《見えてるモノを 見落として》いるはずだ。

いつまでたっても迷子のままの「君」と「僕」は
きっとまたいつか違う場所で、
もう一度君に会おうとして、
望遠鏡を担いで、
午前二時にフミキリまで駆けていってしまう。

そしてまた一緒に「天体観測」を始めるのだろう。
 
 

《「イマ」という ほうき星》は、決して一人では見えないのだから。
 
 
 
 
 

※《》内の歌詞はBUMP OF CHICKEN「天体観測」「流れ星の正体」より引用

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