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“すごい”のその先にある無限の意味

ミスチルファン1年生の修了によせて

Mr.Childrenが大好きだ。
 

4人の奏でる音が、彼らのつくる世界が、演奏している姿が、笑顔が、どうしようもないくらいに大好きだ。 
 


 

9月15日、私がMr.Childrenに出逢ってちょうど1年が経った。
 

私がミスチルの音楽に出逢ったのは、どこかでたまたまSignという曲を耳にしたのがきっかけだった。当時の私は邦楽の世界に対して無関心で、街でヒットチューンが流れていても興味を持つことはほとんどなかった。
しかし、Signを聴いた時は違った。
切なさの中に暖かさを含んだ印象的なピアノのイントロ、優しく心に染み入る桜井さんの歌声、どこか柔らかさがあり、自分に寄り添ってくれるようなサビのメロディー。

すごい。

どこをとっても“すごい”としか言えなかった。こんな簡単な形容詞で片付けるのは野暮だと分かってはいたが、何がどう“すごい”のかを説明できなくなるくらいに、私は彼らの奏でている音に感動し、そしてこれまでにない衝撃を受けた。
この素晴らしい曲を、そしてこんなに素晴らしい音楽を生み出すアーティストを知ってしまったからには、私は彼らのことをもっと知らなければならない。私の人生にはミスチルが必要だ。そう思った私は、すぐにCDやDVDを集め、言葉通り朝から晩まで彼らの音楽を貪り聴いた。

そして、私がMr.Childrenの世界を知ってから1年が経った。
この1年で、私は数え切れないほど多くの曲と出逢い、その音や言葉たちはどれも、私をまだ見ぬ新しい世界へと導いてくれた。そして今も、私はミスチルの音楽たちとまさに「終わりなき旅」を続けている。

では、一体何が私をここまで惹きつけているのだろうか。あのとき感じた“すごい”の正体は何なのだろうか。
1年間彼らの音と向き合った私が「今」思う彼らの音楽の魅力、“すごさ”について、私が初めて生で聴いた曲と今1番好きな曲の2曲にフォーカスしながら考えたいと思う。

私が初めて生で聴いたMr.Childrenの楽曲は、先日行われたドームツアー“Against All GRAVITY”での1曲目、Your Songである。

このツアーの東京公演は、私にとって人生で初めてのライブだった。
今まで画面越しに見ていた人たちが自分と同じ空間にいること、普段イヤホンから聴いている音楽を生で聴くこと、そして自分が「ライブ」という2つとない作品をこの目で観るということ。そんなライブでは当たり前のことのすべてが私の記念すべき初体験で、もちろん感動することくらいは容易に想像できたが、当日、自分の前に一体どんな光景が広げられるのか、そしてそれを目の当たりにした自分は感情を持つのか、そんなことは全く予想できなかったし、怖くて想像することもできなかった。

5月20日、ライブ当日。
緊張しながら指定された席に着席し、開演前のアナウンスを聞く。
そして開演時刻の18時。暗転し、ついにその時が訪れる。
1曲目が最新アルバムのリード曲、Your Songであることは、最初のギター、田原さんのソロが始まった瞬間に分かった。
そのソロが終わり、JENのカウントが聞こえる。

いよいよ始まる。

次の瞬間、何十回も、何百回も聴いてきたイントロがドーム全体に鳴り響いた。
そして、私の耳が聴いたのは、物理的な「音」を超えたもの、それは彼らの心であり、パワーであり、情熱であり、愛だった。

いい意味で期待外れだ。
私は東京ドームに音楽を聴きに来たはずだったし、ミスチルの4人とサポートメンバーの2人はステージ上で音を鳴らすのだと思っていた。
でも、今彼らがライトを浴びながらやっていることは、そんな単純なことではない。
彼らはそのとき、まさに命を燃やしていた。そして、命を燃やしながら、自分たちの想いを音に乗せて解き放っていたのだ。
感じ取ろうとしなくても勝手に伝わってくるその熱量に私はただただ圧倒され、彼らの世界に身を委ねることしかできなかった。
自分は「観客」であったはずなのに、気付いたときにはすでに客観的な視点を捨てていた。ステージは客席に対してあんなに小さいのに、そこから放たれているものが大きすぎて、今この瞬間に会場で起こっていることを俯瞰することなんかできなかった。

私のそんな感覚をさらに強くさせたのが、Your Songのあるフレーズである。
聴いたことのある人なら分かると思うのだが、Your Songの曲中には、オクターブ(この曲の場合はミ♭から1つ高いミ♭までのこと)の跳躍が印象的なフレーズが、イントロのはじめからサビ、そしてアウトロと1曲を通して何度も登場する。そのフレーズがイントロで繰り返されるたびに、その音の広がりが会場全体を暖かく包んでいっているように思えたのだ。また、繰り返されることによって幾重にも包まれ、その世界が普遍的なものになっていっているようにも思えた。

まさに私はあの日、東京ドームで、ミスチルの音に、世界に、包まれた。
 

このライブを通して、私はMr.Childrenの音楽に「聴いている人も一緒に主体になれる魅力」があると強く感じた。
ここでいう「主体になれる」とは、曲の主人公に向かって自分の心情を重ね合わせられることではない。ミスチルの曲と自分が同じ側に立って、同じ景色を見て、ともに歩みを進めていく、ということである。
もちろん楽曲を形にするのは彼らであるが、それが私たちに届けられた瞬間、その曲に内包されたメッセージやパワーは聞き手のものとなる。そして、それらを糧にして私たちは日々の生活を送っていく。そんな、音楽が自分たちに共感してくれる不思議な力が、ミスチルの曲にはあると思う。
しかし、だからといって、ミスチルは聞き手のためだけに音楽をやっているわけではない。彼らにだって戦っているものや対峙しているものがある。それらと向き合い、時に受け入れた上で、私たちを音楽によってさらに先へと連れていってくれるのだ。
私たちは彼らの音を通して、そんな彼らの想いや情熱、そして彼ら自身が抱えている“重力”に抗おうとするパワーに包まれているともいえるだろう。

音楽を通して音楽以上のものを届けてくれる。それが彼らの“すごさ”の1つであると感じた。

もう1つ、私はMr.Childrenの楽曲の魅力として「理論上の感動と、理屈を超えた感動が共存していること」を挙げたいと思う。
ここでいう「理論上の感動」とは、曲中の言葉やコードの工夫などのたくさんの仕掛けによって生み出される感動である。
例えば、私が今「1番好きな曲は何か」と聞かれたら答える曲、NOT FOUNDの歌詞の中には、
『愛という』が“IとYou”に、
『浮き沈み』が“Uh kiss me”に
といった具合に、歌詞カードに実際に記された言葉と違った単語にも聞こえるような箇所がある。
このような巧みな言葉づかいは他の曲にもたくさんあり、それを発見したり知ったりするたび、私たちは楽曲の新たな魅力やミスチル(ここでは主に作詞をしている桜井さん)からの隠れたメッセージに気付き、さらにその曲に愛しさを感じるようになる。

また、ミスチルの曲にはたくさんの韻踏みがあることも有名である。
日頃から歌詞の韻に注目している人は多くないかもしれないが、実は、私たちが普段何気なく音楽を聴いているときも韻は大切な役割を果たしている。
韻を踏むこと=単語の母音を揃えることは、その曲の歌詞の美しさをより引き立たせることに繋がっているのだ。
例えば、1番と2番の同じ箇所の歌詞で韻を踏んでいる場合、その韻は曲の歌詞全体に一貫性を生み出すことに役立っているし、近くの歌詞と韻を踏んでいる場合は、言葉の調子が整い、より言葉とメロディーが馴染んで聞こえるようになっている、と私は考える。
つまり、たとえ韻踏みを知らずに曲を聴いていたとしても、私たちは気付かないうちに韻の効果によって言葉の美しさをより深く感じ取っているのだ。

次に、この曲を音楽理論の視点から捉えてみると、A・Bメロとサビを構成している音楽的な要素にはいくつかの違いがあり、その対比によって曲のイメージがより濃いものになっていることがわかる。以下で詳しく解説したい。
この曲のAメロとBメロでは、最初の小節の1拍目のメロディーが休符となっているため、拍の頭や場面の変わり目がぼんやりしているように感じられる。また、小節の頭のコードもAメロがAadd9、BメロがG7であり、着地していないような、安定感を感じにくいコードを使用しているといえる。
一方でサビは、1拍目に和声音(コードの中にある音)が使われており、コードもメジャー・トライアド(3つの音から構成される、一般的に複雑な響きを感じさせないといわれているコード)のAであるなど、A・Bメロとは対照的に爽快感を感じられる響きになっている。それに加え、サビには等間隔で鐘の音が入っているため、その音によって視界の開けるような印象をより聞き手に与えていると考えることができる。
以上のように音楽理論の視点からこの曲を捉えると、AメロとBメロの浮遊感やサビに到達するまでの沸々とした感情の高ぶり、そしてサビの視界が開けるような快感はこのような緻密な工夫からできていることがわかる(これが意図的なものなのか自然に生まれたものなのかは私には分からないが)。そして、これらの要素は、音楽的な面から曲の世界観をつくるのに大いに役立っているといえる。

このように曲中に潜んでいる仕掛けを探すことは、私にとって、ミスチルが音楽に隠した宝物を探すようなものであると感じている。その宝物を見つけたときはとても嬉しいし、曲をより深く理解できた気がしてどこか誇らしくもなる。
 

しかしその一方で、当たり前のことかもしれないが、そういった工夫に気付く前から私はミスチルの音楽に十分に感動している。
ミスチルの曲を聴いていると時々、音楽は心と心を繋ぐためのひとつの共通言語に過ぎず、私たちは音楽を通して「音」以上に「魂」を受け取っているのではないか、と感じることがある。そのように感じるのは、たとえその曲の歌詞や背景を知らなかったとしても、4人の音色や息づかい、音から溢れ出る感情など、記号では表しきれないようなものたちが自分の心に伝わってきて、それらに理由もなく心を打たれるからだと私は考える。
そんな自分の心に直接届くような感動、無条件に胸が震えるような感動が「理屈を超えた感動」なのだと思う。

人間の感情と理論に感動が共生するということ。簡単そうに思えて、実は表現のあらゆる次元を超えてはじめてなし得ること。
そんなことを探求し、それに挑み続けているところもまた、ミスチルの“すごさ”なのではないか。
 


 

こうやって振り返ってみると、私はこの1年間で、あまりに多くのものをMr.Childrenから受け取ってきたように思う。
自分が今まで歩んだ人生よりも長い27年という月日を駆け抜けてきたバンドが今も輝きを放ち続けていること、「まだまだ伸びしろがある」と向上心を持って前に進んでいること。そんな1つ1つのことが私にとっての大きな刺激であり、どこまで行っても追いつくことができないような、偉大な背中のようなものにも思えるのだ。

そして、こんなに全力で彼らの音楽や言葉と向き合い続けてきたのに、未だに飽きたり満ち足りたりすることなく、私は今も4人に魅了され、夢中にさせられ、そして信じられないくらいに大好きであり続けている。 それどころか、時々彼らから放たれる想いの強さや覚悟に押し潰されそうになるくらいに、彼らは私を絶えず圧倒し続けているのである。

きっとミスチルのたくさんの魅力たちは、土台に「現在進行形で人々を魅了し続けられるパワー」があることでさらに輝いているのだろう。

そんな彼らと同じ時を過ごせていることは、私にとってとても幸せなことで、同時に誇りでもある。私はこれからも、“Mr.Children”という大きすぎる背中を追いかけていきたいと思う。
 

そして、私があの日感じた“すごい”という言葉、そのたった3文字の言葉に包まれた無限の意味を探す旅を、これからも続けたい。 
 


 

※『』内の歌詞は、Mr.Children「NOT FOUND」(作詞・作曲:KAZUTOSHI SAKURAI)より引用

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