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いつかあなたと踊りたかった、これからも一緒に踊ってほしい

2020年デビュー40周年に向けて、佐野元春に支えられた日々に感謝をこめて!

私が佐野元春の魅力に憑りつかれ、ファンになったのは1993年ころです。

佐野元春というミュージシャンがいたことは、1980年代私が中学3年生の時には認知してました。当時はアイドル全盛期でもありました。3年B組金八先生がヒットして出演しているジャニーズのタレントが人気でした。他にも松田聖子や中森明菜などの女性歌手もです。

そんな中、アイドルも好きだけどこんな音楽もあるぜ!と自慢気に話す男子生徒もいました。そのミュージシャンが佐野元春であったり、サザンオールスターズ、渡辺美里、YMOでした。佐野元春を熱弁していた男子の顔は今も忘れません。

私は多分に漏れずジャニーズのアイドルも好きでしたが、そのころはサブカルチャーの方に夢中だったので音楽にはあまり興味がなかった記憶です。

そんな私が佐野元春に夢中になり始めたのは、10年後。高校を卒業し商社に就職、恋愛もして別れも経験しました。けして、順風満帆だったわけではないけど、知人の紹介で23歳で結婚し、24歳で第一子を産むありふれた人生を辿ってきました。

結婚を機に新しい土地で、新しい環境で新しい生活をしていました。第一子を産んで半年で職場復帰・・・、夫は真面目で堅実だったけれども基本古風な人で、育児や家事は私がしていて、若かった私には慣れないこの毎日が目まぐるしく感じ、苦しくなり始めていました。

1992年のある日、ふと「自分の存在価値」について考える自分がいたのです。

特に何か取り得があるわけでもなく、
特に何かキャリアがあるわけでもなく、
ここ以外の居場所なんてなくてただ、
日々を誰かの為に無償で奉仕し続け、
自分の好むと好まざるに関わらず、

この感情はこの契約(婚姻)に組み込まれたまま、この先も無限ループで繰り返されていくだけなんだなぁ・・・と、漠然と考えていました。

「私は誰の為に生まれ 誰の為に生きる?」

などと生まれて間もない子供を抱きながら、自問自答してることが増えていました。ところが1年後のそんなある時、テレビから流れるCMの軽快な音楽に耳を奪われ、歌詞に心が射抜かれました。

「楽しいときにはいつも
 君がそばにいてくれる
 哀しいときにはいつも君の
 くちづけに舞い上げる」

※引用はオフィシャルサイトの「ソングス」より

「何?!このシンプルでピュアな発想は!」と、ドキドキと胸が高鳴ったのです。

もし夫婦間がお互いにこういう価値観であったら、きっと思わなかったであろう。配偶者にこう思われている存在とは違うし、私もこんな風に相手に感じてはいないと思ったのです。しかし、私もこの歌詞に歌われるような人になりたいと、同時に思えたのです。

そして、こんな風に無邪気な気持ちを歌える人はどんな人なのだろう?そう、意識して次にCMが流れるのを待っていました。歌っている人は、CMにもご本人が出演していたのですぐにわかりました。

「佐野元春」その人でした。CMのテロップに名前はでていましたしたが、楽曲名は出ておらず、なんという曲なのかはわかりませんでした。

私は全部通して聴きたくて、楽曲をさがすのにCDショップへ・・・ところが佐野元春は曲をあまりシングルカットしていません。なので、この詞のサビの部分だけを頼りにどの曲なのか?探すのは容易ではありませんでした。

CMソングにするのだから、きっと最新のアルバムに収録されているのでは?・・・と手に取ったのが1993年リリースの「The Circle」というアルバムでした。恐る恐る、歌詞カードを読み探していたら見つけました!3曲目の『レインガール』という曲でした。

佐野元春との出会いはこんな風でした。佐野元春はすでにデビューをして13年経過していて、丁度それまで一緒に活動をしていたバンド、“HEARTLAND”との解散ツアーを終えてたころでした。

ファンとしては遅咲きでしたが、現在のようにインターネットも普及していない時代でしたので、紙面上の掲示板を利用して佐野元春のファンの人と文通をしたり、関連する書籍をもらったりしながら、佐野元春にのめり込んだのです。

彼を通じて出逢った人も多く・・・私の味気ない人生に炭酸水くらいの刺激を与えてくれたのが『佐野元春』だったかもしれません。

私は育児の傍らたまにLIVEに行きCDは欠かさず購入してました。ある日、私生活にいろいろあって2000年頃から、音楽自体あまりきかなくなりました。同時進行するように元春もオリジナルアルバムを発表しなくなっていました。

そして、その後は生活も少し落ち着いて、他のミュージシャンの曲を聴いたり、LIVEに行ったりと聴く音楽のジャンルも増えていました。

とは言え、元春のファンでなくなったわけではありません。元春のことで文通をしていた人とのコミュニケーションも続いていましたし、ネットの普及もあって2009年ころ、SNSの佐野元春コミュニティーで沢山の元春ファンと出逢いました。

佐野元春の最新バンド、“THE COYOTE BAND”でのツアーライブに2009年7月、8年ぶりに行きました。このことがきっかけで佐野元春熱が再燃したのです。そして、忘れもしない2011年3月13日は佐野元春の誕生日で、佐野元春のデビュー30周年LIVEが行われる予定でした。

そうです。この日の2日前、3月11日に東日本大震災が起こりLIVE会場となる予定だった、東京国際フォーラムは避難所として開放され、社会的にも実質的にも開催ができる状況ではなく延期となりました。

この震災がきっかけで、コミュニティの人達と人間関係がギクシャクしてしまうことがあったり、心身共に疲れきっていた時に私を拾い上げたのは、やはり佐野元春その人でした。私がファンになったきっかけの曲「レインガール」の歌詞の一節が、私と元春の繋がり歩みそのものでした。

「楽しいときにはいつも
 君がそばにいてくれる
 哀しいときにはいつも君の
 くちづけに舞い上げる

 時の流れが忙しすぎて
 ついていけない時も
 君は決して忘れない
 溢れる想い
 束の間の街に夢を
 数えてる

 いつか君と少しだけ話したい
 Rain Girl
 いつか君と少しだけ踊りたい
 Rain Girl
 いつか君と少しだけ眠りたい
 Rain Girl」

※引用はオフィシャルサイト「ソングス」より

そんな佐野元春も来年はデビュー40周年!音楽業界にあって、長いキャリアとレジェンドと言われる偉業がありながら、現役のミュージシャンとしてのこだわりというか?現場で音楽仲間とセッションすることを楽しんでいる、元春の姿が大好きです。

元春の音楽には詩を通じて、社会や人生への向きあい方も教えてくれる。それは直接的な言葉で唱えているわけではない。聴いた者が自分なりの解釈でカスタマイズできる詩の世界なのです。私はそんな元春のLyric能力と優しさがほしいです。人生のお手本です。

さてこの夏、佐野元春の新曲「愛が分母」がリリースされました。ホーンセクションに、今年デビュー30周年の東京スカパラダイスオーケストラのホーン隊が参加しています。その「愛が分母」が私の人生の何章節目かのテーマソングになりました。

この新曲のリリース情報が、イメージ画と共にでたときまだ、タイトルは発表になっていませんでしたが、画を見た時に感じた私のイメージは、

愛が支えているもの
愛に支えられているもの
愛を押し潰そうとするもの
愛が押し潰されそうだ
愛はそれでも支え続けるのか

分母が愛

愛がどこかに潜んでいる…
愛がみつからない

これでした。佐野元春のファンになった頃にいた子供はアラサーになりました。この間、もう一人子供が授かって今は多感なお年頃です。私は母として愛を子供達に捧げてきて、最近やっと落ち着いてきたように感じていました。

すると私への愛をどこかに忘れてきたような感じと、達成感とこれからのことが頭をグルグル巡ってこの言葉になりました。そして、シングルのタイトルと歌詞をみて・・・驚きました。そして、歌詞の一節に、

「踊りたい
 君と一緒に
 夜を超えて
 遠く遠く
 感じたい
 君のこと
 ありのままに
 朝も夜も」

「分けあいたい
 君と一緒に
 心は軽く
 今日も明日も
 守りたい
 君のこと
 誰よりも
 強く深く」

※引用はオフィシャルサイト「愛が分母」特設ページより

と、ありました。「レインガール」の出会いから26年、この先もずっとずっと「元春が分母」で、元春に支えてもらいながら、私は踊りながら生きていくのだなぁと、信じているのであります。そして、そんな佐野元春に最大限の感謝を込めて、来年は40周年を盛大にお祝いしていきたいと思っています。

最後に「元春、心の監視台にあなたをいつも感じています。見守ってくれてどうもありがとうございます!」

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