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涙のふるさとから未来を目指す旅

BUMP OF CHICKEN tour 2019 aurora ark

「言葉にならないとはこういうことだよね」

隣でハンドルを握る友達の声が震えていた。
9月22日 tour aurora ark ナゴヤドーム公演2日目が終わってしまった。
声を返したらもらった記憶と思いが溢れてしまいそうだった。どんな言葉も今の感情を言い表すに相応しくなくて、黙って何度も頷いた。
車内では【涙のふるさと】が流れていた。

〈その濡れた頬に 響いた言葉
それだけでいい 聞こえただろう〉【涙のふるさと】

言葉にならなくてもいいのかもしれない。
綴っている今だって、文章におこそうとすること自体蛇足なのではないかと葛藤している。

友達は駐車場で私を待っててくれていた。
早く向かわなくてはならないのにとぼとぼ歩くだけで精一杯だった。
心をナゴヤドームに置いてきた。明日には日常に戻らなくてはならない身体と無理矢理引き離した感覚だった。そうやって引きずってきた身体が、もらったものの熱で粉々になりそうだった。
終演後のナゴヤドームの周りを歩く途中、夜の暗さに負けないくらいのライトがフォトブースのオーロラを煌々と照らしているのが見えた。雨上がりの地面がそれをきらきらと反射させていて、まるで涙の水溜りが蒸発しているようだった。
高校生の頃だ。漫画みたいで恥ずかしくなってしまうが、傘を忘れて雨にぐちゃぐちゃな顔を隠してもらいながら家路についたことがあった。傘は忘れたくせに耳にはイヤホンが刺さっていた。もしも例えるなら「雨を吹き飛ばす」バンドではなく、「雨の中を一緒に濡れてくれる」「虹がでるまでそばにいてくれる」バンドだと思った。あの頃聴いていた曲を今も聴いている。今に繋がっているから大丈夫だ、そんなことを雨に濡れた地面をみて思った。
やっとの思いで到着した場所に友達の姿が霞んで見える。夢中になって駆け寄った。心底ほっとしてしまってお互いに堰き止めたものが止まらなくなった。

〈もうきっと多分大丈夫 
どこが痛いか分かったからね〉
〈自分で涙拾えたら 
いつか魔法に変えられる〉【Aurora】

はじまりの一音だけで辺り一面が色彩豊かになる。画用紙を水彩の青と黄色で染めた清々しいメロディとは対照的の、その上をクレヨンの朱色で走るような力強い歌詞が印象的だと思う。

tour aurora arkはどこへ向かう旅なのか。
新譜「aurora arc」に貼られていたシールの搭乗券と帯のバゲージクレームタグに心が跳ねたフラゲ日から、あの箱舟のロゴを見ては、【Aurora】を聴いては、ずっと考えていた。tour折り返し地点を過ぎた頃、ある考えに辿り着いた。

––––––このtourは「BUMP OF CHICKENに掬ってもらった涙の故郷に帰って、その涙が未来を目指す旅」なのかもしれない。

ライブは新譜「aurora arc」からだけではなく過去のアルバムからも様々な曲が演奏される。「自分はあの時こう痛かったんだっけ」「あの曲をずっと聴いていたな」「あの曲のおかげでこうしようと思えた」そんな数えきれないくらいたくさんの、曲と手を繋いだ時の記憶がライブ中走馬灯のように頭の中を駆け巡る。その場面場面で自分が流した涙の中を再び泳ぐ。泳いで辿り着いたその涙の故郷に帰る。どこが痛いと思って泣いたのかを、そしてその涙をどう掬ってもらえたのかを探しに行く。私達は過去流してきた涙の海原の中を航海している、と思った。

〈あなたの言葉がいつだって あなたを探してきた
そうやって見つけてきた〉【Aurora】

〈その心で選んで その声で叫んで
無様に足掻こうとも 証を輝かせて〉【シリウス】

〈体は信じているよ 君の全部を〉
〈嵐の中も その羽で飛んできたんだ〉【望遠のマーチ】

“BUMP OF CHICKENに掬ってもらった”涙と形容したが、彼らの曲は自分を奮い立たせるのも、最終的なもう一歩を踏み出すことができるのも自分自身であることを歌う。彼ら自身も徹底して曲とリスナーが手を繋ぐ瞬間を見守る立場でいる。俺たちのことは忘れていいよ、とさえ言って、そこに生まれる物語を何より大切にしてくれる。
つまり、「探して」「見つけて」「届けて」「そばにいて」くれるが、決してイコール「救って」くれるスタンスではないのだ。リスナー自身の力を信じて、呼吸するまで待っててくれる。それは単に「救って」くれるより難しいことだと思う。そんな優しい距離感が有難くもあり、どこか切なさを感じる。

忘れられない藤原さんの言葉がある。

「俺らの曲の中から君らが…君が…あなたが…鍵を拾い上げて自分の(心の)鍵の錠前合うとこ探してガチャってやったんだと思うの。」【TOKYO FM [SCHOOL OF LOCK! ]2005年12月27日放送】

10年以上前の藤原さんの言葉が現在の曲と呼応し合う。“立ち上がる力を曲の中から発掘したのは君自身だ”というメッセージ。自分の轍を自分自身が認めてあげられるように、すり減らしたものに気付けるように。

確かに、奮い立たせ前進する力を曲の中から発掘したのは自分自身なのかもしれない。しかしそれは隣に在ってくれたのが他でもないBUMPの曲だったからだ。
彼らがいなかったら発掘することができなかっただろう。

BUMPが好きだ。好き以上に敬愛している。彼らの曲だけじゃなく、ライブや媒体を通して知る謙虚で優しくてお茶目な人間性も、リスナー思いなところも、4人の絆の深さも、その歩んできた軌跡も、伝えようとしてくれることが一貫していて変わらないところも、全てをまるごと愛している。

私が“曲に掬ってもらった”涙というよりも“BUMP OF CHICKENに掬ってもらった”涙、と言いたいのは、ただただ彼らを敬愛していて、私と曲の間には彼らにも居て欲しいと願ってしまうからだ。

〈解き放て あなたの声で 光る羽根与えた思いを
その足が向かうべき先へ そうしなきゃ見えなかった未来へ〉【Aurora】

〈想像じゃない未来に立って
僕だけの昨日が積み重なっても〉
〈君は笑っていた 僕だってそうだった
終わる魔法の外に向けて 
今僕がいる未来に向けて〉【記念撮影】

〈描いた未来と どれほど違おうと 
間違いじゃない 今 君がいる〉【Spica】
 

掬ってもらった涙の目指す場所が未来だと思うのは、新譜「aurora arc」に収録される曲のところどころに「未来」という言葉が散りばめられ繰り返されるから、という理由だけではない。

ライブはまさに【記念撮影】だと思う。
思わずシャッターを切りたくなってしまうような一瞬の連続だ。その一瞬一瞬が手放し難くて愛しい。どうにかして未来にも連れていって自分のよすがにしたくなってしまう。
【記念撮影】について藤原さんは「考えた自覚はあって、それは『写真』って言わないようにしようというところですね」【CUT No.410、2019年7月号、22頁】と言っていた。過去の産物である「写真」ではなく、過去を未来に連れて行くという「撮影行為」そのものに焦点を当てているのだと。

度々アンコールが終わった後に「明日からの日常も今日の続きだから」という。ライブが終わってしまう寂しさをこの言葉が払拭しようとしてくれる。一瞬一瞬の積み重ねが〈今僕がいる未来〉に繋がっていているから、私達はどこへだっていけるということなのだろう。そんな未来なら生きていきたいと身体が焼けそうなほど切望する。掬ってもらった涙の目指す場所は未来だと確信することができる。
 

意訳だが、藤原さんはあのナゴヤドーム公演2日目のエピローグをこう締めくくった。

「もしかしたらこの先の未来で、君達に辛くてどうしようもねぇや、もう立てねぇや、もう前に進めねぇや、太陽の下に出られねぇや、そんな日が来るかもしれない。そんな時俺は気持ちでは君のそばにいるつもりでいるんだけど、そんな事は物理的に不可能なんだ。だから…俺の曲が君のそばにいる。東京にいる俺はそばにいてあげられないけど、俺の曲なら君のそばにいてあげられる。」

これには根拠があるんだ、と続く。

「曲が完成するのを待ってくれている君達がいることを考えると、辛くて書けないと思っていた曲でも、その時君達という存在が暗闇を照らす松明のように思えて、書けるようになるんだ。」

心に火を灯すように毎朝聴いている曲が脳内に流れる。彼らもまたリスナーのことを松明だと思ってくれていたなんて。

〈どれだけ離れてもここにある 
君がいるからどこまでだって〉
〈動かなきゃきっと君に会えない
会いたい 会いたい〉【トーチ】

「曲が君のそばにいる」なんて言葉自体はありふれているのに、BUMPに言われるとどうしてこんなにも込み上げてきてしまうのだろう。きっとそれは単に私がBUMPを好きだからだというだけではない。
彼らはどこまでも誠実な人達だからだ。例えば光があるとわかるのは暗闇があるからだということや、朝が訪れるなら夜も訪れること、悲しいことを忘れるなら嬉しいことも忘れてしまうということ…いつも本当を歌う。絵空事は決して言わない、多数を前に少数をないがしろにしたりしないバンドだからだ。そんな彼らの「根拠」だから、「曲が君のそばにいる」という言葉は本当だと心から信じられる。

年季の入ったWALKMANのスキップボタンを押してしまう曲がある。未だにライブ以外で聴くことができない。もったいなくて耳慣れてしまいたくないなんて気持ちになるのはこの曲が初めてかもしれない。もちろんどの曲もとても大切なことは大前提だが、それぐらい特別な曲になった。その曲にはこんな言葉がある。

〈君が未来に零す涙が 
地球に吸い込まれて消える前に
ひとりにせずに掬えるように 
旅立った唄 間に合うように〉【流れ星の正体】

「曲が君のそばにいる」。彼らの曲達はリスナーの過去の涙だけでなく、未来の涙のことまで想って放たれる。彼らの曲が未来の私のそばにも必ずいる。過去の涙を掬ってもらえたように、未来の涙も掬ってもらえるのだろう。

ふと仙台GIGS公演2日目の【流れ星の正体】のことを思い出した。

藤原さんは〈誰かの胸の…〉まで歌うと、マイクが歌声を拾うぎりぎりの距離まで喉を遠ざけた。–––––––ほとんどオフマイクの肉声だった。せめてこの瞬間だけは君のすぐそばにいることをその耳で感じとってほしい、と伝えてくれるような優しい声色だと思った。増川さんも何かを読み取った呼吸で、藤原さんの声を丁寧に掬い最小限の音でギターを奏でてくれた。升さんは暗がりの中でそんな2人の音をじっと見つめ、チャマさんはちゃんと届くことを祈るように合掌して聴いていた。2番から4人全員の音が重なり合い、荘厳な音が響く。一音たりとも溢すまいと全身を鼓膜にした。思いの強さが木霊するような声と、プレゼントにリボンをかけるような音色だった。まっすぐ伝えてくれた思いが、言葉が、音楽が、確かに私の身体に雪崩れ込んだ。

〈太陽が忘れた路地裏に 
心を殺した教室の窓に
逃げ込んだ毛布の内側に 
全ての力で輝け 流れ星〉【流れ星の正体】
 

仕事に向かう路地裏で、
本当にやりたかった夢を諦めた教室で、
ふてくされて毛布にくるまった布団の中で、
BUMPの曲を耳が千切れそうな程聴いていた。
辛くて聴けない時期さえも絶えず私の中で反芻していた。
 

〈お互いに あの頃と違っていても 
必ず探し出せる 僕らには関係ない事
飛んでいけ 君の空まで 
生まれた全ての力で輝け〉【流れ星の正体】
 

シャーペンで「BUMP OF CHICKEN」と彫った机の上で、授業中こっそり藤原さん宛に手紙を書いていた。そんな私も今ではイワシの群れのような満員電車に毎朝揺られている。責任も自由も多くなった。
彼らもまた、曲が求めるものを追求し真新しい音も鳴らすようになった。雑誌の写真とは違う、白髪やシワがまじるオフショットをみるととても安心してしまう。

だが、お互いにちっとも変わっていない。
あの頃とどれほど違おうが、音楽が好きなままだ。

BUMP OF CHICKENの曲達は私の涙を掬いにやってくる。頭に浮かんだのは、自分と無数の曲達が手を繋いでいる光景だ。

<手をとった時 その繋ぎ目が  僕の世界の真ん中になった> 【Spica】

その光景はまるで、あの連星みたいだと思った。
 


 

さて、私のtour aurora arkは残すところファイナルの東京ドーム公演だけになってしまった。今度はどんな涙の故郷に連れて行ってもらえるのだろう。少しこわくて、とても楽しみだ。

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