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「人間」米津玄師

人間に生まれて良かったよ

何から書いたらいいのだろうか、あたしは今ヒトリ考えている。伝えたいことなんて、きっと言葉になんてできないのだと思う。それだけの「重み」や「想い」がまるでマトリョーシカのように重なるから。

さて、意識を、意識を「人間」米津玄師、に集中したい。人を呼び捨てにすることのない私だが、あえて「人間 米津玄師」としたことに、文にいくまえに謝りを入れておきたい。

私は生きることに不器用で、人一倍どんくさくて、余裕を感じることがない40年であり、常に「普通の人間」になるという目標を目下掲げてきた人間だ。だから、学業のときはいかに船から落ちないようにと友達にくらいついてきた、就職してからも人間関係や要領の悪さで必死に仕事にくらいついてきた、周りからは「普通」にうつっていただろう、うつるようにしかいきてこなかったのだから。だから私には、日常には「音を楽しむ余裕」なんていう御馳走は用意されていなかった。

今私は自分の葬儀で音をかけるつもりの曲を耳に入れながら執筆している、彼の曲「海の幽霊」だ。

自分の最期はさておき、彼に出会ったのが今年の1月2日、そうなのだ、「紅白」ではない、1日遅れ、1日だけタイミングが合っていた、私には「タイミングが違った」のではなくタイミングが合っていたのだ。お正月で家族は少しの時間、私をおいて外出していた。たまたまそんな私が彼と初対面をはたす。主人のスマホというものをさわっていると携帯では紅白の話題でもちきりだった、何気なく「米津玄師」と検索をかけてみた。そこには彼のボカロ時代の過去までご丁寧に記載されていた。
いつしか、興味本意で開けたページの言葉をメモしている私がいた。
私は初めて自分を「肯定」してもらった、気がした。
涙がながれた。「私は私でいいんだな」って自然とおもわせてくれる言葉たち。私はLemonをきいた、、何度も何十回も、いや、もっとかもしれない。私は彼に会いたい!と心底おもった。

彼を検索するとツアーがあると、、しかしチケットはない。liveなどいったこともない。どうやって手にいれるのかさえわからない。ただただ、彼に、彼の音楽に会いたかった、会いたかった。
2月に入っても気持ちはかわらない、それどころか、いつしか彼の「音楽」の命の美しさに圧倒されている自分が確かにいた。

会いたい、
同じ空間に生きたい、
ただただ、それだけで私はトレードというものにチャレンジすることになる。結果、私は周りに狂ってる、といわれるくらい彼のliveにいくことになる、トレードのために有給をつかい、1日携帯に向き合う日常さえあたりまえの日々。そんな私に神様がいるのなら、神様は微笑んでくれた。
初めて、宮城県のトレードをゲットできたのだ。遠方であったが迷いなんて一ミリもなかった、live空間に滞在できるのは長く見積もってもせいぜい一時間、そのために、私は人生で二回目の飛行機というものに愛しくさえ感じ飛び乗った、

初めての空間、開場から開演までの一時間がすでに私には「同じ空間にいる」という緊張と喜びで吐き気と涙でボロボロだった、いつしか私は両手を胸の前で組ながらその時をまっていた、
いよいよ、彼が、「人間」米津玄師がやってきた、記憶が曖昧な中で私は呼吸が苦しかった、やっと彼に、彼の音楽に、彼の音にふれられる、、言葉なんていらなかった、私は音の始まりと同時に気がつくと靴をぬぎ、靴下をぬぎ、怪しい人になりながら、床から響く音を全身で感じたくて裸足で足を肩幅に広げてたっていた、時間はすぎてゆく、私がきかせてもらえた数曲の中に大好きな「かいじゅうのマーチ」があった、そこで我にかえったと同時に涙が「これでもか」とあふれでた、、「ありがとう」「ありがとう」を何度も彼に、届かぬ声でつぶやいていた、。時計のアラームが静かになる、私は、満足しかないうえで、裸足のまま会場を走った、時間がない、飛行機が間に合わない、明日は大切な仕事だ、と。後ろ髪ひかれることはなく、むしろ感謝とすがすがしさしかなかった。

帰りに頼んでいたタクシーが外でまっていた、このタクシーの運転手が私の思い出をかっさらっていくなんてしる訳もなく、タクシーにのりこんだ。
タクシーの中で私はメモをしていた、彼についてなんでも細かくかいていた、私は幸せの絶頂だった、、、
そんな私に運転手さんが「あっ、道まちがえた」とつぶやいたのだ、、
「えっ?」私は時計をみる、最終飛行機まで時間がない、、

「これがスカイツリーですね」運転手は私に気をつかってはなしかける。私はうとうとしながらも、どこか申し訳なくて話につきそう、。そうなのだ、飛行機をのがした我々はタクシーで宮城県から関西まで二人で12時間ともにすることになったのだ、いまではよき思い出である。米津玄師との時間は一時間、タクシーの運転手さんとは12時間。いうまでもなく私の初めての米津玄師との思い出はすべて運転手さんとの濃厚な思い出にかわった、音楽の話もしながら一緒にパーキングでドーナツをたべ、スカイツリーを見、いつしか戦友にさえなっていた、音楽をつうじて人間とであい、運転手さんの長い人生にもふれた、、

そんな私はトレードで、ハチ回参戦した。狂ってるだろう、、狂ってるといわれるし、自分でもそうおもう、でも私にはあのときだったからこそ、必要な音であり、空間であり、「人間」米津玄師だったのだ。
ハチ回にはそれぞれのエピソードがある、私にはどうやら普通は難しいようだ、笑えるくらいのエピソードがあるハチ回、、

また時間があれば書いていきたいとおもう、30分の空間共有に北海道までいった「あの日」、どうしてもバースデーliveにいきたくて二時間だけ関西にもどり、忙しすぎて過呼吸になりながらlive参戦させてもらった3月10日、。どの回にも、その回にしかない彼がいて、空間があって、私の裸足の参戦があって、出会いがあって、、

liveにいかせてもらえるのはあたりまえではない、病気や諸事情がある、このことだけは毎回自分にしっかりいいきかせて、決して感謝を忘れず、いきたくてもいけないかたの想いもせおわせてもらいたいと、おこがましくも思えてならない。

今、耳からは「かいじゅうずかん」についていたloveのCDの音がながれる、
私の通夜でかけるときめている、音。

私の余裕のない、隙間のない人生にも介入してきてくれた「人間」米津玄師に心からの、心からの感謝を申し上げて、、。彼の音で人生を締めくくるときめさせてもらえた音との出会いにも心からの感謝をこめて。
 

長々とよんでいただき、ありがとうございました。
「人間」に生れてよかった、、
「人間」でよかったよ、、

ありがとう、「人間」米津玄師さん。

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