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Mr.Childrenは旅客機で、ミスチルファンは自動販売機だ

「Worlds end」になぞらえて考えるMr.Childrenの最終目的地とは

 
 
〈いつも、このステージの上に立って思ってること。音楽っていう乗り物に、ここにいるみんなを乗せて、悲しみや寂しさや退屈から、できるだけ遠い場所へ連れて行きたいと思っています。〉
 

2019年5月12日、Mr.Children Dome Tour 2019 ”Against All GRAVITY”(以下、AAG)、京セラドーム大阪公演。本編ラストの「Prelude」前の桜井さんのMC。私は泣いた。これまで何度もライブに行ったが、桜井さんのMCで涙を流したことはなかった。ある程度のファンであればそれがなぜかは分かるはずなのでここではあえて何も言わないでおく。しかしこの時は、自分の耳から入ってくる桜井さんの言葉がそのまま目から涙となり絶え間なく溢れ出た。「自分はなぜこんなにずっとMr.Childrenを好きでいられるのか」という自分の中で長い間抱えていた疑問に対して、桜井さんが自分と同じ場所で答えを教えてくれたから。
 

ああ、そうだった。心が雑魚すぎる私は、いつもミスチルの音楽を心の支えにして色んなことを乗り越えさせてもらった。ミスチルの音楽は、危ない橋を渡ろうとする時の手すりだったのかもしれない。冷えた所を温めてくれるホッカイロだったのかもしれない。汚れを洗い流してくれるシャワーだったのかもしれない。怪我をして歩けなくなってそれでも歩かないといけない時の松葉杖だったのかもしれない。折れた部分を固定してくれるギプスだったのかもしれない。傷口から血が出た時の絆創膏だったのかもしれない。高熱が出た時の解熱剤だったのかもしれない。何処かが痛んだ時の鎮痛剤だったのかもしれない。どこか遠い所へ飛び出していくための発射装置だったのかもしれない。大胆不敵な行動を取るための起爆装置だったのかもしれない。気持ちを落ち着かせてくれるアロマオイルだったのかもしれない。穏やかに眠りにつくための子守歌だったのかもしれない。
 

そして何より、ミスチルの音楽は、こけて泥だらけになって傷だらけで血まみれになっても「それでもいい、何度でも生まれ変わっていけるんだ」と思える心そのものだったのかもしれない。
 

いつだって、ミスチルの音楽さえあれば心がどこへでも行けた。悲しくても辛くても寂しくてもミスチルを聴けば心のへこみや傷は元通りになった。楽しくて幸せな時にミスチルを聴けばもっともっと楽しく幸せな気持ちになれた。
 

ミスチルの音楽は高い空の上、深い海の底、緑茂る森の中、空想や夢の世界、自分の心の奥深い場所、どこへでも連れて行ってくれた。そしてMr.Childrenの曲は虹色だ。赤、黄色、緑、金、銀、紫、水色、オレンジ、ピンク。色んな色が用意されている。「今日はどんな気分?どれに乗ってく?」そんな感じで、いつも私の心に優しく問いかけてくれる。Mr.Childrenは決して何も押し付けてこない。その乗り物に乗っても乗らなくてもいい。どんな色を選んでもいい。そのかわり、ひとたびその乗り物に乗り込めば自分にとって最適な目的地に連れて行ってくれる。その乗り物に乗っている間、私達は色んなことを考え、思い巡らせる。その乗り物の中では何をどう考えても、どこに思いを巡らせても、言葉やメロディをどう捉えてもいい。自由だ。自分の思うがままに自由に色んなものを描いていい。そしてその乗り物から降りる頃には、もう自分の心はまたまっさらな状態に戻っている。そしてどんな過去があってもまた新しい一歩を踏み出せる。その距離感と余白と安心感が心地よくて、私はいつまでもMr,Childrenに心を鷲掴みにされたままでいる。
 

〈例え明日歌えなくなっても、バンドが続けられなくなっても、全く後悔はしないと思います。なぜなら、2日前にデビュー27周年を迎えたバンドのために、未だにこんなに多くの人が会場に足を運んでくれて、音楽を聴きに来てくれて、こんなに幸せなことはないと思っています。それでも、なぜ続けているかというと、自分の中にメロディが浮かんでくるからで。それをバンドで形にしたい気持ちと、こうして多くの人の笑顔と、声援を聞いていると、やっぱり欲が出てきて、いつかバンドができなくなるまでに、この4万人が心を一つにして歌える曲を、あと1曲は作りたい・・・いや、あと10曲は、作り続けたいと思っています。僕らはこのツアーを終えるとロンドンにレコーディングに行きます。そしてまた新曲を持ってステージに戻ってきたいと思っています。また再会できることを願って、最後にこの曲を。〉
 

アンコール最後の曲「皮膚呼吸」の前の桜井さんのMC。私はまた泣いた。最後にこの曲を?今までもそんな前置きをしてラストの曲を奏でたことはあったと思うが、全く捉え方が違った。次が本当の意味で最後の曲なのではないかと錯覚してしまう。それが錯覚なのかどうかも分からない。本当に次が最後の曲になってしまうのでは?という今までにない恐怖が襲ってきた。そうか、自分にとってMr.Childrenが終わることは「恐怖」なのか。初めてそう認識した。
 

それは、今までも絶対にずっとそこに間違いなくあったはずなのだけど自分が気づいてもいなかったことを、桜井さんに自分と同じ場所で、目の前で突きつけられたから。いつか必ず、Mr.Childrenの新しい音が鳴らなくなる「その日」が来る。Mr.Childrenはいつか必ず「終わる」。呆然とした。ああそうか。人はいつか必ず死ぬのと同じだ。Mr.Childrenもいつか必ず「終わる」。そんな当たり前のことに気づいていなかった。どこかで読んだことがある「正常性バイアス」という言葉をふっと思い出した。「人間は自分に都合の悪いことやあまりに大きな恐怖は忘れてしまうようにできている。」これは、人間が自分の心を守るために身に着けている立派な防衛反応だ。人間の心は、ある程度鈍感にできている。それは、予期せぬ出来事や衝撃的な出来事に対して心が過剰に反応しパニックに陥ってしまうのを防ぎ、落ち着いた行動を取るためだ。人間は、一番重大で大切なことには真っ黒な布を覆い被せて自分には見えないようにして日々生きている。実際、健康な人間で「1分後死ぬかもしれない。10分後に死ぬかもしれない。1時間後に死ぬかもしれない。」と考えながら1日の1時間ずつを生きている人間はほぼいないであろう。そんなことを考えながら毎分毎秒を生きていたら心が疲れてしまう。覚えていられることも人間の素晴らしい能力だが、忘れてしまえることもまた人間の素晴らしい能力なのだ。全てのことを覚えて、意識し続けていたら、つらくてつらくてきっと生きてはいられないだろう。重大で大切なことは、たまに気づかされ思い出すから意味がある。そしてこの時に気づかされてしまった。自分も真っ黒な布を覆い被せていた。そして「Mr.Childrenがいつか終わるという事実は、真っ黒な布を覆い被せてしまうほど自分にとって重要なことなのだ」という事実が突然脳内にごろんごろんと転がり落ちてきて中心にデーンと鎮座した。しかもライブ中に。突然脳内に転がり落ちてきたあまりにも巨大な物体。さすがに聴いた瞬間は動揺した。あと1曲、あと10曲ってどういうこと?まさか、イチローや安室ちゃんに触発されて、一番いい所で、一番輝いている時に、辞めようとしている?必死に考えようとしたが、何せ脳内に突然転がり落ちてきた巨大な物体が邪魔で思考の回転が妨げられる。
 

「Mr.Childrenは必ずいつか終わる」
 

でも、その時、たった今、2時間半目の前で繰り広げられたものを思い出した。前ツアーである「Mr.Children Tour 2018-19 重力と呼吸」の段階から今までとは何か違う「決意のようなもの」は感じていた。それが今回のAAGでは、更に「確固たる決意」に変わっている感覚。ああそうか。今、この人たちは「もし明日そうなっても一つも後悔しない」という決意と信念の下に音楽を奏でているんだ。桜井さんの言葉が答えだった。いつか必ず「その日」は来る。その事実を真剣に、逃げることなく、真正面から対峙し、意識したMr.Children。これだ。重力と呼吸ツアーで感じた「今までのMr.Childrenとは何かが違う」という感覚はこれだったんだ。
 

Mr.Childrenは今、完全に「最終目的地」を見据え、新たなエンジンをかけ、飛び立った。
 

重力と呼吸ツアーとAAGで共通して演奏された曲がある。「Worlds end」だ。重力と呼吸ツアーでも、AAGでも桜井さんのこの曲に対する明らかな熱量を感じた。またAAGのツアーTシャツやツアートラックに使用されている写真は重力と呼吸ツアーの「Worlds end」演奏時の写真だ。重力と呼吸ツアーとAAGは「Worlds end」で確かに繋がっている。「Worlds end」を歌う時、AメロとBメロのフレーズで桜井さんは手を上にやり、視線を上にやり、アリーナやドームには天井があるはずなのに、その天井を越えてどこか遠い世界を見ているようだった。
 

《ゆっくり旋回してきた 大型の旅客機が
 僕らの真上で得意げに 
 太陽に覆い被さった その分厚い雲を
 難なく突き破って消える
 まるで流れ星にするように 僕らは見上げてた
 思い思いの願いをその翼に重ねて》
 

重力と呼吸ツアーで「新しいエンジン」を起動させ滑走路を全速力で駆け抜けた。
そして、AAGで「離陸」した。
 

今までMr.Childrenは27年という活動期間の中で「音楽という乗り物」をずっと作り続けてくれていた。しかしそれが自転車なのか、車なのか、バスなのか、船なのか、潜水艦なのか、電車なのか、もしかしたら私がまだ知らない見たこともない乗り物なのかよくわからなかった。
 

しかしこの2つのツアーの両方で「Worlds end」が演奏された事実を踏まえて考えると、Mr.Childrenそのものが、とてつもなく大きくて、どんな荷物やどんな多くの人だって乗せられる「旅客機」なのではないかと思った。
 

あくまで「飛行機」ではなく「旅客機」なのだ。「飛行機」というフレーズでもメロディに語呂は合うが、あえて意図して「旅客機」というフレーズを使っているように思える。「飛行機」はただ飛ぶだけのものも含むが、「旅客機」は「人を乗せ目的地まで運ぶこと」を目的とする乗り物だ。旅客機は今まで27年間、自分がどんな旅客機になるべきか模索していた。色んな部品を試し、エンジンを試し、最高の乗り物を目指し模索していた。それが、アルバム「重力と呼吸」の完成と同時に、旅客機として完成された。
 

旅客機が乗客とその荷物を全て積み終える。
エンジンを起動させ機体がゆっくりと動き出す。
滑走路で真っ直ぐ向きを整える。
エンジンが爆音で起動する。
旅客機がスタートを切る。
一気にMaxまでスピードをあげていく。
 

「テイクオフ」
 

そんな感覚が間違いなくこの2つのツアーにはあった。
 

重力と呼吸ツアーで桜井さんは口にしなかったが、AAGでは口にしたいつか必ず来る「その日」の存在。「みんな気づいてないかもしれないけど・・・実はもう離陸しちゃってるんですよ・・・ふふふっ。」と桜井さんにいつも通りのあのイタズラっ子のような笑顔で笑いながら、目尻に何本もの深いシワを寄せながら、軽く立てた人差し指で斜め上を指しながら、言われていたのかもしれない。
 

桜井さん自ら「その日」の存在を口にしたこと。それこそがMr.Childrenにとっての「離陸」だったのではないか。
 

車輪が地面から離れ
違う世界へ飛び立つ感覚。
そうだ。「その日」が来ることは決して悲しいことではない。
 

《何にも縛られちゃいない だけど僕ら繋がっている
 どんな世界の果てへも この確かな思いを連れて》
 

「その日」が来た時、この旅客機は私達ファン一人一人の「確かな思い」を連れて新しい世界に飛んでいく。私達の「確かな思い」はMr.Childrenと共に新しい世界に飛んで行き、私達自身は地上に置いていかれる。Mr.Childrenという旅客機は私達には物理的に見えない世界で、止まることなく、永遠に飛び続け、私達がどうしようもない悲しさや悔しさやつらさにより溢れた涙がこぼれないよう空をふっと見上げた時、どうしようもない日常の退屈に疲れ果ててため息を吐きながらふっと空を見上げた時、どうしようもない喜びや幸せに腕を突き上げふっと空を見上げた時だけ「おっ、また乗ってく?」と私達の目の前に姿を表してくれる、そんな存在になるのかもしれない。
 

「Worlds end」はまさにMr.Childrenが新しい世界に飛び立った後のことを描いていると思った。
 

《「何に縛られるでもなく 僕らはどこへでも行ける
 そう どんな世界の果てへも 気ままに旅して廻って…」
 行き止まりの壁の前で 何度も言い聞かせてみる 雲の合間
 一筋の光が差し込んでくる映像と君を浮かべて》
 

「Worlds end」1番のサビ。これは新しい世界に飛び立った後のMr.Childrenを表しているのではないか。今までは何かに縛られることもあったし、気ままに旅することもできなかっただろう。でも新しい世界では、何にも縛られず、どんな世界の果てへも、気ままにどこへだって行ける。そして新しい世界に飛び立った後でも、周りの大切な人達や私達ファンと共に歩んだ日々は彼らにとって「雲の合間から差し込んできた一筋の光」として光り続けるのだ。
 

《捨てるのに胸が痛んでとっておいたケーキを 結局腐らせて捨てる
 分かってる 期限付きなんだろう 大抵は何でも 永遠が聞いて呆れる
 僕らはきっと試されてる どれくらいの強さで
 明日を信じていけるのかを… 多分 そうだよ

 飲み込んで 吐き出すだけの 単純作業繰り返す自動販売機みたいに
 この街にボーっと突っ立って 
 そこにあることで誰かが特別喜ぶでもない
 でも僕が放つ明かりで 君の足下を照らしてみせるよ きっと きっと》
 

2番のAメロとBメロ。これはMr.Childrenが「その日」を迎えた後の私達を描いているのではないか。ここで言う『捨てるのに胸が痛んでとっておいたケーキ』というのは「モノ」のことではないのか。Mr.ChildrenのCDやDVDやライブグッズ、ファンクラブの会報、雑誌。「モノ」である以上、時が経てば劣化する。いつかは壊れたり破れたりして使い物にならなくなり、捨てるという選択をするかもしれない。もうMr.Childrenの新しい音が鳴ることのない世界で、Mr.Childrenの存在を証明していた「モノ」がなくなった世界で、一体私達は何を糧に彼らの存在を信じていけばいいのか。それはきっと彼らが残してくれた「音楽という乗り物」、そして彼らが私達の心に灯してくれた「明かり」なのではないか。音楽も明かりも「モノ」ではない以上、自分たちが信じてさえいれば「永遠」だ。
 

Mr.Childrenはきっと《誰かの為に 小さな火をくべるよな》気持ちでたくさんの曲を作ってきてくれた。だからこそ私達の心には消えない明かりが確かに灯っている。そして私達は心に灯っている明かりを糧に「自動販売機」となる。どこにでもあり、同じようなものであり、大層なものでもないし、誰が喜ぶでもない自動販売機なのだけど、Mr.Childrenから受け取ったその明かりで自分の側にいる唯一無二の大切な「君」の足下を照らすことができる。
 

《「誰が指図するでもなく 僕らはどこへでも行ける
 そう どんな世界の果てへも 気ままに旅して廻って…」
 暗闇に包まれた時 何度も言い聞かせてみる
 いま僕が放つ明かりが 君の足下を照らすよ
 何にも縛られちゃいない だけど僕ら繋がっている
 どんな世界の果てへも この確かな思いを連れて》
 

1番は「Mr.Childrenの視点からの描写」、2番は「リスナーの視点からの描写」そしてこの最後のサビは「Mr.Childrenとリスナーが違う場所で同じことを叫んでいる描写」そう思えてならない。Mr.Childrenの曲を糧に生きてきた私は時にMr.Childrenの曲のメッセージのことを「指図」として捉えていたことがあったのかもしれない。それと同時にMr.Childrenも誰かの「指図」で動くこともあっただろう。でももう「指図」なんかなくてもどこへでも行ける。何にも縛られちゃいない。Mr.Childrenが「その日」を迎えた後も、Mr.Childrenと私は確かにこの心に灯る明かりで繋がっている。そして私自身も、どんな世界の果てへも、この確かな思いを連れて、飛んで行ける。
 

もう、Mr.Childrenは間違いなく最終目的地を見据え離陸している。ロンドンでのレコーディングできっとまた素晴らしくて私達が見たこともない「音楽という乗り物」を作ってくれたはずだ。人間は時間に決して抗うことはできない。今この時も、1秒、また1秒と時間は過ぎていく。ちっぽけで、大層なものでもなく、そこにいることで誰かが特別喜ぶでもない私も「その日までMr.Childrenを好きでいる」という決意と信念と覚悟だけは持ち続けたい。彼らが私達の前で見せてくれた決意と信念と覚悟に尊敬の念を表し、それくらいの決意と信念と覚悟だけはこのちっぽけな私にも持たせてほしい。
 

この先、行われるライブの全てに行くことはできない。
Mr.Childrenの情報の全てを追うこともできない。
Mr.Childrenが考えていることの全てを理解することもできない。
 

時間、生活、お金、仕事、人間関係・・・
色んなものに縛られている日々だが
一つだけ《何にも縛られちゃいない》ものがある。
 

自分の「気持ち」だ。
「気持ち」だけはいつでもどこでも自由で、その総ては自分次第だ。
自分の中では、何を思い描いてもいい。
 

今、私が思い描く「気持ち」はただ一つ。
 
 
 

彼らに1秒も遅れをとらないように、一緒に最終目的地に辿り着こう。
 
 
 
 

※〈〉内は2019年5月12日京セラドーム大阪公演のMCより引用
※《》内はMr.Children「Worlds end」「優しい歌」の歌詞より引用

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