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アンコントローラブル・FUZZ・天使

生きるも死ぬも神聖かまってちゃん

神聖かまってちゃんというバンドは目まぐるしい。

彼らの楽曲は時に私の腱を、骨を砕き、かと思えば両の足で歩き続けることを強要する。
だから、明るい気分の時には元気の出る曲を、沈んだ気分の時にはとことん落ちてゆける曲を、と便利に使い分けられるような扱いやすいバンドでもない。

アルバムを1枚通して聴けば、生への絶望と、それでも過ぎてゆく日常を押しとどめられない様がどちらも描かれる。
とにかくそれは、私の都合など無視して、内省と発露を繰り返す。バリバリと歪んだの子のギターはいつだってノー・コントロール、制御不能だ。
実際比喩ではなく彼がライブ、もしくはフェスで見せる傍若無人な立ち居振る舞いはアンダー・コントロールだったことなどないのだ。

≪死にたいな死にたいな/もう嫌だ≫とひた繰り返す“天使じゃ地上じゃちっそく死”。この曲を、例えば“陸で溺れた魚”のように名付けることも出来ただろう。しかし、それでは惨めで、あまりにもあんまりである。だが天使が下界で喉を掻きむしっていたら、それはヒロイックな一場面となる。この曲における叫びは、もはや「死にたい」や「死なせてくれ」といった願望や哀願を通り越して、私達を地上へ堕とした天への怒りと化している。おそらく、自分が「ちっそく死」する時、不条理を呪いながらこう唱えるのだろう――≪苦しい嫌だ≫。

この曲での子が歌う≪死にたい≫というフレーズには、自責の念は感じられない。あるのは、早く解放しろという怒りだけだ。きっと、にこやかに穏やかに安穏と日々をすり抜けてゆく、周りに犇めく人型のモノは「人間」で、私達は元来天使だったのだ。そう、私達がだ。だから、なぜこんなにも生き辛い環境でのサバイバルゲームに選ばれたのか、解せないままに怒りを叩きつけているのだ。

けれど、その怒りに肩まで浸かって、着衣泳の要領で抵抗力を増した外気をかき分け進む私を引きずり出すのもまた、神聖かまってちゃんなのである。
ホームに入ってくる下り電車の車掌と眼が合うコンマ数秒、人の顔にも似た電車の先頭車両に吸い込まれそうになるその時だって、≪8月の駅に/流れるブルースに/流れるブルースに/問題なんてないないないぜ≫(“8月の駅”)と朗らかにヤケクソにうたって、視界に迫りくる鉄の塊を軽やかにかわしてしまう。

何の収穫もない一日に打ちひしがれ、頭を垂れている時にだって≪今日も僕は流れる流れる街と日々を/電車に揺られては毎日は過ぎる≫(“雲が流れる”)と、変哲のない日常を衒いなくうたって、手の届かないはずのアーティストである彼らが、私達一般小市民の日常をあっさりと肯定してみせる。

あれだけ消えたかったのに、脳ミソにかかっていたファズが霧散していく。衝動性のるつぼに突き落とした彼らが、この日常に生きろと、また私を引き上げる。やけに輪郭のはっきりとしたピアノは、みしりと抱え込んでいたはずの自身の両膝をほどき、両の足で私を立たせる。

穴グラから這い出た私は、ライブへ向かう。怪獣たちのいるところへ。今日も、振り回されてみようか。外に出るのも悪くない。そう思わせてくれるのは、他でもない――≪僕は/みちなる方へゆきました/僕は/出かけるようになりました≫(“美ちなる方へ”)

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