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aikoが傍にいる

遠い日の学園祭ライブの思い出

《一度たりとも忘れた事はない》

その夜、aikoは、そう歌った。その哀切な響きは、ずっと僕の心に残っている。僕もまた「忘れたことはない」のだ。

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もう16年も前のことになるけれど、通っていた青山学院の学園祭に、aikoが来てくれた。それは僕にとって、恐らく生涯、忘れることができないであろう思い出である。あの夜の記憶を辿ると、aikoの胸を打つ歌声や、旺盛なサービス精神、バックバンドの迫力ある演奏が蘇り、自分は青学に入って良かったと思う。しかし同時に、そのとき一緒に演奏を聴いていた恋人のこと、彼女のことをズタズタと傷つけていたこと、当時の自分が愚かで不遜であったことも思い出してしまう。そして若かった自分が、自分の境遇や将来を憂いながら(つまり100パーセント楽しむことはできずに)その夜を過ごしてしまったことに思い当たる。だからそれは、あっけらかんとした「よい思い出」ではないのだ。

インターネットで検索をしてみても、そのライブの詳細を書いた記事は見つからない。ずいぶん昔のことだから仕方ないのかもしれない。あるいは、あのライブは多くの同窓生にとって、あまりにも貴重な思い出で、みんな「そっと心にしまっておこう」と思っているのかもしれない。だから僕が記事を書くことは、もしかすると余計なことかもしれないけれど、とにかく書きたいことを書いてみる。もちろん細部までを(aikoの語った一言一句までを)思い起こすことはできない。でも生きているうちに、自分の覚えていることを文章にしておきたいと思う。それは「誰かのため」というより「自分のため」にすることではあるのだけど。

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本編はとても短かった。こう言っては失礼にあたるだろうけど、くだらない前座が長々と続き、aikoが歌ってくれたのは、アンコールを含めて12曲だけだった。でも、そのセットリストは、練りに練られた、これ以上は望みようがないものだったと思う。僕はどちらかというと「にわかファン」に分類されるような未熟なリスナーで、すべてのアルバムをラックに揃えたりはしていなかった。他方、隣にいた彼女は、超がつくほどのaiko好きで、おそらく全ての作品を愛していたのではないかと思う。会場には当然、そういった二種のファンが混在していた。きっとaikoは、限られた時間で全員を楽しませようと考えてくれたのだろう、代表曲だけでなくマニアックな曲までもセットリストに組み込んでくれた。

披露されたのは、以下の12曲である。

1 ボーイフレンド
2 赤いランプ
3 桜の時
4 私生活
5 初恋
6 クローゼット
7 ココア
8 アンドロメダ
9 mix juice
10 愛の病
(アンコール)
11 be master of life
12 えりあし

いきなり代表曲の「ボーイフレンド」を歌い、会場全体を湧かせた後で、aikoはハッキリと、今日はマニアックな曲もやるよという趣旨のことを語った。知らない曲だなあと感じる人もいるかもしれない、と。上記のリストを見てもらえば分かると思うけど、たしかに「よほど熱心なファンでないと知らないだろうな」と思える曲も散りばめられている。特に「私生活」が始まった瞬間、歓声をあげる人はいなかった。でも僕は、隣で彼女が「わあ」というような嬉しそうな反応を示したことを覚えている。aikoは全員を楽しませるために、そして、たった1人を喜ばせるために来てくれたのだ。

演奏の合間に、ファンからの呼びかけのひとつひとつに、aikoは律儀なほどに応じてくれた。あなたの声だって聞こえているよ、ちゃんとひとりひとりを見ているよ、そんなことを言動で表してくれるアーティストは、とても少ないのではないかと思う。be master of lifeの《あたしがそばにいてあげる》という歌詞は、決して「きれいごと」ではなかったのだ。aikoはステージに立ちながら、同時に各々に寄り添ってくれてもいた。僕の隣にも、彼女の隣にも、たしかにaikoがいた。

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MCで印象に残っているのは、なんか「学院」っていやらしいよねというような指摘。だって大学生の男が、付属の高校に通う女の子と付き合ったりするわけでしょうと、aikoはユーモアたっぷりに語った(細かなニュアンスを思い出せなくて申し訳ありません)。僕の彼女は、さすがに女子高校生ではなかったけど、それでも年下ではあったので、もしかすると犯罪のようなものだったのかもしれない。もちろん彼女は、自由意思で僕の傍にいてくれたわけだけど、僕が彼女を「恋人である以前に、自分より年少の、大事にすべき女の子なのだ」という意識をもって抱いていたかは、あまり自信がない。

それはさておき、バックバンドの演奏も、勇壮かつデリケートなものだった。ボーカル・aikoを主役にしつつも、パワフルな音で会場を揺るがし「さすが」と言うよりほかない、凄腕の人たちばかりだった。僕のような素人が聴いても上手いと分かるレベルだった。ギター2人、ベース、ドラムス、キーボードというシンプルな編成だったと記憶している。それだけの人数で、たとえば「ボーイフレンド」のような、凝ったアレンジの曲を再現するのは難しかっただろうと思うけれど、物足りなさを感じることは一瞬たりともなかった。僕は当時、かなり熱心にベースを弾いていたので(今でも趣味としては続けている)、壇上のベーシストに嫉妬した。その気持ちを言葉にしたわけではないのだけど、彼女が「あなたは将来、aikoのバックバンド入りでも目指せば?」と(たぶん冗談交じりに)ささやいてくれたのを覚えている。それは叶うわけのない夢だったけれど、夢を語れるほどに若かったのだ、彼女も僕も。

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本編が終わり、アンコールの1曲目で聴衆を熱狂させた後、aikoが語りはじめたことに、ドキリとさせられた。たしかaikoは、こんなことを話した(やはり細かなニュアンスまで再現することはできない)。もしあなたが恋人に、意地を張って「別れよう」と言ってしまった経験を持ち、そのことを忘れないでいるのなら、その気持ちに届けるように歌うつもりでいると。実を言うと僕は当時、彼女と別れることを考えはじめていた。まだ結論は出していなかったけど、いずれそうすることになるだろうと考えてはいた。彼女を嫌いになったわけではない。むしろ僕にはもったいないくらいの女だった。実際、そのライブのチケットを手配してくれた人(彼女と僕は同じ会社でアルバイトをしており、彼はそこの上司だった)は、その数か月前に「あんな良い子と付き合っていて、不満なんてないだろう?」というようなことを言った。諭すように言ってくれた。僕は客観的には恵まれていたのだ。それでも思うところあって、若いなりに考えていることがあって、その関係を終える気持ちを固めつつあった。

心を込めると宣言した上で、aikoは歌い始めた。それは未発表の、のちに最高傑作として愛されることになる、美しいバラード「えりあし」だった。ギタリストもベーシストも、そしてドラマーも、さりげなくステージから去っていて、キーボードだけの伴奏に乗せて、aikoは歌った。
心が震えた。はじめて聴く曲でも、ぶるぶると心が震えることが、この世界で起こりうるのだと知った。それまでも、それ以後も、ライブで「あれ以上」の感動を味わったことはない。aikoが実際に「忘れられない人」を胸に刻んでいるのかは分からない。あれほど魅力的な女性が、つらい恋愛事情を抱えているとは、正直、考えにくい。でも多分、それは「プロとして書いた曲」ではなく、紛れもない直情だったのだろうと思う。それほどまでに歌声は哀切だった。

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永い年月が流れ、もちろん僕の隣には、あのとき付き合っていた彼女はいない。今どうしているのか分からない。生きているのかさえ分からない。彼女にプレゼントしてもらったaikoのCDは、気持ちに区切りをつける意味もあって、(もちろん事情などは話さない上でだけど)義妹に引き取ってもらった。恐らく彼女は、どこかで元気で生きていたとしても、僕の顔を忘れていると思う。存在自体を忘れられていても仕方ないと思っている。
そして僕は、aikoの曲を、それほど頻繁には聴かないようになってしまった。ライブに足を運んだのは、あの学園祭が最初で最後だった。もちろんaikoを嫌いになったわけではない。それでも好みというものは、加齢とともに変わっていくものだ。それは避けようのないことだ。
ただ、あの時、あの瞬間、aikoが心を震わせてくれたことは《一度たりとも忘れた事はない》。

僕が知らないのは彼女の消息だけではない。会場にいた学友たちが、どんな道を辿っているのか、もちろん分からない。僕は社交的ではなく、多くの友だちを持たなかったし、そもそも数多の同窓生の進路や消息を、すべて把握することなどできるわけがない。手を尽くせばできるのかもしれないけど、そんなことをしようという気持ちは起こらない。時々、自分が孤独であるように感じることがある。あまりにも多くの別れを経験してしまい、余生のような日々を過ごしているように思うことさえある。そんな屈託を抱えたまま、夜道をジョギングすることがある。これは寂しい人生だと感じながら走る。《違うよ》とaikoの声が聞こえる。夜空から降ってくる。それを心の底から信じるほどに、純朴な歳ではなくなってしまった。それもaikoは繰り返し、違うと語りかけてくれる。世界中のリスナーに向けてではない。僕ひとりに向けてだ。

きっと命ある限り、aikoがそばにいてくれることを、僕は忘れることはないと思う。

※《》内はaiko「えりあし」「be master of life」「ラジオ」の歌詞より引用

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