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星野源「肌」抑制下の情熱 Pop Virusは肌の色を越える

ネオソウルの整理された森を旅して

CMでふと耳にしてずっと気になっていた「肌」。もう何テンポも遅ればせながら、2019年9月に入ってやっと『POP VIRUS』(通常盤)を購入し、長男の送り迎えのとき車の中でも聴いている。幼稚園で「パプリカ」ダンスを練習中の長男は、「Family Song」に合わせて身体や足先を揺らしたり、裏で手拍子をしたりする。「Pair Dancer」のクラップにニカッと舌を鳴らし始めたのには思わず笑ってしまった。『おげんさんといっしょ』の再放送録画を『おかあさんといっしょ』のスピンオフかなにかと勘違いしたのか「おげんさんといっしょ!おげんさんといっしょ!」と赤いタイトル字を指差しながら何の躊躇もなく喜んでいる。星野源はいつの間にかすっかりわが家に浸透したようだ。

恥ずかしい話をすると、自分は過去にあるミュージシャン(ヴォーカル)を好きになりすぎて自滅してしまったことがある。ライブに通う日々が続き、ある関係性に気づく。「あ、ヴォーカルを支えているのはドラマーなんだ。そしてヴォーカルはドラマーを絶対的に信頼している。自分の刻んだビートで心地よく歌ってもらえたらどんなに幸せだろう」と。今考えると、かなり偏っていて、ちょっと腐女子っぽい世界観を感じていたのかもしれない。そこで音楽のことなどなあんにも知らないのに、ドラムを習い始める。16ビートってなんてかっこいいの!と背伸びをして先を先をと急ぎ、8ビートの基礎も全くできないまま、やみくもに練習をして先生を困らせた結果、から回って辞めることに。分厚いカタログをスネアにして、勉強机の下に段ボールとキックペダルを忍ばせ、狂気的にバスドラ連打の練習をしたりもした。人力で正確なビートを刻み、必然性のあるクールなフィルインを入れるのがいかに困難なことか。カラオケに合わせて叩くのではなく、ビートを自己発信する。そんな当たり前のことを、習い始めてから気がついた。自分で踏んだキックペダルに弾き飛ばされてしまったイタい自業自得。
しかし、星野源の音楽を聴いていたら、そんな失敗が別に大したことじゃない、最高も最悪も、もう笑いとばしちゃえと思えてきたから不思議だ。
 

そして、本題の「肌」。

YouTubeで公開されたスタジオライブバージョンをしばらくイアホンで視聴していたので、CDバージョンとの印象の違いにハッとした。CDのほうは爽やかなファンキーさ(ギター)に溢れていて、スタジオライブバージョンのほうは、内面から溢れ出す情熱がグルーヴするように、ラテン風ジャズっぽくてよりダンサブルに感じられた。どちらも素敵だけど、スタジオライブバージョンのほうに感じたことは

控えめな官能的切なさにあふれていて、星野源の抑制の効いた温かみのあるヴォーカルと、その裏で肌の下の鼓動のごとくドゥッドゥーっとリードするベースと、付随して続く息遣いのような…スタッ…スタッのドラム、(隙間にシャカシャカ…)堪えているかのようなギターが絡み合う、熱っぽくて、でも、やわらかい優しさに満ちているドラマチックなセッション。

抑制下の情熱が目に見えるかのよう

ベースとドラムが連動し合い、じわじわとグルーヴ感を成立させて、ラストに向かう頃、ストリングスとフルートを巻き込んで盛り上げるドラマをしっかりと支えている。スネアがほんの少し後方へズレて聞こえることでベースに繋がって独特なビートが生まれているかのようだ。「だきぃしぃめてぇもぉh…」と、抑えて溢れそうになる感じが絶妙。
もちろん、映像的な効果でそう感じている面も多くあるのかもしれないけれど、短編ドラマを観ているようだ。一つの曲が歌い方や演奏次第でこんなにムードが変化するなんて…!

この曲について、ウェブ上にある記事をいくつか拝見した。星野源本人がラジオのなかで解説や聴き方のヒントを語っていたそうで、それをまとめた方のサイトを拝見したら「2000年くらいのネオ・ソウル」を「自分のフィルターを通して表現」とのこと。
また、高橋芳朗氏はラジオで次のように─「ネオソウルは、ヒップホップを聴いて育った世代が奏でる新しいスタイルのソウルミュージック。『VOODOO』はそんなディアンジェロの代表作になります。で、星野さんはたびたびこの『VOODOO』をお気に入りの一枚に挙げているんです。」(ジェーン・スー 『生活は踊る』「星野源ファンがまずゲットすべき洋楽アルバムはこれだ!」より引用)

ネオソウル?…というわけで(こんなレベルですみません)『ネオソウルベスト』を家事の合間に聞き流してみた。側では子どもたちがTVで『ポンポンジャンプ』の録画を見ながら踊っている。混沌の中で耳だけはしっかりiPad のほうに。こんな雑なBGM以下の聞き方は本意ではないけれど、全曲で7時間もある。とにかく今はネオソウルのフィーリングの確認と「肌」につながるビート探しが無性にしたかった。
ほとんどヴォーカルとリズム、ビート、クラップしか聞こえないけれど、結構楽しめた。惹かれるものがあったらしっかり耳を傾ける。中には聞いたことのある曲もいくつかあって、「ネオソウル」というジャンルだと分かりとてもスッキリした。体系的に音楽の歴史を知りたいと思いながらいつも手付かず…。ネオソウルにはミニマムでクールなビートが多いことに改めて気づけて良かった。R&BのRってリズムのことだよと自分にツッコミを入れながら。でも当時、そういった洋楽をもっと聴きたい!の妨げになったのはズバリ歌詞の問題。歌詞が聞き取れなくて、辞書を引き引き歌詞カードを読んでもあまりピンとこなかった。(人種的なもの、反社会的なもの、甘々なラブソング、あからさまな性愛など)惹かれる曲調ほど歌詞が聞き取れない、歌詞を読んでみたらスラングだらけでなんかよく分からないのコンプレックス的な壁とジレンマが自分には大きかった。音楽には自信を持って歌詞も曲調も好きを探していたので(歌詞が聞き取れるから好きと錯覚したくなかったという妙なこだわりがあった)ずっと難民状態で、しばらく演劇に没頭する。もちろん、カラオケでは歌いやすく、自分のキャラに合った曲を歌っていた。みんなで盛り上がるため、ストレス発散のために歌うかんじで、それはそれで楽しいのだけれど、ただ音楽を消耗しているような面もあって、刹那的で空虚だった。

このモヤモヤを解消してくれたのは、あるミュージシャンの音楽との出会いで、そこからふっきれた。ふっきれすぎてイタい思いもしたけれど、面白い出会いもあった。
そして、最近になって星野源の音楽の魅力に気づきだしたきっかけは、やっぱり「肌」の独特のリズムとメロディに反応したからだと思う。時にミュージックビデオや歌番組などで目にしていた演奏の魅せ方からでも、楽器を演奏するカットを全面に出したりして、あくまでも音楽!そしてミュージシャン、ダンサーを敬愛する姿勢にじわじわ気づいてきたことも大きい。次に何をしでかすか分からないような「偏る生活を歌舞いた」感じもプラスαで。

次に、ディアンジェロ?…というわけで高橋芳朗氏に従って『VOODOO』を聴いてみた。

まずは 「SPANISH JOINT」

忍び寄るように始まるドラム、パーカッションのビート、ファルセットと絡み合うコーラスが印象的。歌詞の和訳サイトを拝見した。人種的な背景を考慮した上で、グチばっか言ってないでそんなときは気分良くなろう、オレは誰にも束縛されないよ、みたいなフィーリング。歌詞はヤバめであったとしてもサウンドはかっこいい。

次に「PLAYA PLAYA」

…マニアックな黒い抽象画のようで、呪術的な匂いもして難解で戸惑ってしまう。暗めのボーンズでべっとりしている。歌詞は抽象的な官能さがある。

最後に「Feel Like Makin’ Love」

難しいこと考えずに肩の力を抜こうと、寝る前に明日の準備をするのに合うサウンド。歌詞は…「大体ロクなこと言ってない」と通の方がブログに書かれていた。きっとそこが愛すべき魅力の一つなのだろう。
確かに「Snow Men」を彷彿とさせる、バシッとした太いビートとクラップと深層を流れるかのようなベース。ふっと途切れるポーズも。でも曲調も歌詞もディアンジェロのとは対極。詩的で哀愁がある。

最後に「ダスト」を聴いたらリズムやリムショット、ギター、ベースの感じにあっ!と。でも「はい、この部分!」ではなく、『VOODOO』を聴いて総合的に感じた印象だけで、歌詞もユニークで素敵。ドゥーンっと一度聞いたら忘れないイントロ。
 

まとめ

『ネオソウル ベスト』、『VOODOO』、『POP VIRUS』を聴き、ディアンジェロに関するウェブ上の記事をいくつか読んだ上で、等身大で感じたことをまとめてみる。
ネオソウルの基本のフィーリングは、脱力したようで細分化されクッキリとした洗練されたリズムのキャンバスのなかに、いろんな音色や声色が表情を加える。とにかく魂からの叫びが通る声帯が主人公なのね!それを支えているリズムなのね!と。そして改めて『POP VIRUS』を聴き、星野源の声や息遣いそのものが表情豊かでネオソウル、ネオソウル感に溢れたアルバムなんだなぁということに気づけたことが大きい。そのなかでも「Pop Virus」は特に異彩を放っていて、R&B、ネオソウル、hip-hop、ちょい lap などのジャンルを飲み込んでしまっているかのようなクセになりそうな、でもちゃんとかっこいい曲だなって思う。ちょっとした懐かしさと今っぽさのさじ加減もちょうど良くて心地よい。歌詞も置き換え不可能な言葉がパンっパンに詰まっていて、ワンフレーズごと一時停止して、解説に1時間かかるような世界観。ちなみに、「Dead Leaf」は「UNTITLED(HOW DOES IT FEEL)」へのオマージュなのかなと感じている。
「肌」に垣間見られる『VOODOO』感を探して言葉にしてみるなら、洗練されながらも土っぽさを残したビートに、微かな温かみのような要素が乗っかる感じなのかなと思った。音も声もうっすらと粘膜のサーモンピンク(『POP VIRUS』の歌詞カードの写真背景色の)。『POP VIRUS』の曲では時にぶわっと溢れ出すエモーショナルなファルセット。でもビートについても同じものはないわけで、星野源のなかでいろんな音楽とともに発酵され(落とし込まれて、フィルターにかけられて)生まれたオリジナルビートなんだろうな、インスパイアによって新しい音楽ウイルスが生まれ繋がって続いてゆくってすごいなぁと感じた。そして…

触れ合うと 言葉より
君のことを知れる気がした

とてもシンプルだけど音色とともにグッとくる歌詞。「気がした…」の余韻も含めて。
抑制下の情熱になぜこんなにも心打たれるのだろう。心に秘めた想いは常に出口を探しているのだけど、相手のことを考えるとなかなか上手に言葉にできない。理性は制御するのにもがき始める。意味のない言の葉が頭のなかで、ひとひら、ひとひらぐるぐると渦巻くように。そんな内面の揺らぎが「肌」のなかに見える。

今回、「肌」という一本の木から、聴き方のヒントなどをもとに、整理された仲間の音楽の森を旅し、再び一本の木を見つめることで、木を見て森を見ることの楽しさを味わうことができた。どんな状況下でも「アイデア」次第で能動的に楽しむことができる。今回は、混沌とした音の雨のなかでビート探しができた。見当はずれなことも多々書いていると思うけれど、知らない音楽に導いてもらいながら聴く楽しさを味わうことができた。これから少しずつ答え合わせができたらなと思っている。YouTubeやiTunesは、森を旅するには恐ろしいほど便利で、魅惑的で、でもお気に入りを見つけると手元にCDと歌詞カードが欲しくなるという自分の原点に戻る。

そして、先日、公開された新曲「Same Thing」。

今度は世界に向けて、未だステレオタイプ化されている日本人像、(そこに固執している日本人にも)あらゆる既成概念とのバトルに笑顔で挑むかのような楽曲だ。良し悪しではなく、自分も含め、現代の多くの日本人のアイデンティティはもうごった煮だと思っている。言いたいことの「something」が「same thing」に繋がるなんて、英語そのものの特性をさらっと遊んでる。生意気なことを言わせてもらうと、英語の最大の影響力は、なぜか無条件的に響きの良さがあることと、英語話者への歌詞の伝わりやすさだ。本音を言えば、それが腹立たしいと思う時もある。「イエローミュージック」と半ば自虐的なユーモアで切り返したかのように、クールな形にしてしまっている星野源。Pop Virusは肌の色を越える。

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