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それぞれが辿る緑道

たとえMr.Childrenを聴けなくとも

Mr.Childrenの「代表作」は何か。主観を抜きにして(つまり商業的な「成功」というものを物差しにして)2曲だけ挙げるとしたら、それはレコード大賞に輝いた「innocent world」と「Sign」ということになると思う。レコード大賞が本当に、フェアな基準で「その年の最高傑作」を選んでいるのか詳しくは知らないけれど、特にMr.Childrenを好まない(むしろ嫌いである)人たちにも広く知られているのは、この2曲であることは間違いないだろう。innocent worldは「己の生き方を見つめ直す」という桜井氏が今に至るまでつづけているライフワークの出発点となった佳曲であるし、ラブソングの大家であるミスターチルドレンの代表作としてSignを選ぶのも、それなりに妥当だと思う。

個人的に好きな曲を挙げてみろと言われれば「ハル」だとか「秋がくれた切符」だとか、アンチには「何それ?」と言われてしまうようなアルバム収録曲が多く思い浮かぶけど、とにかく客観的であろうと努めると、上記の2曲を挙げざるを得ない。

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innocent worldについても、語りたいことは山ほどある。学生時代、僕を各地のラーメン屋さんに連れていってくれた先輩が「年を重ねるごとに意味が分かってくる歌詞だなあ」と言い、それに(昔も今も)深く共感するのだけど、これだけキャッチーな曲でありながら、聴き込んでみると(あるいは楽譜を凝視してみると)アレンジに奇抜なところがある点も見逃せない。たとえば田原氏は、切なくも力強いイントロを披露するのだけど、そのエレキギターは(もしかすると誤解かもしれないけど)曲がサビに入った瞬間、聴こえなくなるのだ。もちろんライブでは、この曲は違ったアレンジで届けられるわけだけど、ロックバンドがサビからエレキギターを「引き算」するというのは、かなり思い切ったことなのではないだろうか。
また、2番のサビが終わった後の間奏で、普段は黒子に徹して桜井氏の歌を引き立てることだけに専念する中川氏が、例外的にベースソロを披露していることにも驚かされる。そのソロは、ハイフレットを優しくなぞるものであり、耳をすまさなければ(市民ベーシストである僕でさえ)素通りしてしまうほどに「さりげない」ものではあるのだけど、ベーシストなりの「歌詞への共感」が、その旋律には表されているように思える。

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さて、Signの話だ。この曲はドラマ「オレンジデイズ」の主題歌として書き下ろされたわけだけど、これほど直接的に「ドラマの内容に沿って」歌詞を綴ることは、桜井氏のキャリアで異例のことなのではないかと思われる。多くのタイアップを獲得し、映画やドラマやCMを彩ってきた桜井氏だけど、そして勿論、その各曲にプロ意識が込められているのは伝わってきたけれど、たとえばinnocent worldの詞が、アクエリアスを飲もうとする人の心情に「直接的に」寄り添うものであったかは、何とも言い難いところだと思う。その点、Signはタイトルからして、難聴者が「言葉ではなく手話や仕草で」心のうちを伝えるというテーマに沿っている。

今さらネタバレの予告をする必要はないと思うけど、以下、オレンジデイズのことを書きます。ドラマのヒロインは、優れた音楽家でありながら、あるとき聴覚を失うという不遇に見舞われる。それはアスリートが歩行能力を失ったり、画家が視力を失ったりするのと同等の、耐えがたい苦しみであることは容易に察しがつく。事実、ヒロインは「音を奏でる自信」を喪失するだけでなく、「誰かに愛される欲」や「人を信じる能力」さえも、気の毒なことに削り取られてしまうのだ。

世の中には「プラス思考」という言葉があり、ヒロインが「聴こえないがゆえの自由」を努めて明るく語るシーンもある(それは桜井氏が「CENTER OF UNIVERSE」で勧める、不遇のなかからプラスの要素を探す行為の一例であると思う)。ヒロインは、雑音が聴こえないと勉強に集中しやすいというようなことを健気に語る。それは勿論、素晴らしい気付きだとは思う。しかし聴こえないことが「音楽家としての」彼女に、何かしら善きものをもたらしたかと言えば、答えはノーとしか言いようがないのではないか? バイオリンを弾き、ピアノを演奏することは、彼女にとって「勉強する」ことよりも、はるかに重要なことなのだ。その部分を潰されてしまったら、愛したり愛されたりするという健全な願いさえ失ってしまうのも、無理はないだろう。誰だって自分の中心部分を犯されたら、自暴自棄になるだろう。

しかし桜井氏は《僅かだって明かりが心に灯るなら》と歌う。ヒロインの心に光が差し込む瞬間は、たしかに描かれるのだ。何度、見返しても目の奥が熱くなってしまうので、本当に辛い時しか見ないことにしているのだけど、ヒロインが指導教官に向けて、人を巻き込みたくないと(手話で)語るシーンがある(著作権の問題があると思うので、僕自身の言葉に置き換えて書きます)。

私が負ってしまった障害は、つまり不幸は、自分だけで背負っていくべきものだと思うんです。だから寂しさを味わうことになっても、もしそうすることが可能であるならば、恋人や友人を求めずに、たった1人で生きていきたいと思っています。

それに対し指導教官は、そんなことを聴かされたら仲間たちが寂しがると応じる。誰かの不幸を伴に悲しんだり、傍にいる人に時として怒りの感情を抱いたりしてこそ、生きる意味があるのではないかと。恐らくはその部分を、桜井氏は《人恋しさを積み木みたいに乗せてゆく》と表現したのではないかと想像する。オレンジデイズに登場する、ヒロインの「仲間たち」は、それぞれの屈託を抱えながら、青春時代の《残された時間》を過ごす。彼ら彼女らは、ヒロインを愛し、同時にその才能や美貌に嫉妬し、その身勝手さや粗暴な行動に怒りをぶつけ、そして最終的には赦す。まさに《優しさを見せつけ合う》のだ。Mr.Childrenの曲とドラマは、見事にシンクロしている。これほど鮮やかに「タイアップ」が成功した例を、僕は他に知らない。そう書くのは、単に僕がテレビを滅多なことで見ない、世事に疎い人間であることを暴露してしまうことになるのかもしれないけど。

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のちにMr.Childrenは、難聴者に支援金を届けるために、そして音楽を楽しめない人にも自分たちの活動を知ってもらうために、詩集を発表することになる。桜井氏はSignに楽観論を込めたわけでなく、不幸は不幸に違いないことを、きっと分かって作詞作曲したのだ。田原氏の繊細なギターや、中川氏の控え目なベース、そしてそれらを最後方で見守り支える鈴木氏のドラムスを、聴くことができないのは「不幸」であると言わざるを得ない。ベストセラー「五体不満足」を書いた乙武洋匡氏は、障害は不幸でないと言い切っているけれど、もし自分に手足があればこれができたのにと感じることは、きっとあるのではないかと僕は思ってしまう。こういう言い方が障害をもつ人を傷つける可能性があることは分かっているけど、不幸は時として周囲の人を巻き込みもする。たとえば手話を覚えるにしても、どれだけの時間投資と努力が求められるか。それを楽しみながら続けている団体を知ってはいるけど、少なくともその人たちは「気楽な」時間を過ごしてはいないだろう。この世界は決してバラ色ではないのだ。

ヒロインの聴力は最後まで、完全に戻ることはない。それでも彼女が心を開いたことは、ラストシーンで明確に描かれる。それは桜井氏の言葉を借りれば《緑道の木漏れ日》が世界を包み込んだ瞬間である。その後の数年間を(ドラマ上の架空の未来を)ヒロインが、どのように辿ったかは知りようがない。彼女が音楽家として、自分のありたい水準に到達できたかは分からない。それでも恐らくは、彼女は人を巻き込む可能性さえも受け入れながら、緑道を歩き続けたのでないか。しっとりと鳴るSignの後奏は、後日談を匂わせるようなピアノの和音は、彼女の幸福な前途を祈っているように感じられる。

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Mr.Childrenが持つ無数の佳曲のうち、どれに癒され、励まされるかは、人それぞれに違うだろう。僕に希望を与えてくれたのは、僕にとっての「代表作」は、前述したようにSignでもinnocent worldでもない。それでも僕は、ある意味では自分以上に大事な、創作の世界にしか存在しないヒロインの幸福を願って、こんな文章を書いた。世界は秋を迎え、緑道は涼やかになる。そこを歩く友人知己が「それぞれの代表曲」を口ずさんでいる様を、思い浮かべてみたりする。

※《》内はMr.Children「Sign」の歌詞より引用

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