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窓辺のマーガレットと花言葉 (40歳)
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ロックンロールが消えた時代に

ジミ・ヘンドリックスがレクイエムになった日と死と

ジミ・ヘンドリックスがレクイエムになった日、
それは僕の祖母が亡くなった日だった。
いつも味方になってくれて、やさしく育ててくれたおばあちゃん。怒られた事の記憶はほとんどない。

いつも正しく、まちがったことは嫌っていたのだろう。記憶の中に残る会話の、言葉や話し方、考え方、
今の自分が意識せずとも影響を受けているのは祖母の感覚だと思う。
生きてきて、正しい行動が出来ているかと云えば、あやまち、間違いを起こす事もあるのだから、祖母が願っているような孫には、まだまだ自分は成れていないんだろう。

明治時代の終わりに生まれた祖母は、戦争の時代を経験した。運良くも戦争に巻き込まれた事はなかったらしいけれど、空襲の不安や、広島原爆の日の記憶を同じ県で体験している。

「戦争は、いけんよ」
と言う言葉は聞いた。それ以外はあんまり語らなかった。
僕はそれらの話をもっと進んで詳しく聞いておけばよかったと今になって悔やんではいけない、けれど、
残された短い言葉には、含まれた深い意味があると思う。

祖母は87才で亡くなった。
僕はその時、高校3年だった。
中学1年の頃、広島から、僕ら家族の元に来て同居するようになって、そこから5年か6年の間、毎日いっしょに過ごした。

僕が音楽を聴き始めたのは1990年代、高校1年の頃だった。それまではなんの興味もなかったのに、急に、目覚めたように、情熱のように沸き上がったこの気持ちは何なんだろう。ラジオから流れた1970年代、60年代の洋楽ロックを夢中で聞いた。
温故知新、当時再評価され始めたようだった昔の時代のアナログサウンド。流行の1990年代の中にもその感覚はまだまだ残っていたし、通じ合うところがあったのかもしれない。

音楽をCDで聴くようになって、いつもそばに居た祖母がそれを一緒に聞く事もよくあった。
おばあちゃんは明治生まれなんだから、英語の歌にも、ロックの鳴り方にも興味は無いんだと、僕は勝手なことを想っていたけれど、意外にも、ビートルズやボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクルを気に入って聴いてくれた。いろいろな歌を聞くなかでも、もう一度聞かせてほしいと言われたのはラジオから聞いた喜納昌吉の「花~すべての人の心に花を~」という歌だった。けれど、僕はそのCDを持っていなかった。

祖母が体験した音楽や歌の時代は、たぶん、唱歌や流行歌、明治大正昭和の歌謡曲だったと思う。
母に訊けば、いつもおばあちゃんがラジオで浪曲を聴いていたという話だった。
浪曲といえば、印象的なのは浪曲師の語る独特のあくのつよい歌い回し、節回しなんだと思う。

だとすれば、祖母がボブ・ディランの歌を気に入ったのはそれと通ずるところがあったからだと僕は想像している。

ボブ・ディランの”Desolation Row(廃墟の街)”を祖母と一緒に聴いた記憶はきっとこれからも忘れられない。11分に及ぶボブ・ディランの歌い、語り、ギターとハーモニカ、その時の美しい音の空間。
静かだった。すごく静かにして、僕らはこの世界を聴いた。
曲が終わって、おばあちゃんが言った。
いまのはよかったなぁ
僕もそう思った。

一緒に過ごした数年はあっという間。
高校2年頃から3年にかけての時期、祖母が入院退院を繰り返した。
祖母がもともと癌だったという話を後から聞かされてすごく悔しかった。まだまだ生きてほしい。
もっと話を聞かせてほしい。そう思っても、祈りも願いも届かない。
人の死、老い、病、はどうにもならないんだというのが、若い自分には、にわかに信じがたく、つらすぎた。

見舞いに行った病室で、イヤホンを渡して、ビートルズやボブ・ディランを聞かせていた自分は、今になって想えばどうかしてるような気もするけれど、祖母は
黙って聞いてくれた。
喜納昌吉の「花」を聞かせてあげられなかったのは残念だった。CDを今、探して買いにいく時間は無かった。
病状が悪くなっていってそれを自分でも分かっていたのか、祖母が僕に最後に遺してくれた言葉は
「あんたがいちばんええけぇな、ようおぼえててな」

悔しくて仕方ない。
いちばん大切なおばあちゃんが死ぬんだ。
僕はこれからどうする?
何も考えられない。

祖母がいよいよ危ないという日の昼、僕は何故か、ジミ・ヘンドリックスを聴いていた。あれはウッドストックのライブ盤のCDだった。
ジミ・ヘンドリックスのギターはノイズと共に、ささくれた心情に突き刺さった。響いたというより、渦巻いた。感動したわけじゃない。良いと思ってもいなかった。ただ聞こえていた。エレクトリックギターのゆがみと荒いバンドのひずみが心象を顕していたのかもしれない。
後から考えれば、これはレクイエムだと思った。
亡くなりゆくおばあちゃんを送るレクイエムではない。
その日に死んだのは僕の方だった。
 
 

苦しい時に音楽が響かないのは、つらいものです。
僕には聴いている音楽が聞こえていなかった。
ビートルズもボブ・ディランも。
それから数年、僕はそれらの音楽を聴かなかった。
 

今想えば、記憶が何であるにせよ、
言いたい事は、
それでも音楽が好きだった。

そうです。
それでも僕は音楽が好きなんだと思う。
 
 

自分に響く音楽は、
記憶と共に自身をつくってきたお気に入りの音楽じゃなくて、今、興味を持っている音楽でもなくて、ただ言えるのは、
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス。
消えてしまった年月とその後に残った日常の白の色に、響かせたい鎮魂歌。

Are you experienced?
という言葉を引き合いに出してみれば、
この音世界は今の時代には、経験されずに、もはや忘れられているのかな。
ロックは死んだ、と言いたくない。
消えてしまったと思いたくない。
 

ロックンロールが消えた時代に、いままさに、
レクイエムとして鳴らすべき音楽は、
The Jimi Hendrix EXPERIENCEの傑作、
“All Along The Watchtower”
だと思う。

ロックが好きだと思っているなら、
若者たち、子供たち、老いてゆく人たちも
これは聴いておかなくちゃならない。

“All Along The Watchtower”のオリジナルは、
ボブ・ディラン。
発表された翌年に、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスによってカバーされた。
オリジナルよりも壮絶に過ぎる素晴らしさ。
ロックが何か知らなかったらこれを聴けよ、と思う。

他のカバーバージョンは多い。全部知っているわけではないけれど、
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスによる演奏は、それらの霞を一掃するかの如く、晴れ晴れしい音が鳴る。生半可じゃない響きを体験したい。

何故に今更、ジミ・ヘンドリックスかと誰かは思うかも知れない。けれど、ジミ・ヘンドリックスは「ジミヘン」という言葉に短縮され、定型化され、略されて
認識されてしまった。
と思う。

もう一度、別の感覚を取り出して聴いていきたいと僕は思う。記憶に残った音楽を、今まで聴き尽くしたと思っている音楽を、いや、まだ現在進行のものとして聴き直したいと思う。自分の日々が、これからも進んでいくように、毎日、一日一日の気分は変化し、昨日とは違うのだから、そこに合わせた感覚を聞き取りたいと思う。大切な言葉は「昨日より若く」

ジミ・ヘンドリックスは早くに亡くなった事もあって、活動期間は数年と短く、もう新しくなってはいかない。残された音楽を聴いて広げていくにも限界はある。でもまだ本当に全部を理解できていると云えるだろうか?
ジミ・ヘンドリックスの様な音を未だに誰も出せていない。残された音楽にまだまだ示唆はあると思う。

僕は今「ジミヘン」のライブが良いと思っている。
ジミヘンは地味で変だと謂う駄洒落は言い尽くされたけれど、地味ではない。変でもない。いや、変かな。でもかっこいいよね。お洒落じゃないけれど、心象に響く強い音を心に鳴らしたい。

今は不穏な時代であると思う。
ジミ・ヘンドリックスがロックを鳴らした時代は、ベトナム戦争と暴動と革命の世代だった。
世界も不穏だった。

戦争に対抗する音はロックミュージックだ、と誰が言ったのか?

戦争は、いけない。
争いはいけない。
自分の世界が、この街が、廃墟の街なんかに為らぬように、美しいものであるようにと、
願う。

二人で聴いた音楽の記憶が美しく穏やかだったように、その感覚を忘れたくない。
 

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