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忘れられてはいけない音楽の遺産を受け継ぐ人

Chocolat&Akito meets The Mattson 2を聴いて思う信じたい世界

最近になってずっとGREAT3の今までのアルバムをCDで集めている。

GREAT3が活躍していた1990年代の中頃から2000年代にかけて、僕はある一時期だけ、このグループの音楽を聴いていたことがあった。特によく聴いたのが1997年のアルバム「ROMANCE」と98年の「WITHOUT ONION」だ。
という点で、グレイト・スリーの熱心なファンではなかったというのは分かってしまう。二十年経って、またあの音楽を聴きたくなった。

グレイト・スリーを聴いていなかったこれまでのあいだ、僕は流行りの音楽からも、時代の音楽からも離れて、自分の興味のある1960年代70年代を探し集めてきた。

レコードで音楽を聴くようになって気付いた音響の世界。音空間という概念。
その考え方は、もうすでにグレイト・スリーのアルバムの中で展開されていたんだと思うと、いま嬉しくなってもう一度聴かずには居られない。

1990年代終わりの頃、当時の音楽を聞いていて日本のポップミュージックの何かしらの変化を感じた、そういうアルバムがある。97年のCORNELIUSの「fantasma」、97年のEL-MLOの「SUPER HEART GNOME」、98年のGREAT3の「WITHOUT ONION」
その時代にはこれら以外にもきっと沢山の音楽があったのだろう。僕はそれらを全部聴いたわけじゃないけれども、何かしらの違いがあるという気はした。

当時の記憶を辿って、思い出したいろいろなアルバムを今、他にも集めていて、気に入っているのはTHE COLLECTORSの「HERE TODAY」だ。これだって97年の発表だった。コレクターズの音楽には洋楽の空気と音楽史への敬意が感じられると思う。

想えば、洋楽志向のサウンドがこの時代には当然のように鳴らされていた。
あれから二十年を過ごして、ふと今の時代の音楽を聞いてみれば、洋楽やロックの歴史を感じさせない音作りがほとんどで、一体どういうことかと思う。

そして、偉大な60年代70年代が振り返られているという実感はない。それらを踏まえていた90年代の
音響志向でさえ忘れられているような気がしている。

いや、そうじゃないのかもしれない。
僕には分かっていない。何も分かっていない。
すべてを知り尽くしているわけじゃないから。
感じたことを書く。分かること、気付くこと、それらの途中経過でも良いんじゃないか。
たぶんこれからも感じ方は変わっていくと思う。

グレイト・スリーの音楽は、その当時の傾向であった、アメリカのTORTOISE(トータス)の音響志向との関わりがよく言われていた。僕はその実際は知らないままだった。
今改めて、グレイト・スリーのアルバムを見ていくと、2000年の片寄明人のソロアルバム、AKITOの「HEY MISTER GIRL!」から、GREAT3の01年「May and December」、02年の「When you were a beauty」、03年の「climax」、合わせて、それ以降のChocolat&Akitoのアルバムにも、
トータスのジョン・マッケンタイアがミキシングやレコーディングに関わっているのが分かる。

まだまだ全部を聴き尽くしたわけではないし、内容について語ることはできないけれど、この音の傾向、音響が好きなのは間違いない。グレイト・スリー「May and December」を聴いていれば、マイルス・デイヴィスのエレクトリック・マイルスか?という響きだって発見する。AKITO「HEY MISTER GIRL!」のブラジル音楽への傾倒と最後のサイケデリック感もたまらない。
そう考えれば、Miles Davis 「LIVE EVIL」という1971年の音楽にはブラジル音楽の影響があるよなぁと思う。実際にブラジルのミュージシャン、エルメット・パスコアールやアイアート・モレイラが参加しているのを思い出す。

1997年頃なのか記憶は確かではないけれど、その当時の音楽史への再評価の機運は、ソフトサイケやソフトロックというものだったのかもしれない。加えて、エレクトリック・マイルスやブラジル音楽、MPBやボサノヴァだってよく取り上げられていた。雑誌でも1960年代70年代の音楽の特集があったのは読んだ。

ソフトなロックってなんや、と思うけれど、要はドロドロした重い、ヘヴィーサイケとはまた別の、浮遊するサイケデリック感なんだろう。これが妙な快感にトリップする音響の面白さなんだと思う。

MPBってなんや、と調べるとムジカ・ポプラール・ブラジレイラというものの頭文字から来ているらしい。要はブラジル音楽の新しい傾向。欧米のロックやポップミュージックからの影響を受けたブラジルの1970年代の音楽傾向にもサイケデリックな感触がある。

よく見かけたのはビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」とミレニウムの「ビギン」というアルバムだった。これらの音響も優れているだろう。再評価されて然るべき、影響力の強い名作だと思う。GREAT3の「ROMANCE」のアルバムには、Millennium「BEGIN」から、”THERE IS NOTHING MORE TO SAY”という曲がカバーされていた。

グレイト・スリー「ROMANCE」と「WITHOUT ONION」の二つには大きな感触の違いがあったと思う。
2000年代に向けての音響が「WITHOUT ONION」では鳴り方として表立っているように思える。
そこにあったのはサイケデリックソウルとブラジルへの傾倒だったのか。

2001年に再評価されてCD化されたマルコス・ヴァーリの「PREVISAO DO TEMPO」とシュギー・オーティスの「INSPIRATION INFORMATION」という二つのアルバムについて、片寄さんがライナーノートを書いているのを読んだ。それを思い出して、グレイト・スリーと共に聴いている。

僕がいま書いている事、何を今更ということになるのかもしれない。けれど忘れられ、思い出されないまま、知らないまま、どれもが無かったかのように、次へ次へと進んでいってしまっているのは危惧する。

いま再評価されるべき音は、忘れずに思い出しておきたい音は、鳴り方として、「WITHOUT ONION」以降だと思う。

同じように思い出す、いま気になる音楽は、GREAT3の音楽の感触とはまた別でもありながら、通じるのかもしれない、bloodthirsty butchers とFOEだ。
GREAT3は、bloodthirsty butchersのトリビュートアルバムに二度も参加している。FOEはEL-MALOのアイゴンのバンド。EL-MALOもGREAT3とは関わりがあるだろう。
bloodthirsty butchersの1999年「未完成」というアルバムのジャケット画はジミー大西が描いている。あれは緻密で良い絵だった。

そういう緻密な絵をまだ描けるはずだと僕は思う。どうかあきらめないで、と偉そうなことを云う。ごめんなさい。

FOEの2作目になる「FOE」は2002年のアルバム。
僕はこれらを同じ線の上で聴く。
「FOE」の音響も同じように素晴らしい。歌だって演奏だってとびきりだ。
一度は手放したこのアルバム、ずっと忘れていなかった。また聴けるのが嬉しい。

これらをCDではなくて、もしもレコードで聴けたらどれだけ素晴らしいんだろう。

GREAT3のアルバム「WITHOUT ONION」のレコードが手に入った。好きな作品、ドキドキして聴いてみれば、CDとは違って、曲数がしぼられている。もしもオリジナル通りにレコード化すれば2枚組になるから、1枚に収めるために削ったんだろう。
どうか片寄さん、2枚組で「WITHOUT ONION」をレコード再発してください。
これは余談。
 

僕が「WITHOUT ONION」を好きな理由は、内容だけじゃないのかもしれない。このアルバムの裏ジャケットの写真が良い。3人が歩くのは何処かの倉庫か?奥に果てしなく見える光と影、美しい構図だ。
それも余談。

この文は何を書こうとしていたのか?
そうだ!Chocolat&Akitoのアルバムだった。
前置きが長いよね。

「Chocolat&Akito meets The Mattson 2」は
2016年のアルバム。
ここでも、またジョン・マッケンタイアによるミキシングが行われている。

聴き始めて目立つのは、深い音響に包まれた演奏と歌の響き。まるで、プログレの名作を聴き進めているかのように僕は感じた。そして、音楽に対する信頼感が持てると。

片寄さんの音楽は信じられる。ポップミュージックの美しいハーモニーの端っこから真ん中まで、ブラジルからサイケとソウルとAORと日本の善き歌唱曲と。
音楽体験の豊富な知識が見えないように見えるように結実する。木はもうだいぶん大きく伸びて、花も咲き、実もなっている。美しい実。それは遠いのにすごく近くにある。

いまだに、音楽史を忘れないで、
作られているこの音楽を僕は信じたい。
 

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