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臆病者がうたう唄

BUMP OF CHICKENの勇気と、私の勇気

ずっと憧れているシーンがある。
それはアーティストがライブの前にメンバーと円陣を組んでいる姿。

昔、私はバンドマンになりたかった。
過去形…にしてしまっていいのだろうか、という迷いが今もまだ少しだけある。

様々な音楽アーティストの形がある中でも特に「バンド」という形に憧れていた。
互いの肩に腕を回して、または互いの手を重ね合わせて円陣を組んでいる姿には、メンバー同士の信頼関係がぎゅっと凝縮されているようで、写真や映像で見るたびに胸の奥がきゅっとなった。
 

私は物心ついた頃から絵を描くことと工作が大好きで、小学校でもいちばん好きな教科は図工だった。
もう一つ好きな教科を挙げるとすれば国語だろうか。特に作文が好きだった。
喋るのがあまり得意ではない私にとって、ゆっくり自分のペースで気持ちを言葉にできる「文」は心づよい味方だったのだ。

自分の中の宇宙を繋ぎ合わせて言葉にしていくのが楽しかった。
想いを文字にしていると、家族もクラスメイトも、いつも一緒に遊ぶ友だちも気付いていないような、時には自分自身も気付いていなかったような自分に出会える瞬間がある。
自分の輪郭がはっきりしていくようでもあり、もっと多様に形を変えていくかのような面白さもあった。
私にとって文章は「存在の証明」だった。

音楽については普通に好きだった。
昔の私にとって「音楽」と言えば保育園や学校で習うような楽曲たちのことであって、芸能人や有名人が歌う流行りの歌にはとても疎かった。

そんな私が初めて心を鷲掴みにされたアーティスト、それがBUMP OF CHICKENだった。

中学2年生の秋、クラスメイトが教えてくれた「K」という曲をきっかけにどんどんハマっていく。
ギターボーカルの藤原基央さんの書くストーリー性のある歌詞や、どこか懐かしいメロディーに惹かれ、繰り返し聴くうちに彼の声がとても好きだと気付いた。
藤原さんだけでなくギターの増川さん、ベースのチャマさん、ドラムの升さん、それぞれの人柄や楽器にも魅力を感じるようになり、どんどん好きだという気持ちが膨らんでいった。
藤原さんの書く詞はいつも心のど真ん中を撃ち抜いてきたし、4人が奏でる音楽は私にとって衝撃の連続で、飛び込んでくる音の一つひとつがキラキラしていて心が踊った。

「わたし、音楽が好きだ」
今までのそれとは違う、好きという気持ち。
新しい音楽の扉が開いた音がした。
自分はBUMP OF CHICKENを一生好きに違いない、そう思った。
 

翌年、中学3年生の夏の終わり頃のこと。
私は街の本屋さんで音楽雑誌を購入した。BUMPのインタビューが載っている号だった。
ドキドキしながらページをめくっていくと、藤原さんが語ったある言葉に私の心が大きく反応した。体に稲妻のような衝撃が走った。

そこには藤原さんが唄を歌って届ける理由が書かれてあった。
人によっては何の変哲もない言葉かもしれない。
けれど私にとっては、人生を大きく変えてしまえるほど重大な言葉だった。
自分でも信じられないような想いがふつふつと湧いてきた。
 

私も、唄を歌いたい。
藤原さんのように自分で詞を書いて、ギターを弾きながら、自分の声でそれを届けたい。
願わくばバンドがいい。
大好きで、お互いに尊敬し合えるような人たちと一緒に音楽がしたい…。

ギターを弾いたことなんてなかった。触れたこともなかった。
しかしそんなことよりももっと大変な大問題があった。

正気かい?と自分で自分に問いかける。
そりゃそうだ。
私は、人前で歌えなかったのだから。

昔は普通に歌えていた。歌うことも好きだった。でもある時を境に歌えなくなってしまっていた。

合唱のように自分の声が大勢に紛れるような場合は大丈夫だったものの、歌のテストやカラオケなど、自分の歌声だけが聴こえるような場面では固まって、声が出なくなる。
歌わなきゃと焦れば焦るほど声を出すのが怖くてたまらなくなって、泣き出してしまいそうになる(実際に泣いてしまったこともある)
家族でも、友だちでも、誰かが側にいると鼻歌さえ歌えないほど重症だった。
とにかく他人に自分の歌声を聴かれることが恐怖で仕方なかった。

それなのに、歌いたいと思ってしまった。
人知れず一人で歌うのではなく、誰かに届けたがっている自分に気付いてしまった。
届けたい想いがある、届いてほしい人がいる、それは時に漠然としているけれど、私は間違いなく「誰か」や「何か」へ向けて届けたがっていた。
今までにも絵や文章でそれをしてきたはずだったけれど、そのどこにも納まりきれなかった想いたちの表現として、音楽の力と、自分の声を使って届けるということに新たな可能性を感じた。
 

…さぁ、どうする。
克服、するしかない。

歌の技術云々よりもまず、私の心にまとわりついている恐怖心を外してあげる必要があった。
家に誰もいないとき、秘かに歌の練習をした。ボイトレというよりもメンタルトレーニングに近かったかもしれない。

高校受験の合格祝いで、祖父母にアコースティックギターを買ってもらった。
親に反対されるかと思ったら意外にも乗り気で拍子抜けしたのを覚えている。
最初のうちは、BUMPの曲の中でも大好きな「メロディーフラッグ」のイントロをひたすら繰り返し練習していた。
ギターを弾くのは楽しくてしょうがなかった。
毎日毎日夢中で弾いていた。

そのうち弾き語りも練習するようになり、最初は歌と演奏を同時に行うのが難しかったけれど、繰り返し練習するうちに少しずつコツを掴んでいった。
でも、やっぱり人前で歌う勇気は出ないままだった。
 

高校では、小学生の頃からの夢の料理を勉強しながら、趣味という名目で音楽活動をしようと決めていた。音楽にそこまで本気だということは親には内緒だったけれど…。
料理と音楽。2つの夢の間で気持ちが揺れていた私は、高校生活の3年間で自分がどっちへ進みたいのかを探るつもりでいたのだ。

幸運にも、入学して早々にクラスメイトと意気投合して念願のバンドを組むことになった。
けれど私はまだ歌う勇気が出せず、結局一度も歌声を披露することがないままバンドは解散してしまうことに…。
それからはしばらく1人で弾き語りの練習をしたり、歌詞のカケラをノートに書き溜めたりしていた。

高校2年生、ドキドキのクラス替え。
元バンドメンバーの全員とも仲の良かった友だちともクラスが離れてしまった。
新しいクラスの雰囲気に私はなかなか馴染むことができず、卒業までの2年間は冷たい海の底にいるような気持ちで過ごした。

それは家に帰っても同じで、当時は家にも学校にも自分の居場所がないような気がしていた。
でも、そんな私にもホッとできる時間と場所があった。

授業が終わって、部活も終わると、私はある場所へと急ぐ。駅前の地下道だ。
自転車通学だった私は駅の方に用事はないはずなのだけれど、毎日のように駅前地下道へと通った。

地下道には、雑踏の中でギターを抱えて歌う人たちがいた。
そこで歌を聴いていると気持ちが安らいだのだ。
学校が終わって家に帰るまでの時間の多くを私はそこで過ごした。
冬になると地下道はとても寒かったし寒いのは苦手だったけれど、それでも何時間でもいられるくらい、かけがえのない場所だった。

今日は誰かいるかな、会えるかな。
いつも、はやる気持ちを抑えながら早足で向かう。
たまに誰も歌っていない日があると、ちょっとしょんぼりしてしまう。

ある日、同じ学校の制服を着た人が地下道で歌っていた。
ギターの腕も歌も出で立ちも、プロのようで…。
私が見惚れている間にも、彼の歌に足を止める人がちらほらいた。

話してみると、同じ科の隣のクラスの人だった。こんなに近くに、唄うたいさんがいたなんて…!
なんだか嬉しくって、自分もギターや歌を練習していることなど話すうちに、いろいろとアドバイスをもらうようになった。
それまで1人でどこへ進んだらいいか手探り状態だったのが、彼のおかげで一歩踏み出す勇気を出せるような気がしてきた。

彼や他の路上ミュージシャンたちにもアドバイスをもらいながら、私は自分の殻を破る準備を少しずつ少しずつ整えていった。
 

そして、殻を破る時がきた。
人前で歌えない自分の殻を。

文化祭だ。歌ったのはBUMPの「ギルド」
結果は散々だった、というより緊張でほとんど記憶がない。
思い込みかもしれない、でも自分が笑われているような気がしてならなかった。
怖い、恥ずかしい、消えてしまいたい…。
でも、このまま終わらせたくないという思いはあった。

しばらくして、リベンジの機会が訪れる。
「3年生を送る会」の出し物。
卒業前、最後のチャンスだった。
地下道の彼もユニットで出演するらしい。
プロ並みの彼らならともかく、私みたいなのは場違いなんじゃ…

今、冷静になって考えても自己満足極まりなくて恥ずかしいのだけれど… 思いきって立候補してしまった。
文化祭での私の惨状を知っている担当の先生に渋い顔をされて怯んだ。
でも、今度こそやってみせる!

一心不乱に練習した。
そしてついにその日を迎えた。
歌ったのはBUMPの「花の名」
歌詞や演奏のミスはあったけれど、文化祭のときとは明らかに空気が違うような…。
少しだけ、手応えのようなものを感じられた。
終わったあと、いろんな人が声をかけてくれたのが嬉しくて、はずかしくて、とても温かかった。
 

高校に入学するときに料理と音楽の間で揺れていた私の気持ちは、いつからかほぼ音楽で固まっていた。
音楽の専門学校へ行きたいと親に言うと、ギターを欲しがったときとは違ってさすがに大反対されたけれど、私も引かず、最終的にいくつかの条件付きで進学を許してもらうことができた。

そうして私は地元を離れ、何がなんでも歌わなければならない状況に身を置いた。
入学してすぐ、一度だけステージの上で緊張して声がほとんど出なくなってしまったけれど、もうそれっきり。緊張はしても、泣きはしない。

2年間の専門学校生活はとても充実していた。
卒業しても音楽をずっとつづけていくつもりだった。

でも、想いに反して卒業とほぼ同時に、少しずつ私は音楽活動から離れていくことに。
専門学校で知り合った夫と結婚して、子どもを産んでからも二人で細々とライブ活動はしていた。
でも自分の中では、お腹に子どもがいると分かったときにスイッチが切り替わってしまっていた。音楽モードから子育てモードに。
だから、もういいんだ。がんばらなくて。
音楽も子育ても家事も仕事も、すべて頑張るなんて自分には難しかった。
音楽は楽しい。けれど、ステージに立ち続けるのは容易いことではなかった。
逃げる理由を見つけられて安心していたのかもしれない。
夫は私を音楽に繋ぎとめようと必死だったけれど、そんな夫の期待に押しつぶされそうだった。

いつから、音楽が苦しいものになってしまったんだろう…
そんな気持ちでステージに立っていることも申し訳なくて。
自分たちの唄を好きだと言って来てくれる人が1人でもいるなら、なおのこと申し訳なくてたまらなかった。

最終的に、経済的な理由で出演が決まっていたライブをキャンセルするという、ライブハウスにもライブを楽しみにしてくれていた人にも最悪の形で私たちは音楽活動をやめた。
学生の頃、バイト代を貯めて買った念願のエレキギターも、生活に困窮した際に手離してしまった。

残ったのは、祖父母に買ってもらったアコースティックギター。
あんなに毎日夢中で弾いていたのに、だんだん弾かなくなってしまった。
弾かなくなったら、弾こうと思ったときには指が動かなくなっていて、そんな自分に落胆してますます弾かなくなってしまった。
毎日丁寧に手入れをしていたギターは、弦も錆びたままでホコリを被っていった。

少しずつ音楽から遠ざかっていく生活。
今するべきことに必死になっていれば、憧れにも胸の痛みにも鈍くなれた。
 

あれから10年ほど経つのかな。
今年行われているBUMPのツアー「aurora ark」
私は京セラドーム公演の2日目に、幾つかの犠牲と幾つかの幸運が重なって行くことができた。
BUMPのライブは、いろいろと都合がつかず6年ぶりだった。

その日から、何度も何度も考えていることがある。
それはBUMP OF CHICKENの4人の「勇気」について。

私は今、音楽というステージから降りてしまっているけれど、絵や文章といった形で想いを発信することはある。

自分の殻を破るときや、自分の想いを外へ放つとき、少なくとも痛みをともなってきた。恐怖心があった。
大なり小なり、勇気が必要だった。

だからこそ、思う。
BUMP OF CHICKENの4人は、どれほどの勇気であの場所に立っているんだろう。立ち続けているんだろう、と。

いつかのライブで藤原さんが「一生分の勇気というものがあるなら、僕らはとっくに使い果たしている」というようなことを言っていたと聞いたことがある。
調べてみると2014年のWILLPOLISツアーファイナルでの藤原さんのMCの一部だった。

「音楽が鳴りたいように鳴らしてあげたい」けれど、「ついていくのに必死」だと言う。
「もう、怖いことばっか」だと言う。

「僕たち音楽大好きですけど、やっぱり大好きなことを仕事にしてると、楽しいだけじゃなくて、すごく勇気を出さなきゃいけない時とか、すごい覚悟しなきゃいけない時とか、そういう局面があるわけだよね。僕たちはそのたびにすごくビビってるんですけど」と言う。

でも「君たちのおかげで、僕らはこんなに幸せです。今日は本当にどうもありがとう!」そう言っている。
 

あぁ、そっか。
彼らだって怖いんだ。

怖いことばっかで、ついていくのに必死で、それでも続けてこられたのは、本当に本当にすごいこと。
待っていてくれる人がいるから。仲間がいるから… だとしても、ステージに立ち続けるということがどれだけ容易くないことか。
プレッシャーに耐え、期待に応えつづけるのにどれだけの勇気が必要か。
考えると気が遠くなる。尊敬せずにはいられない。

特に(胸の内をさらけ出すという意味では)作詞作曲でボーカルの藤原さんの勇気は計り知れない。
単なる私の妄想で想像でしかないけれど、チャマさんに増川さん、升さん… 3人のメンバーがいてこそギリギリ立ってこられたのではないかと思えるほど。
でもそれは藤原さんだけでなく、きっとメンバーの一人ひとりがお互いにそうなんじゃないかとも感じる。
音楽の望む方向へお互いについて行こうと必死になって、BUMP OF CHICKENという看板のため、一緒に仕事をするチームのため、待っていてくれるリスナーのため、4人だったから続けてこられたんじゃないかと思った。

その信頼関係が、とても眩しくて羨ましい。
奇跡のような4人だと思う。
奇跡と言ってしまうのはあまりに安易かもしれないけれど。

そんな信頼で結ばれた仲間は、自分には一生かけても手に入れられないような気がしてしまう。
友だちはいないわけじゃないけれど、いつもどこか遠慮してしまうからあまり深い間柄になったことはない。
誰かと本気でぶつかり合うなんて経験も、あったかどうか…。

あのとき声をかけていれば、もっと仲良くなれたんじゃないかとか
もっと心を見せていれば、相手も安心して心を見せてくれてたんじゃないかとか
あのときもっと誰かを頼れていたら、もっと勇気を出せていれば、バンドは解散しなかったんじゃないかとか
私がもっと強ければ、努力していれば、音楽を続けられていれば…
思い出すのはそんな繋がりばかりだ。

自分はどうしてバンドに憧れたんだろう。
音楽がしたかったから?それとも仲間がほしかったから?
きっとどっちもだ。
BUMPの音楽と、メンバー同士の信頼の強さ、両方を知ったからこそこんなに好きになれた。憧れた。
 

BUMPの「リボン」という曲に
『君の勇気を 僕が見れば星だ 並べても同じでありたい』というフレーズがある。

臆病者の私から見れば、BUMPの4人の勇気は夜空の星のように遠く眩しい。
けれどそれはBUMPから見ても同じなのかもしれない。
藤原さんは度々リスナーへ向けて「君たちのおかげで」と感謝の気持ちを述べる。
藤原さんにとってはメンバーひとり一人の勇気も、リスナーひとり一人の想いも、星なのかもしれない。

そんなふうに思ったら、リボンという曲が一層好きになった。
もちろんこれは私にとっての「リボン」で、他にいくらでも解釈できるのがBUMPの曲の魅力のひとつだと思っているのだけれど。

例えばCDを「リリース(発売、公開)する」と言う聞き慣れた言葉、私はこのリリースという言葉に「手放す」「解き放つ」というイメージを強く持っている。

藤原さんが、BUMPが作った曲を世に送り出すとき、まるで大切な我が子に「いっておいで」と言うようなイメージがある。
君ならきっと届く、誰かの気持ちのそばにいられる、信じてる。だから行っておいで。そんなイメージ。

作り手のもとを離れて誰かのもとへと届いた瞬間、その曲はその人だけの特別な曲になる。
BUMPはそれを大事に、何億通りの1対1としていつもリスナーに歌いかけてくれる。
(ちなみに最新のアルバムaurora arcのラストを飾る「流れ星の正体」という曲は、私の中でまさにそんなイメージにぴったりだった)
自分たちの曲を信じて「リリース」しつづける、そんな姿もとてもカッコいいなと思う。
 

BUMP OF CHICKENというバンド名の「CHICKEN」には「臆病者」という意味がある。

自分たちのことを「臆病者」だと名乗りながら、一生分の勇気なんてとっくに使い果たしながら、震える足で挑戦しつづけている4人。
その姿に何度憧れ、何度勇気をもらっただろう。

私はバンドマンにはなれなかった。
もちろん今後のことなど分からないけれど、今の自分からそういう未来を想像するのはちょっと難しい。
「諦めた」と言ってしまったらそこで終わる。
その思いだけでまだ気持ちだけしがみついているようなものだ。

同級生には、今も音楽活動を続けている人もいるし、中にはメジャーデビューして有名になり、度々名前を見かけるようになった人たちもいる。
心でそっと応援しながら、いつも勇気をもらっている。
音楽というステージではないかもしれないけれど、私も自分のイマを精一杯がんばろうって思える。…頑張れないことも多々あるけれど。

バンドマンの夢は今世では無理かもしれない。
そのときは来世の自分に託そうかな、なんて最近は思うようになってきた。
もちろんこの目で体でその景色を見られたらという思いはあるけれど。
人前で歌うのを克服するとこまでは頑張ったから、あとは来世のわたし、お願いね!そんな感じ。

でもたまにはギターを弾いて歌ってみたりなんかして。できればもっと練習して上手になって。
私の歌をまた聴きたいと言ってくれる人が一人でもいるなら、自分一人でも、誰かと一緒にでも、またどこかで歌えたらという気持ちもあったりする。

私には音楽以外にも好きなことがいくつかある。
そのほとんどは「表現」することへと繋がっていて、きっと自分はこれからもいろんな形で「表現」を続けていくんだろうなと思う。
おそらくそういう性で、どうしようもないんだと思う。
傍から見れば滑稽かもしれない。
たまに自分でも不思議に思うくらい夢中になったりするから。
伝えたい、届けたい。それが全ての源で、それが枯れないかぎりは多分放っておいても勝手にやってしまうし、やめてしまったら自分が自分じゃなくなるようで苦しいだろう。

想いがなかなか形にならなくて苦しむこともある。
形にできても、届くとは限らない。
届いてほしいと願いながらも、人の目に耳に触れるのをひどく恐れることもある。
自分の発信が誰かを傷つけてしまうんじゃないかという不安も常にある。

でも、怖いことや苦しいことばかりじゃなくて、ワクワクもある。
届いたという手応えを感じたときの胸の高鳴りは何ものにも変えがたくて。
だから書く、描く、つくる、歌う、届ける。
それが私にとっての、精一杯の「存在の証明」で
「生きている証」だから。
 

BUMPに出会って、私は自分を少し変えることができた。
別に人前で歌えなくたって生きてはいける。
でも毎日が少し、豊かになった。
BUMPと、あの日勇気を出した自分のおかげだ。
自分の殻を破ったあの日のことを忘れたくないなと思う。

BUMPは今でも私の憧れ。きっとこれからもずっと。
時に切なくて眩しくて、痛いくらいの憧れ。
憧れなければ、こんなに胸を焦がすこともなかったな。
それでも、この胸の痛みを誇らしく思う。
 
 

『ああ 僕はいつか 空にきらめく星になる
ああ その日まで 精いっぱい歌を唄う』
 

「ガラスのブルース」が、応援歌のように胸に鳴り響く。

BUMPが心に灯してくれた勇気は私の命が燃え尽きるその瞬間まで、どんなに小さくなっても多分きっと一緒にいてくれる。

だから、歌いたくなったら何度でもまた歌えばいい。
「うた」は比喩で、別の何かであってもいい。
ガラスの眼をもつ猫のように、精いっぱい唄をうたっていこう。
そうすれば、また新しい景色が見えてくるかもしれない。
 

あの頃の自分と、これからの自分に言いたい。
想像もしない未来が待っているよ って。

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