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さあ今日もコレクターズを聴こうぜ!

加藤ひさしが間違いのない歌を唄ってくれる

僕は今、ザ・コレクターズの曲”涙のレインボーアイズ”と”GIFT”という歌がすごく好きだ。かっこわるくって格好いい、唄われている言葉はなんたって気恥ずかしいような、くすぐったいような。でも加藤ひさしさんが一生懸命唄ってくれているのが嬉しい。

ザ・コレクターズは日本の多くのミュージシャン、バンドをやる人たちの憧れの存在らしい。コレクターズを実際にちゃんと聴いてみてやっとその理由がわかった気がした。

格好いいってどういう事だろう?

今まで自分が信じてきたものが何だったのか分からなくなった。いや、もう、いらない枠は外した方が良いという事に気づいたのかもしれない。

音楽はもっと幅広く捉えた方が良い。
 

僕は最近までザ・コレクターズのファンでもなく聴いてもいなかった。自分が18才の頃、20才の頃、コレクターズが活躍しているのは知っていた。ラジオやテレビで音楽を聞いたことはあった。雑誌にも載っていた。ザ・コレクターズのキーワードは”モッズ”だったと思う。

僕はイギリスの”モッズ”がずっと好きで、格好いいのは、1960年代のオリジナルモッズやブリティッシュビートのグループ、1970年代後期のパンクの時代に居たネオモッズだと、頑なに信じていた。凝り固まって柔軟には捉えていなかった。
 

ファッションセンスを含めて、本物のモッズの精神を体現しているのは、SMALL FACES(スモール・フェイセス)のスティーヴ・マリオット、ロニー・レイン、そして彼らに憧れたポール・ウェラーであると、勝手な事を想っていた。
スティーヴ・マリオットが1970年代に作ったバンド、HUMBLE PIE(ハンブル・パイ)はモッズじゃないけれど、マリオットの着ている服はそれでも何かと格好良かった。ロニー・レインが1970年代に続けたバンド、FACES(フェイセス)はメンバーの着ている服がやっぱり格好良かった。なかでもロニー・レインは抜群だった。その当時の写真を見てみればよく分かる。
1970年代から80年代90年代2000年代に至るまで、ポール・ウェラーの着ている服を見るにつけ、なんて格好いいセンスなんだと憧れた。
“モッズ”は服が重要だと、僕は思っていた。

洒落た服を着こなした、元モッズ達のその後の音楽性は、時代と共に変化して、もう60年代の面影を残してはいない気もした。
一体、”MODS”というのは何なんだろう?

実際にふつうに服を買おうといろいろ探していると、「モッズコート」と云うのが売られているのはよく見かける。ザ・フーの作品「QUADROPHENIA」(四重人格)をテーマにした「さらば青春の光」という映画のなかで、モッズ達が着ているミリタリーコートのあの感じ、そういうことか、だからこういう風なデザインのコートがモッズコートって言われているんだと知る。

映画で、モッズはスクーターに乗る。音楽を楽しむ。
モッズが好む音楽はどんなものか?ポップで踊れる曲?ワイルドでグルーヴィーでファンキーでヒップでクールな感じ?根底には黒人音楽への憧れが在り続ける。

モッズの音楽は踊れるダンスミュージックと、夢見る憧れのロマンティックな感覚と、同時に、若者の現実的な投げやりの破滅感に支えられている。

“モッズの映画”とされている「さらば青春の光」のメインの音楽となるザ・フーの演奏する”四重人格”の音楽性は本当のところ、”モッズ”じゃない。モータウンソウルのポップさや、グルーヴィーという言葉はあてはまらない、ファンキーでもない、ヒップでクールなダンスミュージックじゃないという点で、もはや1960年代当時の感覚とはかなり違うものを描いている。

ザ・フーの最初のアルバム「MY GENERATION」は”モッズ”の音楽を体現している、けれど、その音を後には続けていないと思う。
フーの音楽がモッズ自体には為らずして、モッズの全体を描いているというのを理解するには、ピート・タウンゼントの音楽と歌を繊細な感覚で聴く必要はあると思う。

ひとつ、
ピート・タウンゼントと並んで覚えておくべきなのはキンクスのレイ・デイヴィスではないか、キンクスも”モッズ”じゃないが、影響をそれぞれ、音楽コンセプトとして昇華した二人を聴き並べるのも良い。

音楽をずっと聴いてきて、
“MODS”だと言われている多くの音楽は、実はあまり広くない音楽だと思った。”オシャレ”だという事になった”モッズ”は終わりになってしまったと僕は思った。

“モッズ”の持っていた破裂感は1970年代パンク時代のネオモッズに受け継がれている気はしたけれど、ポール・ウェラーのJAM(ジャム)以上のものをそんなに熱心に聞けなかった。ネオモッズのなかでもPRISONERS(プリズナーズ)はかっこよかったが。

1980年代の、グルーヴィーで洒落たSTYLE COUNCIL(スタイル・カウンシル)もライブでは熱い。一方で、洗練されたジャズとスウィートなソウル感覚、それも”モッズ”なんだろう。

1990年代には”ブリットポップ”なる音楽の時代があって、ポール・ウェラーの活動も同時代にリンクした。1960年代のサイケな感覚と1970年代の骨太いロックの感触。ポール・ウェラーが憧れたスティーヴ・マリオット、ロニー・レインはその時代に亡くなった。1970年代にあったヘヴィーなハードロック感とメロウでフォーキーな感触、熱いファンキーソウルと躍るノーザンソウル、それらを彷彿するものとして、音楽の再評価とかつての音楽への敬意として、1990年代の傾向は重要だったけれど、今はその音楽が続いて行っていないと思う。

2000年代にあった、ガレージロックリバイバルの流行、またかつての破裂した”MODS”感覚が復権した気分だった。けれど、
その音楽もまた、今に新鮮なものを続けていないのではないか?

流行は変化し続けるけれど、
2019年、
格好いいポール・ウェラーも年を取った。
しかし活動を止めずに毎年のようにアルバムが発表されているのは驚きではある。

同じように、
というのか、日本では、”モッズ”の
ザ・コレクターズが活動を止めずに続けている。
やっとコレクターズの事だ。

僕は正直、コレクターズが体現している”モッズ”にはずっと共感出来ていなかった。コレクターズの面々が着ている服は当然のようにお洒落だ。けれど何処かしら装飾過多で派手すぎるような感覚だと思った。コレクターズは過剰なる”モッズ”だと勝手な想像をしていた。

一体その音楽はどんなものか。
ザ・コレクターズの音楽を聞いた時、まず最初に印象に染み着いたのは加藤ひさしさんのグッと前に出てくる歌だ。ハキハキとした発音の日本語詞と明確な歌唱力、それは自分にとっての、自分の信じてきた”MODS”とは違っている。

自分が思い描いていた”モッズ”を、曲で云えば、THE WHOの”Leaving Here”の別バージョンの荒々しくて尖っていてそれでいてクールな爆発力だった。思い込み、信じていたものとの乖離は甚だしく、僕はコレクターズを”MODS”と思えなかった。

僕は、もう”MODS”なんてものは終わった音楽だと思っていた。

つい数ヶ月前、ずっと、ザ・フーの音楽の1970年代以降の曲を聴いていた。
“モッズ”というこだわりをなくして、ザ・フーを何度も繰り返して聴いてみて浮かび上がったものは、
聞こえた通りのロックの聴き方と捉え方。
ロックバンドたる音楽の存在感と音の鳴らせ方。
繊細さと大胆さ。
受け手の永遠なる十代の感性に、自由な想像力を以てして入ってくるような交響曲のロックンロール。

僕らも年を取る。
いつかは死ぬ。
ザ・フーを聴きまくって、もう一度”モッズ”について考えた。
音楽の幅について思った。心について想い、若き情熱の鮮やかな色の風景を、記憶を巡らせた円周のなかで見えたものを、その糸を此処へと引っ張ってきた。

僕は音楽の何を聴きたかった?

若くなくなった自分に記憶として広がる音楽の響きは、それでもロックだった。

僕らは必ず死ぬけれど、ロックは死んでほしくない。
生き長らえて、これからも若い人たちを希望で踊らせてほしい。

記憶の中で光るもの、
それを探そう。
探り当てたひとつは、THE COLLECTORS。
ピート・タウンゼントとジョン・エントウィッスル、ロジャー・ダルトリーとキース・ムーンが手を引っ張ってここに連れてきてくれた。

“MODS”が何であるにせよ、
僕はやっぱり日本人なんだ。
 

自分が若い頃、THE COLLECTORSが発表した「HERE TODAY」というアルバムがあった。このデザイン、陰影のあるリアルな肖像で描かれたコレクターズの姿は記憶に残る。これをいつかは聴いてみたいと思っていたのがやっと最近になって叶った。

ザ・コレクターズの「HERE TODAY」のアルバムに展開されている音楽、これは20年以上前の音楽だけれども、今も有効なポップシンフォニーだ。
演奏から伝わる音も太く、分厚いロックでも音響は広い。

加藤ひさしさんが歌ってる事、なんにもまちがっちゃいない。真っ直ぐで速くて揺るがない直球力。
もう、恥ずかしがることなんてない。
気恥ずかしいなんて思わない。

もしもピート・タウンゼントやレイ・デイヴィスの精神を、ロックの本物の時代を、”モッズ”の本質を、形を越えて受け継いでいっているとしたら、この人たちなんじゃないか。
ザ・コレクターズが日本が誇るべき”MODS”というのは正しかったのかもしれない。

もうそんな形の言葉も要らない。
幅を広げたい。聞こえる通りの音を真っ直ぐ受け取りたい。

ザ・コレクターズの音楽を聴いて気づいた。加藤ひさしさんの声は、バンドから独立する。ばらばらという意味でなく、一体感の中でそれでも独立する。すごく広いのに近い。バンドだって同じくらいの響きで爆発しているのに、歌と演奏のこの距離感は何だ。宇宙から見えた地球みたいに晴れている。ザ・コレクターズの音楽は、スペースロックみたいだ(この表現はダサいね)
宇宙の向こうから聞こえた地球の音楽。
それくらいでかい音が鳴る。
 
 

「HERE TODAY」のアルバムに”TOUGH -all the boys gotta be tough-“という歌がある。
 

“好きなもの 好きなひと 好きならもっと好きになれ
二度と戻らない 夏の真ん中さ
だめになって砕け散って 涙枯れ果て死んでも
Yeah! Yeah! Yeah! Yeah! Yeah! Yeah!
タフに行こうぜ Born to be Tough!”
 

“好きなこと 好きなだけ 好きならずっと好きにやれ
やがて青空に 鳥もはばたくさ
だから生きていくのさ 生きるために生きるのさ
Yeah! Yeah! Yeah! Yeah! Yeah! Yeah!
タフに行こうぜ Born to be Tough!”
 

うれしくってあったかくて広い感じ、
なんだか泣けてくる。
格好いいってこういう事なんだ。
 

さあ今日もザ・コレクターズを聴こうぜ!
 

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