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ここではない♾(無限)の時空でいつか

〜MAN WITH A MISSION 「Dark Crow」発売に寄せて〜

 小難しいことを色々書いてきているが、結局のところ言いたいことはただ一つ。
「マンウィズ、最高、狼、大好き、良かったらアナタも聴いてみ、以上!」
この数フレーズのみだ。

 だから何もこんな夜中まで近視乱視に加えて最近では小さい文字もやや不安気に見えるようになる年代に入っているが、仕事柄PCから離れられず半日以上眼球を酷使し、さらに言うと膨大な睡眠負債を抱えている人間がこんなにちまちまとiPhoneの画面で狼のことを書いている必然性は、たぶんない。

…絶対にどうかしている。

 この秋は台風や豪雨による広い範囲でたくさんの尊い命が失われ甚大な被害をもたらし、先行きに不安な気持ちが日本中を覆ったかのような10月半ば。折しも令和天皇即位の礼の翌日。MWAMの新譜「Dark Crow」が発売となった。全4曲のうちの新作3曲について、感情が新鮮なうちに、忘れないようにここに記しておきたい。

 M1「Dark Crow」は最初の一音目がとにかく印象的。バグパイプからの出だしで私の心象風景は中世ヨーロッパ、曇天の暗い空、時折叩きつけるような北西からの風、枯れるほどの草すらほとんど生えていないゴツゴツとした岩だらけの大地。人影はおろか生きているものの気配のない荒寥としたグレートブリテン島のどこかの断崖に立っていた。なぜ自分が、いつからここにいるのか全く記憶がないまま、なぜか先に行かなくちゃいけない気がする。怠くて重い身体を起こし無理矢理に歩を進めていくと何かを暗示するかのようにカラスが登場するのだ。既に何十回と聴いていてもこの風景が脳内で再生されるので、もはや私の中ではこちらがすっかりMVのような錯覚すら起こしてしまう。そういう意味で音楽はほんとうに自由だ。ちなみにこのビジョンは実はこの曲が主題歌となっているアニメ「ヴィンランド・サガ」を観るよりもずっと以前のことだったが、設定的には割とイイ線いってる?。(自己満足)
そして、来年は彼らの活動が10周年という節目の年でジャン・ケン・ジョニーがインタビューでも語っているように「原点回帰」を意識した楽曲となっている。確かに初期の「Wake Myself Again」や「DON’T LOSE YOURSELF」といった曲を彷彿とさせるが、しっかりと十年間に培った高骨密度と必要な場所に適度な筋肉がつき引き締まった楽曲になっていると感じた。

 M2「86 Missed Calls feat. Patrick Stump」はパトリック・スタンプとのコラボということで、先行配信で聴いた際には歌詞も分からず、全くの音源のみでこればかりを何回もリピートしながら聴き込んでいた。どこかセクシーで謎めいて妖しげな赤と黒の世界、ミラーボール、土砂降りの雨、とまた訳のわからない謎キーワードだけがスマホのメモに残っている。(余談ではあるが私は全く酒が飲めないことを念のため記しておく)

 そして、教会音楽のような美しい旋律のM3「Reiwa feat.milet」。
カミカゼさんの稀にみる繊細さとロマンティックさが前面に押し出されて、その濃密さにむせ返りそうになりながらも、いつまでも永遠に包み込まれたい誘惑に勝てない一曲だ。そして最も美しい光景をもたらしたのは狼の楽曲では初の女性ボーカルmiletとのハーモニー。特筆すべきはVo.&Gのジャン・ケン・ジョニーの第一声目が息を吸う音から始まる「…Today」。この…部の無音から有音に変わる瞬間、漆黒の闇から一気に世界が総天然色に転じるパノラマビューが拡がりはじめる。美は細部に宿るというが、まさにそう。この部分だけでもう全てが一点の曇りなくパーフェクトに美しい。そして間奏のギターソロ。王道中の王道、泣きのギター。もう痒いところに手が届くというか、どうもこうも居られないくらいに私の琴線に触れて切なくなる。
あの日、海沿いを流している間、まだ日没には早く穏やかな海面に暖かい日差しがキラキラと反射している光景を目にした。エンドレスで流れる「Reiwa」を聴きながら、いろんな困難なことや自分達だけでは解決できないことがこれまでも、これからもたくさん起きるだろうけれど、新しい時代に入る転換期を迎えた今、この国、世界の未来が案外と捨てたものじゃないかもしれないなと全く根拠はないがそう確信できるような気がしてきたのだった。楽観上等よ。

 人は生まれてからずっと自分を表現することで自分と自分以外を区別することを運命づけらているように感じる。だからこそ正気を保てるし目標が持てるし生きていけるのだと私は考える。他方、自分で考え感じているまさに今、こうして書いている私のような状態。果たしてこれは私がオリジナルで導き出した表現なのか、それとも過去の誰かが言ったことを見聞きし焼き直しているだけなのか。それを「私」というフィルターを通して発した時点でカスタマイズされただけのものではないか。
 よく、小説を読んだり音楽を聴いたり写真や絵画を見てハッとすることはないだろうか。「それな!」と快哉をあげたくなるほどの共感、共鳴、共振、デジャヴ。
そして、初めて聴くにも関わらず何度も何度もノスタルジーを喚起するMWAMの楽曲達にまた出会えた安堵感。新鮮なのに何故か懐かしい響きが、新譜でもまた私をより遠く遙か彼方まで連れて行き、新しいビジョンを垣間見させてくれたことに感謝したい。

 最後に。こんな場所だから書ける話をしよう。
実は以前から、若年性認知症を患っている家族がいるのだが、この病気は本当に驚かされることが多い。私達が当たり前だと思っている常識や手段は全く通用しない世界。目の前にいるのに見えないぶ厚いガラスの向こうと隔てられているかのようだ。先週まで出来ていたことが何故か出来なくなる。今まで私は、人生とは経験したことの上に積み上げて刷新されていくものだ、と何の疑いもなくそんな風にとらえていたと思う。昨日より今日、今日よりも明日の方が「より良き方向」に向かって進む、まぁ年を取れば現状維持からゆるやかに下降していくだろうけど、くらいにしか思っていなかった。
 だがここ半年間で彼女の症状は急速に進行し既に家族の名前はもちろん、動詞、名詞、形容詞が何を示しているのか分からなくなっている。そして彼女が何か言葉を発したとしてもそれは本来の意味を持たず、ただの「記号」「音」としてしかこちら側には理解できない。つまり彼女と私達家族を繋ぐ意思疎通の手段がもはやないに等しいのだ。
 しかし最近になって気づいたことがあるという。彼女がいつもやること、習慣づいたこと、了解、という意思を肯定の意味で発する言葉が全て同じだというのだ。

 それは「おんがく」という言葉。
 嘘のようだが本当の話だ。

そのことを聞いた瞬間、たったこの4文字の音が驚くべき情報量を持って家族に伝わっている事実に私は震えるような嬉しいような泣きたくなるような、そして敬虔な気持ちにすらなったのだ。
どういう形であれ、そして当の本人が正確に理解していなくても何かを伝えよう、表現しようというわずかな意思とそれを汲み取ろうとする側のあらゆる想像力と忍耐があれば、言葉はなくても解りあえる可能性が無限にあるのだと信じたくなる。
 換言すれば、私達が何かを表現したいというメンドクサイ欲をどうしても捨て去れないのは、それが勘違いでも幻想であったとしても、その一瞬、孤独から解放される唯一の手段だからではないかと思えてならなかった。
 だから時代が変わっていこうとも、最先端技術やAIが人を凌駕すると予測されていたとしても、心臓の鼓動が続く限り、ワタシがわたしでいる限り、アナタがあなたでいる限り、無限に時間を空間を超えて、どこかでまたいつか解りあいたい。そこでおそらく私は狼達の普遍的な響きを携えているだろうことを夢想するのだ。

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