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箱舟に乗りこんださきで見つけた宝物

BUMP OF CHICKENが信じ続けた音楽の力が作った奇跡

あの夜みた光景が心の中から離れない。
美しくて、切なくて、愛に溢れた、特別な夜だった。
そこにいた50000人が音と出会って、生まれた星空。
始まりから終わりまでが魔法にかかったような特別な時間だった。

BUMP OF CHICKEN ツアー aurora ark
11月4日 東京ドーム、ファイナル公演

私はこの日、彼らの音楽の力をこの目で見た。 
 
 

私は今回のツアーへの参加はこの日で3度目だった。
最初に発表された公演の中で、唯一行ける日程で取った京セラドーム公演。一つでも行けるだけで今年も生きれるぞ!ありがたい!思った。
だけどその後発表されたライブハウス公演はもう考える間もなく申し込んだ。まさかの当選にはもう死んでも良いと思った。
そう思ったくせにバチが当たるのではと思いながらライブハウス公演を見て我慢ができずにさらに欲張って取ったこのファイナル公演。贅沢にも運良く三度の参加が叶った。

おなじツアーに何度も行くなんて、と呆れる人もいるだろう。

ずっと彼らは生まれた曲を私たちリスナーに届けることに真摯に取り組んできた。
それが1人であろうと何万人であろうとずっと同じに。
そういう思いをどうにか伝えようと必死な姿に、歌に音楽に毎回心を打たれて、生きる力をもらい、終わった直後から次に会える日を心待ちにする。何度だってすぐに会いたくなってしまうのだ。私にとって彼らはそういう人たちだ。

どの公演だって特別で大切、彼らはいつでも全力なのだから。
それはいつも感じていたこと。
どんなキャパだろうと1対1×10だったり1000だったり10000だったり、やることは変わらない。
それは彼らが昔から変わらずに言っていること。

十分に分かっていた、受け取ったつもりでいたけど、今回私にとって奇跡のライブハウス公演、しかもボーカル藤くんの目の前二列目という信じられない場所で、「ああ。こういうことか。」とそれをありありと目の当たりにした。

間違いなくここにいる人を飛び越えて、来れなかった人にも、まだ歌を聞いたことがない人にも届けようとしていた。そういう歌と演奏だった。
ものすごく近くにいるけど、とても遠くにいるような、不思議な時間だった。全身全霊という言葉に過不足なく、顔からは少し心配になるほど汗をたくさん流しながら歌う藤原基央の姿は霊性を纏っていた。

それを真摯に見つめながら音を鳴らす3人。
その姿はこうして音を鳴らして歌うことを当たり前と思わず、奇跡だと自覚して、一音一音、一曲一曲が大切なんだと言っているようだった。

ここから発せられた音は様々な時を経て、新たな人が見つけるのだろう。
ずっと前に生まれた宇宙の星のように。
そう確信できるライブだった。

その1ヶ月後のツアー中盤のドーム公演。
席はアリーナ後方だった。ライブハウスで物理的にも精神的にも感じた不思議な距離感の余韻にまだ不思議な時空にいた私の方がこの大きな会場に戸惑った。
ドームならではな演出の凄さに驚き歓喜しながら、ライブハウスの時と何も変わらない姿で歌い演奏する彼らの姿を確認し、一対一の意味を再び見た。この空間に圧倒されながら遠いステージに立つ小さな姿をみて少し寂しい気持ちにもなった。
そんな自分に、なんて贅沢で欲張りなんだ、と呆れた。
(ライブ自体は言うまでもなく素晴らしかった。)
 

そして迎えたファイナル公演。
席は二階席だった。欲張りな私は、アリーナ前方を期待していて、そのほぼ天井席というような場所に一瞬がっかりした。何度も落ちてやっと取れたチケットなのだから当たり前だろうに。
だけどすぐに新たな期待が生まれた。
最高の席かもしれないと胸が高なった。
そしてその期待は期待以上の形で的中した。
 

開演。

セットリストのパターンは分かっていた。

だけどこの日私の中には不思議とまっさらな感動があった。
一曲一曲一音一音、一言一言をこぼさずに聴こうと思った。
自分がそんな気持ちで向かったからかも知れないけれどメンバーもまた、いつも以上にこの大切な時間を大切にしているように見えた。

藤原基央はツアーが、この時間が、終わってしまう寂しさを何度も口にして、その寂しさを歌で演奏で昇華させていた。全身全霊という言葉にも段階があるのなら、その最高段階にいるようだった。いつも以上に魂で歌っていた。

4人で演奏することが、私たちリスナーに会えることがとても楽しそうで、幸せそうだった。
それを今までで一番感じた。遠い席だったけど、一番近くに感じた。距離がゼロになった。
彼らの思いと私たちリスナーの思いが均衡を保って結ばれたような、そんな空間だった。それを席から全部見渡せた。
 

前回のツアーから導入されたでっぱり(花道)で自由に動き回り笑顔を見せてライブをする姿は彼らにみる変化だとも言われているが、

「叱られるって思い込む 何か願った それだけで」(GO)

に表せれる感覚と似たものから解放されたようでもあった。

自分の伝えたいことが伝わらないかもしれない、でも伝えたい。届くかな?どうかな?そんなすこし固さをもった気持ちから、
今伝わらなくてもいい、伝わっている人がいる、大切な仲間がいる。自分たちは自分たちの音楽を鳴らすだけ。
そういう厚い信頼に厚い確信を持って、柔らかな気持ちに変化したようにも見えた。

「初めからずっと自由」(虹を待つ人)

を心から体現しているようにも映った。

そう見えただけで、実際のところはわからない。
だけれども、
その魂の演奏から私は彼らに愛されている、
信頼されている、という絶大な安心感に包まれた。
幸せだった。全員に渡される近年のライブの定番PIXMOBが織りなす星空のような光の一つ一つがそういう気持ちを発しているようにも見えた。

この場所で見た光の数だけ、それ以上の数だけ、物語がある。それぞれのペースの呼吸でそれぞれの物語を生きている。
そのどれもがかけがえのないものである。そういう当たり前を改めて感じることのできる席だった。とにかくその景色は美しかった。

彼らの曲はこのかけがえのない命の分だけそれぞれの形で響いている。ということをこの日私はみた。
もちろん私の中にも確かに響いていた。そういうことを彼らはずっと前から分かっていたんだ。そんな気がして涙が出た。
 

響く鐘の音の様な
あのメロディーはなんだっけ
昨日や明日じゃなくて
今を唄った歌 
(メロディーフラッグ)

メロディの旗を目印に集まった。
その全てがここにあった。

今回のツアーに提げたアルバム「aurora arc」はタイアップの多さにおいても特筆すべきものがあった。
彼らはタイアップするものに寄せない。相手の表現するフィールドと自分たちの表現するフィールドの重なる部分を見出し歌う。だからタイアップしたものにぴったりでありながら、それだけのための歌ではなく、全く関係ない人の歌にもなる。
彼らの曲は一つ一つの存在感がとても大きい。時が経っても色あせることがない。彼らの曲げなかった曲に対する信念がそうさせている。
それぞれに響くものだから、私が解釈している歌詞の世界については書かないけれど、
彼らの歌は人の弱さを歌っている。
それをネガティブなバンドだ、と彼らは言うけれど、
弱さを認めることこそが大きな、しなやかな強さになるのだということを何度も教えてもらった。
こんなに優しい確かに信頼できる歌を他に知らない。
そう言う歌を旗に掲げた彼らもまた、弱くて強くて優しい。

この日、彼らが信じ続けたBUMP OF CHICKENの曲の力を今までで一番音と歌で表現しているように見えた。
曲が音が望む姿になってキラキラと輝き喜んでいるようだった。

気付いたらそんな曲がつくる旗はひらひらとはためく片手に持てるものから大きな船に掲げられるバタバタと音を立ててなびくものになっていた。

BUMP OF CHICKENの曲を追いかけてきたBUMP OF CHICKENが、最高にBUMP OF CHICKENになった。そんな言葉にするとわけのわからないことを思った。
彼らの曲に表現される全てがそこにあった。

幼稚園の頃に出会い、10代の頃からバンドという形で一緒になった4人が大事なものを掴んで離さなかったその先にあるものはaurora arkと言う箱舟を生み出した。
その船に乗り込んで行った航海で見たものは、
曲の旗を真ん中にして一対一のやりとりが生まれたからこそ見られた美しい景色だった。彼らの音楽の力を見た。
それはどんなことがあっても、辛くても、一つを信じて離さずに進んできた彼らだからなし得たものだった。

そういうものを見て、知ることができて、
ああ、自分はもう大丈夫だとおもった。
 

aurora arkの船旅は、かけがえのない大切なものを見せてくれた。

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