2650 件掲載中 月間賞発表 毎月10日
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

旗の下からはじまった二人三脚

BUMP OF CHICKENがくれた、曲という無二の相棒

 
最初に書いておこうと思う。この文章は私という個人が、BUMP OF CHICKENへ宛てたラブレターのような、書きたいことを書きたいだけ書きなぐったものである。
 
 
 

BUMP OF CHICKEN TOUR 2019
aurora ark

私の今回の旅は9月11日の京セラドームでのライブから始まった。
関西圏に住んでいることもあり、当日はシフトを調整してもらい昼過ぎに退勤。職場から直接会場へと向かった。
今までライブに行く日は休みをもらっていたからなんだか変な感じがした。いつもと同じように出勤して挨拶を交わし、同じように働いて、でも、いつもと違う時間に退勤する。手の中のスマートフォンには、朝から会場に赴いている友人たちの楽しそうなツイート。イヤホンからはいつも通りBUMPの曲が流れていた。電車に揺られながら、日常が少しずつ非日常になっていく。

駆け出したくなるほどはやる気持ちを抑えて到着した会場は、既に多くのBUMPファンが思い思いに開演を待っていた。少し天気は悪かったけれども、はためくフラッグを写真におさめたり、友人との待ち合わせなのか電話をしながらキョロキョロする人がいたり。この感じが懐かしくて、思わず目を細めた。
働いてる時は遅々として進まない時間も、会場に到着するとあっという間に過ぎていく。先に来ていた友人に挨拶し、一緒に参加する友人たちと合流、入場の際受け取ったPIXMOBを腕に装着し、そしてライブが始まった。

インスト曲の《aurora arc》に合わせてモニターにはメンバーがイエローナイフへオーロラを見に行った時の様子が流れる。合間に挟まる”LIVE”の文字と、恐らく舞台袖で円陣を組んでいるであろうメンバーの映像にテンションが上がった。もうすぐ、始まる。
 

『もうきっと多分大丈夫』

一番最初に唄われたのは《Aurora》だった。ツアータイトルからしてトップバッターにふさわしい曲。
そして、このフレーズを聴いた瞬間、涙が出た。
やっと、呼吸が出来た気分だった。
 

私は比較的能天気でよく笑い、人と話すことも苦手ではない自覚がある。悩んでいることがないわけではないけれど、生きることに絶望するほどではないし、死にたいと思ったこともない。
だからこそ、抱えている想いがあった。

“物語を持っている人が、羨ましい。”

私はBUMP OF CHICKENが好きだ。心の底から大好きだ。でも彼らの音楽が好きな理由や、好きになったきっかけを訊かれると返事に困ってしまう。
私が答えられない理由を、友人たちはそれぞれにちゃんと持っているのに。
「どうしようもない壁にぶつかった時に聴いたから」「諦めるための勇気をくれたから」
人によって様々だけれども、確かに物語を持っていた。

私が初めてBUMPの曲に出会ったのは、きっと映画館だったのだろうと思う。《sailing day》。あの頃小学生だった私は、大好きなアニメの映画で初めてBUMPの曲と出会っていたはず。
けれどもその時の記憶は全くと言っていいほどないし、覚えていることと言えば、《sailing day》を気に入った母が家で聴くようになり私も覚えたこと。
《sailing day》はこの頃からずっと今も好きだ。でも私がこの時好きだったのはBUMPではなく、《sailing day》という曲。”BUMP OF CHICKENのsailing day”ではなくて、”大好きなアニメ映画の曲”だった。

次にBUMPの曲に出会ったのは中学二年生になった頃。
吹奏楽部に入った私は少しずつ音楽というモノに興味を持っていった。その時ふと《sailing day》を歌っているバンドは他に何を歌っているのだろうと気になった。
今でこそ動画サイトで検索すればMVなどですぐ曲は聴けるけれど、当時はまだガラケーが主流だったしインターネットだってこんなに普及していなかったから、母に頼んでアルバムを借りてきてもらった。

私がよく見聞きする話やフィクションの世界ならここできっと、自分の中で革命が起きるほど、聴いたモノに感銘を受けるのだろうと思う。
でも私はそうではなかった。ただ「どれも好みだなあ」って感じただけだったのだろう。だって初めて聴いた時のことを覚えていないのだから。

その頃のBUMPは、ちょうど活動がゆっくりになった時期で新曲は出なかったし、雑誌に載ることもなかった。ライブだってやっていない。BUMP OF CHICKENというバンド名だけを知って、今までリリースされてきた曲だけを聴いて、メンバーの名前も顔も知らず、特別な理由もなくゆるゆると好きになっていった。
それでもBUMPは私にとって一番好きな音楽だった。一番好きな声で、一番好きな歌詞で、一番好きな音を鳴らす、一番好きなバンドだった。

高校二年生の時、初めてBUMPのライブに行った。応募したけれど当たらなくて、でも友達が当ててくれたチケット。教室で「当たった!」と聞いた時は跳び跳ねて喜んで、思わず抱きついて「ありがとう!ほんまありがとう!」と半分泣いていた。
当日は褒められることじゃないけれど、楽しみすぎて学校をサボったし、会場に入ってから開演までの時間は緊張と期待でずっとお腹が痛くて吐きそうで、正直体調がめちゃくちゃだった。
始まってからは本当に、嘘ではなく一時間半は泣いていたと記憶している。ずっと音の向こう側にしかいなかった彼らが、目の前にいる。大好きな曲たちを、今まさにこの瞬間生で演奏してくれている。顔も名前もろくに知らないのに、それでも私は感動と歓喜で泣いていた。

中学生の私も高校生の私も、何かに悩んでいたわけでもないし、どうしようもない状況に置かれていたわけでもない。
何か特別なきっかけがあってBUMPを好きになったわけじゃない。
こうやって書ける思い出はあるけれど、苦しくて死にたくて、どうしようもない時に出会って救ってもらったから好きになったんじゃない。
悩んで立ち止まって、泣きたいのに泣けない時に背中を押してもらったから好きになったわけじゃない。ただ、たまたま彼らの音楽がとっても好きだっただけ。

当時はそれでもよかった。でも、ライブの楽しさを知って、何回も彼らのライブに行くようになり、彼らを好きな人たちと時間を共にするようになればなるほど、寂しいと感じることが多くなった。
どん底の自分を救ってくれたから、だとか、そういう物語があって彼らの音楽を好きだと言えることが、心底羨ましかった。
特別だって言えるほどBUMP OF CHICKENが好きだから、特別な物語が私も欲しかった。
 

でも、

『もうきっと多分大丈夫』

そう唄ってくれて涙が出てきた時、やっと気付けたことがある。

『溜め息にもなれなかった 名前さえ持たない思いが
心の一番奥の方 爪を立てて 堪えていたんだ』

きっと私が気付いてやれなかっただけで、私の心は何かに堪えていて「やっと呼吸が出来た」と感じたのだと思う。
私の人生に分かりやすい絶望なんてなかったけれど、日々の生活に無意識に圧迫され息を止めて堪えていた心が『もうきっと多分大丈夫』と言ってもらえて深呼吸をすることができた。
小さなことかもしれないけれど、これだって物語だ。
それこそあの日の京セラドームで、物語を持っている人に対する私の中の嫉妬心が、やっと息をすることを覚えたのかもしれない。
私だけの感じ方で唄に呼吸を思い出させてもらったのだから、これも立派な物語だ。

“好き”に理由なんていらないし、理由があるから好きになるというわけでもない。言葉にならなくても、好きだからこそ胸に響いてそれは涙になったり、明日を生きる力になる。
好きという感情に、特別な物語はなくてもいい。小さくとも、些細な感動がひとつの物語になる。それに気付けたことが、堪らなく嬉しかった。
 

今回のツアーは、ライブハウス公演を挟むといっても、2016年のBFLYぶりにドームをまわるツアーだ。会場もとても広い。ライブハウスとドームでは物理的な距離も異なる。それでも今までよりもずっと近くにBUMP OF CHICKENを感じた。

前回のツアーであるPATHFINDERでも導入していた花道が今回も設置されており、そこをフロントマン三人が行き来する。秀ちゃんはずっと動けないけれど、お客さんを含めた誰よりも、ステージ上の彼ら四人が自由で嬉しそうで、楽しそうだった。
チャマが藤くんの方に寄って行って向かい合わせで弾くのは勿論、藤くんとヒロが、チャマとヒロが、とそれぞれ向かい合い笑い合いながら演奏していた。
今までは同じリズム隊のチャマが秀ちゃんに寄っていく光景はよく見たけれど、藤くんだってヒロだって、なんなら四人で輪になって曲を演っていた。
弾きながらも手があいたらじゃれるように肩を叩いたり、本当にいつになく自由で楽しそうだった。それなのに、参加してるこちらが輪に入れていない感じは全くなく、BUMPの曲はいつも通り真摯だった。

私は運良く友人がチケットを当ててくれたおかげで、Zepp Baysideの公演にも参加したけれど、BUMPの4人はドームで演奏してる時と何一つ変わらないまま演奏をしていた。
ドームと同じように、戯れながらも真摯に、胸に響く曲が奏でられていた。

何が今までと違うんだろう。どうしてこんなに距離が縮まったように感じるんだろう。捕まりそうで捕まらなかった、この”理由”を捕まえられたのは、ファイナルの東京ドームだった。
 

今回のツアーではある場所から《GO》の前奏部分で、メンバー(もしくは藤くん)の思い入れがあるであろうアニメなどの歌詞が唄われていた。ドラえもんの主題歌だったり、合唱曲であったり、そういう思い出深いであろう歌詞。
それが、 ファイナル二日目では彼らの別の曲《メロディーフラッグ》からの引用だった。あまりの衝撃で一言一句ちゃんと覚えているわけではないけれど『僕と君で刺した旗 思い出して』とアレンジされた歌詞が歌われた。
 

そして最後のMCでの藤くんの言葉はこうだ。
 

BUMPの曲はずっと側にいる。忘れられても、絶対側にいる。その根拠は、何兆とある音楽を母数にした時、その上にのる1のBUMPを見つけてくれたお前だから、俺たちの曲もお前を見つけたし、一人にしない。
 

随分と要約してしまったけれど、前奏に唄われたメロディーフラッグの後にこの言葉を聞いた時「ああ、そういうことだったのか」と腑に落ちた。彼らがいつになく自由で楽しそうなのに、一切疎外感を感じず、むしろ今までよりもずっと近く感じられた理由が分かった気がした。
これは私の主観でしかないけれど、彼らは「曲”を”演奏する」から「曲”と”演奏する」に変わったのだと思う。BUMPは「曲が求めている音を追求したらこういう曲になった」とよく言っていたし、ライブを見る限り私の中のイメージでは曲がメンバーの手を引っ張って「俺はこういう曲なんだよ!」と走っていた。インタビューでメンバーが「曲に追いつこうと必死だ」と語っていた時もある。

それがこのツアーでは、四人と一曲が手を取り合って横並びになり歩幅を同じくして会いに来てくれた。
共に刺した旗を目印にして、BUMPの曲を見つけた私たちを見つけてくれた。
アルバムに収録された新曲たちと共に旗を刺し、彼らが握っていた曲の手を預けに来てくれた。
星の数ほどある音楽の中から、リスナーが見つけた曲たちがずっと側にいられるように。
 

ツアー中各地で藤くんは「君がどうしようもないほどしんどくなって、生きていかれないとなった時も、気付いてもらえないかもしれないけど、俺たちの曲はずっと側にいる」と話していた。私が聞いた言葉でもあるし、レポートで読んだ言葉でもある。どこでライブをやっても、必ず言っていたのだと思う。

彼らは「聴いてもらって初めて曲が完成する」と繰り返し言うし、そんなBUMPの唄は一方的に救いに来てくれる歌詞ではない。救難信号を出さなきゃいけないし、手を伸ばさなきゃいけない、動かなきゃいけない。助けに来てくれたことに気付いて、なおかつこちらからもアクションを起こさなければならず、一方通行では駄目。
何故ならそれは、BUMP OF CHICKENというバンドの曲に出会った時に共に旗を刺したからで、そこから二人三脚の旅が始まっているからだ。二人同時にせーので足を踏み出さなければ、歩けない。
 

そういえば五年前のツアーのWILLPOLIS2014のファイナル公演も東京ドームだった。
思い出すことといえば、開演前の時間、友人たちと盛り上がっていると某テレビ局のインタビューを受けたこと。

「東京ドームっていう大きいところでLIVEですがどうですか?」

そう尋ねられた私たちは、口を揃えて「それでもBUMPは変わらない」と答えた。
「どんなに沢山お客さんがいても、一対一で届ける」というのは四人がずっと言ってきたことでもあったし、私たちもそう信じていたからだ。何より、信じたかった。そして、実際、その通りだった。距離なんてなかったし、いつも通りのBUMP OF CHICKENのライブだった。

あれから五年後の今、距離は本当に関係がないことを強く確信している。
一番天井に近い、正真正銘ステージから一番遠い席でライブを見たけれど、BUMP OF CHICKENの曲と四人をとても近くに感じた。距離なんて、一切感じなかった。
だって、彼らが生んだ曲が誰よりも、何よりも、側にいてくれた。

私はBUMPの曲は最強で最高のお守りみたいなものだと思っていた。持っているだけで、明日に向かって一歩を踏み出せる、走れなくても少しずつ確実に前に進むためのそういうお守り。
でも、そうではなかった。

私はずっと気付いていないだけだった。「ずっと曲が側にいる」という本当の言葉に。
『もうきっと多分大丈夫』と唄われた時、私は私の中にいる「大丈夫」と言ってくれていた《Aurora》にやっと気付いてあげられた。お守りではなく、ひとりの曲として存在するその声を、やっと聴くことができた。だから、涙が出た。
何にも隔てられることのない言葉が、ちゃんと届いたから。
 

今まではツアーが終わるたびにさみしくて仕方がなくて、心臓にぽっかりと穴が空いた気分だったけれど、今はさみしくても満たされている。
持っているだけのものだった曲というお守りが、一緒にこの先の人生を歩んでくれる相棒になったからだ。

一人だけど、独りじゃない。
心の中に、曲という相棒がいる。
さみしいけれど、ひとりぼっちは怖くない。
 

私はBUMP OF CHICKENが大好きだ。
死にたかった時に救われたわけでもないし、悩んで立ち止まって立ち竦み、絶望した時に背中を押してくれたわけでもないけれど、些細な普通の日々を共に生きてくれるBUMP OF CHICKENの曲と、その曲を生み出す四人が、大好きだ。
だから、これからも応援させてください。
 
 
 

BUMP OF CHICKENというバンドとその曲たちへ。

ベイビーアイラブユーだぜ!
 
 
 
 
 
 

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい