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にわかに吹く風のような人「志村正彦」が残したアンセム

フジファブリックの読むべき音楽『FAB LIST』と『志村正彦全詩集』の相互作用

風の役目について考えてみた。木の枝を揺らす。落ち葉を転がす。花びらを散らす。種子を運ぶ。雲を流す。星を瞬かせる。影や炎を揺らめかせる。凍える寒さを突き刺す。春の温もりを与える。時に暴風となり、すべてのものを巻き上げ、大きな爪痕を残す。香りを運んでくれる。音を届けてくれる。癒しと衝撃をもたらしてくれる。そしてにわかに心をざわつかせる…。
風はそれ自体に形はないけれど、このようにいろいろなものに影響を与えるため、存在感があり過ぎる。

私はフジファブリックのにわかファンだと思う。だから長年のファンの人たちより、知らないことが多いかもしれない。けれど、にわかファンなった今、自分が感じ取っているフジファブリックの良さ、特に志村正彦について発信したくて、今回改めて書いてみることにした。

以前、2回に渡って音楽文に書いた通りだが、Mステで披露された「若者のすべて」があまりにも印象的で、忘れられなくて、今年の夏の終わりは「若者のすべて」と共に過ごしていた。夏が過ぎれば「赤黄色の金木犀」の季節がやって来た。この夏、リリースされたベストアルバム『FAB LIST 1』を聞いていて、1番好きになった曲だった。

今年の夏は「若者のすべて」を聞きながら、花火を眺めた。秋になると「赤黄色の金木犀」を聞きながら、金木犀を探した。金木犀は旬を逃してしまっていた。台風の後、1本だけ、金木犀が咲いている木を発見することができた。交差点の横断歩道で信号待ちをしていた時、ふいに風が吹き、甘ったるい香りが風に乗って、私の元まで漂って来た。辺りを見回すと、横断歩道を越えた先に、赤黄色の花をつけた立派な木を発見した。ずっと探し求めていた金木犀の大木だった。青信号に変わると、慌てて横断歩道を渡った。近付いたのに、香りは弱かった。そうか、金木犀は風があった方が香しいんだと知った。むしろ風がないと香らないのかとさえ思った。

志村正彦もそうなのかもしれない。もしもアーティストになっていなければ、音楽という風と出会っていなければ、こんなに存在感を残すことはなかったかもしれないと気付いた。彼の紡いだ叙情的な歌詞の数々と、独創的なメロディが風となり、この世の中を疾風のごとく駆け巡った。その颯は勢いがあり過ぎて、あまりにも早く途絶えてしまった。風が通り過ぎた痕跡だけを残して。

『FAB LIST 1』を聞いているうちに、「銀河」や「陽炎」のメロディには中毒性があることを知った。たった数回しか聞いていないのに、妙に頭に残るメロディで、特に<タッタッタッ タラッタラッタッタッ><パッパッパッ パラッパラッパッパッ>と反復される「銀河」の擬音語のあたりは知らず知らずのうちに頭の中でリピートされ、恐怖心さえ感じた。これをずっと聞き続けたら、ヤバイと思った。気が狂いそうになるメロディだと思った。悪い意味ではなく、良い意味で。思わず覚えてしまう言葉の数々は良く効く薬のようで、量を間違えると毒にもなってしまうような、それくらい私の心に強い影響を及ぼした。志村正彦の瞳、彼の世界に引きずり込まれる楽曲だった。

私は自分の世界をキープするために、聞き続けたいのにそのアルバムを聞くことをやめた。それでも彼の世界の続きがどうしても気になった。もっと知りたいと思ってしまった。一度かかった中毒からは簡単には抜け出せなかった。

聞けないなら仕方がない。歌詞を読もうと思った。地元の書店をふらふらしている時、ふと目に留まったのが、『志村正彦全詩集』だった。新装版らしい。田舎の書店なのに、店員さんのコメントが書かれた手書きのポップまで添えられていて、在庫はわずかになっていた。水色鼠という和名の色があるらしい。それに似た、少しくすんだ淡い水色の紙を使った装丁にも心惹かれて、ついつい購入してしまった。サウンドを聞かなければ、歌詞を読むだけなら、中毒にはならないだろうと安易に手を伸ばしてしまった。
アルバムを聞いている時ほど、苦しくはならなかったけれど、それでもやはり志村正彦の世界に吸い込まれてしまった。歌詞だけ読んでいると、有名な詩人の詩集を読んでいる気分になれた。
気付くと気に入ったページにふせんを貼り始めていた。本当は本にはふせんを貼ってはいけないらしい。跡が残ってしまうから。でもこの詩集には印を付けずにはいられなかった。私はむしろ跡を残したかったのかもしれない。志村正彦の言葉を心に刻み込みたくて。
1時間ほど、その危うい本と向き合い、彼の世界にどっぷり浸かった。世間が天皇即位礼正殿の儀で厳粛なムードに包まれる雨の日のことだった。私はテレビも付けずに、読み耽っていた。

彼の時間は平成21年12月で止まってしまった。それなのに、令和時代になった今もなお、こうして彼が残した歌の数々が色褪せることなく、新たな風と出会って、また世の中に広がりを見せている。それはすごいことだと思う。一時的にヒットしただけでなく、新たなファン層も獲得しているのだから、もしかしたら彼は風になって、この世に留まっているのかもしれない。どこかにいてほしいと願いたくなる。

彼の激しいロックにはかなり中毒性があるものの、バラードナンバーはさらに格別だ。前述した「若者のすべて」、「赤黄色の金木犀」だけでなく、「茜色の夕日」、「笑ってサヨナラ」あたりもじんわり心に染みる。繰り返し、何度でも聞きたくなる。

<茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました>「茜色の夕日」

<ここ何週間か僕は独りで色々考えてた>「笑ってサヨナラ」

志村正彦という人は自分と向き合うことが得意なのだと思う。普通なら目を背けたくなる過去も、早く忘れたいと思う悲しみや切ない気持ちも、ちゃんと目を逸らすことなく、あのまっすぐな瞳で見つめることができるのだ。すごい人だと思う。自分と向き合うことが苦手な私は彼を尊敬したくなる。そして真似して自分も過去を振り返りたくなった。

<笑ってサヨナラしてから間違い探しをしていた どうしてなんだろう 間違い探しをしていた>「笑ってサヨナラ」

どうして私は彼が生きている頃、彼の音楽に出会えなかったんだろう。できればリアルタイムで、彼の音楽を感じたかった。何か間違った生き方をしていたかな。たぶんあの頃は余裕がなくて、時間はあるのに忙しすぎて、彼を見つけることができなかった。風を感じることもなかった。ゆっくり歩くことさえなくて、金木犀の香りにも気付けなかった。

でも、彼が残してくれた数多くの楽曲が今のフジファブリックや他のアーティストたちにも歌い継がれ、消えることなく、輝きを増していることによって、鈍感で疎い私の元にも彼の音楽がやっと今年届いた。さすがにスルーはできなかった。あまりにも繊細で、強烈で、思慮深くて、病み付きになってしまった。

もしも彼が生きていたら、彼は今39歳だ。私と2歳しか違わない。年齢は近いのに、存在感が圧倒的過ぎる。歌詞だけ読んでいるとシニア世代にも思えるし、サウンドを聞けば永遠のティーンエイジャーのようにも思える。不思議な人だ。

『志村正彦全詩集』は読むべき音楽だった。読めば中毒性のあるメロディが襲ってきた。そしてまたアルバム『FAB LIST 1』を聞きたくなり、聞いてしまっている。

「茜色の夕日」においては<そんなことを思ってしまった>というフレーズがあるが、その後にすぐに<しまった しまった>と繰り返される。つまり、同じ<しまった>という言葉ではあるが、前者が動詞に続いて使われる後悔などを意味する<しまった>であり、後者は文頭で<しまった!>というように失敗に気付いて発する言葉であり、両者は厳密には単純に繰り返される同じ言葉ではないと考えた。一見、簡単な言葉なのに、よくよく聞いていると意味合いが違ったりするから、やはり彼は言葉を操る天才だと思う。

もしも退屈している人がいるなら、彼が残してくれたフジファブリックの楽曲を聞くことをお勧めする。最高の暇つぶしになるから。

駅前の花屋さんの娘に恋するより、電車の中でちょっと聞いてみたらいい。
現実逃避したい時、逃避行したい時、聞いてみるといい。
たちまち志村ワールドにトリップできる。

<どこに行きましょうか?と僕を見る その瞳が眩しくて そのうち消えてしまった>「花屋の娘」

その人は、花火の火の粉や金木犀の香りを運び、そして音符に乗せた独自の言葉を叫ぶ、空を駆け巡る風の様。
その時、金木犀の木の間を風が通り抜けて、たしかに彼の歌声が聞こえた。

最後に触れておきたいことがある。2008年、フジファブリックの地元山梨県、富士五湖文化センターでライブが開催され、「茜色の夕日」が演奏される前、志村正彦が静かに語ったMCの内容を最近知った。長いので簡単に要約すると、「音楽をやっていて、楽しいことばかりじゃなくて、喜びを感じることなんて一瞬しかなくて、やっと今日今までの苦労が報われた」というようなことを淡々と語っていた。彼ははしゃぐわけでもなく、過去を噛みしめるように、慎重に言葉を選びながら、話していた。
そういう彼のMCを知って、ますます彼に惹かれた。本当に何でもだけど、たとえ楽しくて始めたことでも、夢を持って自ら取り組んでいることでも、報われないことの方が多い。結局自己満足で終わってしまって、世の中には才能の塊みたいな人がたくさんいて、自分なんてとめげそうになることが多いから、心を代弁してもらえた気がした。

彼にとって、音楽と向き合うという行為は己を正常に保つための行為でありつつ、没頭し過ぎると、正常ではいられない行為でもあったのかもしれない。その行為によって救われる反面、時にはつらくなることもあっただろう。
彼の音楽は常に危うくて、ギリギリ正常だから、それが魅力的だったりする。
派手なロックサウンドに、巧みな言葉が並べられていて、サウンドは外向的なのに、言葉は内向的でもある。
型にはまっているようで、枠から飛び出してもいる。
とても正常で、冷静に見極める目を持ちつつ、時に狂人的でもある。
私は彼のそういう部分に惹かれた。
彼が生み出したバラードはそよ風のように爽やかで、ロックは疾風のように刺激的な印象を与える。
轟いた雷と出会った時のように、心が震えた。
フジファブリック初心者だけど、多くの人たちにお勧めしたくなった。

以前、私は彼を金木犀の香りのような人と形容したが、少しだけ補足したい。先にも述べたように、香りを運ぶ風のような人だった。彼は時にさやさやと心地良くなびく風であり、時に帽子を飛ばしてしまうくらい、にわかに吹き付ける颯でもあった。
彼が残したアンセムが風に乗って、消えることなく鳴り響いていて、私の心はずっとざわついている。
『志村正彦全詩集』という読むべき音楽と出会って、私はそういう風を感じた。

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