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Mrs. GREEN APPLEはきっとこれからも誰かを救う

「Attitude」に込められた「遺言」

Mrs. GREEN APPLEこと、ミセスをわたしは長年追いかけてきた。

いまやポップチューンの代表のようにうたわれ、ドラマや映画主題歌、CMソングなどに引っ張りだことなったミセスだが、彼らの曲には「ポップ」という表現では収まりきらないほどの深みと、切実な叫びが秘められている。

楽曲やライブ、さまざまな形態はあれど、彼らの創りあげる作品にわたしは毎回影響を受けてきた。
彼らの作品は、時には共に笑い合う親友となり、時には力強く鼓舞してくれる師匠となり、そして時には黙って寄り添い、支える存在になってくれた。

彼らの最新アルバム「Attitude」にもこれ又わたしは良い意味で期待を裏切られ、驚かされた。

今回のアルバムのタイトルにもなっている楽曲「Attitude」は曲調といいMVのつくりといい、一見すると軽快なポップソングのように聞こえるのだが、明るい面持ちのサビの最後にふっ、と落とす言葉が衝撃的なほど重く、意味深長なのだ。

「産み落とした子達は
私のそう、心臓」

2番のサビの最後に落とされたこの歌詞だが、「産み落とした子達」というのはミセスの楽曲、もといボーカルである大森元貴が作詞作曲をしてきた全ての曲のことを指しているのだろう。
それが自分の「心臓」だと彼は唄っている。

「心臓」はもちろん人間にとって一番大切な場所であるし、言い換えれば急所でもある。
当然のようで衝撃の事実を言えば、彼らも永遠に活動を続けるわけではないだろう。
いつかは動き続けている「心臓」が止まるかのように終わりが来るだろうし、彼らの創った曲が過去の遺産になる日だって来てしまう。

「書き綴られた歌は
私のそう、遺言」

「遺言」と呟くようにこの曲は終わる。
大森元貴にとって紡いでいる曲は「私の心臓」であり、「私の遺言」なのだと分かる。

「遺言」とは死んだ後に遺される故人の意思だ。
彼は自分が伝えたいことを歌に込め続けてきたのだろう。
たとえ自分の活動が終わっても、「心臓が止まっても」伝えたいことを曲に刻みつけているのだ。
そこまで彼が遺したいものは一体何なのだろうか。

「永遠は無いんだと 無いんだと云フ
それもまたイイねと笑ってみる
輝けばいつかは光も絶える
僕らは命の火が消えるその日まで歩いてゆく」
《インフェルノ》

永遠は無い、と繰り返される。誰かが囁く。
それに対し「それもまたイイね」と笑うのは大森自身だろうか。
この笑いというのは楽しい笑いではなく、どこか皮肉って笑っているように感じる。

「永遠は無いんだと 無いんだと云フ
やっぱ苦しいねと泣いてみる
風船もいつかは萎むか割れる
僕らは命の泉を護り続けて繋いでゆく」

2番のサビでは、ついに苦しいと泣く。
「光」も「風船」もきっと彼ら自身のことを指している。
どちらも絶える、割れる(もしくは萎む)といったように終わりの描写がなされている。

しかしそのあとに、歩いてゆく、護り続けて繋いでゆくといったように「次、もしくは未来」への意思を示し、道標を立てている。
この歩いてゆく、繋いでゆくというのが先程も出てきた「遺言」に相当する行動なのだろう。
『火』はいつか消えて絶えるが、『泉』は護り続ければ枯れることなく湧き出し続ける。
「永遠は無い」と言われ知りつつも、彼はそれにかたくなに反抗し、傷つきながらも未来に向けて何かを繋ごうとしているのではないだろうか。

特に今回のアルバムでは「愛」について語られる歌詞が非常に多い。
大森が繋ぎ止め、遺したいもの、それがまさしく「愛」なのではないだろうかとわたしは思う。

「貴女に刺さった棘を食べて
哀しいのも寂しいのも 私だけで良いのさ
何にも負けないその貴方の笑顔が
悲しみで溢れる事が無いように」
《クダリ》

「クダリ」では、大森自身の本音が垂れ流される感情的な歌詞が多い。
彼は、「貴方」の笑顔を護るために、棘を食べ、哀しさや寂しさを自らが背負おうとしている。
一緒に背負おうとするのでもなく、ただ自分が傷つくことで「貴方」を護ろうとする。
確かに彼はこの中で愛を唄っているのに、愛されることを求めない。それどころか人の傷を請け負って自らまた傷つこうとしている。

「でも心のどっかで 助けてほしいんだろうな」
《クダリ》

「助けてほしいの 温めてほしいの
その感情がさ 私の弱さだ」
《嘘じゃないよ》

「クダリ」含む曲の所々で、自分を助けてほしい、という歌詞もみられる。
しかし「嘘じゃないよ」ではその感情を自分の「弱さ」だと言い切っている。
助けて欲しいという感情は自然なもので、何も弱さというべきものではないはずだ。
それでも大森にとってその感情は予想外であり、上手く解消できず、叶えられない感情なのかもしれない。
伝える、伝えないは別として、愛することはできるが、愛されることを何故か受け入れられない。
そんなジレンマが感じ取れる。

「まとまりきらない愛も
悲惨に沈むなら

離れるのは
別に貴方のせいではないよ
嘘じゃないよ
笑ってるのは
無理をしているわけではないよ
嘘じゃないよ

嘘じゃなくないよ 嘘じゃないよ」
《嘘じゃないよ》

この曲では、「嘘じゃないよ」と繰り返されているが、最後に一文だけ「嘘じゃなくないよ」と入る。
この最後の一文で、嘘じゃなくないことが嘘じゃない(ややこしい…)となり、彼の真意は全て「嘘じゃなくない=本当」ということになる。

曲を通してこれ以外にも「嘘じゃないよ」といくつも唄われている。それらが全てひっくり返されるわけなので、是非紹介したい所なのだが、歌詞を全文載せると長いので、曲を実際に聞くことをお薦めしたい。

「愛」という感情は確かに有るのに、助けてほしいとすら思うのに、悲惨に沈むことを恐れて離れてしまう。
無理をして笑ってまで、彼は愛を伝えずにいる。
傷ついてまで、弱さを隠せずにいる。
しかもその傷や無理を隠し、嘘をついてまで愛を唄う。
大森自身が、まさにわたし達に伝えようとしている「愛」を誰よりも強く願って、求めているのだ。

「愛を愛し
偉大に恋する
僕らもそうさ人間さ」
《ロマンチシズム》

「どうか続くといいな
あなたに降り注ぐ愛の全て」
《lovin’》

わたしの主観だが、大森元貴は紛れもなく天才であり、輝きを放っている存在だ。
そんな彼であっても、「僕らもそうさ人間だ」と唄う。
特に「ロマンチシズム」という曲は「人類愛」をテーマにして創られたという。
どれだけ隔てがあったとしても、彼もわたし達と同じように恋をして、愛を願うひとりの人間なのだ。

「人への思いやりは
今、廃れがちさ
君が気づいていないなら
それは、哀しいこと」
《How-to》

気づいてほしい、と彼は唄っている。
新しい時代になるたびにどんどん塗り替えられていく世の中だけれど、それでも「人への思いやり=愛」が廃れるのを彼は哀しいことだと嘆いている。

「愛は見えなくたっていい
心で感じ合えばいい」
《Circle》

彼自身は愛に傷つけられたり悩むと同時に、
どこかで確かに愛の存在を信じているのだろう。
心で感じられるものとして、そして何より、誰かと寄り添って感じ合えるものとして。

まとめに入る。

彼、もとい彼らの願いは、「愛や思いやりを廃れさせずに繋ぎ、遺すこと」だとわたしは思う。
歌詞の中には泣き叫ぶようなものや、傷の痛みをじっと耐えるような表現もあるけれど、それでも伝えたいことを彼らは身を呈して奏でている。

ならばわたし達は彼らの「遺言」をしっかりと聴き、全身全霊で受け止めるしかないだろう。

「どちら付かずのラブが
時に救いになる」
《Viking》

愛や思いやりは目に見えないけれども、わたし達は愛を確かに感じられるし、これらの感情を受け取ることで人は救われるのだろう。
わたしも辛い時、ミセスに何度も救われてきた。
孤独な人に寄り添い、傷を負えば痛みを分かち合ってくれる、彼らの曲はそんな力をもっている。

きっとMrs. GREEN APPLEはこれからも愛を唄い、誰かを救う。
そして何より、誰かを救うだけではなく、彼ら自身をも救う音楽を奏で続けるのだろう。

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