2650 件掲載中 月間賞発表 毎月10日
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

私と音楽の間に

BUMP OF CHICKENを介して教えてもらった普遍

この数年、馬鹿みたいにBUMP OF CHICKENの曲を聴いている。
馬鹿なんて表現が適切かはわからないけれど、自分でもこんなに聴いて、馬鹿みたいだなあ・・と思いながら聴いている。

生活用品を買いに出るまで数十分の運転が必要な田舎の山暮らし。
車のカーステレオにスマホのBluetoothを繋いで運転するこの数十分は、ほとんどをBUMP OF CHICKENの曲と一緒に過ごす。

こんなに同じアーティストの曲を何回も聴くことはこれまでなかったと思う。

惹きつけられ尽くした。と思っても、
これは依存なの?と気分を変えて他のアーティストの音楽に触れてみても、
(これはこれで素晴らしい音楽に出会えて良いのだけれど)

再び聴いたときには曲に含まれた世界に私の脳は『良いものは良い』と判断する。
新たな感動を覚え、それを何百回も繰り返しているのだから、
『私の脳は学習能力がないのか?馬鹿なのか?』と考えてしまう。

(20年もの間、第一戦で活躍するアーティストなのだ。全く失礼にもほどがある。)
とにかくそれくらい、わたしにとって深い世界が一曲一曲に含まれているのだ。
 

BUMP の歌を散々聴いたあとに歌詞カードを見ると、
えっ 文字数これだけ?
と思うことが良くある。
歌詞から汲み取ることのできる世界観の広さと深さに驚く。
 

これだけ短い文字や音楽の中に情景を詰め込むことができる
詩の世界、音楽の世界、
それをするBUMP OF CHICKENとはすごいものだ。
と何度だって感動する。
 

今でこそそう思っているが
最初から彼らの曲を聴いて歌詞や音楽の世界に感動していたかというとそうではない。
 

BUMP OF CHICKENとの出会いはきっと私と同世代前後の多くの人がそうであったように、天体観測のヒットの頃だった。
その後のアルバムも何枚かiPodに入っていて、中・高・専門学校と、10代の頃は割と聴いていた。
芸能事情には周囲に比べて疎く、なんとかついていかなくちゃ、という気持ちで音楽を聴いていたところがあった。
レンタルCD屋でランキングを見て借りてきたり、周りに合わせて音楽番組を見るようになったり。
こういう動機の中でもそれなりに曲を聴くと当時を思い出すくらいには体に音楽は染み付いていると思う。
 

BUMPの曲はメロディーが好きだった。
曲調が曲によって様々なのに、『BUMP OF CHICKEN』というカラーを感じることができる楽曲に惹きつけられていたと思う。
独特に思える他の歌とは違うような言葉の使い方もなんとなく魅力的とも思っていた。
存在感は私の中では大きかった。
『BUMP良いよね!』って友人にも言ったこともある。

でも、当時は歌詞の世界は受け取れていなかった。
BUMPに限らずほとんどの曲がそうだった。
BGMとして音で聴いていて、歌詞を聞き取り、読み取る能力に乏しかった。
ほとんどレンタルで借りて、MDに録音するので精一杯。
歌詞カードを読み込むほどの余裕はなく、曲と曲名、どんなことを歌っているのかは一致していなかったし、そこまで熱心にはなれなかった。
好きな曲を歌う友人を見ては、よく歌詞を覚えられるなあ。。と感心していた。
歌うことが苦手だったのもあると思う。歌詞に共感できない私は劣等感を少し持ちながら
好きなメロディーを鼻歌と断片的なフレーズで歌った。
でもそんな中であっても、「かさぶたぶたぶ」を聴いて、優しい歌だな。と思った。
 
 
 
 

就職を機に、数年音楽とは全く離れる時期があった。
実家に帰った時などに年末の音楽番組を聞いて、その年のヒット曲や懐かしい音楽を振り返りながら音楽っていいな。
って思うことはあっても、日常に音楽を聴く気持ちの余裕がなかった。
 

そういう日々を経たある日、
今となってはあんまり良くわかってなかったと思うけれどその昔『BUMPいいよね!』って言っていた私のことを覚えていてくれた友人からの誘いで彼らのライブに行くことができた。
 

BUMP OF CHICKENの存在を知って10年近くが経っていた。
生まれて初めてのライブだった。
緊張しながら行ったその日、一瞬でその歌と演奏に心奪われた。
こんな人たちが歌っていたのか。芸能人を見たのは初めてだった。
イメージしていた『ロックバンドの人』とは少し違って
とても謙虚で、まっすぐ音楽を奏でているように映って、
テレビで見たことのあるアーティストのライブとも違ってステージには4人しかいなくて、
それがかっこよかった。

観衆ももっと激しいのかと思ったけど、思っていたよりずっと丁寧に聴いているように見えた。

同世代が多いのかと思ったら、ずっと若い人もいるし、私の親世代の人もいる。
その空間から、なんか、すごいな。と思った。

周りのノリに合わせて、耳で聞いて歌った歌詞はきっとほとんどがデタラメだったけど、
生で聴けた天体観測に鳥肌が立ち、知らない曲、聴いたことある気がする曲、最初から最後までをいろいろなドキドキを胸にしながら食い入るように見た。
幕張メッセから駅に向かう道中、綺麗に浮かんでいた月を見ながら興奮気味に『ボーカルの人の声が耳から離れない!なんか、謙虚で素敵な人だね!鳥肌立った!!』と誘ってくれた友人に言ったことを覚えている。

感動を忘れられず帰ってすぐにそのツアーのまだ申し込み可能な公演を見つけ生まれて初めて自分でライブのチケットを取った。
そして数ヶ月後、人生2度目のライブを経験する。
やっぱりかっこいい!好きだ。と思った。バンド史上初だというライブ映像作品は予約して買った。
 
 
 

その後、家業に携わるため首都圏から地元に戻り、環境が変わったことで再び余裕をなくした私はまた音楽から離れる日々を送った。

あっという間に2年が経った頃、ふと、数年前に行ったBUMPのライブを思い出した。
しばらく手にしていなかったBlu-rayを見返して、急にまた行きたくなった。
ツアーをしているのか探してみると、ちょうど、スペシャルライブが映画館でも中継される時ですぐにチケットを取った。

前回行ったライブは久しぶりのツアーだと聞いたけど、その後は毎年のようにライブをしていたことを知った。
新曲が増えて知らない曲ばかりだったし、家族を誘ったことでなんだかその反応が気になってしまってこそばゆかったけど、スクリーン越しに変わらず、いい声で、かっこいいなあ。と少し、温度が戻った。
その後も情報を追うことはしなかったけど、1年後、どうしてだか急にまた行きたい、と思いたつ。
直近だと日産スタジアムのライブがあって最後の抽選を受け付けていた。
無理かな・・と思いながら応募すると当たらなかった。そういえば、初めてのチケット落選を経験し、すごいな。と思った。
その後夏フェスにも出ることを知り、そちらのチケットを取った。
生まれて初めてのフェスはとっても楽しかった。
様々なアーティストの曲の魅力に触れ、やっぱり音楽っていいなって思いながら、待ちに待ったトリで登場した彼らは一言で言うと圧倒的で、初めて聴いたライブの時より、さらにかっこよく厚い音を鳴らし、歌っていた気がした。
生でみるのは4年ぶり。ついに会えたと震えた。
ぎゅうぎゅうの満員電車のように片足立ちになりながら聴いた。
隣の母くらいの年の人が泣いていたのが印象的に記憶に残った。

これを機に完全にBUMP熱を取り戻した私はそこから、彼らの情報を追ったり、過去のCDやDVD、雑誌を集めるようになる。
今年20周年だったのか、記念ライブもしたのか、、SNSもやってたのか、、最初のライブのあの時から追っていられたら良かったとブランクを恨んだ。

知れば知るほど、4人の人柄にも、曲にも惹かれていった。
自分たちのことよりも何よりも『曲』を聞いてくれ、ということをずっと前の10代の頃から言っていたことを知り、すごいな、かっこいいなと思った。
手に入れたどの雑誌をみても、要約すると大体ずっと同じことを言っていた。その一貫性もすごいと思った。

損得勘定よりも自分の信じることを表現することに真摯に取り組むことが、確かな道であると体現している人たちだと思った。
それは時代の流れにも飲まれつつある家業の自分の仕事の行く道をどうするか、ということに不安も感じていた私にとって希望でもあった。
信じる自分たちの音楽の本質を真摯に届けることをして、これだけの人を惹きつけていることや、彼、彼らの音楽に対する信念や姿勢を見て、
彼らにおける”音楽”を自分の今の仕事と重ね置き換え、自分の行く先を、確かに信じたいと思うようになった。
こうしてBUMP OF CHICKENという人たちがお守りになった。心の中でお守りをぎゅっと持つと前を向ける気がした。

”借り物の力で構わない 
そこに確かな鼓動があるなら
どうせいつか終わる旅を 僕と一緒に歌おう”
<HAPPY>

車で流れた何回も聴いていたはずの曲の言葉が、私の中で響いた気がした。こういうことなのかな。と、詩に共感できたことにちょっと感動した。
 

少しずつ過去のCDを集める中、『orbital period』が届いた。
このアルバムはずっと前から自分のiTunesに入っていたからすぐには買わなかった。多分ずっと昔にレンタルで入れたんだ。

綺麗な装丁のこのアルバムを手にした嬉しさや、すごい作品を作ったんだなあ、という感動も感じながら、
ボーカルの藤原基央がイラストとストーリーを手がけた物語の載ったブックレットを読んだ。
BUMP作品が増える喜びを感じて開けたのだが、すぐさま頭をドンっと殴られたような感覚になった。

そこに描かれた、物語の冒頭部分の自分の行動を省みずに自分の思うままに振る舞う王様が自分と重なった。
歌詞を読んで聴いてアルバムに収録されている『ハンマーソングと痛みの塔』で歌われた塔の上に自分がいた。
『才悩人応援歌』の一節に串刺しにされた。何回も聴いたことがあったはずなのに、こんな感覚は初めてだった。

この頃の私は、BUMPに心の安らぎをもらいながらも、
自分の意思で実家に戻ったはずだけど、田舎で生計を立てることや、自分の将来への不安を抱えていた。
ちょうど重なった、「地方創生」は若者やUターンということに光を当てた。
取り柄も実力もないけれど若い自分がなんとかしなきゃ、と自分の力量以上のことをしようとしたし、できる気がしていた。
なんだか翻弄されているようでもあった。自分で勝手に。
『信じること』が何か迷った。

自分で選んだ場所なのに自分の居場所があるような、ないような、そんなことを考えたりもして、不安や不満に飲まれた私の心は余裕をなくし身近な人に対しても、ぞんざいな態度をとることもあった。孤独に思えた。

もっとこうしたらいいのに、こうだったら良かったのに、こんな場所だったら幸せになれるかな。このままここにいていいのかな。。。
周期的に湧き上がる気持ち。そういうことを繰り返しているうち、つまるところ、自分の事ばかり考えている気がして、大人になれない自分がさらに情けなく、そんな自分を心底嫌になっていた。こんな年齢にもなって。と。でも抜け出し方がわからなかった。
 

苦しい、苦しい、と思いながら、それを周囲のせいにして痛みの上にあぐらをかいているのは自分だったのかもしれない。
自分の苦しみに気を取られ、一つ一つの地道な努力を怠っている自分の姿もその時見えた。
自分の姿が見えたら、よく考えたら見下していたかもしれない周りの人たちの顔が浮かんだ。その人たちは本当は自分よりずっと高いところにいた。

このアルバムを通して投影されたこれらに、急に自分が猛烈に恥ずかしくなって、泣いた。

このアルバムが出た頃のメンバーと同じくらいの年齢になっていた。
真理を歌う彼らの存在が見えて、それもなんだか辛かった。

たくさん私の心に何かが刺さってきたけど、でも、アルバムを全部聴いたら、やっぱり根底には大きな優しさがあった。
それも泣けてきて仕方がなかった。アルバムに詰め込まれた音楽の世界観にも圧倒された。一つの作品だった。
 

ランダムに聴くことが多かったから気づかなかったけど、
ずっと前に優しいと思った『かさぶたぶたぶ』が入っているアルバムだった。
なんで気がつかなかったんだろう。と過去の自分に呆れた。

これをきっかけにして、さらに私の中のBUMP OF CHICKENの音楽、アルバムを聴くことに深みがました。

たくさんの曲に力をもらい、勇気をもらい、慰められ、背筋を伸ばされた。
少しずつ、借り物の力を借りながら前よりは”まし”に生きられるようになってきた気がする。
 

メロディーは宇宙のごとく情景を無限に浮かび上がらせる。
BUMP=宇宙と、イメージが定着しているけれど、
歌詞に宇宙要素が感じられなくても彼らの歌そのものが宇宙だった。
音と、言葉、言葉と言葉の隙間に浮かぶ景色のスケールの大きさは、尽きることなく広がっていく。
 

そういう感覚が生まれてきた。

自分の心と向き合ってる時間だからなのかな?
彼らの歌のスケールは”深さなど測れない”心の中の大きさなのかもしれない。と思った。
 

歌詞の世界を読み取れなかったのは、読み取ろうとしなかった、向き合っていなかっただけだ、とも思った。
 

急に、作詞作曲を手がけるボーカル・ギターの藤原基央が雑誌の連載で「僕たちは向かい合った鏡です。」
というようなことを書いていたことを思い出した。
読んだ当時は分かるような、分からないような、さすがの観念だな、と思った。
曲に自分を映し出すようになって、本人の真意はわからないけど、だいぶ後になって納得した。
自分たちの音楽にそういう要素、力があるという確信からくる力強い言葉だと感じられ、改めてすごいな。と唸った。
 

僕らの音楽は、お互いに近づいてきて完成する。というようなことも何かで言っていた。

私のこれまでのBUMPの音楽との距離感を振り返り、その通りだ。と思った。
ただ、いい音楽いい歌詞を作るだけではない、自分たちの音楽はどういうものなのかを理解している、信じているからこそ言えることだとも思った。
 

震えた。
 

触れる面積が大きくなるほど、いつも彼らが言っている『1対1』ということや、ライブ中や雑誌で発せられた言葉が自分の中で納得できるものとなって落としこまれる。
それは適当な上部だけのことは言わない彼らである証明でもあった。
 

彼らの音楽の価値や信頼が前よりもずっと大きくなった。
前よりもずっと距離が近づいて、彼らからのメッセージとしてストレートに曲を受け取るようになった。
 

私一人ですら一つの物事に対してこんなに気持ちが変わるのだ。
一人一人、同じ時に同じ気持ちになどなれないのだ。
そういう当たり前を知り、同じ気持ちになりたかった自分に気づいた。

私一人ですら一つの物事に対してこんなに気持ちが変わるのだ。
曲の受け取り方もそれぞれなのだ。
自分の価値観と人の価値観が違うことを恐れる無意味さが腹に落ち、心のどこかで同じでいたかった気持ちがあった自分を知った。
 
 

彼らの曲とのやりとりを通して、いろいろな普遍を咀嚼し直す。
そうすることで、少しずつ、硬くなっていた心がストレッチされほぐれていくようだった。

彼らの曲と向き合ったこの数年
当たり前にわかっていたつもりの”自分の心次第で見え方が変わる世界”を実感した。
知らなかった自分に出会った気もした。それは、自分を生きる上でとても大事な事実だった。

悔やまれる過去の自分は変えられない。
まだ少し怖いけど、私は逃げこんだ檻から出られただろうか?
わからないけど、周囲の人よりずっと後ろを歩いているかもしれないけど、前よりずっと、今と、今ここにあるもの、ここにいる人が大切になった。

同時にそれは、他の誰かにとってもそうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれなかった。

ライブに向かう日、何百キロも離れた地元の駅で見かけた同じ目的地に行くであろう格好をした人たち
あの日のフェスで、隣で泣いていた女の人。
あの日のライブで『アリア』を聴いて涙を流していた親子。
あの日のライブで、周りのノリなど関係なく、目を閉じ自分だけに音を落とこむように聴いていた青年
あの日のライブで、オーロラや星のように輝いた何万もの光

当たり前のことだけど、
たくさんの物語が、この世には確かに存在している

それに向かい1対1の気持ちで全身全霊で歌い奏でる彼ら。

彼らと彼らの音楽を介してみたすべての景色が、出会った人が、今が、愛おしくなった。
彼らの曲に限らず音楽があることへの感謝も生まれた。
 

”今”の価値がずっとずっと大きくなった。
そういう気持ちと出会わせてくれた1曲1曲を、よくぞ生まれてきてくれたと祝福したくなった。

そんな音楽の一面に気づくことができて、よかったな。
すごいかっこいいバンドと出会えたんだな。
この幸運を大切に、自分だけの呼吸を大切に、周りを、今を大切に、
馬鹿みたいにまたBUMPの音楽を聴きながらこれからも生きていきたいなと思う。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい