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2017年7月7日

春 (18歳)

さよならって、何だ?

サカナクションと私、10年後のグッドバイ。

今、これを読んでいる貴方には、どうしようもなく辛くて、どうしようもなく泣き喚いた夜って有るだろうか。親が泣いている隣で、今ここで何が起こったかさえ分からず、ただ空間を見つめる。そんな夜って、有るだろうか。

______私には、そんな夜が有った。
あれは、もう10年前ものことだ。
もうすぐ小学2年生になろうとしていた春、私は父を亡くした。ほんとうに、突然のことだった。車の中で心臓発作を起こし、即死だったらしい。当時7歳だった私には、何が何だか分からなかった。
警察からの連絡を受け、突然蹲って泣き喚く母。優しく背中をさすりながら電話を変わる親戚。それを見る私。
親戚が言った言葉が、今も頭の中を廻る。「これから、ママをよろしくね。」
お葬式も、中途半端に参加だった。お骨を入れることも、私はさせてもらえなかった。
思い返してみれば、私は父に、「さよなら」って言えなかった。最悪な別れだった。
 

苦しくて苦しくてしょうがなかった10年間、私は大人になろうと努力した。楽しそうに見えるように作り笑顔で過ごした。「大丈夫、大丈夫」が口癖になった。ほんとうの自分なんて、誰にも見せなかった。
心が痛くて痛くて、涙でいっぱいだったその時、私は、サカナクションに出逢った。
一見、冷たそうで悲しそうな曲達は、何故か自分の中で激しく揺れて、消えることはなかった。
音楽の力ってほんとうに凄いけれど、きっとこのバンドなら、この音楽なら、父にきちんと「さよなら」出来るかもしれない。色々な不安から踏み出せるかもしれない。そんな予感がしてならなかった。

私が彼等に惹かれたのは、何処か寂しそうだったからとか、ではなかった。彼等となら、一緒に生きていけそうな気がしたからだ。
終わりの見えない気持ちを聴いて欲しくて、私は自然と、ある曲の再生ボタンを押していた。

《どうだろう 僕には見ることができない
ありふれた幸せいくつあるだろう
どうだろう 僕らが知ることのできない
ありふれた別れもいくつあるだろう》
(グッドバイ)

気付いたら、この曲と父を自然と重ねてしまっていた。父はきっと、まだまだ伝えたいことがたくさん有ったろうと思う。
父は私とお酒を飲むのを楽しみにしていた。「ハタチになったら一緒に飲もうな。」と、言っていたのを思い出した。
《グッドバイ》に出逢えたとき、自分の中の何かがプツリと切れたのが分かった。

父はいつも、私に寄り添ってくれていた。
____「将来は英語を話せないと、
カッコ悪いって笑われちゃうぞ。
パパと頑張るか!」
____「パパの携帯のゲームやるか?どっちが強いか競争しよう!」
____「夜ご飯はパパの好きなお寿司屋さんにいこう!ママには内緒ね。」
父が私にくれたたくさんの言葉が、詞とともに溢れ出した。その時、胸につかえていたものが、流れていくのが分かった。
父がいない状況を、初めてストンと受け入れられた瞬間だった。認めても良いんじゃないかと思えた。同時に、彼等に一生ついていこうと決めた。私のこれからの人生を、彼等に預けてみようと思ったのだ。
曲を聴き終えた後、頬には涙が流れていた。

サカナクションには、別れが似合う。
終わりの見えない道を、頭を掻きながら、深夜に彷徨っているような歌詞が多い気がする。きっと、山口一郎もそうなのだろう。彼を見ていると、いつもいつも悩んでいる気がする。それを包み隠さず私達に見せてくれる情熱に、私は心打たれてならないのだ。歌詞を書くことを「冬山に登山する」と言って、旅を続ける。ふと降りて来ては、私達の想像を超える作品を産み落としてくれる。そしてまた、いろんな土地へと旅を続ける。音楽を心から愛し、音楽に生きている人達を心から尊敬し、どんな困難な問題にも自ら立ち向かってゆく。山口一郎を中心として、音楽界に「作り手側が立ち上がる」波が起きている気がする。そんな彼とメンバーの関係は、どこか不思議な陰影を帯びているように見える。
私は、彼等がなにか新しいことに挑むたび、身体が跳ね上がるようなスリルを思う感覚になる。
そして問うのだ。
「サカナクションよ、何処へ行く?」と。

「チームサカナクション」が創り出す最高のエンターテイメントを、私はいつまでもいつまでも、見ていたいと思っていた。
見ているだけで充分なんだ、と。
けれどある時、私は思い出した。
父と交わした約束を。
____「好きなことをとことん突き詰めるのは、とってもかっこいいことだ。人に言われたことをきっちり真面目にやるのもとっても大事。でも、自分を表現するのは、もっと大事。私はこんな人です!って伝えることを、諦めて欲しくない。やりたいことを、やりなさい。いいね?」

その言葉を思い出した時、私は決意した。

“どんなに遠回りになったとしても、
絶対にチームサカナクションになって、
支えてくれた人たちに恩返しをする”

実は私は右半身に脳性麻痺の障害がある。
コードを巻くことも、重いアンプを持つことも難しいけれど、それでも、出来ることがあると思う。作り手側にも観客側にも立って客観的にステージを見ることは、出来ると思うのだ。ステージの照明、音響。最高の演奏環境を確認したりする。どちらの立場にも立てるなんて最高じゃないかな?と私は思うのだ。こんなことを言っているが、熱意だけでは夢は叶わない。私はこれから人の何倍も努力して努力して、その夢を叶えられるように、旅していきたいと思う。
 

私は「さよなら」の仕方を、サカナクションから教わった。
哀しむのがさよならではないと知った。
前を向いて歩くこと。
きちんと自分の足で生きること。
拙い言葉でも、気持ちを伝えに走ること。
それが、私の思う「さよなら」だ。
自分の夢をきちんと言えた今回、
私は初めて父に「さよなら」できた。

この素晴らしい機会に感謝して、未来へ歩き出す用意をしようと思う。波に飲み込まれそうな予測不能な未来が待っている18歳の今、サカナクションが好きだと言えて良かった。父に「さよなら」ができて良かった。
私はどうしようもなく、表現が好きだ。

不確かな未来へ舵を切るということ。
それがどんな素晴らしいことかは、
これからハッキリと分かってくるはずだ。

今日も私は生きる。
憧れの彼等を追いかけて。
____待ってろ、サカナクション。

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