2650 件掲載中 月間賞発表 毎月10日
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

私達が見たオーロラの箱舟とはなんだったのか

BUMP OF CHICKEN TOUR 2019 aurora arkを終えて

いつも通りの日常だが、心のどこかにポッカリと穴が空いたような気がする。
 

7月から始まった「BUMP OF CHICKEN TOUR 2019 aurora ark」が11月4日、ついに千秋楽を迎えた。思い返してみればあっという間の4ヶ月だった。私自身としては、こんなに終わった後も寂しいと感じるツアーは初めてだった。彼らを好きになって初めて行った「STADIUM TOUR2016 BFLY」や「TOUR 2017-2018 PATHFINDER」、そのどちらのライブも愛しく、かけがえのない思い出だが、今回のツアーはこれまでとはまた一味違った。
 

今回のツアー「aurora ark」において、私のなかで1番印象に残っているのはボーカルの藤くんがリスナーに対して思いをぶつける回数が多かったことだ。
それは「一緒に歌おう」と観客に対して呼び掛けるようなものから「もうこの曲か、寂しいなぁ」といった、彼自身の心情を吐露するようなものまで様々だった。そしてそれは単純に回数が多いということだけではなく、そこに含まれる熱量も尋常ではなかった。

彼は私が行ったライブ中に何度か「感極まっちゃったよ」だとか「一生今日が続いて欲しい…」だとか呟いていたが、その時の様子は遠くからはっきりとは見えずとも、その声は心底切なく寂しそうな、そして心の奥底からフツフツと湧いてきた思いが、ついポロッと出てきてしまったような儚さを持っていた。また時にはマイクを通して聴こえてくる馴染みの声から鼻を啜る音が聞こえてきたり、大きなビジョンに映る藤くんの顔から少し赤くて潤んだ瞳を見つけたりすることもあった。
 

しかしそういう寂しさと同時に彼は力強い声で私達に言葉を届けてくれた。特に顕著にそれが現れているのが今回のツアーで一つの目玉ともいえるであろう、「望遠のマーチ」の間奏の時に彼が口にする言葉だ。
 
 
 
 
 
 

「大勢の中の1人だと思ってんじゃねえぞ、俺はお前に向けて歌ってるんだ」
 
 
 

「世の中に沢山ある音楽の中から俺達を見つけてくれてありがとう。だから今日は、俺達がお前を見つけに来たんだ」
 
 
 
 
 
 

彼の放つ言葉は怖いくらいに真っ直ぐで、そして何より怖いくらいに暖かかった。ドームで見る彼らの身体は遠くてミニチュアみたいに見えるが、彼らの声や音は私達を逃がす余地もなく飛び込んでくる。
 

今回のツアーは3公演行くことが出来たが、その1夜1夜のライブが胸に迫るものであったのを覚えている。
しかし、そんな愛しい日のことでさえ既に記憶はおぼろげになりつつあった。記憶というのは残酷なほど簡単に消え去っていく、そんなことは人間なのだから当然のことだけれど、やっぱり寂しさは一層募るばかりだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

こんな具合に未だ抜けきらない余韻に浸りながら未だにアルバム「aurora arc」をリピートしている私だが、ふとある日の帰り道、アルバム「RAY」の表題曲ともいえる「ray」を聴く。この曲は大好きで何度も聴いているため、普段は聴き流してしまうことも多いが、何故かその日は歌詞がしっかりと頭に流れ込んできた。
 

“ お別れしたのはもっと 前の事だったような 悲しい光は封じ込めて 踵すり減らしたんだ

君といた時は見えた 今は見えなくなった 透明な彗星をぼんやりと でもそれだけ探している ”  (「ray」)
 

この歌詞を聴いた時にぼんやりと私の頭に思い浮かんだのは「aurora ark」のことだ。これは単純にツアーのことでもあるが、もう1つ、私の脳裏にはっきりと浮かんだ。
そう、文字通りにオーロラの箱舟のことだ。ツアーのロゴでもあり、このツアーのシンボルともいえるあの箱舟のことをなぜ急に思い出したのか。それは少し前にある雑誌のインタビューで、藤くんがこの箱舟について話していたことを思い出したからだ。

彼はたしか、「あの箱舟は乗りたいと思っても乗れるようなものじゃないんですよ。あくまでも概念みたいなもので、俺達は絶対に乗ることは出来ないんだけれどそれを見ているという。あくまで俺の考えってだけだけどね。」といったことを口にしていたような気がする。
それまで私はこの藤くんの言葉をあまりよく理解出来ていなかったのだが「ray」を聴いていた私はピンときた。
 

《 「君」といた時は見えたけれどもう今は見えなくなってしまった 》もの、透明な彗星のことだ。当然の事ながら空を一瞬で通り過ぎていく彗星に私達は触れることは出来ない、しかし確かにその彗星を「君」といた「私」は見たのだろう、たとえそれが透明だったとしても。そしてこの透明な彗星をオーロラの箱舟になぞらえてみるのはどうか。
 

ツアーがあった時、その姿は実際には見えないが私達はオーロラの箱舟を確かに見ていたのだ、「君」と一緒に。それはBUMP OF CHICKENの彼ら自身のことかもしれないし、同じ会場にいた、顔も知らないその日だけのリスナー達のことかもしれないし、はたまた一緒にライブを見に行った友人や恋人のことかもしれない。そしてその箱舟を見るのはなにもライブに行った私達だけではない。仕事やチケットが取れなかったといった様々な理由で実際にツアーに来ることが出来なかったリスナーもだろう。
 

オーロラの箱舟は誰もが見つめることしか出来ないが、その代わり誰も見捨てやしない。BUMP OF CHICKENの音楽を聴く全ての人の思いを背負って箱舟は進んでいたのだ。そして「ray」の後半部分ではこのように歌われている。
 

“ お別れした事は 出会った事と繋がっている
あの透明な彗星は 透明だから無くならない ” (「ray」)
 
 

ツアーが始まったということは絶対に終わりが来るということと同じである。そして終わりをどんなに寂しく思おうとも終わりを辿れば必ず始まりがあり、私達が出会ったという事実は変わらない。そして透明であるが故に私達はそれに触れることも実際に見ることも出来ないが、だからこそその存在を見て取ることができなくても、私達の中に確かに存在し続けるのではないだろうか。
 

私達が見ていたオーロラの箱舟はもう見ることは出来ないが、決してなくなることはない。そして、そのオーロラの箱舟を未だに見失うことはない。私達の生きる「イマ」は、君と“オーロラの箱舟”という彗星を見た、あの日の続きなのだから。
 
 
 
 

“ 「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけている”
(「天体観測」)
 
 
 
 
 

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい