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1998年生まれだけど小沢健二を語らせてください。

「フクロウの声が聞こえる」、「彗星」、「薫る(労働と学業)」という彼の視座の変遷と考察

2012年、中学二年生の時、一番仲の良い友達はチケットが余ったと言って僕を小沢健二のライブに誘った(今思えば超プレミアチケット。余るなんてことある?)。全く小沢健二が誰かも知らず、僕はついて行った。ライブの編成は小沢健二とコーラスの真城めぐみ、中村キタローという3人編成で当時ロックを好んで聞いていた僕には編成に対して不思議に不思議が募り、変なおじさんだなぁと思っていた(朗読もしていたし←一番の謎!!)。
ただ、曲はめちゃくちゃ良かった。ライブが終わり、家に帰っても初めて聞いた曲たちなのにあらゆる曲を思い出せた。なかでも「それはちょっと」には心底感動し、今でもお気に入りの一曲である。後日その友達から『LIFE』を借りてどっぷりと浸かっていった。

それが僕と小沢健二との出会い。

そして2019年、僕が初めて享受できた小沢健二のアルバムである新譜『So kakkoii 宇宙』は名盤『LIFE』を彷彿とさせるくらい多幸感を感じさせ、すべての曲でテーマが統一された組曲的なアルバムだと思う。けど明らかに小沢健二の思想は違う。その違いは「全肯定」の変化と、そこから彼が、小沢健二と僕らについてを主題として歌ったことから見えると思う(元々は感想文のつもりが、どんどん考察になっていきました。)。

これらの変化は「フクロウの声が聞こえる」、「彗星」、「薫る(労働と学業)」を順に追っていくことで見えてくると思う。
 
 

全肯定の変化

2019年11月8日ミュージックステーションにおいて、タモリと小沢健二がリード曲「彗星」について語っており、そこからも「彗星」とアルバムのテーマがうかがえた。「現実っていうのは、本当は奇跡なんだよ」というタモリの言葉に対して、小沢健二は色々なことがわからない時代の中で「確固たるものを歌いたいな」と思ったと発言し、それを「宇宙」であると定義づけた(この重要なテーマを引き出せるタモリの凄さ!!)。その発言通り「彗星」はもちろん、それ以外にもアルバムの随所で「宇宙」という単語を聴くことができる。

遡れば2016年に行われ、たくさんの新曲がお披露目された(まだ発表されていない新曲を早く披露してほしい!!)ツアー、「魔法的 Gターr ベaaス Dラms キーeyズ」にて新曲として一番初めに披露された「フクロウの声が聞こえる」は冒頭で家庭的な情景を歌うもサビでは一変して壮大に宇宙との繋がりについて歌っている(「いちごが染まる」と「神秘的」はこれ以前のライブで披露されているが僕はあくまで「魔法的」のツアーが今回のアルバムと地続きであると思う)。
 
 

これまでの小沢健二の歌では、若い男女の恋愛模様を描く(『LIFE』の曲群)、もしくは生きることの幸せを祝福する(「強い気持ち・強い愛」)といった、幸せを望むことに対する肯定が行われていたと思う。もしくは生活の場面ごとでの肯定が行われていた。その中に介在する切なさ、無力さを混ぜられていたことが僕らの胸を強く打った要因だと思う。それが一変して、この曲ではパパと子どもが登場人物であり、ファンタジーであることを前面に打ち出し、その中で生きていくこと、≪絶望と希望が 一緒にある世界≫という「宇宙」的な思想へと帰結し、極めて壮大な世界観の中で肯定が行われる。また曲調もオザケン印の跳ねたリズムではなく4分を強調した曲調である。

※ちなみに今回のアルバムに収録されている「彗星」、「失敗がいっぱい」、「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」、「高い塔」、「薫る(労働と学業)」はこのツアーでは披露されていない。2019年11月11日発売のAERAでは「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」以外は日本に移住してから作ったと語られている。

このような今までの曲と全く雰囲気も、歌詞全体を通した意味も違うこの曲を一曲目として歌うことの意味は何だったのか今さら考えると、家庭を持ったことで感じた子どもの不思議と、世界の奇跡を素直に歌っているように思える。「フクロウの声が聞こえる」が2016年時点で彼自身がその時の自分のモードとして一番打ち出したかったものであったのではないだろうかと行きつく。また、2018年5月3日に行われた「春の空気に虹をかけ」では、ダブルアンコールで演奏され、公演中2回演奏された。それを考えてもかなり重要な曲といえる。

子どもが「いま」を必死に生きようとする姿、可笑しさ、素晴らしさを目の当たりにして、小沢健二がこれまでも歌ってきた「全肯定」のテーマに、「いま」を生きるということの素晴らしさを考え、付け加えられた歌になったのだと思う。それを彼はファンタジー要素を強めて僕らに伝わりやすくしている。おとぎ話のように。この曲を起点として「確かなもの」としての「宇宙」を引き合いに出し、小沢健二は作品を作り続け(「流動体について」など)、やがて「現代」を生きる我々を肯定し勇気づけるということが彼のテーマに変化していったのではないだろうか(つまり、この時のツアーでお披露目された曲たちと、このアルバムでお披露目された曲たちとでは少しモードが違うのでは)。

小沢健二と僕らという構図

今回のアルバム曲から「全肯定」にプラスして、現代を生きるという要素が強まったと記したが、僕がそれを強く感じるのは、歌詞に自分自身「オザケン」を登場、もしくは存在を匂わせている点である。これは確信的にそうしたのではなく、必然的にそうなっていったのだと思う。どういうことかと言えば、「フクロウの声が聞こえる」ではパパと子が登場人物で、彼らの行く道を中心に人生や神秘について歌っている。歌詞の面でこうした設定や物語を軸に曲が進んでいくといった作風は過去の曲たちと通じている。
それは、過去の小沢健二の歌詞の登場人物は主に、君(聴き手ではなく主人公の恋人)と僕であり、聴き手はあくまで傍観者として存在しその中で共感していくことが多かった。一方、このアルバムに合わせて作られた新曲群に登場するのは小沢健二と僕ら聴き手であり、対話という構図が見えるのだ。こういった構図の変化にはライブで度々行ってきた朗読も大きな要因の一つであるとも思う。

「彗星」は特に顕著で≪2020≫、≪1995年≫、≪2000年代≫といった年代を歌うことによって、聴き手の小沢健二との思い出を強制的に想起させながら、ここまで生きてきた僕らを、対話を通して祝福してくれているように思える。こういったアーティスト自身が自分の存在を歌詞の中の一つの要素として出して歌うことは珍しいと思う。「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」で岡崎京子と自分の関係を歌ったことで目覚めた感覚とももちろん考察できるが、AERAのインタビューで彼はこう話している。20年ぶりに日本に戻り生活を重ねる中で、その20年の間にみんなが確かに生きてきたことを知り、日本の変化、その中でも変わらないものの両方を歌いたいという気持ちが芽生えたと。小沢健二はそうした日本の様子を危ない存在である「彗星」と表現している。今を生きる僕らを「全肯定」した上で≪彗星のように見てる≫と表現しているのだ。しかし、小沢健二は対話相手の僕らをまだ遠くに見える星のように眺めていることも連想させる。
 
 

反対にアルバム最後を飾る「薫る(労働と学業)」ではどうだろうか。この曲は僕らと同じ目線に立って歌われた歌なのだと僕は思う。まず、ベースのイントロ、ギターのカッティング、ストリングスの刻み方など、一番『LIFE』の曲群に近いアレンジと僕は感じた。一番僕らが連想する小沢健二をあえて表現したかったのではないだろうか。そういった曲調の中で小沢健二はひたすらに≪君≫について歌う。「彗星」では語りかける口調であるものの「君」という歌詞は出てこない。この曲は実際に暮らしている僕ら、「彗星」よりも解像度を上げた世界で生きている僕らを細かく描写し、僕らに向けて歌われた歌であると理解できる(フジロックという具体的な単語も入れられており、一層僕ら聴き手を強調している)。小沢健二が降り立った星は≪どしゃぶりの雨の中≫であったが、その中で男性、女性、少年、老人、軟弱、硬派…あらゆる要素が必死に生きている姿を肌で感じ、≪もう少しで≫≪変わるから≫と僕らに向けた最大級の祝福と肯定を歌う。小沢健二の現在地はこの曲にあると思っている。

最後に

これほど考察ができる、しようと思えるのは、小沢健二が昔から真実や時代を的確に捉え、悲壮をも巻き込みながらその中で人の心を鷲掴みにしてきたからだ。何か考えがあるに違いないと思ってしまう。そしてそれを発見する。アルバム1枚の中で(「いちごが染まる」が披露されたのは2010年なので10年間が詰められているが)彼の考え方の変化を見ることができて、時代を見ることができて、彼の危機感を思うことができて、その中で変わらない幸せを感じることができて、絶対に色褪せないアルバムだと思った。

本当に尊敬しています。大学生活最後の年に、青春の1ページにこんなアルバムをありがとう。

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