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プリンス『1999:スーパー・デラックス・エディション』に寄せて

私が出会った貴公子的音楽宝石箱(幻のライヴ映像と10枚組のレコードで出るアルバムについて)

 プリンスの信条ってなんだったのだろうか。少なくとも1982年当時、いや、作ったのはもっと前か、とにかく彼が大衆にアピールする転機となったアルバム『1999』の中で彼が「僕がやりたいのは…」と大声で歌い上げたのが「Dance Music Sex Romance」即ち“D.M.S.R.”だ。なんか近年話題のASRM(Autonomous Sensory Meridian Response)とも似ているが、彼の作品の方は当時日本人中学生男子だった私でも分かり易いシンプルな単語で構成されている。「ダンス・ミュージック・セックス・ロマンス」をD.M.S.R.と表記するセンス。「洋楽って格好良い、プリンスって格好良い」と思ったものだ。

 アルバム『1999』は、私がプリンスと出会ったアルバム。具体的なきっかけは、それ迄も聴いてはいたラジオ日本で放送されていたビルボード・チャート番組『全米トップ40』(いわゆるポップ・チャート)を中学の同級生が自宅で全曲書き起こすのに毎週つきあう様になった時の事だ。そこでアルバムからの2ndシングルの“リトル・レッド・コルヴェット(Little Red Corvette)” が彼の初めてのポップ・チャート・トップ10ヒットとして40圏内に入り、更にチャートを駆け上がっていくのを毎週楽しみにするようになった(最高位6位)。「こいつは他の奴等とは違う!」と言う思いに拍車がかかったミュージック・ビデオは、小林克也氏MCのベストヒットUSAで観た。赤いライトの中、青いコートにちょび髭、カーリーヘアで浮かび上がったむさ苦しくて濃い風貌のそいつは、やたらと表情に、動きに色気を醸し出し、これまた怪しげな風貌のバンドメンバーと共に目の離せないパフォーマンスを披露していた。ギター・ソロの場面でもカメラは「神●風」のハチマキをしたギタリスト:デズ・ディッカーソンではなくて、突如マイクスタンドから離れて右方にリズミカルに踊り出し、くるくる回ってスプリット(股裂き)を決め、再度しゃがんでは体操選手よろしくくるくる回ってマイクに戻る彼にスポットを当てていた。

 1stシングルの“1999”が最初にチャートインした時(1982年)にはまだ最高位がトップ40圏外だったプリンスをきちんと意識していなかったのだが、私と同様に“リトル・レッド・コルヴェット”で初めてプリンスにインパクトを受けた人は日本にもそして本国にもたくさん居た様で、その後再度1stシングルの“1999”がポップ・チャートにリエントリーし、今度は12位まで上昇したのもチャート・ウォッチャーとしては非常に面白くて益々目を引く存在となり、これまたミュージック・ビデオでもバンドの多彩さ(それをオープニングの入れ替わりヴォーカルで見せつける)に目を奪われ、アルバム『1999』はめでたく「生まれて初めてレンタル・レコード屋で借りたレコードの三枚」の内の1枚となった。“1999”のミュージック・ビデオではギターを肩から掛けていたので、「おっ、この人ギターも弾くんだ」くらいに思っていたが同曲にはギター・ソロがあるわけでもなかったので、余りギタリストというイメージは無かった。更にアルバムからシングルカットされた“デリリアス(Delirious)”はまたガラッと違った軽妙なビートのダンサブルな短いロケンロール曲(?)で、ビデオも無いのにトップ10ヒットとなった。同曲にもギター・ソロは無く、アルバム・クレジットには“リトル・レッド・コルヴェット”のギター・ソロは前述のデズの物とあったので、私がプリンスのギターの力量にぶっ飛ばされるのは次のアルバム『パープル・レイン』からであった。その先行シングル“ビートに抱かれて(When Doves Cry)”ですら、初っ端の凄まじいギターは本当に弾いているんだか加工処理で作ったのか訳が分からないものであったし、独りで録音したという同曲もミュージック・ビデオではギター・ソロは映像上はウェンディが弾いてプリンスの方は相変わらずくるくると踊っているのだった。振り返ると、プリンスは大衆へのギタリストとしての露出を出し惜しみしていたのだと思う。それをアルバムや映画では一気に大開放し、そこから第2弾シングルとして切られた“レッツ・ゴー・クレイジー”のミュージック・ビデオでは、画面に繰り広げられる爆裂ギター演奏シーンとそのサウンドで私を唖然とさせた。
 さて、プリンスはこのアルバム『1999』で人種を「クロスオーバー」したと言われるが、それはビルボードでのシングルのチャート・アクションにも表れている。“リトル・レッド・コルヴェット”のヒットでコンサートに白人の観客がグッと増えたとの事だが、チャート上でも“リトル・レッド・コルヴェット”はポップでは最高位6位で、ブラック(チャート)では15位、続く“デリリアス”もポップで8位、ブラックでは18位、更にラストシングルとなったエロ歌詞満載のダンサブルなデジタル・ファンク・ロックの“夜のプリテンダー a.k.a. 夫婦のように(Let’s Pretend We’re Married)”ですらポップで52位、ブラックで55位だ(彼の逝去後、あるタイミングでこの曲のお蔵入りしていたミュージック・ビデオが公式YouTubeチャンネルでさらっと公開されたのはかなり驚いた)。“リトル・レッド・コルヴェット”よりも前にブラックで4位迄上昇したタイトル曲“1999”以外は、全てポップ・チャートでの方が寧ろ成績が良いのだ。それは“リトル・レッド・コルヴェット”より前の彼には無かった事で、何より東洋の島国の中学生まで届いたのだから個人的にはそこが非常に重要だ。

 私は昔、このアルバムの事を「貴公子的音楽宝石箱」と表現した事があったのだが、その想いは今も変わらない。冒頭に書いた“D.M.S.R.”で有名なのは、LPレコードでは2枚組のこのアルバムをCD化するに当たって、CDのディスクを1枚で抑えるために全11曲の中から1曲減らさなければいけないという事態になった事だ。そこで選ばれてしまったのが、5曲目に収録さた“D.M.S.R.”で、「何でよりによって、彼のテーマを歌い上げているこの曲を!」という悲鳴が世界のあちこちで飛び交った(私の脳内調べ)。
 もっとも、それじゃぁ、1曲削除しなきゃいけないという事態に追い込まれた時、他のどの曲を選べば良かったのかという問いに明確な解はない。それぞれに輝いているのが名盤の名盤たる所以だからだ。冒頭のシングル4連発のどれかを削ってしまうなんてナンセンスだし、ミュージック・ビデオでは沢田研二みたいな帽子を被ったままベッドに縛り付けられたプリンスをキーボードのリサとコーラスのジル・ジョーンズの紅二点がムチでしばきたおすヒッキーもびっくりの“オートマティック(Automatic)” (←マイクスタンドから、後ろのベッドに吸い寄せられていくプリンスの小芝居も最高)が無いなんて耐えられない(前述の「ASRM」ではないが、この曲の特に終盤は女性ヴォーカル、と言うよりすすり泣きやプリンスの呟き声が頭の中で左右から波状攻撃をしてくるのでヘッドホン推奨だ。というか、アルバム単位としても「最もヘッドホンが似合うプリンスのアルバムNo.1」でもある。)し、ケンドリック・ラマーの“キング・クンタ”のリリックや来年の春に第2回目が開催されるファレル主催フェスの名称にも影響を与えていると思われる“サムシング・イン・ザ・ウォーター(Something In The Water(Does Not Compute))”(←狂おしい程の変幻自在のヴォーカル)だって外せないし、それまでと雰囲気をガラッと変えて登場する美しい旋律のピアノと歌声のバラード“フリー(Free)”は歴史を振り返ると結果的に後の彼の闘争にも繋がっていた事に気付く重要曲だ。通常子供達が触れる物への検閲には相当ずぼらな我が家だが、幼少時から出来るだけ聴かせる事を避け、曲後半3分以降の早送りや曲目スキップでジル・ジョーンズのタクシー後部座席での(?)嬌声は子供たちの耳に触れないように心掛けていた“レディ・キャブ・ドライヴァー(Lady Cab Driver)”は、やっと子供達2人が成人した後に一切気を遣わなくなった(という事情があったため、もし敢えて1曲削るならこの曲かな?とチラッと思ったことはあったが、この曲のベースを初めとするグルーヴは大変に抗い難い物だ)。“ニューヨークの反響(All The Critics Love U In New York)”は原題からは皮肉めいた物も感じるが、歌詞を追うと「他人が何してようと気にしない土地」へのちょっとした愛も感じられる気がする癖になる曲。アルバムの発表から20年後、2002年の最後の来日ツアーでも幾つかの会場で演奏され、観客をステージに上げてダンス大会をした作品だ。アルバム最後の“インターナショナル・ラヴァー(International Lover)”は、「国際的な恋人」を自称する国際便プリンス・インターナショナルのパイロットである彼が、貴方をめくるめく魅惑の旅にお連れするというコンセプトを巧みな(?)歌詞とヴォーカルに、弦楽器を模した様な印象的なシンセ音とピアノとゆったりしたドラムで表現した大団円曲だ。
 
 その傑作アルバムが、今回『スーパー・デラックス・エディション』では全65曲(23曲の未発表スタジオ・トラックに12曲の未発表ライヴ音源を含む!)と、未発表ライヴDVD【※超重要※】を収録して発売されるという。奇しくも私と妻が夫婦となった記念日の翌日。これはもう、ブヒブヒ言いながら買わないわけにはいかない。

 曲目を見るだけで心が躍る。7インチ・シングル用の短いエディットがたくさん収録された(以下、CDの)Disc 2『プロモーション・シングル&B面楽曲集(2019リマスター)』には、こんなにあるならオリジナル2枚組のアルバムを全曲収録した1枚のアルバム・レコードを作れたのでは?(曲展開で美味しい所は取りこぼしてしまうだろうが)とも思わされるし、当時アルバム収録されずにシングルにカップリングされた未発表曲も超ファンキーだったり、ロケンロールだったり、やたら完成度が高いバラードだったり(後にアリシア・キーズがカバーしてシングルにもなり大ヒット、そのリミックス・ヴァージョンを手掛けるはファレルとチャドのザ・ネプチューンズ)、と多彩。リミックスと言えば、大名曲“リトル・レッド・コルヴェット(スペシャル・ダンス・ミックス)”の聴き応えは半端ない。当時は貸しレコード屋で結構色々なアーティストの12インチ・シングルを借りたりはしていたが、それらで聴かれたある意味冗長な(好きな曲なのでそれはそれで嬉しいから借りるのだけど)エクステンディッド・ヴァージョン群とは一線を画するリミックス。自分で楽器演奏もレコーディングもこなしてしまうアーティストならではの一筋縄ではいかない展開・遊び・追加される歌詞。また、『パープル・レイン:デラックス・エクスパンディッド・エディション』のライヴDVD等で聴くことが出来たイントロからリサが弾いていたキーボードに重なってくる、更に特別な印象を付加するキーボードのフレーズをリミックスにも入れてくるのかと思ったらそれは敢えてしない贅沢さ。私は当時このドイツ盤12インチ・シングルの存在を知らず、京都は四条烏丸にあるレコード店『十字屋』でレコードを漁っている時に発見して大層衝撃を受けた。くどくて恐縮だが、その12インチをドキドキしながら買ったらお店を出た所で全くの偶然で、プリンス・ファンクラブ会合を通じて顔見知りではあった後のカミさんにばったりと出会って運命を感じたのだが、もしかしたらあれは恋愛に臆病だった私への一世一代の「吊り橋効果」だったのかもしれない。彼女は元々十分に魅力的な人であったのだが(のろけ)、後々自分の中で今まで出なかった勇気を振り絞る為に神様がくれたチャンスだったと言い切っても過言ではないのだ(確信)。ありがとう、プリンス。ありがとう、“リトル・レッド・コルヴェット”。

 今回の目玉となるDisc 3『秘蔵音源1(1981年11月から1982年4月に録音)』とDisc 4『秘蔵音源2(1982年4月から1983年1月に録音)』は、名前は目にしたことあるけど一体全体どんな曲なのか想像もつかないとか、存在すら知らなかったとか、曲としては発表されているけどどんな展開を見せてくれるテイクなんだろう?とか、興味をそそられること枚挙にいとまがない。曲目を見て一番「ときめく」のがこの2枚。書き出すとキリが無いので、泣く泣くキーボードを打つのはやめておく。

 そして、Disc 5『未発表ライヴ(ライヴ・イン・デトロイト、1982年11月30日)』は全く未聴の現段階では敢えてスキップするとして、避けて通ったらバチが当たる映像作品『未発表ライヴ映像(ライヴ・イン・ヒューストン、1982年12月29日)』が発表される意義は本当に大きい。彼のライヴと言えば、アルバム毎にコンセプトを異にしたツアーをやる事で知られていて、それ故にコンサート中毒(それも、同じツアー内でも単調なものを繰り返すだけではないので1回だけではなく何回も観に行きたくなってしまう)になったり、他のアーティストのライヴに物足りなさを感じてしまったりする重篤な副作用を引き起こす事が問題視されているわけだが、公式発売されたライヴ映像作品は、スタジオ録音曲の豊潤さと比較すると極端に少ない。それが今回解禁になったのだ。発売に先駆けて、プリンスの公式YouTubeチャンネルではツアー・タイトルともなった“1999”のみ映像が公開されている。ライヴ映像としては、前述の『パープル・レイン:デラックス・エクスパンディッド・エディション』のライヴDVDでも披露されていた“1999”だが、そこではヴォーカルの歌い出しとなる女声を女性ギタリストのウェンディが代行していたところを、オリジナルの通り艶めかしいリサとジル・ジョーンズ(完全に下着姿)が務めるのが嬉しい。そして、後半ではアルバム・テイクには無いギタリスト:デズ(カミさんとはその若干いかついながらも愛嬌ある顔付きから「リラゴ」とか失礼な呼び方をしていたが)の見せ場であるギター・ソロもあり、彼も張り切って二階建てステージの上段でヘヴィー・ギターを弾きまくり、背中を向けて頭の後ろで弾くなんて事もやっている。更に最後は、プリンス本人もギターを弾きまくる。あぁ、もうすぐこのコンサートの全編が観られる!!!

 話を音源に戻そう。このアルバム『1999』の収録曲については、もう一つ有名なエピソードがある。上にもチラッと書いたが、英欧盤では1983年当時に1枚のみのレコード盤にまで縮小されて発売されていたことだ。削除されたのは“D.M.S.R.” “オートマティック” “ニューヨークの反響” “インターナショナル・ラヴァー”の4曲で、最後を喘ぎ声飛び交う“レディ・キャブ・ドライヴァー”でしめるとか、アルバムの流れもへったくれもない。この盤は2018年のレコード・ストア・デイでも再発され、ここ日本でも容易に入手可能だったので、当時普通に店頭に並んでいる時に渋谷のWAVE(何と復活となっ!)で半額くらいの値段のドイツ盤を購入してしたのにまた買ってしまった。。。だから、最後を夢物語でしめるのは恐縮だが、もしタイムマシーンがあったらやりたい事の一つは当時のWEAインターナショナルのオフィス(ドイツ?英国?)に乗り込んで、「貴方がた、この作品をレコード1枚に押し込めるのはおやめなさい。後世では10枚組のLPで発売されるマスターピースなのですよ。」と説得する事だ。彼らはどんな反応をするのだろうか。

 あっ、それと、本当に当時に行けるんだったら、勿論プリンスのコンサートを米国に観に行って、あとまだ高校生だった頃の、実際に出会う前のカミさんにも是非会っておきたいな。何なら、10枚組のLPを手土産に彼女に声をかけ、「有り得ないほど素晴らしいお宝を持って現れた謎のおっさん」を気取るのも良いかもしれない。なんて、いよいよ訳が分からなくなって来たが、これを書いている時に私は夢をみていたので、話が逸れ過ぎていたら許して欲しい。(「はぁっ?」な人は、“1999”のオープニングの歌詞を見てください)

 おしまい。

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