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23のオレには、まだ分からない

エレカシの『DEAD OR ALIVE』を今聴いて想うこと

30という年齢。それは20代と比べ、体の衰えや死に向かっていくのがより自覚的になる時期であることは、漫然とではあるが理解できる。ただやはり、身体性をもって(実際にその年齢になって)感じることはできない以上、その指針となるような存在が必要であるような気がするのである——。

2002年にリリースされたエレファントカシマシ13枚目の作品『DEAD OR ALIVE』には、方向性として当時の年齢に対する対峙がみられる。作詞・作曲を手掛けた宮本浩次は当時36歳。過去を懐かしむわけでも、未来についての希望を語るわけでもなく、リアルタイムな36歳の人間のメッセージが吐きだされている。シェイクスピアのとある作品の台詞、”過去と未来は最高に善く見えて、現在の事柄は悪く思う (Past and to come seems best; things present worst)”を借りるなら、宮本の表現しているものは”善く見える”ものではなく、”悪く思う”ようなものかもしれない。そしてそこには、取り繕って美化されたものは一切ない。無論、共感を求めたり、自らを誇示することもない。それは、本作における宮本の歌声もそうである。透き通り、整えられたような美しさはそこにはなく、掠れ、ザラつきを残したまま、何とかメッセージを届けようと痛切に叫びきっている。それは、光化学スモッグで煤けた空から、太陽が霞みながら地上へと光を届けようとしているかのようでもあった。

1曲目、「DEAD OR ALIVE」。冒頭部では部屋の中でぼんやりと過ごす男の様子が、時間の経過とともにリアルに描かれる。気が付いたらもう夕暮れ、食事して読みかけのを読んでいたら眠くなってしまった。その果てには、〈奈落の底まで堕ちてく生命〉と綴られる。死に対する自覚、惰性の日々から抜け出そうと、もがいていく様子。そして楽曲は〈明日は今よりもっともっと遠くへ〉と締めくくられる。「漂う人の性」では、大地や太陽という存在に対して自分自身を投影している。他者ではなく、根源的なものと対峙して、自分の存在を知ろうとする。もっといえば、生と死に対する実感。〈明け方の空赤く滲んで まるで俺を死に誘うように〉という表現は、まさにそれが見事に表されているといえるだろう。「クレッシェンド・デミネンド-陽気なる逃亡者たる君へ-」は、”孤独”という部分に注目したい。〈静寂の部屋に籠もりいて 俺ひとり本を読んでた〉という部分があるが、そこからは、自分一人の哲学の末に、見つかるものがあるのではないかという格闘がみられる。

「何度でも立ち上がれ」の〈太陽は昇りくる 何度でも立ち上がれよ〉という節。ここで言う〈何度でも立ち上がれよ〉は「漂う人の性」の〈破滅へ向かって力強く歩む〉と対応、あるいは同義的であるという解釈ができるかもしれない。また、ここでも圧倒的な存在である太陽と、転んでしまった自己との対峙がみられる。その前の部分では、〈この短い人生において 生活の安易さと怠惰 致仕方のないことだが 病となり散りゆく身体をむしばむ〉と、緩やかに近づいてくる死のイメージを感じるが、太陽と対峙したことで、それさえもすべて曝け出していく姿勢、〈更に大きなぶざまを掲げて行け〉と宣言しているようにも思える。そして最後の楽曲、「未来の生命体」からは、〈全てを未来に預けてきた オレの信頼裏切る36年 でも停滞と病癖て今 自ら墜ちてゆく我が身を見る好条件〉と、36年の人生は全て惰性であり、墜ちてゆく自分に自覚的になりつつも、何とか活路を見出そうとする様子がうかがえるのだった。

以上のように、いずれの楽曲からも感じられるのは”生と死の実感”、”怠惰な生活との格闘”である。そして何よりもそれが、36歳の視点で歌われているということは、非常に重要であるように思える。というのも、そうした考えはどの時代においてもおおむね不変であり、特に死に関しては生物にとっては誰もが避けて通れないものであるからだ。ただ、これらから理路整然さを感じることはできない。それは、文脈が分断されて、断片的にその片鱗が見えるというだけで、まだ作曲者自身も咀嚼しきれていない部分があるからなのかもしれない。他方で、自己に対して懐疑的、あるいは疑問を投げかけているようにもみえる。”哲学”や”悟り”に到達しきれていないということ。それは押し付けがましいものではなく、「本当はどうなんだ、オレはこう思うけど…」と、聴いている側にも考える余白が与えられているという見方さえできるのではないだろうか。自分自身と重ね合わせることもできるし、そうしなくても良い——。

その意味で、この作品を自分が23歳という立場で聴いた時というのは、年齢の壁があるゆえに、まだ理解や共感というものはまだできない。ただ、30代の人間の葛藤が作品としてそのまま固定化されたことで、現時点では今後の指針のような存在となっていることは確かだ。『DEAD OR ALIVE』、自分が30になったとき、その聴こえ方は果たしてどうなっているのだろうか。23のオレには、まだ分からない。

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