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情熱の静脈

BUMP OF CHICKEN「FLAME VEIN」から続く今

昨日、私は、BUMP OF CHICKENの曲を改めて噛み締めたいという気持ちに駆られて、
CDのブックレットをひとつずつ空いた時間に読もうじゃないかと思い立ち
「それって中学生の時にやっとくべきやつじゃない?」と自分自身にツッコミながら
(私はこれまでの人生あまりじっくりとそういうことをしたことがなかったのだ。)
自分の部屋から彼らのインディーズ1枚目のアルバム『FLAME VEIN』を持ってきた。

ほぼ毎日と言っていいほど彼らの曲は耳では聞いていて、
人生の経験が重なる度に、様々な解釈が自分の中に生まれ、
背中を押してもらったり、その場に立つ勇気をもらったりしている。
世の真理のようにも感じられることを、
聴いた個々それぞれの存在に寄り添うようなことを、
優しく押し付けがましくなく表現される歌は、
ロックでありながら童話や絵本の世界にも通じるようで、
作詞作曲を担う藤原基央さんとその音楽を奏でるBUMP OF CHICKENは
すでに私個人の中では大きな存在感を持ち、今後一生涯に渡って聴いていくのだろうな、という確信のようなものも持っているのだけど、
実のところCDの歌詞カードを全ては読めておらず、
読んでいたとしてもそれは1回か2回くらいだったかもしれないと思い返せる。

歌詞を読んで改めて感動が深まる経験もいくつかの曲でしていたけれど、
大抵の曲は耳で聴いて解釈していた。

今やスマホで音楽を聴けば歌詞が自動的に画面で流れるようになった時代になって、それも非常に助かるのだけれど、
心のどこかで、「今一度、紙に書かれた歌詞を読みたい。」という気持ちがあって、それが昨日の夜に大きくグググっと押し寄せてきたのだ。

特に、彼らのアイデンティティ、誓いのようにも感じられて、これまでの軌跡と相まって何度聞いても感動する、まだ彼らが16歳かそれくらいの時に作られたという原点の曲でもある『ガラスのブルース』をまずは読みたくなった。
なんとなく、順番に一つずつ、彼らの歴史をたどりたい気分にもなったのだ。
 

そういうことで、冒頭に書いた通り、部屋からその『ガラスのブルース』も収録されたアルバム『FLAME VEIN』を手に戻り、
何年振りかに開いたブックレットを見てすぐに、私は

「ああ、そうだった。」

と思った。

そこには約20年前に藤原さんが書いた手書きの歌詞やイラスト、コメントがぎっちり埋め尽くされていた。

どこから読んで、次の行はどこに行けばいいんだ?
とちょっと迷うほどに文字と絵で埋め尽くされたそれを見て、
中学・高校の時の手作りのクラス文集のようなものを見るような、タイムカプセルを開けたような、懐かしい気持ちが湧いてきて、思わずにっこりするとともに、20歳前後の彼らの(あくまでも想像の中の)姿が浮かび、その当時の等身大の彼らの“今”の曲と、文字から伝わる人間らしい温度に、
少し自分の10代〜20歳前後の頃があぶり出されたような気持ちにもなって、じわっと胸が熱くなった。

スマホが普及し約10年、その間になんでもが簡単に、綺麗に、かっこよく、早く、映えるように発信され、発信できるようになった。
曲探しも超スピーディーに家に居ながらにしてできるようになった今、このブックレットは瞬時に、懐かしい生活感というか、空気や温度、匂いまでもがするような世界に引き戻してくれた。科学や技術の進歩には、尊敬と感謝の念を持っているけれど『こういう時代も良かったよな』と、この瞬間、少し、肩の力が抜けるような気持ちになった。

イヤホンをして曲を聴きながら読もうか、と思ったけど、
ワイヤレスイヤホン(ここにも技術の進歩が・・!)の充電がなくて、
ワイヤレスじゃないイヤホンを取りに行くのも億劫になり、
そのまま6ページだけの、だけどそれ以上が詰め込まれたようなブックレットを読んだ。
 

このアルバムには7曲が収録されている。
 

1曲目は先にも描いた名曲『ガラスのブルース』から始まる。
1ページを使いぎっちりと今の叫びが書き尽くされていた。実際には書かれているのは今も歌われるガラスのブルースの歌詞だけ(と、収録曲を説明するメニュー)だけれど、その手書きの文字からビシビシと当時の思いの温度が伝わってくるようだった。
 

2曲目『くだらない唄』以降、曲と曲の間を縫うようにガラスのブルースでも歌われている猫(今もバンドを象徴するキャラクターとしてニコルという名で存在している)が登場する短い物語が順番に綴られていた。
 

歌詞を読むことは中断し、そちらを追って読んだ。
 

読んだことがあるような無いような、新しい気持ちで読んだ。

そこには、猫が自分に似合う匂いのする場所を探し旅する様子が描かれている。

初めに猫は絵描きの青年に出会う。しかし絵はまだ何も描かれていない。
がっかりしたのか、つまらなく思ったのか、「始まらないじゃないか」と言う猫に、絵描きは「たった今、始まるよ」と答える。

次に出会った花は、同じ花がたくさん咲く野原ではなく、
むき出しの地面に1輪だけ咲いていて、
それを不思議に思った猫はなぜこんなところに咲いたのかと聞く。
花は、「こんなところでおかしいの?」と聞き返し「ここも美しい野原よ」「ここも野原になるの。私は最初の一輪。」と答えた。

その花が台風に吹き飛ばされそうになり、猫が守ろうとするも困難な状況になった時、「ヒーロー」を仕事とする青年に助けられる。
彼は、「ヒーロー」は始め仕事ではなかったが、いつの間にか周囲がそうあることでしか存在を認めてくれなくなったのだと猫に語りかける。

日も暮れた頃に出会った青年には「キミ次第で世界は朝にも夜にも白くも黒くもなる」と教えられる。

そうして、結局、歩いても歩いても、自分の場所を見つけることができなかったという猫に、全てを見ていた太陽が「唄うキミ。絵に描かれるキミ。花を守るキミ。守られるキミ。どこにだってキミらしいキミがいたもんだよ。そこはもうキミの場所さ。」と語りかけそこで物語は終わる。

末尾には「つづく」と小さく書かれている。

<「」内のセリフ、物語のあらすじはBUMP OF CHICKEN『FLAME VEIN』歌詞カードから引用しました>

この会話だけで構成されたこの短い物語を読んで、じわっと胸が熱くなった。
まず第一に、この物語で表現された全ては、その後生み出される全ての曲の源だと思った。
物語の純粋なメッセージにも心を打たれた。白状すれば、平たく言うと少し自分自身に凹んでいる今であって、彼らの歌詞カードを読みたくなったのも、単純に、前を向くために元気をもらいたかった、背中を押して欲しかったからで、そう思って開いたところで、思いがけずこの物語に慰められる形になって泣けたのかもしれない。

「その後生み出される全ての曲の源」と感じた点だけでいうと、彼らの曲は、人がその人らしく、今を生きることを応援するような優しい歌を歌っている。と私は受け取っている。闇の中に光を見つけられるように導いてくれるような歌だ。伝えようと生まれたその全ての歌の根っこの部分に、この物語があるような気がした。
根本的なところや歌の本質は変わらずに進化を続ける姿には以前から感銘を受けていたけれど、
改めてこうして曲以外のところにも同じ根を持つ物語を生み出した彼の心と、
“それがずっと続いていた証明”に出会ったようで熱い気持ちになった。

少し話がそれるが、私は音楽については全くの素人だけれど、素人が見ても、BUMP OF CHICKENの彼ら自身のことを言えば、近年、演奏・曲を仕上げる姿勢のレベルが高まっているようにも見えていて、これまでの素晴らしい曲がさらに素晴らしく輝くようになった。と感じていた。ライブに行くたびにそれは感じられ、行くことができなかった2016年のツアー「BFLY」のDVDを見た時も『今のバンプすごい、進化している!!』と思ったけれど、その後のツアー「PATHFINDER」でもさらに同じことを感じ、同じツアー中でも行くたびにそれは更新された。そして、今年のツアー 「aurora ark」ではさらにさらに更新してきたようだった。先日のツアーファイナルは連日この場に寄せられる投稿の数々に証明されるように、何か別な力が働いているようでもあった。単純な演奏レベルの向上だけとは言い切れない何かだ。
私は直後に書いたファイナル公演の感想に「BUMP OF CHICKENの曲を追いかけてきたBUMP OF CHICKENが最高にBUMP OF CHICKENになった。」というわけのわからないことを書いた。
説明するに難しいのだけれど、曲の意思そのものを体現しているような、彼ら自身が曲になったようなそんな瞬間に思えたのだった。(わかりやすく伝えたいけれどやっぱり表現ができないようだ・・)

彼らは近年のライブの中で、20年前の自分には考えられなかった景色が目の前にあり、今はそれを確かなものとして、聞いている人がいるということを思い浮かべ曲を書いているということや、それを当時の自分に教えてあげたい、ということを口にする。このことに対する感謝と比例して、演奏に歌に厚みが出てきているようにも思えていた。
私も規模や形は違うが、仕事でお客さんという存在から力をもらうことは多く、その力は何にも代え難く、BUMPもこんな気持ちなのかな、と思ったりすることもある。そこから、自分の作った曲を真ん中にこんなにもたくさんのリスナーと出会うことができた、という感覚に置き換え想像してみて鳥肌が立ったりもするのだけどやっぱり私の中の想像でしかなくて、計り知れないものであるのだろう。と思う。

昨日、この20年前の「FLAME VEIN」がBUMP OF CHICKEN、彼らの20年の軌跡をよりリアルに浮かび上がらせてくれたような気がした。

そういえば、このファイナルのとき、今ツアーでは見なかったニコルのぬいぐるみがステージ上にいた。ニコルにもこの景色を見せたかったのだろう。そう思ってあの日泣けたのだけど、
昨日、思いがけず物語に登場した20年前の猫(ニコル)の姿を見て、この時から変わらずに続いていた鼓動が聞こえた気がして、彼らの鼓動の歴史を思い胸が熱くなった。続けたということはやはり簡単なことでは無い。私からするとそれ自体が黄金の覚悟だ。
あのファイナルの日(私が現時点で見た最新のBUMP OF CHICKEN)は確かに20年前から続いていた鼓動の中にあった。
いよいよ不思議な表現になってしまうが昔の彼らが一緒にあの場にいたような、そういう時間だったようにも思える。
 

そう言えば、「FLAME VEIN」 ってどんな意味だっけ?
と思い調べてみると「情熱の静脈」だという。
私が感じた20年前から続く鼓動はこの静脈の脈打つ音だったのか。

そして、私が持っているのは中古で手に入れたCDのため実際に目にしていないけれど、このCDの帯には「情熱は約束を守る」と書かれていたらしい。
どんな意図で綴られた言葉だったのか、どんな約束なのかは想像するしか無いのだけれど、
これもまた、私の心を震えさせた。今、20年前の曲は、彼ら自身の進化によって、より曲の伝えている本質に近いところで演奏(表現)され、さらに多くの人の元へ届いているようにも思える。一体どんな、何に対しての約束なのかも分からないというのに「守られたよーー!!!」と20年前の彼らに言いたい気分になった。
約束の正体は分からないが、今ある光景は、彼ら自身が、二十数年前から「伝えたいこと」の源の情熱を大切にその時その時の“今”を積み重ねてきたからこそのことだと改めて敬意を評したくなった。

歌詞を噛み締めたい、と思っただけだったが、
思いがけず少しの間だけれど20年前のCDを通して、時空を行き来した気分になった。
形あるものから伝わるもの、というのは確かにあるのだ。
私は予定以上の感動と元気をもらったようだ。

これだけの熱を帯びながらまだ、当初の予定だった歌詞を歌を聴きながら読んでいない。
もう一度ブックレットを開いて歌を聴きながら歌詞を読んで、新たに生まれてくるであろう曲も待ちながら少しずつ、次のアルバムとの再会を続けていこう、と思う。

そして、CDが姿を消す日ももしかしたら来るかもしれないけれど、これらのこの先も聞きたい、と思う曲たちのCDは大切にこの先も持っておきたい。
そう思った。

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