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2017年7月13日

空箱 (27歳)

1対1の音楽

BUMP OF CHICKENの在り方と藤原基央の紡ぎ出す言葉

私は、ここに在る。

 彼らの音の中に自分の姿を見つける。

 鏡のような存在。

 それが、BUMP OF CHICKENの音楽――

 昔から音楽は聴いていたが、素通りすることが多かった。そこに長居したいと思える音楽がなかったのだが、私は彼らを見つけた。当時、バンドを好んで聴いていた人は、歌詞に着目し、そこを深く強く求めている人は少なかったように思う。しかし彼らが世に出てきてから、歌詞に着目する人が圧倒的に増えたのではないだろうか。少なくとも私はそうだ。藤原基央(Vo/G)の書く歌詞に――。
 彼らの代名詞「天体観測」。そこからいくつものシングル、アルバムを出し、通算4枚目のアルバム「ユグドラシル」――いい意味でなんともエゴイスティックなこのアルバム。かなりの衝撃を受けた人は数多くいるはずだ。彼らの現在、未来をここに見て、鼓膜、心が震えた。彼らの違う一面、というより本来の彼らを魅せられた気がした。
≪もう 気付いたろう 目の前のドアの鍵を/受け取れるのは 手の中がカラの時だけ≫-同じドアをくぐれたら-
≪空のライトが照らしてくれた 僕には少し眩しすぎた/そして誰もが口を揃えて 「影しか見えない」と言った≫-太陽-
 
 藤原基央の書く歌詞からは、「孤独」「絶望」「喪失」「生」「死」が多く存在する。それは彼自身が、誰よりもこれらを感じ、追求し続けているからだと思う。
≪二度と朝には出会わない 窓の無い部屋で 心臓がひとつ/目を閉じていても開いてみても 広がるのは 真っ黒な世界≫―太陽―
≪絶望すると 楽になるね 例えば 今/だから今を 未来の果てまで 傘代わりにして/逃げてきた 過去 捕まった 今≫―時空かくれんぼ―
深く深く潜って沈んでいく。そこでは何も聞こえない。何も見えない。呼吸もできない。しかしその時苦しくても、その後、楽になれる。また呼吸をするために、一瞬呼吸を止めるのだ。高く飛ぶために、一度深く沈むのだ。
≪その声とこの耳だけ たった今世界に二人だけ/まぶたの向こう側なんか 置いてけぼりにして/どこにだって行ける 僕らはここにいたままで≫―ディアマン―

 かつて藤原基央は雑誌のインタビューで「孤独」についてこう語っていた。
「僕が一番怖いのは感じなくなることなんです。寂しくないときが一番怖い」そしてこう続く。「孤独なときって、一番他人を感じられる瞬間だと思うんですよ。一人だと一番意識するじゃないですか、他者と自分の距離とか温度差とか。そこに当たってくるいろんな情報とかを一番意識してしまうのが本当に孤独のときだと思うんです。」
≪お揃いの気持ちで 離れながら お揃いの気持ちで側にいた≫―ほんとのほんと―

「限りあるものの中でしか、感動は生まれないと思うし、命も生まれない。」過去に彼は言った。
限りあるものだからこそ、信じることができる。そしてそれはただの事実で現象なだけであって、なにも悲しむことはないのだ――。
≪わざわざ終わらせなくていい どうせ自動で最期は来るでしょう/その時を考えても意味が無い 借りてきた答えしか出てこない≫-モーターサイクル-

 言葉だけで見ると冷たいものも、なぜだか彼から受け取るものは、とても温かい。それは彼の中に在るモノがそうさせたのか、私の中に在るモノがそうさせたのか。
 生きていく中で、「失う」ことで存在を確認できるものがある。切ないことかもしれない。しかしそれを彼が歌い続ける理由は――「僕にとっては、終わりを意識する時に、やっとゲットしたみたいな気分になるんです。だから同じことなんでしょうね。失うと得るっていうのは。得た時にもう、失う可能性が生まれるわけですから。」
≪鼻が詰まったりすると 解るんだ 今まで呼吸をしていた事≫-supernova-
≪無くした後に残された 愛しい空っぽを抱きしめて≫-HAPPY-

人間が「当たり前」としているものが、いかに「当たり前」ではないかを彼は知っている。「生きている」ことがいかに奇跡的なことか。「生き続ける」ことがいかに容易くないか。
≪色々と難しくて 続ける事以外で 生きている事 確かめられない≫―firefly―
≪何も知らないんだ 多分 全然足りないんだ まだ≫―ディアマン―

 人間は葛藤する生き物だ。己の中で葛藤する様を彼は歌う。
≪ただ怖いだけなんだ 不自由じゃなくなるのが/守られていた事を 思い知らされるのが≫
≪惨酷な程自由だ 逃げようのない事実なんだ/震える手でその足で 全てを決めるんだ/絶え間無く叫んで あなたを見ていて/それを続けた心で あなたは選んだんだ≫―(please) forgive―

 人間はなんのために生き続けていくのか。明確な答えなんてものはないし、その答えも人の数だけある。彼が「HAPPY」という曲を製作中、最初に4行の歌詞が浮かんだという。ここに藤原基央の想いが込められている。――≪悲しみが消えるというなら 喜びだってそういうものだろう≫≪消えない悲しみがあるなら 生き続ける意味だってあるだろう≫―HAPPY―

 彼が書く歌詞はいい意味でシニカルなものも数多くある。キレイ事は歌わず、人間の生々しい感情を辛辣な歌詞で歌う。時には「光と影」を描き、時には「闇」だけを描き、「光」を聴き手に見出さす。そのチカラが曲に宿っている。片側だけ描くのではなく、両側を描く。両側の視点を持つのだ。しかしメロディは、それとは逆に明るいものがほとんどだ。ライブで皆が一緒になって楽しそうに歌っている「ray」もそのひとつだ。
≪感動にシビアな訳じゃない 感情に脂肪が付いただけ/食べてきたご馳走は 全て用意された物≫—キャラバン—
≪明日生まれ変わったって 結局は自分の生まれ変わり/全部嫌いなままで 愛されたがった 量産型≫―Butterfly―
≪何にだってなれない 何を着ようと中身自分自身/読み馴れたシナリオの その作者と同じ人≫―ディアマン―
≪一人で生きていくもんだと 悟った顔/一人でも平気な 世界しか知らない≫―イノセント―

 今まで音楽を聴いて本当に笑えるようになったという事はあった。しかし、彼らの音楽を聴いて、私は本当に泣くことができるようになった。
≪この世で一番固い壁で 囲んだ部屋/ところが孤独を望んだ筈の 両耳が待つのは/この世で一番柔らかい ノックの音≫-プレゼント-

 「SONGS」の2回目の出演の際、藤原基央はインタビューで、「昔から“ラララ”とかが一番好きで。音階だけのものが、一番何か気持ちを表現しているなって思ってしまう時が多々あって、だから自分でもそれは悔しいなと思うときがある。」と語った。これを聞いたときに、以前お笑い芸人ダウンタウンの松本人志がとある番組のインタビューで喋っていたことを思い出した。「僕が思うこの世で一番面白い人って、この世で一番面白くない人だと思うんですよ。何しても面白くない人って、面白くないですか?」これを聞いたときに私は「やっぱりこの人はすごいな」と痛感した。ここまでお笑いを突き詰めてきた人が行き着いた先の答えは、それだったのだ。この世で一番面白い芸人だからこそ、言える言葉であり、言いたくない言葉である。どこか切ない気持ちにもなる。それと同じことをこの藤原基央の言葉でも感じた。「言葉」を綴り続けてきたミュージシャンだから、突き詰めてきたミュージシャンだからこそ、行き着いた先なのだろう。答えはいつだってシンプルなものなのかもしれない。ただそこに行き着くまでの過程が複雑すぎるだけなのだ。
≪汚れたって受け止めろ 世界は自分のモンだ/構わないから その姿で 生きるべきなんだよ/それも全て 気が狂う程 まともな日常≫-ギルド-
 
 2011年通算8枚目のアルバム 「COSMONAUT」――。このアルバムで彼らは音楽とひとつになった。一体化したのだ。藤原基央の声も異常なまでに、澄んでいる。音符そのものだ。
≪僕らはずっと呼び合って 音符という記号になった≫-三ッ星カルテット-
≪誰の声か どうでもいい 言葉と音符があるだけ/君の側に≫-イノセント-
余計なものが削ぎ落とされ、シンプルに「音」だけが鳴っている。そこに彼らの姿が在る。
 今まで彼は特定の誰かに向けて歌うようなことはしなかった。しかし、私がこのアルバムを聴いたときに、初めて特定の誰かを見た。その特定の誰かとはきっと、自身から見た自身以外の「メンバー」だろう。当時のインタビューでも「メンバーのことをより強く想っていた」とメンバー全員語っていた。 今まで内に秘められていたものが、ここで外へと飛び出してきた――
 ≪そこに君が居なかった事 そこに僕が居なかった事/こんな当然を思うだけで 今がこれ程愛しいんだよ/怖いんだよ≫-R.I.P.-

 「曲の中に僕の、僕らの姿を探さないでほしい。直接俺と繋がるんじゃなくて、音楽を介して繋がることが一番正しい」 2004年のインタビューの藤原基央の言葉だ。 それから7年後の2011年――「たとえばその曲と聴く人の間に10歩距離があると、僕らの音達は5歩分しか近づかないんだよね。残りの5歩分は、聴く人が近づかなきゃいけない。そうやって5歩分近づき合うことに意味がある。」何より彼らは、リスナーと曲との「距離感」を大事にしているのだ。
≪唇から 零れ落ちた ラララ/その喉から 溢れ出した ラララ/とても 愛しい距離 その耳だけ目指す唄 ラララ≫-才悩人応援歌-

 遠すぎたら聴こえない、近すぎても聴こえない。普遍性のある曲を彼らは求め、生み出す。しかし不思議なもので、私たちリスナーに届いた時には、「私の曲」となる。個人の曲として、彼らの曲が各々のカタチでずっと在るのだ。余白を、私たちの居場所を、いつも作ってくれている。肯定も否定もしない。

 2013年、ベストアルバムを皮切りに、彼らは今までにないほど活動的になる。今まで他のバンドと比べ、シングルやアルバムのリリースもゆっくりめだった彼らが、こんなにも活動的になるなんて、当時の彼らを知っているリスナーは予想できただろうか。 メディアへの露出もほとんどなかったあの彼らが、紅白初出場、Mステ初出演、初スタジアムライブをやるなんてこと、予想だにしなかったはずだ。 中には不安に思うリスナーもいただろう。しかし、彼らにとっては過去も現在も同じ歩幅で歩いているだけなのだ。常に彼らにとっての、現在の、ベストの歩幅。バンドの名の通り、「臆病者の4人組」で、本人たちが言うように、「へなちょこ4人組」の彼らが、その大きな一歩を踏み出そうとしたのは、「曲がそう望んでいたから。」彼らはそう語った。曲が持った使命なら、僕らがその邪魔をしてはいけない――。

 2016年2月11日――
彼らの記念すべきたった1日だけの結成20周年記念Special Live「20」が千葉の幕張メッセで行われた。相当の倍率の中、運良く当選した私がこのライブがを見たとき、確信した。
「この4人は変わらないまま変わり続けているんだ」と。
同時に在り続けることは、何より大事で、何より難しい。それをやってのけてしまうのが、BUMP OF CHICKENというバンドなのだ。この日の彼らを見て私は思った。「良いバンドってこういうことなんだな。」と。

 「虹を待つ人」を始め、「ray」、「Butterfly」と、今までとは違ったエレクトリックなサウンドを取り入れた曲がここ最近は多くなっている。これらの曲を聴いて、今までのリスナーの中で戸惑う人もいただろうが、表面的には、サウンド的には、今までとは変わったかもしれないが、彼らの根底は何も変わっていない。むしろ、より彼らの本質に近づいていっているのではないか。
曲に導かれ、開くべき新たな扉が目の前に現われたのなら、乗り越えるべき壁が目の前に立ちはだかったのなら、それは開くべき扉で、越えるべき壁だ。

 過去にライブで藤原基央は「花の名」を演奏した際、
≪生きる力を借りたから 生きている内に返さなきゃ≫という歌詞のところを、≪唄う力を借りたから 声の出る内に返さなきゃ≫と、変えて歌った。これを聴いたときに私は改めて痛感したのだ。「あぁ藤原基央にとって“歌う”ことは、“生きる”ことなのだ」と。だから彼は歌い続け、彼らは音を奏で続けるのだ。

 「お客さんが1000人いたら、1対1000じゃなくて、1対1が1000通りある」 10年以上前に藤原基央は言っていた。そして結成20周年を迎えた現在。当時と同じことを2016年7月16日に日産スタジアムで行われた、「STADIUM TOUR 2016 “BFLY”」 の最後のMCで言ったのだ――「お客さんが7万人いたら、1対1が7万通りある」分母こそ違えど、同じことを口にしていた。
いつ見ても演奏している彼らは、誠実で、切実だ。
このMCにはまだ続きがあり、この日初披露した新曲「アリア」。「曲」というものについてこう語った。「世の中のあらゆる曲は、聴いてもらうために生まれてきたんだ。誰にも聴かれないまま終わってしまったら、その曲は生まれたとは言わないんだ。新しい曲を聴いてくれて、あの曲に命を吹き込んでくれて、どうもありがとう。」

≪僕らの間にはさよならが 出会った時から育っていた≫‐アリア‐

「僕らではなく、僕らの曲を見て聴いてほしい」 ――。
デビュー当時と同じ気持ちのまま、彼らはこうして現在もステージに立っている。
彼らにとって現在も尚、主役はあくまで「曲」なのだ。

世の中では生きていく上で、「音楽」はなくていいモノとされている。そうかもしれない。
しかし、なくてもいいのであれば、あってもいいではないか。
なくていいモノこそ、あった方がいい。私はそう思う。

 これだけ長く活動してきて、メンバーが一人も欠けることなく歩み続けているバンドというのは、稀有な存在だ。「絆」という言葉だけでは説明できないモノがそこには確かに在る。それはもしかしたら家族以上のモノなのかもしれない。過去に、<ソロで活動することは考えたことがあるか>と、インタビュアーに問われた際、藤原基央はこう答えた。「ひとりで音楽をやっても、まったくおもしろくないでしょうね。バンドでライヴしてる時とかに、説明できない奇跡みたいな瞬間がいっぱいあって。ひとりの中で、歌とギターと言葉の中で、その奇跡的な瞬間がもし体験できたとしても、『ねえ?』って言える人が横にいなかったら、僕にとってはなんの意味もないことなので。」――
このメンバーだからこそ、彼らとだからこそ、藤原基央は歌うのだ。一瞬一瞬を生き続けている彼らが、これから先どんな進化を遂げても、BUMP OF CHICKENは、誠実で切実な、デビュー当時のあの頃の「へなちょこ4人組」のままなのだろう。

そんな彼らが、もう愛おしい。

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