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それでもまだ、人間でいたい

ハヌマーン「幸福のしっぽ」と私と母

 
 
「好きなバンドは?」と聞かれたら、声を大にして叫びたいが、人に易々と教えたくないという理由であまり公言しないバンドが、ハヌマーンである。2004年に結成されたスリーピースバンドで、公式サイトのプロフィールには『空間を切り裂くような緊張感を持つ演奏と、普遍的なメロディをハイレベルで融合させた楽曲、そして、瞬時にフロアを支配する存在感と高い演奏技術で構築されるライブパフォーマンスを武器に活躍中』なんて、自分たちで言うかよってつっこみたくなるような紹介文が書かれている。でも、ここに書かれていることは全部事実なのだ。恥ずかしながら私がハヌマーンと出会ったときには既に解散していたからライブパフォーマンスは見ることはできなかったのだけれど。

ハヌマーンを初めて聴いたときから、私は山田亮一が繰り出す言葉に夢中になった。こんなにも歌詞を熟読して、考察しながら聴くバンドは初めてだった。まるで純文学を読んでいるかのようだった。

山田亮一が『ハヌマーン時代の曲を歌いたいから』という理由ではじめた弾き語りライブには何度か足を運んだ。ギター1本と声1つ、たったこれだけでもかっこいいと思える楽曲たちは本物なんだと、本当にかっこいいんだと信じてやまなかった。

私が山田亮一の弾き語りの中で、まだ1度も聴けていない曲がある。「幸福のしっぽ」という曲だ。『皮肉にも自分の最高傑作』と山田亮一本人が言うほどには、何と言うか、もう言葉にならないくらい名曲なのだ。8分半もある超大作を名曲という簡単な言葉では書きたくないけど、それしか言葉が思いつかないくらいに。

幸福のしっぽの歌詞は、色んな人が解釈をしたり考察をしたりしているのを見たことがある。前置きが長くなったが、今から私がここに記すのは、幸福のしっぽに重ねることができた、私のある出来事の話である。
 
 

地元の山間部では雪が降り始めて、本格的に冬の凛とした匂いが頬をかすめるようになった11月中旬の早朝のこと。眠るように、静かに母がこの世に別れを告げた。5年間半の闘病生活だった。

通夜・葬式が終わり、どうしても大学には行かなくてはならなかったため、渋々一人暮らしのアパートに戻る電車の中で、全曲シャッフルをして一番はじめに流れてきたのが、幸福のしっぽであった。何十回も、何百回も聴いてきたこの曲が、この日だけは違う顔を私に見せてくれた。
 

“また転んだ 日々が行く なんで僕だけと呟く
 運命って言葉が浮かぶ 手も足も出せずに笑う いつも”

なんで私のお母さんだったんだろう、せめて私だったら、その痛みを代わってあげられたら、と何度も何度も何度も思ったことだった。同じ経験をしている人は五万といるはずだし、私が知らないだけで家族を失って悲しみに暮れている人も沢山いるはずだ。辛いのは私だけじゃない。そんなこと頭ではわかっていた。だけど、どうしても、なんで私のお母さんだったんだろう、と思わずにはいられなかった。それも運命だというのなら、足掻けないじゃないか、もう何もできないじゃないかって。息が詰まるほど苦しくなった。
 

“伝えられないことばかりが 性懲りもなく溢れ出す”

母は亡くなる1週間前から、痛みに耐えられずに始めた鎮静剤投与によって眠っている状態が続いていた。「耳は聴こえているから沢山話しかけてあげてね。」って看護師さんは言ったけど、話しても話しても返事がこない虚しさとか、悔しさばかりが溢れ出して涙が止まらなかった。伝えられない、伝えきれない言葉ばかりになってしまった。伝えられるうちに伝えておけばよかったのに。話したいことがまだまだあったのに。
 

“それでもまだ人間でいたくて 明日もまた同じ場所へ同じ手段で行く
 それでもまだ人間でいたくて 彼らの理不尽さも品性の無さも受け入れてかなきゃ”

それでも残された私たちは生き続けなくてはいけなくて、人間でいなきゃいけない。そして私はこの日もいつもと同じように地元から大学の地方に同じ手段を使って向かっている。「運命」という理不尽さも全部、これから受け入れていかなきゃいけないんだ、と思った。
 

“あくまでただの人間であって ごめんよもう自分でなんていたくもなくなったよ”

この2番のサビが、母の叫びのように聴こえた。母は眠る数分前に初めて弱音を吐いた。5年間の中で初めてだった。私たちには理解できない程の痛みに向き合っていた。先程、眠るように去った、と書いたが、少し笑っているように見えた。ごめんねって、悲しそうに笑う母のあの表情と似ていた。こんな痛みに耐えなきゃいけない自分を、辞めたかったのだろうか。
 

“明日どれだけ面倒でも 部屋の掃除をきちんとするよ
 たまった洗濯物も干して あなたを思って言葉を書くよ
 暮らしがどれだけみすぼらしくて 維持するだけで目が回っても
 ただ受け容れるだけの掃除機と 回り続ける洗濯機のように
 好きな歌など聴けなくても 会いたい人には会えなくても
 行きたい場所には行けなくても 黙って全てを受け容れるから
 そしたらまだ 人間でいられるんかなぁ? 母さん”

アパートに帰ったら私はいつも通りの生活をする。どれだけ面倒でやりたくなくても、部屋の掃除も洗濯もきちんとこなして、暮らしていかなければならないのだ。その暮らしがどれだけ貧相で、生きていくことにさえ必死にならなきゃいけなくても。普段なら大好きなはずの希望を歌う歌が聴けなくて、会いたいと願う人にはもう二度と会えなくて、お金を貯めていつか親孝行で旅行に行こうとしていた場所にはもう一緒には行けなくて。けどそんな事実も全部全部受け容れて、私はこれからも生きていくから。前を向いて進んで、あなたが闘ってきた分も背負ってこれからの人生と闘っていかなきゃいけないから。そしたら私はあなたの生きていた証になるし、あなたが生きていた意味になる。それでいいかなあ。ねえ、お母さん。
 

そんなことを考えていたら、周囲に人がいるのにも関わらず、私は電車の中で泣いていた。山田亮一の言葉を借りるなら、『泣く、というより、目からダクダクと溜まった物がでているといった方が適切』(ブログより)といった感じだった。親戚や母の友人から、「辛かったね、これから頑張ってね」と言われる度、私は心配をかけてはいけまいと無理くり笑顔を作っていた。ようやく、一人で、感情のままに泣くことができた。
 

この曲は元々死別の歌ではないし、誰かに「生きろ」と言っている歌ではない、のだと思う。本当はこんなこと公に書くべきではないのだろうとも思う。だけど、私は書かずにはいられなかった。私に「泣いてもいいんだよ」と言ってくれたようなこの歌のことと、この曲に救われた私自身のために。ここまで読んでくれた人は、何を言いたいんだこいつ、となるかもしれないが、私は、私のためにこれを書きたかったのだ。

山田亮一は1年弱、自身の病気の療養のために活動を休止していた。そしてこの秋から弾き語りではあるが再び活動を始めた。私を救ってくれたこの曲を、実際にこの目で、この耳で聴くまでは、私は精一杯生きていこうと思う。

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