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魔術師、音楽家、真実に生きる人、ABEDON/阿部義晴

ユニコーン 百が如くツアー 山形県民会館 クロージング公演

11月30日、山形県民会館クロージング公演、ユニコーン。
魔術師が生まれる前からそこにあり、彼を見つめ続けたこの会館が、終わりを迎えた。
全国各地に個性あふれる会館は多々あれど、再始動の大いなる一歩となった阿部義晴40祭、そして再始動ツアーの初日と、ユニコーンの再始動に最も重要な全てを知っているのはここだった。
かつてより運命付けられていた集大成。大団円。
精神を蝕む苦痛とそれに抗う血まみれの努力を永遠の愛へと昇華させた高潔な魔法の音楽が、この日山形県民会館にあふれていた。

ユニコーンのパブリックイメージそのままの、面白おじさんたちによるドタバタ音楽劇状態の前半~中盤から一変する中盤~後半、胸を締め付ける巨大な音楽・・・
ユニコーンの本性が、闇夜を貫く一筋の光のように出現する。日本ロック界に名を残すことを既に約束されながらも、その現在進行形の伝説すら超えゆく、凄まじい破壊と創造を繰り返すロックバンドとしての生き様を、この会館の最後の日に全ての技巧と精神でもって表現した。

円熟を増した上での洗練に加え、これまで150分の中で散漫に注がれていたエネルギーを100分に注ぎ込むことで剥き出しの全力見せつけるようながむしゃらさが混ざり合い、今からスターダムに確実にのし上がろうとする若手ロックバンドに在る初期衝動のごときパワーをも、この日、全身の一番奥深くでその強さを体感した。
奥田民生の声は間違いなくこのツアー最高のコンディションで、この曲以外も、通常ではパワーを抑えて叫ばない曲でも、日本最強のボーカリストとして、持ちうる全ての力をぶつけ捧げる如くであった。

すでに百が如くツアー後半戦、残り数公演にまで差し掛かり、このホールのクロージングのためにこれまでのライブがあったわけではないのは勿論だが、メンバーだけでなく、スタッフも観客も、山形公演の特別な意義を心に沁みこませていた。山形に対する偏執的な愛情を、メンバーだけでなくスタッフや観客が皆共有していることもあり、この魔法の日、このホールは世界とは切り離され、心地の良い爆音の混沌の宇宙に浮かんでいた。

この日までに既に複数回ライブを見ているが、ユニコーンのライブでは必ず、心が死んでいる時間が生じてしまう。いくつかの場面では、「なぜこの曲がセトリにあるのかなあ。つまらないなあ。」と思ってしまう。狂信的ユニコーンファンであるとはいえ、どうしても全てを受け入れることはできない。日本の宝と呼んでも過言ではないボーカリスト・奥田民生を擁しながらユニコーンがいまひとつ売れない原因がそこにあるのもわかっている。

ユニコーンの長所は短所と全く同じだ。
幕の内弁当はいろいろな味をひとつの中で楽しめる長所があるが、それゆえに食べられないもの、苦手なものがある。それを避けるべく、結局は幕の内弁当を選ばずから揚げ弁当やステーキ弁当を選ぶことになる。弁当であれば友人とおかずを交換したり、残したりするなど対処出来るが、ライブでは避けることが出来ない。必ず耐えねばならない時間がある。毎回その部分に差し掛かると、楽しいはずのライブで心が無となる。自分はユニコーンファンでありながら、なんて酷いんだろう、という罪悪感のような思いを抱えながらライブを見ていたりする時間がある。

それでも自分が毎回同じセトリのライブに何度も通ってしまうのは、幕の内弁当にある特別なものを味わいたくて仕方ないためだ。

ABEDON/阿部義晴の存在。

全身全霊をかけて創り出された、魔法と見分けがつかぬほどに研ぎ澄まされたABEDON/阿部義晴の音楽により、精神は未知の宇宙に浮かんでは沈み、全事象が快楽により麻痺する。十分に達成された科学技術は、魔法と見分けがつかないが、それは音楽もだ。その魔法を体験すべく、何度もユニコーンのライブに通ってしまうのだ。

日本の音楽出版業界には、ユニコーン専用の「時候の挨拶例文」のような本でもあるのだろうか、「奥田民生率いるユニコーン」、「奥田民生を中心とするユニコーン」・・・ユニコーンの記事にほぼ必ず見られる、あまりに安易な言葉たち・・・
今年ユニコーンは色々足して100周年を迎えることもあり、多種多様な媒体でクローズアップされているものの、勿論全ての人間がユニコーンに興味を持っているわけもなく、ユニコーンを知らぬ人に少しでも記事に興味を持たせるためにこれらを用いているのもわかる。が、それでも、結局ユニコーンではなく奥田民生ソロを讃えることを記事の締めにすることを目的としているような、ライブを見たりCDを聞く前からその安上がりな構成を準備しているかのような、ユニコーンとはあくまで奥田民生の糧、肥やし、とでも表現しているかのような、そんな記事が多くある。それらの記事を担当する音楽ライターに不満、いや、怒っている。何たる怠惰。

今もなお新たな挑戦を続ける奥田民生の偉大さに、勿論自分も常に感動しているが、奥田民生は彼の才能のみでこの高みまで来たのでは絶対ないことくらい、奥田民生の歴史を真剣に見つめているならば、普通はわかるであろう。

ABEDON/阿部義晴がいなければ、今の偉大なる奥田民生もユニコーンも、この世界に存在しなければかった。

青年・奥田民生が今の奥田民生にまで辿り着くまでに、知らない世界を学ぶ過程があったが、そのほぼ全てを隣で感じさせ、いまだ新しい物語を与え続ける存在がABEDONであり、奥田民生の歴史において絶対に欠かせるわけがない存在について、なぜほぼ全ての音楽ライターはまるで申し合わせたかのように割愛しているのかが不思議だ。いわば、ジョン・レノンの歴史におけるポールでありヨーコを足し合わせても足りない。語弊があるかと思うが、宗教と同じレベルの存在だ。

前2作から比較すれば突然の三次元の革新であり、日本ロック史に大いなる足跡を残したと評され続ける「服部」。
その類稀なるスター性と勢いによりデビューし、トントン拍子にコマを進めていたユニコーンに不足していた音楽的知識と技術が、音楽業界の後方支援としての経験と幼少からの音楽の素養を持つABEDON/阿部義晴が加わることによって急激に向上したことにより、このアルバムは誕生した。
音楽で生きるべく、スタジオでの活躍を夢見たABEDONだったが、奇妙な、しかしまるで遠い昔から約束されていたかのような、淡い恋のはじまりのような運命により、ユニコーンに加入した。音楽で自らを表現する場所としてユニコーンを選び、奥田民生と出会い、全員主役制のバンドを作りたい、という奥田民生の願いを叶える為に奔走した。目の前に立ちはだかる困難を理解し、それは正面突破出来るか、できないのであればどういった策があるのか、奥田民生との共同作業の中で、アイデアの実現のため、ユニコーンの頭脳として必死に動き続けるという、利他的行動なのに一見すると利己的行動と勘違いされがちな強い言動により、ユニコーンに関する全批判を1人で受け続けていたことは当時の資料にも詳しい。その資料を読めば読むほど、それは精神を壊し尽くす戦争であったことが明確にわかる。

どうしてユニコーンをこんな風に変えたのか。どうして単なるキーボーディストのお前が目立つのか。「服部」での大変革は奥田民生の求める世界への第一歩であったにもかかわらず、前作、前々作のファンからの批判は全て彼に集中し、それは未だ続いている。30年前から、称賛は奥田民生の役割であり、批判はABEDONの役割だった。
これに加えて、奥田民生という最上の才能とともにいることへの嫉妬、妬みを受けるのも、宗教的受難のようにひたすらABEDONに降りかかっていた。

彼はそれでもかまわず前へ進んだが、それは20代前半の青年には酷く重すぎる責務であり、「ヒゲとボイン」の頃には完全に壊れ、そのまま生きながら死を思い、生きるために精神を殺し、それでも生きるために、真実に生きるために、音楽のために進み続けていた。そして長い年月の後、彼は再び扉を開け、圧倒的な美しさの音楽とともに前へ進み始めた。

ABEDON/阿部義晴はお調子者で目立ちたがり屋な奴と勘違いされがちだ。それは、アンセムレベルにまでなってしまった「人生は上々だ」や、再始動の鬨の声ともなった「WAO!」のイメージや、これまた見た目で判断されがちなバンド、氣志團のプロデューサーというイメージのせいでもあろう。
快活な面白ミュージシャンという表立ったイメージはあくまで一側面であり、むしろABEDON/阿部義晴とは、心の目で見る静寂や触れられぬ深遠、鮮やかな闇や風に舞う光、人がただ漠然と生きているだけでは知りえない美を、音によって表現する芸術家だ。
エポックメイキング「服部」の中にもある「逆光」をはじめ、隠れた大名曲「立秋」や「開店休業」、 再始動の全てを決定付けた「HELLO」、現在も新しい世界に挑み続ける「ZERO」等、ユニコーンでの名曲によっても、美を追求する芸術家としての魂を感じることが出来るし、ABEDONのソロ活動の音楽、ソロライブではより生々しく、手触りや温度まで感じられる。

ABEDONの生み出す、唯一無二の美に包まれた音の世界が、一瞬で壊れてしまいそうながら、圧倒的な強さで永久の世界に凛と立ち、人間が真実に生きるその意義自体に繋がっていることを、我々は本能的に知っている。
再始動後2枚目「Z」収録の「デジタルスープ」の歌詞のごとく、ABEDONは音楽家として「真実に生きる」ことを、人生の指針としているが、真実に生きることは、おそらくは生き地獄に等しい。人間とは自分の見たいように物事を見る生き物だ。都合のいいように物事を解釈することは、面倒な世の中をうまく生きるために必要な技術だ。それが人間の本能である。
ABEDONもその本能があることくらいは知っているだろうが、彼が耐えられないのは、何事もなく穏やかに生きることによって、真実を、美を毀損してしまうことを見て見ぬふりをすることだ。ある側面から見れば不器用で、心が傷つくだけの愚かな道を選んでいるようであるが、しかし苦痛に耐えながら美を創り、守り抜き、高めゆく高潔な精神には、畏敬の念をいくら払っても足りない。
ABEDONの音楽を宗教であると評してしまうことがあるが、彼の、そんな高潔な精神のせいであろう。そこから生まれる音楽の力は我々の想像をはるかに超える。美しいものを目指して極限まで精錬された彼の音楽には、我々の凡庸な魂を肉体から切り離し、浄化し、再び生まれ変わらせる力があるのだ。

ABEDON/阿部義晴の魅力をうまく表現することはできない。
強いて言うのであれば、彼がこの世にもたらす音から、我々は生の美しさや尊さを体感するゆえに、彼に魅力を感じざるを得ない、とでも表現すべきか。
彼の精神の中には不変の信念がありながら、彼自身を表現する名を付けることが難しい。彼の作り出す意義は我々の想像のはるか向こうに在り、本ような表現力では例えることができないし、たとえ名前をひねり出しても、彼は美の新たな形を、更なる強さを得て変身を繰り返す。我々が彼の本質を理解した、と早合点した瞬間、すでに別次元の高みで微笑んでいるのがABEDON/阿部義晴だ。

名前を付けることで、人は理解できぬほどレベルの高いものを自分の手中に収めたような、
明らかに誤っているのにもかかわらず勝利を得たかのような錯覚の快感を抱くが、名前を付けることが困難で、錯覚の快感の獲得をさせてくれない対象に対して、そのようなものは存在しないと単純に黙殺するのが最もポピュラーで安易方法だが、理解に届かぬ悔しさに心がうずいてしまい、それは理解できないほどひどい存在なのだ、と脳内を騙すことで生まれる幻影に憎悪を抱くような、驚くほど黒い感情を抱くことさえある。ABEDON/阿部義晴という存在に対し、申し分け程度に触れるのみだったり、完全に無視だったり、時に根拠のない批判をするのは非常に不愉快であるが、つまりはそういうことなのではなかろうか。

しかし彼の高潔な精神を、開拓者としての魂を知る者、愛に満たされた音を体感した者は、彼に絶対的な敬愛を抱き、彼の精神に導かれて生きるようになる。
今回のツアーにおけるオープニング、光の扉が開かれると、無機物が命を帯びて生命があふれて出すあの瞬間の湧き上がるような感動、そして先に述べた中盤の、感情を知ってしまった生命が覚えてしまった悲しみと、その悲しみの根源としての愛、そしてまた深く広く新しい世界を自ら開拓していく決意ともいえる本編ラスト、ユニコーンを再度この世界へ産み落としたあの音楽。100分の深宇宙を切り開くのは全てABEDONの曲なのだ。
ユニコーンが単純な音楽の楽しさだけではなく、揺るぎなき愛を、真実を、音楽を創造できることで、彼らはこれからもより高い場所に進んでいける。そのエネルギーを創出する中心こそ、ABEDONなのだ。

一人一人にこの会館への思いを尋ねていったシーンで、観客ではなく、ABEDONの方をしっかりと向いて強く語った川西さんの言葉が印象的だった。
「ABEDONがいたから山形を知ることができた。ABEDONがいたから山形に来ることができた。山形は第二の故郷だと思っている。」
それは川西さんだけでなく、奥田民生含め、あの場にいた全員が彼に伝えたいことだった。
ABEDON/阿部義晴の音楽があったから、我々はなんとか生きて、今ここにいる、と。

いつもは一番最初に舞台袖に消えていくABEDONが、川西さんに促されて残り、舞台上を端から端までゆっくりと歩み、静かに、愛おしそうに、会場に長いお辞儀をした。
ABEDON/の最後の叫び、「これで山形県民会館、終わりでーす!」
それは悲しみに満たされた葬送の言葉ではない。ユニコーン最大の名曲の1つ、「HELLO」にもある、終わりという名を持つ永遠の生もあることを、あらゆる苦難を乗り越えることで知った彼が、この会館の生を見つめ、そしてまた自らの生を見つめてくれた会館に贈る、愛の挨拶だ。
この愛の言葉を、愛の空間を、山形県民会館がくれた全てを、そしてアンコールでABEDON/阿部義晴が叫んだ愛の願いを、我々は一生忘れない。

「みんなが幸せでありますように!ユニコーンがこれからもずっと続きますように!」
 

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