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まふまふさんの悪夢と希望に対する独白

『神楽色アーティファクト』の「あさきゆめみし」を聞いて

 
『CUT』2019年10月号のインタビューの中で、彼はこんなことを言っている。

「“あさきゆめみし”って、自分だけが年を越していくっていう曲なんですよ。自分だけは前に進んでいくっていう。立ち止まってしまった人を置いていってしまうことを本当に悔やみながら、悔やみながら、自分だけは前に進んでいかなければいけないっていう曲で。」(p.37)

ネット音楽シーンに登場した稀代のマルチクリエイターとして、その功績はもはや枚挙に暇がない。
だが、彼は今でも「夢」を見ている。
現実に酔いしれてもおかしくないくらい輝かしい成功をおさめているにも関わらず、目の前の現実以外のこと、現実にはならなかったことに思いを馳せている。

その夢の一端である「あさきゆめみし」という曲には、努力をしていろんなものを手に入れているようにみえる彼が、その裏で本当は手放したくなかったことに対する未練の想いが込められている。
“まふまふ”という一人の活動者がここに至るまで、決して一人で歩んできたわけではない。
その過程で、自分以外の誰かを置いていかないと、自分が行かなければならない道を歩み続けることはできなかったという局面があったらしい。

「あさきゆめみし」ではその誰かは“君”と呼ばれているが、そのように惜しまれる“君”はどんな存在だったのだろうか。

「元日過ぎてから 指折る年の瀬も 余さず季節を君と紡いで
幾年過ぎただろう 心はずっとあの日でも 大人になったよ 君の分まで」

上の歌詞から、元日から年の瀬まで、つまり一年の多くの時間を“君”と共に過ごしていたことがわかる。
「君の分まで」ということは、同じ成長の仕方をしていれば“君”も大人になっていたかもしれないが、“君”が大人になれない代わりに、“ボク”は大人になったのだ。
というより、大人にならないままでいるという選択肢があったとしても、“ボク”は前に進まないといけなかった。そうしなければ、おそらく道が続かなかったから。
結果として、今まで一緒に過ごしてきた“君”が立ち止まってしまったとき、これからも歩幅を揃えて歩くことを諦めざるを得なかった。

この「大人になった」という表現は、単純に年を重ねたということでもなく、あるいは心がすっかり冷めきったということでもなく、体面上の“ボク”を表す比喩と捉えるのが良いように思う。
周りから見て“ボク”はどういう人物になったのか、という体裁の話。
その真意は、知恵がついた、立派な地位を築いた、しっかり者になったなど、解釈の幅があるが、いずれにせよ、今の“ボク”は無邪気なままの子供といえる立場にはないのだろう。

続く歌詞にその内に秘められた思いの丈を綴る。

サビで「君を失くして 君を強請(ねだ)る」と本心を吐露する。
本当のところ、“君”のことを置き去りにしたくなかったのだ。

「叶わぬ今日を知ろうとも するりと抜ける指先に 頬を濡らすばかり」
自分で置き去りして今更そんなことを望んでも仕方がないと思いながら、涙を流す。

「心ひとつが立ち止まり 未だ越せずにいるボクを 君が叱ってくれる日まで 君を探しに行きたい」
心残りを胸に、君に背中を押してほしいと、子供のような甘えをのぞかせる。

現実には叶えられそうにもない望みを思い描く。
 
 

彼の曲には、「夢」という言葉が多く登場する。
同人CDとして2012年に制作された1stアルバムの『夢色シグナル』の頃から、「あさきゆめみし」含む『神楽色アーティファクト』にいたるまで、彼は夢について歌い続けている。

常に夢見心地なわけではなく、現実をしっかり見据えたまま、夢を歌う。

その音楽に表れる研ぎ澄まされた感性からうかがい知るに、
彼はずっと悪夢を見ているのだと思った。

孤独な状態で悪夢にうなされているという意味ではない。
あるいはこじらせた厭世観のことを言っているつもりではない。

彼の中にあるリアリズムは、目の前にあるこれが現実だと多くの人が認めているが、本当はこれが現実であっていいはずがないという思いの裏返しのように思う。
この世界という悪夢の中で、自分は悪夢を見ていることに気づいている、いわゆる明晰夢のような感覚。
多くの人は当たり前のように現実として受け入れていることに対して違和感を覚えながら、でも自分もこの世界の一員である事実から逃れられない以上、その現実を冷静に見つめている。
 

嫌なことがあっても、辛いことがあっても、
それでも諦めずに一生懸命頑張った結果、素敵なものに出会えるなら幸せになれる可能性はある。

だがしかし、それもいつか必ず終わりを迎える。

それこそが彼にとっての一番の悪夢のように思えてならない。
 

終わってほしくない、誰もいなくなってほしくない、幸せを失いたくない思いが、実は人一倍強いのではないだろうか。
だからこそ、何もかもやがて消えてしまう現世が夢落ちだったらいい、
この現実という悪夢から覚めた先には、誰一人として悲しみも苦しみも背負うことなく、ずっと笑っていられる世界があったらいい、
それが潜在的な願いなんじゃないかと思う。

心のどこかでこの悪夢を終わらせたがっている。
それが『明日色ワールドエンド』の「終点」のような曲になる。

だが、終わらせることはなく、彼は夢を見続けることになった。
『神楽色アーティファクト』にはその夢が詰まっている。
「あさきゆめみし」は何かを得るために何かを犠牲にするような現実の痛みは、こう見えてちっとも平気じゃないんだと言っているようだ。
どんなに持て囃されようが、彼はなりふり構わぬ野望に目が眩んだりすることはなく、昔から変わらない夢を見ている。

彼の挑戦は、明晰夢をコントロールしようとしているような手腕に支えられている気がする。
それが圧倒的な影響力を産み出せる所以にも思う。

今の彼は音楽を通して、悪夢のような現実と取って代わりうる、真の夢のような現実を叶えたいのだと思う。
叶えたい夢を実現できたときに、ああ、あれは悪夢だった、こっちが本物の現実だったんだと、本当に希望していた物に出会える。
 

そして、もうすぐ大きな夢が一つ現実になろうとしている。
 

『2020年3月25日 まふまふ東京ドームでワンマンライブ開催決定。』
 

わたしも、彼が思い描いた夢の一員になりたい。
 
 

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