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進化の先に火星が見えた時

FoZZtone という名の宇宙に魅せられて

「かれこれ20年ぐらいこのバンドのファンでね。」

とあるバンドを語る時、そんな言い方をすることがある。

「ライブには行ったことがなかったんだけど、曲は10年以上前から聴いててさ。」

また別のバンドを語る時、そんな言い方をすることもある。

単なる事実を述べているだけだから。そう思いつつも、「私はそれだけの間この人たちを見てきたのよ、ついこの前好きになったわけじゃないのよ」と、そう言いたげな自分自身がどこかにいる気がして、その度しれっと目を背ける。
 
 

その私は1年ほど前、FoZZtone に出会った。
 
 

出会いは別のバンドで歌う、ボーカルの渡會将士だった。

なんだこの人は。

第一印象がそれだった。
踊るように華やかで、容赦なく壁を壊すような力強い歌声。そして、その真逆をいくようなまっすぐ響く透明な歌声。その両方を自由自在にコロコロと操りながら、曲が変わればその表情を変え、なのに一発で「あ、この人の歌だ」と分かる歌。

これは大変な人を見つけてしまったかもしれない。
そんな予感があった。

一体どこの誰なのか。すぐにそれを調べ、今はソロ活動中と知って音源を手に入れた。
おや。ソロはずいぶんタッチが軽いのね。その意外性に驚き半分、更に興味をそそられる気持ち半分となったあと、FoZZtone を聴いた。
 

大変だ。
予感が確信に変わってしまった。
やっぱり私はとんでもない人に出会ってしまったかもしれない。
 

というか、とんでもないバンドに出会ってしまったかもしれない。
 

最初に私が渡會将士に出会ったバンドでも、ソロのミュージシャンとしている時でも、渡會将士の歌はいつも鮮やかに曲の中心に存在していた。もちろん FoZZtone というバンドでも。ただ、FoZZtone はボーカルだけではなく更に違った光る存在が、ぐいぐいとその曲を引き立てていた。

なんという心躍るメロディと華やかなサウンド。あの華々しいボーカルだけじゃなくて、こうも煌びやかで時にたっぷりとロマンチックなギターを弾く「竹尾典明」という人が、このバンドにはいるわけね?そんな華々しいギターとボーカルをまとめる「菅野信昭」のベースは、ちゃんと落ち着いてグッと全体を支えてくれていて、だから遠慮なくワクワク聴かせてくれるのね?

そんな御託のような言葉があれこれ浮かんできたのは、最初に曲を聴いてからもう少し後のこと。感動と言葉はワンセットになっているような私だが、その言葉がポンポンと浮かぶまでには少し時間があった。
「何よ・・・!何これ・・・!いいじゃん・・・!」まるでそんなワードしか出てこなかったし、何よりその歌詞に、言葉を、耳を、奪われた。
 

「情熱は踵に咲く」
 

情熱が、咲く。それも踵に。
フラメンコのあのパソドブレを、そんな風に表現するのか。
一度見たら忘れない、そう思ったその言葉をタイトルと歌詞に乗せたその曲は、サラッと駆け抜けるように軽やかで、でもグッとした熱があって、私を夢中にさせるには十分な起爆剤だった。

それから手当り次第、彼らの曲を手に取って聴いた。熱さと涼しさの共存。その絶妙な均衡をズバッと駆け抜ける、センスに溢れた音楽の数々。気が付いたらそれに引きつけられている。「どうだ!見ろ!」という佇まいとはちょっと違う。何だろう、何だろうと言いながら、どんどん後をついていってしまうような吸引力。
 

「何かを諦めるには 常に絶好の毎日だ」
 

そんなハッとするような歌詞を孕む曲「Reach to Mars」は、サビでは「進めば必ず着く」という歌詞を乗せ、力強く希望的なメロディを刻む。そのメロディが連れ出す先に、壮大な高揚感が待ち受ける。

晴れやかでパワフルで、眩しいほどのメジャー調で展開される曲「ENEMY」の、その曲の頂点を彩る歌詞はこうだ。
 

「西日がすべてを焼く前に、
素晴らしい日だったなんて言う前に、
俺を暴いてくれ。おお、エネミー。」
 

何だって・・・?と、一瞬手を止めて聞き直してしまうようなその歌詞の余韻を、輝くようなギターの旋律がキラキラと上塗り染め上げていく。追いかけるようにベースの低音が、それを支えて押し上げる。引き込まれるように響いた歌の跡が、そこに残る。

凄い。曲の持つエネルギーが凄い。明暗を併せ持つような曲の表情が凄い。血が通った生き物みたいに生々しくて、でもカッコよくて、美しい。

どの曲にも、奥に小部屋がある。ポジティブなパワーに満ちた、彼らのアンセム「LOVE」にも、瑞々しいきらめきが溢れるような、初期の曲「フラッシュワープ」にも、ずっしりと重く響き渡る、組曲構成の異端の作「白鯨」にも。あの曲も、この曲も、その小部屋の扉の向こうから、曲に何かが滲み出ている。
扉の向こうを知りたいような、でもそれを覗かずに、扉の隙間から滲み出るものを曲に乗せてずっと感じていたいような。全然具体的じゃないが、そんな感じ。なんだかとても、奥行きを感じるのだ。だからまた聴いてしまうし聴き入ってしまう。ワクワクする。この先にまだ、何かがありそうで。
 
 

私の音楽の青春時代は 90年代だ。ガツンと聴かせてくれるロックが大好きで、そんなサウンドが邦楽シーンに減ったような気がしていた 2000年代は、なんだか物足りなくて洋楽ばかり聴いていた。でも、FoZZtone の結成・デビューは 2000年代だ。

いた。
いたじゃないか、こんなに素晴らしいバンドが。
それも、今まで私が傾倒してきた音楽とは少し違うタイプ。

私が愛してやまないガツンとした色もあるけれど、半分ぐらいは爽やかさと軽やかさが占めている。かといって物足りなさを感じない。深みにはまるようなドーンとした底の深さと、華やぐようなタッチの軽さ。その両方を行き来しながら、彼らは彼らだけのバランスで、その音楽を推し進める。これは新しい。私の中で、新しい。
 

その新しさに目が輝いた自分に、私は一番ときめいた。
 

10年、20年と、変わらず好きでいられる存在があることは、とても素敵で幸せなことだ。でも言い換えれば、初めて好きになったのも 10年、20年前。その音楽たちに出会ったばかりの頃の、宝物でも見つけたかのような気持ちは久しく忘れていた。好きな物は変わらない、長年ブレない愛がある、そんな自分がどこか誇らしげだった反面、「カタブツ」という言葉も、たまに脳裏にチラついた。ブレないことと、視野が狭いこととは違う。変化を受け入れられないこととも違う。だが紙一重だ。歳を重ねれば重ねるほどそういう傾向は強くなるような気もして、心配になる。

でも、40歳を見据えた今の私は、新たな出会いに、こんなにも感動している。
よかった。案外私はカタブツじゃなかったらしいし、自分でも知らなかった新たな触手を、伸ばす先があったみたいだ。

そんな今の自分の感性に感謝した。

そして、それを呼び覚ましてくれた彼らの音楽に、ひたすら感謝した。

世の中には私が知らない素敵な音楽が、まだたくさんあるんだわ。
その当たり前の事実を、まじまじと見つめてまた感動した。
 

だが、その感動にたった一点の曇りがあった。
 

活動休止。
私が FoZZtone を知った時からずっと、彼らは活動休止中なのだ。
 

彼らを知れば知るほど、密かに落ち込んだ。
どうしてこんなに素晴らしい音楽が、今は眠っているのだろう。やっと私は出会ったというのに、なぜまだ眠り続けているのだろう。
彼らの曲たちの奥にある、あの小部屋の中は何なのか。活動中の彼らに触れられたなら、それを知ることができたんじゃないか。でも、今はそれが叶わない。分かっているが、でもその気配を感じてみたい。私もその答えに近づきたい。

きっと知っているのだろう、彼らが活動中だった頃からのファン達は、あの小部屋の中にあるものを。その人それぞれの胸の中に、きっと答えを持っているんだ。
 

いいなぁ、羨ましい。
と、卑屈になりかけたが、ならなかった。

上等だ。
かき集めてやる。私なりの、その答えを。
 

前進すること、成長すること。変化を受け入れ、進化すること。彼らがそれを大事にしていることを、漁るように読んだインタビュー記事で知った。
その彼らに魅せられた私自身が、今、進化の時なのだと思った。
新しい出会いに、あんなに感激したのだ。10年、20年と愛してきた音楽に匹敵するほどのものを、まだ聴き始めて間もない彼らの音楽から感じたのだ。だったらそれを存分に楽しんでやろう。良いものはいつ聴いても良い。人を感動させる音楽の力は、聴いてきた時間の長さにも、タイミングにも、シチュエーションにも縛られない。それが言い訳でも卑屈でもないことを証明したい。
何より、私が久しぶりに思い出した、新しい発見を受け入れる喜びを、できうる限り楽しみたい。

進めば必ず着く。
「Reach to Mars」が歌っている。

曲の奥にあるあの小部屋に、潜んでいるものが何なのか。それを追いかけるんだ、これからも。楽しいじゃないか。活動休止というこの期間は、悲しむための時間ではなく、私が彼らの音楽に追いつくための時間。そう思うことにした。
うん、悪くない。
きっと褒めてくれるだろう、進化と前進を大事にしてきた彼らなら。もしいつか私が FoZZtone のステージを見られる日が来たら、めいっぱい褒めてもらうのだ。祝福してもらうのだ、彼らの楽曲たちに。
 

そうやって彼らの曲を聴くうちに、気づいたら、聴き始めて数年経ったかのような感覚になっていた。
そんな私に、奇跡は訪れる。
 

FoZZtone がメンバー全員で、ステージに現れたのだ。
 

ボーカル・渡會将士のソロライブで、サプライズゲストとして現れたメンバーは、歓喜と驚きが溢れる会場に向けて 3曲を演奏し、その場を最高の興奮で包んだ。
定番曲のひとつに数えられる「blow by blow」、明るく朗らかに「報われようぜ」と歌う「Gloria」、そして最後は「Reach to Mars」。
私を FoZZtone という名の宇宙に連れ出した、あの「Reach to Mars」だった。
 

「何かを諦めるには 常に絶好の毎日だ」

そう歌われ、最後には壮大で希望ある世界へと誘い出すその曲を、今演奏する彼らは何かを諦めてなんかいないように見えた。

「生きてる実感なんて 簡単に解ることさ」

同じ曲中の別の歌詞を思い浮かべながら、私も、彼らの曲も、それを生き生きと演奏する彼ら自身も、確かに今生きていることを実感した。
活動休止中にあったって、血が通ったような彼らの楽曲にはいつも、「静」ではなく「動」を、躍動する「生」を感じていた。でも、悔しいかな。目の前で生きた姿を、音を見せつけてくれる FoZZtone は、信じられないほどの説得力で、とにかく抜群にカッコよかった。
 

感激で手が震えた。足が震えた。
会いたくても会えない、生きた彼らには触れられない。そう思いながら夢中で追いかけた3人が、確かにそこにいた。
涙が滲んだのは、すべての演奏が終わった後だった。
 

時間は取り戻すことも、追い抜くことも誰にもできない。それを嘆いても何も生まれないけれど、1年が数年分に感じるほどの濃い時間を過ごすことはできる。それは自分が勝ち取った時間なのだから、過ごした時間の長さよりももっと胸を張っていい時間。その時間を経て、私がやっと出会えた彼らが鳴らす音は、何にも変えがたい祝福の音色だった。
 

「進めば必ず着く」
 

たった一晩、たった3曲。そのつかの間の FoZZtone が、今後どうなるのかはまだはっきりとは分からない。でも、「Reach to Mars」のその歌詞のとおり、きっと進めば必ず着けるのだと思った。少なくとも私には見えた。待ち焦がれた、私の火星が。
 
 

20年ファンをやってきた。10年以上聴いてきた。結局、私は言うのだろう。それはそれで私の大事な歴史ではある。その時間の長さを優越感に変えなければいいだけで、誇らしい事実であることには変わりない。
ただ、それ以外にも素敵なことはあると、今の私は知っている。新しく吹き込む風に華やぐ気持ちを、私はまた手に入れた。まるで長年彼らの音楽に親しんできたかのような、幸せな錯覚を経験した。10年、20年、それが何なのだと、自分を笑い飛ばせるほどの輝かしさを味わった。だからこれからも、臆することなく口にしていこう。
 
 

「私、FoZZtone を聴き始めて、まだ1年も経っていないんだけどね。」
 
 

私の FoZZtone ファン人生は、
まだ始まったばかりだ。
 
 

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