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美しさという呼び水

BUMP OF CHICKENがくれた寂しさ

藤原基央は痛みを愛している。

いや、変態だとかそういう話ではない。
彼の紡ぐ言葉、ひいてはそこから垣間見える彼の哲学の話だ。

藤原基央は痛みを受け入れる天才だ。
大抵のシンガーは「痛みはいつか癒える」「痛みを乗り越えよう」「君の痛みを消してあげる」なんて歌うものだ。痛みは忌むべきものだ。大抵の人は痛いのが嫌いだ。
藤原基央は違う。痛みを愛している。自分から傷を負いに行くような真似はしないが、受けた傷はとことん愛する。
大切な人(あるいは物)を失った痛みが強ければ強いほど、それだけ大切だったんだと愛しさに変換する。

BUMP OF CHICKENの作品には痛みを肯定的に捉える歌詞は数多く存在する。
「愛しい空っぽを抱きしめて」(HAPPY)
「寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから」(ray)
「君がいる事を 寂しさから教えてもらった」(グッドラック)
など。

その中でも私がとりわけ好きな歌詞に
「こんなに寂しいから 大丈夫だと思う 時間に負けない 寂しさがあるから」(宝石になった日)
というものがある。
時間に負けない寂しさ=いつまでも消えない寂しさがある=いつまでも君を忘れずに想い続けることができる、だから大丈夫。
もう寂しくないから大丈夫なのではない。寂しいから大丈夫なのだ。こんなこと言えるのは多分藤原基央だけだ。

話がしたいよがリリースされた時には「お薬貰ったし 飲まないし」というフレーズが少なからず反響を呼んだ。
いや飲めよと。お前さ、お薬は飲めよと。
大抵のシンガーは貰ったお薬は飲む。というか大抵の人は飲む。飲むために貰ったんだから大抵の人は素直に飲む。
だが藤原基央は飲まないのだ。なぜなら痛みを愛しているからだ。この場合は痛みが消えることを恐れていると言ってもいい。
曲中のお薬はまぁほぼほぼ暗喩であろうが、おそらく君を失った痛みを癒すことのできる”何か”なのだろう。
しかしそれを拒んだ。なぜか。痛みを通じて君と繋がっているから。この痛みが、寂しさが拠り所だから。

大ヒット曲、天体観測にも「そうして知った痛みが 未だに僕を支えている」というフレーズが登場する。まだハタチそこそこの頃から人は痛みに支えられる事があると知り、痛みを通じて結ばれる絆があると知り、彼は痛みを愛し続けているのだ。なんだそりゃ。天才か。
いつだったか、ライブの歌詞変えで「そうして知った痛みが こうして僕ら繋いでいる」と歌ってくれていたように思う。今も昔も変わらない。藤原基央は痛みをかけがえのない絆に変える力を持っている。

話は変わってツアーの思い出。
前回のツアーPATHFINDERでは随分と泣かされた。以前から大好きな曲だったpinkieがレギュラー入りし、来ると分かっていてもやはり泣いた。4公演行ったが毎回泣いた。イントロの最初の”ふぉーん”の音でもう泣いていた。記念撮影でも泣いた。リボンでも泣いた。他にも色々と泣いた。割と頻繁に泣いた。
どれも曲に対する思い入れが強かったり、歌詞がその時の心に刺さったり、彼らの奏でる音に心を揺さぶられて泣いた。

今回のツアーaurora arkでも随分と泣かされた。
だが前回とは少し違った。
とある曲中の演出。スクリーンに描き出された、光り輝く教会。それが現れた時、その美しさだけで涙が出てきた。生まれて初めての経験。
人は美しさで泣けるんだとその時知った。
ファイナルを終えて1月以上が経ち、さすがにところどころ記憶も薄れてきてはいるが、私はあの光景を忘れる事はないだろう。
美しさは涙を呼ぶ。教えてくれたのは彼らだ。

もう一つ、貰ったものがある。
寂しさ。
これがなかなか消えない。お薬もない。貰ったところで飲まないかもしれないが。
どうしようもないのだ。寂しさが消えないのなら、その寂しさを愛するのだ。
私たちは皆、あの日の続きである今日を、明日を、彼らがくれたこの愛しい空っぽを抱きしめて歩いて行く。

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