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僕は海の見えない街に生まれた

それでも潮風を感じさせてくれるMy Little Lover

ここから水平線は見えない。僕が海を見るためには、長時間、電車に揺られたり、バイクを走らせたりする必要がある。そういった気力や時間、あるいは費用を、捻出できない時だってある。この街に潮の匂いが届かないことを、恨む日もある。

そして長旅を苦手とする僕は、飛行機に乗ることが好きではない僕は、枕が変わると眠れなくなる僕は、各国の美しい情景を、目に焼き付けることはできない。きっと世界中に、もし会えたなら、少しは分かりあえるような人たちが、そっと息づいているのだろう。それなのに、誰もがそうであるという意味を超えて、僕は「すべて」は知れないまま、日々、着実に老いていく。フットワークの軽い、環境の変化を苦手としない、そして時間と財力を持つような知己を、時として羨ましく思ったりする。

それでも小林武史氏は書きつづる。

<<水平線の見えない この街に生まれて そして死んで行っても あなたがいれば 全てを感じる>>

そう、僕にだって、かけがえのない<<あなた>>はいる。僕のことを好きだと言ってくれる人が、ほんの少しはいる。彼や彼女の存在は、僕に海を思わせる。あるいはオーロラを、満点の星空を、どこまでも広がる雪原を。そして色あせない緑を。それはもしかしたら<<全て>>ではないのかもしれない。どんな素晴らしい朋友が近くにいてくれても、美しい女性が笑いかけてくれても、世界の広さには勝てない。それでも、少なくとも僕は、この埃っぽい部屋のなかに、しっとりとした潮風が吹き込んでくるのを感じることができる。

弱すぎもせず、強すぎもせずないタッチで、小林氏のピアノは導く。少し頼りなくさえ感じられる歌声を導いていく。それに重厚なブラスが重なる瞬間、上記のメッセージは放たれる。それはメッセージではないのかもしれない。痛切な祈りなのかもしれない。信じて生きていくしかないじゃないか、たとえ海が見えなくても、枯れない花などないのだとしてもと、小林氏は自身に言い聞かせているのかもしれない。一瞬の静けさを挟んで、猛々しくドラムが打ち鳴らされ、コーラスが響く。高まっていくのは歓びであり、切なさであり、悲しみでもある。この曲は「優しい」とか「美しい」とか、そういう言葉で形容されるべきではないと思う。

きっと小林氏は、この詞を書いた時点では若すぎた彼は、十分に分かっていたのだろう。たとえカイトの高さまで舞い上がることができたとしても、世界中を見渡すことなどできない。水際まで走ったとしても、海原の向こうで生きている人たちに音を届けることなどできない。だから祈るしかなかったのではないか。<<あなたがいれば>>と。ただ、ひたすらに。僕も信じるしかない。会えない人がいることを受け入れながら、耳に届く潮騒が幻聴のようなものだと認めながら、それでも自分を信じてくれる人のことを、僕もまた信じたい。

この曲が解き放たれてから、あまりにも長い年月が過ぎた。それでも僕は、あらためて聴いてみる今、郷愁を感じたりはしない。いま僕の周りに海がないことを思う。それでも今、少なくとも今<<あなた>>がいることを思う。落ちない葉はないけれど、枯れない芝はないけれど、かつて受け取った緑は、たしかに心のなかに広がっている。それは永遠に色濃く残るわけではないだろう。いつの日か誰もが燃え尽きる。だからこそ、拍動がつづく限り、ある種の暴力性をも感じさせる草いきれを、思い切り吸い込んで歩いていきたい。

ありがとう、My Little Lover。永遠に残るものなどないのだと、僕は分かっている。きっと世界中のファンが分かっている。でも、たった一本でも草が生えているのなら、萎れずに残っているのなら、この世界はグリーンだ。

※《》内はMy Little Lover「evergreen」の歌詞より引用

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