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私には帰る場所がある

ポルノグラフィティと私の20年

テレビから流れてくるアポロを聴いて「音楽」にめざめてから20年が経った。20年。20年ですよ。9歳で物心もろくについていないような小学生も、結婚生活を送る29歳の社会人になりましたよ。
きっと、音楽文を投稿したり読んだりする人なら「音楽のめざめ」を覚えている人も多いだろう。初めて音楽というものに衝撃を受けたあの日のこと。CDはレンタルショップで借りるだけのものではなく自分で買えること、ライブはチケットを買いさえすれば私でも行けること、それらを私に教えてくれたのは、ポルノグラフィティだった。

意味もわからずに「ヒトリノ夜」を歌いながら帰った通学路。学校じゅうで流行った「サウダージ」「アゲハ蝶」。それまでは誰が歌っているかなんて気にしたことがなかったのに、アキヒトとハルイチとシラタマという名前はすぐに覚えた。なかでもハルイチというひとが歌詞を書いているらしいと知った。誰かが歌詞を書いているなんて、そんなの考えもしなかった。誰も書かずに歌詞だけがポンと生まれるなんてありえないけれど、小学生の私にとってはそのぐらい未知のものだったのだ。

中学生の頃、いじめを受けたことがあった。暴力は振るわれなかったが、持ち物を傷つけられたり避けられたりという不快な思いをした。中学生なんて家か学校しか居場所がないのに、どちらも私の居場所ではないように思えて仕方がなかった。そんなときに私を励ましたのはポルノグラフィティの曲たちだった。

 誰だってそれなりに人生を頑張ってる
 時々はその「それなり」さえも誉めてほしい

「幸せについて本気出して考えてみた」に出てくるフレーズ。私は私なりに頑張っていたのに、誰も私が頑張っていることなど気づいてくれなかった。いっぱいいっぱいの私には、このフレーズがひどく沁みた。私が頑張っていることを、この歌詞は気づいてくれている。それに何度も支えられた。あの頃、誰よりも私を理解してくれていたのはポルノグラフィティだった。
つらい日々でも、ポルノの新曲が出るまでは待とうと思えた。初めてライブに行った日には生きていてよかったと心底思ったし、私を迎え入れてくれる場所があると感じた。手拍子をして、歌って、腕を振って、そこにいるのは紛れもなく「私」。どこにいたって余り物の私にも、居場所があると思えたことが嬉しかった。

高校生になって、ポルノ以外にも好きなバンドができた。でもやっぱり一番はポルノだった。初めて友達を誘ってライブに行った。インターネットを通じてポルノが好きな人と交流したりもした。みんな元気かなぁ。

20年もあったのだから、ずっと100%の好きを貫き通せたわけではない。特に2000年代半ば~2010年代頭くらいの、「変わろう」という意識を感じさせるポルノに、私はついていけないのではと思うこともあった。それでも、彼らから離れることは惜しいと思った。
あれは執着だったのかもしれない。かつて私を救ってくれたポルノグラフィティから離れることは裏切りのようにも思えた。私は彼らに恩があるのだから、と思った時期もあった。でもそんなふうに義務のように感じていた頃は、素直な気持ちで応援できていなかったなと今になって思う。だけど、そんな時期も必要だったように思う。

そんな気持ちが吹っ切れたのは、2011年末に行われた「幕張ロマンスポルノ’11 ~DAYS OF WONDER~」だ。
静かな音からだんだんと気持ちを高めていくようなギターリフ、そしてボーカルの力強いカウント。始まるのは、ファンの人気が高く私も大好きな曲、「Search the best way」。本編ラストの「ゆきのいろ」も、とても美しかった。本当に素晴らしいライブで、頭から終わりまでずっと楽しく、ライブが終わって帰っていくときに「大丈夫だ」と思えたことを覚えている。ポルノグラフィティは大丈夫だ、そして私はポルノグラフィティのファンでいて大丈夫だ。
それからは、ポルノからファンへの愛を素直に受け取れるようになった。ただ好きな音楽を聴いて好きなライブに行くだけでこんなに感謝されるなんてと以前は思っていたし、100%の好きをもってポルノの曲を聴けないことに後ろめたさを感じることもあった。けれども「大丈夫だ」と思えたあの日からは変わった。
私がポルノを愛するようにポルノもまた私というひとりのファンを愛してくれているのだと感じられるようになった。特に2014年前後の15周年イヤーはとても楽しかった。15周年記念ライブ「横浜ロマンスポルノ’14 ~惑ワ不ノ森~」では、2人とも40歳になる年だからという意味で「不惑」をもじったタイトルになっていて、一体どんなライブになるのだろうとわくわくしていたら、オープニングで「15年前、音楽で一旗立ててやろうと惑ワ不ノ森(まどわずのもり)に入っていって帰ってこない2人がいる」というではないか。どこの2人だ。そしてラストには「君たちのおかげで惑ワ不ノ森を抜けられたよ!森を抜けた先にいたのは君でした!」と高らかに言う。そうか、私たちは彼らにとってそういう存在だったのかと、改めて思ったライブだった。

それからの5年のあいだには、ヒット曲も生まれた。ラテンテイストの「オー!リバル」、疾走感のあるロック「THE DAY」。ポルノグラフィティが現役であるということを、ファン以外にも示すことができたのではないかと思う。いちファンとして、なんだか誇らしい気持ちになった。
ポルノだけを好きでいたわけではない。他にも好きなものが増えたりもした。でも、ポルノへの気持ちは揺らがなかった。安心できる「実家」のように思えて、前にもまして好きになってしまった。

ここ最近の精力的なリリースはどれも魅力的だ。2018年リリースの「カメレオン・レンズ」「Zombies are standing out」は、それぞれポルノの新機軸となったと確信している。過去の曲がサブスクリプションサービスで配信されたことにより「UNFADED」という何が来るかわからないセトリを楽しめるツアーも行った。2018年から2019年はお祭り騒ぎみたいにめまぐるしい1年だった。

2019年9月、東京ドームで新藤晴一は言った。「いろんなことがあった、僕らの歩んできたこの道を、それでもみなさんは正解と呼んでくれるんでしょうか」。
間違いなく正解だ。食い気味で即答したいくらいに。彼らが、そして私を含めあの場でポルノグラフィティに熱狂したファンが、この20年を正解にしたのだ。素直な気持ちで応援できていなかったあの日々も、きっと正解になったのだと思う。

昭仁は「みなさんがポルノを求めてくれたから今この場所に立っている」と話した。かつて、ポルノを生きる希望としていた中学生の私の声も、彼らに届いていたんだろうか。声を届けようと思ったことはないけれど、CDを買ったり曲を聴いたりライブに行ったりすることが、ポルノを求める声として彼らに届いていたんだろうか。だとしたら、あの日の私に言ってやりたい。あなたがポルノを求め続けた声は届いていたよ。あなたが求め続けた声が、この素晴らしい日につながっているんだよ。

9歳の小学生は周囲と上手くやれない中学生になり、気の合う人たちに出会った高校生になり、真面目に勉強ばかりする大学生になり、悩んだりへこんだりしながらもちゃんと元気になって日々を歩める社会人になった。

それでも、つらいことがあったときには思い出す。

 歩き疲れたら帰っておいで 懐かしい歌など唄いましょう

ツアー「UNFADED」から、アンコールの最後には「ライラ」が演奏されるようになった。「歩き疲れたら帰っておいで」と歌ってくれる場所があることが、たまらなく嬉しい。つらいことがあったって、私には帰る場所がある。
昭仁は笑顔で手招きをする。晴一は満を持してのソロで「ultra soul」を高らかに弾く。心の底から笑いながらそんなお祭り騒ぎを楽しめるのも、ここが私の「ホーム」と呼べる場所だからだ。

20年、私のそばにいてくれて本当にありがとう。
そしてこれからも、どうぞよろしく。

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