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未来になれなかった夜、その先へ

amazarashi「未来になれなかったあの夜に」へ宛てた手紙

あれは一目惚れ… ならぬ「一聴惚れ」だったのだと思います。

ライブでたった一度聴いたきりの、歌詞もメロディーも曖昧にしか覚えていない曲のことがずっと忘れられない、そんな経験はおそらく初めてでした。

ずっと、再びあの曲に会えたら手紙を書こうと決めていました。
なのに、どうしたものか…
うまく言葉にできそうにありません。
この気持ちを伝えられる術をわたしは持ち合わせていないのかもしれない。
言葉にしたら大切にしている想いから離れてしまいそうで、怖いのかもしれない。どうしよう。
 

音源化を待ち望んできたその曲は、11月20日ついに配信リリースされ、同日19時にはミュージックビデオも公開されました。

その日から私は毎日のように曲を聴いて、MVを観ています。飽きることもなく、何度も。
それでもいつか、この感動も感情も少しずつ薄れていくのかもしれません。
それならやっぱり… 今のこの想いを言葉にすることを諦めたくない。
そう思い筆をとることにしました。
 

さかのぼること数ヶ月、令和元年7月5日。
ツアー『未来になれなかった全ての夜に』の大阪追加公演。
私にとってはじめての、amazarashiのライブの日。

昨年の11月16日、日本武道館公演『新言語秩序』のライブビューイングを大阪の映画館で観て、amazarashiが好きだという気持ちが揺るぎないものであると確信した私は、いつかきっと本当に生のライブへ行くと心に決めた。

でも、それがこんなに早く叶うとは思っていませんでした。
というのも、私は最初今ツアーを全公演見送るつもりだったのです。
だから、ネタバレも気にせずツアー初日にセットリストを調べたりしました。
まさか新曲があるとは思いもよらず。
amazarashiの曲はまだ聴いたことがない曲も多い私だけれど、それでも一目で新曲だとわかるタイトル。

「未来になれなかったあの夜に」──

流れ星のように脳裏を駆け抜けて、心臓がざわざわと音を立てる。

『未来になれなかった全ての夜に』という名のツアーでセットリストの最後に構えているその曲は、明らかに今ツアーで要となる曲であろうことが私にも想像できました。

「この曲に会いに行きたい」
思えばその時からすでに、私はこの曲に心を奪われていたのでしょう。
思い切って、大阪追加公演のチケットをとりました。
(大阪での本公演はツアー初日に終了してしまっていたので、遠征が難しい私にとって大阪で再び公演が行われるというのは幸運でしかありませんでした)

ついに私はamazarashiを生で拝んでしまうのか…
秋田さんの歌声を直に浴びてしまうのか…
どうなってしまうんだろう…。
無事にその日を迎えられることを祈りながら、それはそれは楽しみに待ちました。

同時に少し不安もありました。
日本武道館公演の『新言語秩序』が、あまりに完成されていたから。
あの感動を更新してしまうのがもったいない… そんな臆病な気持ちからでしょうか。
ツアーを見送ろうとしたのにはいろいろと事情があったものの、そういった気持ちの問題も一因だったのかもしれません。

『新言語秩序』にて、圧巻のラストを飾った曲、「独白」──
今回のツアーでは「未来になれなかったあの夜に」のひとつ前の位置に組み込まれていました。
『新言語秩序』の顔とも言える「独白」が今ツアーでどのような表情を見せるのか、正直とても興味津々でした。
ツアーが始まるよりも前、他アーティストとの対バンライブや年越しフェスでもすでに披露されていて好評らしい、ということは噂に聞いていたので。

ライブ当日、実際に目の当たりにした「独白」は、今回のツアーのテーマの中にもごく自然に溶けこんでいたので驚きました。
「独白」は『新言語秩序』だけのものではないのだと、amazarashiを代表する曲の一つとしてこれからも様々な形で命を吹き込まれつづけるのだと分かり、当たり前といえばそうなのかもしれませんが、楽曲への愛に胸が熱くなりました。
この日の「独白」も本当に本当に素晴らしかった。
そしてついに、「独白」から「未来になれなかったあの夜に」へとバトンが渡される時が訪れて…。

ずっと会いたかった曲がついに聴ける。
ドキドキしすぎて呼吸の仕方を忘れそうになる。
どうしてこんなにこの曲に惹かれるのか自分でもわけが分からない。
まだ見ぬ曲への期待が自分の中で大きすぎて、感動が薄れてしまったらどうしよう…
そんな臆病者の不安を「未来になれなかったあの夜に」は、優に超えてきました。
歌詞も、旋律も、次から次へと真っ直ぐ届いて気付けば涙がいくつも頬を伝っていたのです。

音楽に合わせて体を揺らしたり踊ったり、拳をあげたり、アーティストの掛け声に応じて歌ったりするようなライブ。
それはそれで、キラキラとしていてとてもとても幸せな時間です。
amazarashiのライブには、そういったイメージとは対極の空気感があります。
ステージは紗幕(薄いスクリーン)で覆われてメンバーのシルエットこそ見えるものの表情は見えず、客席とのコールアンドレスポンスなどもありません。
淡々と、でももの凄い熱量で歌と演奏が放たれるのみ。
紗幕には曲に合わせて様々な映像や歌詞が投影されるため、目と耳をフル回転にしてついていく必要があります。正直大忙しです。
でも、不思議と家で1人で聴いているときのように曲に集中できるのです。
観客は棒立ちまたは座りっぱなしで曲に聴き入り、静かに涙を流したり、たまに誰かの嗚咽が聴こえたり…。

賑やかなのも楽しいけれど、人知れず静かに涙を流させてくれる、そんな時間と場所がほしいときもあります。
私にとってのそれはamazarashiのライブなんだろうな、と思いました。

ほんの少し、高校生の頃に好きでよく通っていた場所を思い出したりもしました。
私にとって心の拠り所となっていた、駅前の地下道。
冷たい床に座って、路上ミュージシャンたちの歌を聴いていたら気持ちが安らいだこと。
学校でクラスに馴染めなくても、家庭に息苦しさを感じても、そこでは力まず自然でいられたこと。
泣いていても理由も尋ねずそっとしておいてくれて、ただそこにいることを認めてもらえる、そんな空間が心地よかったな…と。
今は地元を離れて遠くの地で暮らす身、あの場所へ日常的に通うことはなくなってしまったけれど。

amazarashiもかつて、秋田さんと豊川さん(Key・Cho)の二人で路上ライブをしていた時代があったと聞きました。
その頃にも、二人の歌と演奏に足を止めて聴き入り、静かに涙を流す私みたいな人間がいたりしたのだろうか、そんなことをふと考える。

amazarashiのライブは心地よくて、幸福で、このままいつまでも聴いていたい…ライブが終わらなければいいのに… そう思いました。
でも「終わらせるために歌いにきました」という秋田さんの言葉通りにライブはやがて終わります。

私の記憶違いでなければ、曲のラストへ向けてステージライトがどんどん明るくなり、秋田さんたちの姿までも飲み込むほどに眩しくなっていきました。
まばゆい光に包まれながら、最後に叫んだ秋田さんの「ざまあみろ」という歌声の清々しさと言ったら。
『新言語秩序』のラスト「独白」で何度も叫んだ「言葉を取り戻せ!」のように、いつまでも耳と頭と心にこびり付いて離れませんでした。

ライブの最後の最後にこんな曲が聴けて
「もう今日という日に思い残すことはない」と、本気でそう思えました。それがとても嬉しかった。

歌詞やメロディーなどを鮮明に記憶することはできなくても、胸が震えたこと、涙でずっと頬があたたかかったこと、この曲が「とんでもなく大好き」なんだという気持ちはしっかりと自分の中に残りました。

はやく、もう一度あの曲を聴きたい。
まだ音源として世にリリースされていない、リリースされるかも分からない。
されるとしたらいつなのか、数ヶ月後か1年後か10年後か。
今はまだどうしたって聴けないあの曲にもう一度会いたい。
一目惚れした曲との再会を待ち焦がれるその気持ちは、「これが恋かな?」と錯覚してしまうほどでした。

そしていよいよ待ちに待った再会の日。
日付が変わってすぐ、配信が開始されると同時に曲をダウンロードしました。

緊張して、再生ボタンを押すのを一瞬ためらう。
あんなに聴くのが楽しみだったはずなのに、少し怖い。聴いてしまうのが勿体ない。
でも聴かないのはもっと勿体ない。
そんなことを考えているうちに指はボタンに触れていました。

音が流れ込んでくる。
夜明けを告げるような、豊川さんのやさしいピアノの音色。
小説や、映画のプロローグで流れていそうなイメージ。
眩しくてさわやかな朝というよりは、ちょっと気怠い、でも穏やかな微睡みの朝。
何かが終わったあとの、静かな始まりを予感させるような音…
たった数秒ですでに胸いっぱいで溢れそうになる。
そこに秋田さんのボーカルが差し込む。

〈「色々あったな」の 色々の一つ一つを
つまびらかにしたくて ペンを取ったわけですが〉

語るように、呟くように。
あぁ、やっぱりこの声が好きだなぁとじんわり思う。
初めてじゃないのに、はじめましてのような。
初めてなのに、懐かしいような。
そこから先はもうずっと耳と心が幸せでした。

あったかい。
心が、というより体が本当にぽかぽかして。
曲を聴き終わると、まるで一本の映画か小説でも読み終えたあとのような余韻に包まれていました。
久しぶりに、取り憑かれたように曲を再生しつづけました。

お楽しみはもう一つ。
同日の夜に公開されたミュージックビデオ。
これがまたどうしようもなく、心を揺さぶる作品でした。
もはや映画か、まるでこの身で体感したのかと錯覚するような濃密さ。
1つのMVをこんなに真剣にくりかえし観るのも、とても久しぶりのことのような気がします。そんな自分がうれしくてたまらない。

MVにamazarashiのメンバーは出演しておらず、秋田さんの過去をもとに俳優さんが演じるという演出。
とあるバンドの青春と解散、そして再び出会う(?)までが描かれています。

MVのプロデューサー・キャスティングディレクターである高柳亮博さんによると、登場人物およびバンドのメンバーは
ギターのヒロ(秋田さん役)
ボーカルのトモキ
ドラムのコウイチ
ベースのマサ

「こんなバンド、本当にいそうだな」という絶妙なリアルさがあって。
過去の回想ではまだ顔つきもどこか幼く、希望に溢れた表情をしている。
それがわずか7分半のMVの中で歳を重ね、人生の経過も感じさせる表情になるのだからびっくりする。
俳優さんも、サポートするプロフェッショナルな方々もただただ凄い。

若い頃の4人を側で支える女性(ユウコ)の姿も映し出されます。
個人でもあり、彼らを陰ながら応援してきたすべてのファンの化身という意味でも描かれている、と高柳さんはおっしゃっている。
回想シーンの多くは、彼女がハンディカメラで撮影してきた映像らしい。

意見の食い違いからか、喧嘩してメンバーが散り散りになった後もそれぞれの人生は動いていく。
地元へ戻って閉じた生活をする者。
就職して、結婚、そして子どもが生まれて親になった者。
身の振り方に悩む者。
別の誰かとバンドを組み、音楽活動を続けている者。
信じて待ちつづける者。

5人の挫折や生き様、未来への期待に過去への未練など、揺れ動く感情があまりにリアルに描かれており観ているこっちも胸が抉られる。書いてて泣きそうなほど。
役者さんたちの表現力に胸を打たれます。
台詞は聴こえなくとも、表情や光と影の演出で訴えかけてくる。

物語は最終的に「光」「希望」を感じられる方向へと進んでいったと私は感じています。
登場人物たちがその後どうなったのかは分かりません。
「久しぶり」と声をかけた者もいれば、声をかけずにそっと立ち去った者もいたかもしれない。
再びステージに立つ彼らの姿をみて、立ち上がるきっかけを得たかもしれない。
もう一度何かを一緒にすることになったりしてるのかもしれない。
何かが変わったかもしれないし、すぐには変われないかもしれない。

それはMVを観ている私も同じなのかもしれない。
MVを観て、どうしようもなく胸が震えた私はこれからどこへ行こう、何をしよう。
MVの登場人物たちのつづきの物語は、リスナーの物語でもあるのかもしれないと思いました。
このMVを観て〈あの日の情熱〉に再び火が灯ったのだとしたら、どんなに小さくとも、それは希望に思えました。

世の中にはメジャー、インディーズを含めればきっともの凄い数のバンドが存在しているのだと思います。
日常的によく目にするようなメジャーなバンドでも、急なメンバーの脱退やバンド解散のニュースを度々目にしてきました。
続くことは当たり前じゃない。
続けていくことは容易くない。

私自身も昔、バンドに憧れほんの少しだけ活動をしていたことがありました。
弱いわたしは一人じゃできないことをしたかった。なのに、誰かを頼る勇気が足りなかった。
「未来になれなかったあの夜に」のMVのように喧嘩して離れたわけではないけれど、そもそも本気で意見をぶつけ合うことをしていませんでした。
もう長いこと、連絡もとっていません。

amazarashiが今にたどり着くのも、当然容易ではなかっただろうと思います。
私には想像できないような苦難を乗り越えて、今があるのだと。
それでも、どんな形であれ、続けてくれていたからこそ私は今のamazarashiに出会うことができました。ライブに行くことができました。
amazarashiに出会えて本当によかった。
この曲に出会えて本当によかった。
心からそう思います。

私はまだ聴いたことのない曲も多く、いわゆる「ファンクラブ」の会員でもない(本当はめちゃくちゃ加入したい)ため知らない情報がたくさんあります。
秋田さんや豊川さん、amazarashiがここに至るまでのいろんなこと。
それでも「未来になれなかったあの夜に」は、今までのamazarashiの曲や、amazarashiにまつわるエピソードの集大成のような曲だと感じました。

MVもまた、その辺りに忠実に丁寧に作られているであろうこと、胸が熱くなるポイントを要所に散りばめ、細部へこだわって作られているだろうことが伝わってきます。
きっとこれから更にamazarashiを知っていく中で新たな発見もあり、好きが深まっていくんだろうなと思います。それがまた楽しみです。

伝えようとする者たちの本気、気迫、誠意を存分にくらいました。
秋田さん、豊川さんはじめチームamazarashi(サポートメンバー)や、楽曲やMVの制作に携わった全ての方々にありがとうを伝えたくなる、私にとってそんな作品です。
 

amazarashiが「言葉」をとても大事にしているアーティストであることは、その楽曲や『新言語秩序』のコンセプト、ライブ中の秋田さんのMCなどから見て取れます。
そんなamazarashiのライブ『新言語秩序』、そして『未来になれなかった全ての夜に』をこの身で体験してから、自分の中で少しずつ、言葉が自由になってきているのを感じています。

秋田さんがライブの最後に伸びやかな声で叫んだ渾身の「ざまあみろ」は、とても清々しく心地いいものでした。
「ざまあみろ」って、今まで自分の人生で口にしたこともなければ、思ったこともなかったかもしれません。
なんとなく、使ってはいけない言葉のような気さえしていました。
でも私はその言葉の陰の部分しか見えていなかった。
ざまあみろの語源が、「様を見ろ」「生き様を見ろ」だと知りました。

やさしく丁寧な言葉でも人の心を抉ることはできるし、逆に荒っぽい言葉に心の底から励まされることもあります。
光と陰が表裏一体であるように、言葉も使い様によってそのどちらにもなれるのだと、秋田さんがその身をもって示してくれたような気がしています。
 

ツアー『未来になれなかった全ての夜に』の本公演と追加公演では、いくつかセットリストに変更がありました。
そのうちの一つである「もう一度」は、今から5年ほど前にリリースされた曲だそうです。

〈もう一度 もう一度 あの日離れていった希望に
ざまぁみろって言ってやる為に 何度も立ち上がるんだ もう一度〉

そう歌っていたamazarashiが、「未来になれなかったあの夜に」でついに「ざまあみろ」と高らかに叫んだこと。
どんなフィクションよりも爽快な伏線回収に思えて胸が震えました。

秋田さんが今回のツアーを「今までを振り返るライブ」だと語っていたように、
amazarashiがこれまでに生み出してきたたくさんの歌たちが、その歴史をなぞりながら「未来になれなかったあの夜に」へと繋がっているのを感じさせられるセットリストだったように思います。

ツアータイトルの『未来になれなかった全ての夜に』
そして、新曲タイトルの「未来になれなかったあの夜に」

一目見たときから、なんてグッとくるタイトルなんだろう、と思いました。
どうしてこんなに惹きつけられるのか。
おそらくそれは、自分に問い易いからではないかと思うのです。

報われなかった努力や、果たせなかった約束。
実らなかった恋だったり、遠ざけた夢、憧れ。
星になってしまった命に、生まれてこられなかった命。
救えなかった何か、諦めた何か。
壊れた関係、届けられなかった想い。
言いたかったこと、言えなかったこと、言ってもらいたかったこと。
叶わなかった願い、手に入れられたもの、取りこぼしたもの…
いくつもの「たられば」な思い。

自分にとっての「未来になれなかったあの夜」はいつだろう、誰だろう、どこだろう、何だろう…
そうやって自分に問い、思い出して切なくなるから。
だから、どうしようもなく惹きつけられるのではないかと思うのです。

「今日に至るまで、いろんな夜を越えてきたはずです。
悔しかった夜、報われなかった夜。
そういう、いろいろあったでは済まされない、いろいろの一つひとつをつまびらかにするために、歌いに来ました」

秋田さんがライブでそう語ったとき、その場にいた人々はそれぞれの「未来になれなかったあの夜」へと想いを馳せたのではないでしょうか。私はそうでした。

思い返してみればいろいろあったな、よく生きてきたよなと思えるようなことも。
でも、自分だけがツライわけじゃないから…

そう思って押し込めてきた想いのひとつひとつを、つまびらかにし、すくいあげられた夜。
かつて流せなかった涙を取り戻すかのように、泣きじゃくった夜。
あの日ライブで流れた涙は、もしかするとそういう類のものだったのかもしれません。
 

〈醜い君が罵られたなら 醜いままで恨みを晴らして
足りない君が馬鹿にされたなら 足りないままで幸福になって〉

すすり泣き、嗚咽する会場。
そこへすかさず秋田ひろむが「ざまあみろ」と叫ぶのです。
あんな夜や、こんな夜を越えて、いま生きている自分へ向けて。
あなたへ向けて。
無駄じゃなかったと抱きしめるように、ここまで必死で選んできた未来を、称賛するように。

そりゃもう大好きになっちゃうよな。
「未来になれなかったあの夜に」
私はこの曲が本当に大好きです。
大好きすぎてどうしようもないから、こうして手紙を書くに至りました。

でも、この手紙の宛先はどこだろう。
最初は「未来になれなかったあの夜に」という曲へ向けて書こうとしていました。
でも今となっては、曲を生み出した秋田さんそして曲やMVの制作に携わった方々への感謝を伝えたいとか、
リリースを心待ちにしてきたリスナーと喜びをひっそり共有してみたいとか、
まだこの曲に出会っていない誰かへ向けて、届くといいなという想いだったりとか。
そして、自分自身にとっての「未来になれなかったあの夜に」向けてだったりなど…。
 

解散してしまったバンドのメンバー、みんな元気にしていますか?
もしかしたら初恋だったかもしれないあの人、幸せにしていますか?
駅前地下道で歌っていた路上ミュージシャンの彼や彼女らは、今もどこかで歌っていますか?

私は?

私は…

ここ数年、夢とか好きなことなどから少し身を引いているところがあったかもしれません。
何かに情熱を注ぐ気持ちや、憧れに胸を焦がす気持ち。
そういったものから離れて鈍感に日々を過ごす私の前にある日、懐かしい感情が訪ねてきました。
多分、言葉にするなら「くやしい」とか、そういった類の感情。目を背けたくなるような感情。
思い出すのは、少し苦しい。

でも、再び目の前に現れたその感情を私は歓迎したいと思いました。
なぜなら「それ」は、何かに本気で向き合っていればごく自然に湧き上がる健全な感情だと思えたから。
私が再び、自分の中の「情熱」に気づいてあげられた証拠だと思ったから。
いつまで持つか分からない、でももう一度、その先を見てみたいと思ったから。

まだ、いてくれた。私の中に。
嬉しくてぎゅっと抱きしめた。今度こそ、離さないように。なくさないように。
 

「未来になれなかったあの夜に」
あなたはきっとこれからいくつもの夢や涙をすくいあげたり、消えかけの情熱に火を灯したり、
何もかも諦めてしまいそうになっている人の元へ届いて、その心をぎゅっと抱きしめていくんだろうと思います。
あなたがたくさんの人に愛されて、千年先でも歌われつづけることを願っています。
少なくとも、私はあなたに出会えてしあわせです。ありがとう。

あなたのことが大好きな「ナモナキヒト」より。

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