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28歳のクリスマスイブに「CHRONICLE」を聴いて思うこと

フジファブリック 志村正彦氏の音楽と私の10年

フジファブリックの音楽に出会ったのは、私が高校生の時だった。きっかけはとても単純で、当時のクラスメイトが聞いていることを知ったから。その子は何につけても要領が良く、周囲に友達も多く、さらに容姿も性格も良く、自分にとって「ああなりたい」と思わせる存在だった。そんな彼女のようになりたいと憧れを抱き、そんな彼女が好きな音楽なのだからきっと素敵だろうと、そう単純に思ったのだ。

しかし、フジファブリックの音楽を聴いてその時の私が抱いた感想は「不思議な曲」ただそれだけだった。おしゃれで明晰なコード進行を使うJ-POPの曲を好んでいたその時の自分には、フジファブリックの楽曲の良さがまだ分からなかったのだ。今となっては、何て勿体無いことをしてしまったのだろうと後悔の言葉しか思い浮かばない。そして、高校3年生となり受験を控えたクリスマスイブの冬、志村正彦氏は突如として天国に旅立ってしまったのだった。

季節は変わり、私は大学生になった。届かなかった第一志望に夢破れた私の心は、卑屈で溢れていた。そんな時にヘッドフォンから流れてきたのは、あの時「不思議な曲」の一言で片付けてしまった、フジファブリックの「桜並木、二つの傘」であった。桜と名の付く感動的な楽曲が多い中で、この曲は「桜=感動的」という概念を全く覆すものだった。関係の終わりが見え始めたカップルが、別れ話を切り出せずに気怠げに歩く雨の日の桜並木。大学生活を送っていた私には、雨の日の一限、気怠げに同じ教室に向けて歩いていく傘の群れが思い浮かばれた。その風景のどれだけ陳腐なことか。その頃から私は次第に、フジファブリックの音楽に魅了されていったのだった。

それからの大学生活には、常にフジファブリックの音楽が側にあった。大学生活の逃げ場となった図書館やピアノのレッスン室の景色とともに、今も志村正彦氏の歌声が思い出される。彼の音楽は儚く、それでいて勢いに溢れ、不思議に満ち溢れていた。その世界を理解したいとのめり込んで行くその反面、私はどんどん現実の大学生活に馴染めなくなっていった。一人でいるのが好きだけど、それを周りの人に見られるのは恥ずかしい。楽しそうな友達の輪に入りたいけれど、その輪の中から排除されないような自分を作り上げなければ。作らないありのままの自分を認めてほしい。そんな思いが交錯する。

フジファブリックにどんどんのめり込んでいった自分であったが、フジファブリックのアルバムの中であまり再生しないものがあった。それは「CHRONICLE」である。「CHRONICLE」に収録されている楽曲は、それまでのフジファブリックの楽曲のテイストとは異なるものであることは、ファンの方々にとっては周知のことであると思う。志村正彦氏のありのままを明け透けに曝け出した楽曲の数々。これまで無かった感情表現の数々に心が痛くなり、当時は怖くてあまり聞くことができなかった。どこか浮世離れした存在として捉えていた志村正彦氏の人間らしい部分を知るのが怖かったのかもしれない。

多感すぎて他人にたくさん迷惑をかけてしまった大学時代を経て、私は社会人になった。真面目すぎるくらい自分の嫌な部分と向き合い、好きになろうとした。そのための努力もたくさんした。高校時代になりたかった彼女のようにはなかなかなれなかったが、努力の甲斐あって、私は私のアイデンティティをそれなりに確立し、それを表現できる仕事に就くことができた。ここなら自分を生かせると感じた場所は、私が憧れたキラキラと輝く彼女のような人が働く場所とは程遠かったが、それでも一生懸命働いた。

しかし、二十代も後半に差し掛かったとき、私は転職をする。今の努力して成長した私なら、かつては馴染めなかったキラキラとした世界の中でも認めてもらえるような自分になれるのではないかという期待があったからだ。

転職して実感させられたことは、いくら取り繕い頑張ってきたところで、根暗で生真面目で面白みのない私の性格は変わっていないということだった。キラキラした世界に馴染める人間にはやっぱり程遠かった。そんなことはとっくの昔に分かっていたはずだったのに。自分を変えたいと努力を続けてきて、そこで得たものに自信持ち始めていたからこそ、三十代を目前にそのことに改めて直面するのはかなり堪えた。

大学時代と同じような失敗を繰り返してしまい、気持ちが沈んでいた中で迎えた28歳のクリスマスイブ。転職のために引っ越してきた慣れない土地のファミリーレストランで一人Twitterを開き、そこで今日が志村正彦氏の命日であることを思い出す。あれから10年も経ったのかと思いながら、久しぶりにフジファブリックの音楽を聴こうと自然に選んでいたのは、これまであまり聴くことのなかった「CHRONICLE」であった。

一曲目に流れてきた「バウムクーヘン」を聴いて、自分がこれまで抱えてきた思いが決壊した。うまくいかない日々。つまずいてばかりの日々。否定されるのが怖くて、自分の思いを言葉にできない、いつまで経っても変わることのできない臆病な自分。28歳の自分がいま感じていることが、全て歌詞の中にあった。
同時に思う。否定されることが怖いと歌詞にする彼が「CHRONICLE」を世に出したときはどんな気持ちだったのかということを。包み隠さず自分を曝け出した音楽を発表するに至るまでには、どのような気持ちの変化があったのだろうか。自分自身を表したとも言える楽曲が他者からの評価に晒される中で、その事をどう感じていただろうか。「CHRONICLE」を聴いていると、なりたい自分に対して、どれだけ努力しても永遠に埋まらない現実の自分とのギャップへの悩みを志村氏も抱いていたのではないかと考えてしまうのは、勝手な妄想だろうか。

志村正彦氏の思いがこの歌詞にある通りであるのならば、ここからどう這い上がったのか、私はその問いを知りたい。だがしかし、その回答を私たちリスナーに示す前に、志村正彦氏は29歳で天国へ逝ってしまった。その問いの答えを28歳の私は知る由もない。

私が志村氏が亡くなった29歳に達するまで、あと1年となった。私の28歳までの「CHRONICLE」としてこの文章を記すと同時に、また1年後、自分がどんな思いでこの文章を読むかを想像しながら、残りわずかなクリスマスイブの時間を、フジファブリックの音楽と共に過ごすことにする。今夜もまた、眠れぬ夜になりそうだ。

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