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喪失のその先へ

indigo la End「鐘泣く命」に救われて

私がindigo la Endを知ったのは、ありがちなもので、ゲスの極み乙女。が爆発的にヒットしていたころ、「ボーカルの人、もう一個バンドやってたんだー、違う感じでこっちもめちゃくちゃいいじゃん!」てなものだった。ちょうど子どもたちも大きくなり、仕事で出張が入っても大丈夫になってきたのをいいことに、仕事を装ってライブにも足を運び始めた。行けば行くほど、どんどんはまっていった。好きでたまらなくなった。ところがそんなころ、川谷絵音の人間関係を巡って世間は大騒ぎとなり、喉の調子も崩れて歌声は出にくくなり、なんとも言えない不穏なムードが流れ出した。そしてついに活動自粛となってしまった。自粛が発表されたライブの場に立ち会っていた私は、思わず泣いてしまった。泣くなんて、以前の私では考えられない。それくらい私にとってなくてはならない、生きがいともいえる存在になっていたのだった。

私には2人の子がいる。男の子と女の子。世間的には十分ね、というところかもしれない。でも私はずっと、もう1人いたらなぁなんて思っていた。基礎体温を測ったり、排卵検査薬を試したりしてみたけれど、残念ながらなかなか授かることはなかった。そんな思う通りにはならないことにやきもきする思いを解消するのがライブ通いであったのかもしれない。授からなくても、私にはライブがあるし、と思えていた。

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幸いにも、活動自粛は私が思っていたより早く解け、東京で行われた再開ライブにも出かけて、幸せを噛みしめた。それからしばらくして、私は妊娠した。嬉しかった。でも身の回りの家族は、ちょうど子どもの手が離れてきたのに今さら?と、思いのほか冷ややかだった。寂しかった。半分自暴自棄になって夜遅くまで仕事したりライブにも出かけたりした。妊娠初期はだめになるときはなるもんだし、くらいにさえ思っていた。そうこうしているうちに、本当に流産してしまった。深夜、明け方まで、病院のベッドで泣き続けた。まだ初期とはいえ、我が子を失うというのは、相当なダメージだった。しかも、そのころちょうど、職場の同僚が妊娠安定期に入ったことを報告。正直喜べなかった。秋、みんなで遊びに行くことになった学生時代の友人宅には、赤ちゃんが産まれていて、羨ましくて仕方なかった。ライブ通いで知り合った同世代の友達たちも、立て続けに妊娠。ライブには来なくなっていった。置いていかれたような気持ちになった。

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私は流産の原因の一つとなった子宮筋腫を切除する手術を受けることにした。片道2時間半以上かけて、名医といわれる医師のいる病院へ、月に一度、数ヶ月通った末、手術を受けた。長距離通院のお供となったのは、indigoだった。とりわけ「鐘泣く命」が胸に響いた。

電車に揺られて、魂が抜けたようにぼんやり空を眺めながら、失った命に詫びていた。やっぱり産まれて欲しかった。もっと大事にしてあげればよかった。そう思わないではいられず、
<一度受けた愛が 残ってるんだから 少しずつ空に昇ってゆけ>(「鐘泣く命」)
というフレーズを聴きながら、「だめになるときはなる」なんて強がったように開き直りながらも、産まれて欲しかったと切に思う裏側には、なりそこねた母としての愛があったんだと確信し、子が空で星となり、許してくれることを願った。

そしてなにより
<そのまま きっとそのまま 大丈夫じゃなくてもゆけ ここでは血が流れなかったよ きっと偶然だけど>(「鐘泣く命」)
このフレーズに救われた。私は大丈夫じゃなかった。夜になると泣けてきたし、電車に揺られながらも泣きそうになっていた。でも、ゆくしかない。大丈夫じゃなくても、ゆこう。ここであの子が産まれることができなかったのは、仕方ないことだったんだ、と言い聞かせた。

<この日々が命 この日々が命 この日々が命だから 願いと歩いて>(「鐘泣く命」)
と静かに繰り返されるこのフレーズにも力をもらった。「この日々が命」と自分に言いながら、毎日をやり過ごして、とにかく前に進もう進もうと、もがいていた。

サビの
<あの鐘を鳴らしてよ この愛の音聞かしてやれ あの鐘を鳴らしたら 胸の明かりが輝くはずだから>(「鐘泣く命」)
というフレーズを聴きながら、いつかまた、鐘が鳴るように鼓動する命を授かれるだろうか、祈るような気持ちで電車に揺られていたのだった。

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indigoの曲は、失恋による喪失感を歌ったものが多い。たとえば「アリスは突然に」とか「夜汽車は走る」とか、少し前の曲は、タイトルを見ただけでもちょっとファンタジックでロマンチックだ。若い恋愛の苦くも甘い味を想起させる。それに比べて、自粛を経て活動再開したあとの曲には、「鐘泣く命」みたいな重みのある歌が増えた。本当に大事にしていた人との別れは、一種の喪失体験だ。自分の人生にもう二度と関わることがなくなるということは、ある意味、その人は自分にとって死んでしまったも同然だ。そんな喪失体験を経ただろうからこそ歌われる曲には、単なる失恋を越えた共感を呼ぶ。「鐘泣く命」に、私が共感したように。そして、喪失による絶望を味わいながらも、生きていくしかない、進んでいくしかないという、覚悟にも似た気持ちを抱かせる。がんばれと簡単に勇気づけられるのとは決して違う、未来に向かう力を与えてくれる。そして、歩いていけば道は必ず開かれていくものだ。

手術後、やがて私は新しい命を授かることができた。今度こそうまくいきますようにと強く願い、大事に過ごし、家族ともよく話し合った。そして、大きなトラブルなく、今この腕の中には小さな女の子が眠っている。待ち望んだこの命は限りなく尊く愛しい。しばらくライブはお預けになるのは寂しいけれど、indigoの曲はいつも私の人生と共にあり、鳴り続けている。単に心の隙間を埋めるようなものではなくなった。人生は自分の思い描いた通りにいくとは限らず、むしろ想定外のことだらけだ。ときには苦しい局面もある。そんなときいつも、indigo la Endの音楽に何度だって救われるのだ。

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蛇足になるが、ゲスの極み乙女。は知っているけどindigo la Endは知らないという方や、川谷絵音を敬遠して彼の音楽を聴いていない方で、誰かを失った悲しみに暮れている方は、一度ぜひ最新アルバム「濡れゆく私小説」を聴いてみてほしい。なかでも「通り恋」。<もう泣いてもいい 乱れてもいい 壊れてもいい>と畳みかけるサビには、堪えていた涙が溢れてくること間違いない。

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