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NO MAGIC TOURと私をささえる人の歌

私をback numberと繋いでくれた精神科医との話

 back numberはどうしてこんなに一緒に歩いてくれるのだろう。これは私がback numberと出会い、おこがましいが共に戦い続けた1年半の記録である。

 出会い方はどちらかと言えば稀有な方だと思う。遡る事1年半。2018年の初夏のことである。毎日仕事は忙しいが、やりがいがある。休みの日は大好きな音楽とダンスを楽しむ日々。平日は仕事が終わった後自主練も欠かさない。手前味噌だが充実した生活を送っていると思っていた。職業柄コンプライアンスが求められ、ミスが許されない業種に身を置いていることもあり、私の職場には精神的に追い込まれて辞めざるを得ない人も多かった。そんな人たちに私は、「気持ちが弱いなあ、プロ意識が低いからだ」という何とも上から目線の気持ちを抱いていた。

 社会人7年目になり、中堅社員として上司と部下からの板挟みによるプレッシャー、役職を兼任し、今まで以上に仕事が静電気のようについてまわった。趣味の音楽やダンスも楽しむよりも「完璧にして練習に臨まなきゃ」と自分を追い込む日々を送っていた。
 業界の繁忙期である1月から6月の半年間、公私ともにそんな過ごし方を続けた末、私は謎の体調不良に陥った。食欲不振、身体が鉛のように重く、パソコンのキーボード1つ打つのも億劫になり、大好きな音楽もダンスも、やらなくてはいけない仕事も、何もかも手につかなくなってしまった。
 7月になり、数日後にダンスの本番と、同日に県外にいる友人の結婚式に出席するという二大イベントが重なった日が控えているにもかかわらず、私には何をすることもできなくなっていた。
 ただ事ではないと思った。私は、元気な頃には半ばバカにしていた人たちと同じように心療内科にかかることにした。ネットを検索し、「病院の中はリラックスできる環境で、しっかり話を聞いてくれる先生」という個人病院の口コミを信じてみることにした。それから、その病院には「待合室ではライブ映像が流れていて病院であることを忘れさせてくれる」というような内容の書き込みも投稿されていた。
「精神的に病んでいる人が通うはずなのに、ライブ映像?どういうことだろう?」
 とは思ったが、自分の中の「音楽への関心」という今にも消えてしまいそうな蝋燭の火がその言葉にたきつけられ、その病院に予約の電話をした。

 精神科というのは、内科や外科と違い、調子が悪い時にまずかかろうと思う場所ではない。緊張してたどり着いたが、初診の日には、ライブ映像は流れていなかった。何の害もない、平日の昼間のバラエティ番組が流れているだけだった。診断の末、「うつ病」と先生から診断を受けた。私はドクターストップを受け、休職することになってしまった。仕事も、ダンスの発表会も、結婚式も、何もかもキャンセルしなくてはならなくなった。
 とにかく「休養」。本当に、何もできなかった。両親と同居していたため、日常生活は不自由しなかったが、用意してもらった食事も一口二口ですぐソファに横になる、横になっても眠れるわけではなく、時間の流れも遅くてぼーっとしている日々。投薬の効果が出てくるのは早くても1ヶ月はかかるため、自分の手首を握って「何をしているんだろう。これ以上生きていても意味なんてあるのかな」と頭をよぎることが何度もあった。
 
 通院は、最初の月は毎週、その後2週に一度のペースだった。先生の診察や病院の中がリラックスできる空間であることは評判通りだが、しばらくライブ映像が流れることはなかった。
 2ヶ月目の診察になって、ようやく少し薬の効き目が出てきたのだろうか。何にも興味が湧かなかった私は、病院の受付のカウンターの端に写真が飾られていることに気づいた。同世代か少し上くらいの男性が3人、並んでいた。
「誰だろう?先生が誰かと撮った記念写真ではなさそうだし…」
 見つめている間に受付での用事は済んでしまい、また休養の日々が始まった。家に帰ってからも時々、あの写真が頭をかすめた。
 ちょうど2018年の夏は映画が公開されていた。自宅で流されているだけのテレビから時折、『僕等は完全無欠じゃ無い 原型を愛せる訳でも無い』という歌がCMで耳に入ってきた。
「完全無欠どころの話じゃないよ。最悪だよ。こんなに何にもできずに、時間が私を生かしているだけで、今の私には何の価値もない。」
 周りの人には心配や迷惑しかかけていない。「休むことが仕事」と言われても、休んでいることすら罪悪感でいっぱいだった。

 次の診察の時、また私は写真に目をやった。写真には「back number」と書かれていた。私はback numberの「曲」の自体は記憶にある。「花束」、「青い春」、「高嶺の花子さん」、「ヒロイン」、「クリスマスソング」、「ハッピーエンド」、「瞬き」などの表題曲を知っている程度だったが、曲名も知らなければその曲がback numberというバンドに結びついているわけでもなかったし、どんな人たちなのか、何も知らなかった。写真が飾られているということはこの病院の誰かが好きなのだ、でも誰なのか、まだ謎は多かった。
 その後診察の度に少しずつ情報を入手していくことになったのだが、その写真には「All Our Yesterdays」と書かれていた。おそらくツアータイトルだろうなと予想はついたが、こんな名前を付けるなんて、不思議な感覚を持っている人たちだと思った。
 その次はその写真が飾られたフォトフレームに刻まれている言葉だった。「one room」。調べると、back numberの公式ファンクラブの名前だということがわかった。
「ファンクラブに入っていて、職場に写真を飾るくらいだから、余程好きな人がいるんだなあ」と思った。
 診察はずっと変わらず、先生は親身に話を聞いてくれ、薬の量や種類の調整のタイミングに細心の注意を払ってくれた。
「どうですか調子は?」
「眠れてる?」
「食欲はある?」
「休んでて辛い事ない?」
「仕事の事は体調が良くなってから考えればいいから。まだ休んでて。」

 休んでいても何ができるわけでもなかったので、時折YouTubeで音楽を聴いていた。今まで食わず嫌いで「バンド」というものを遠ざけ、自分のプレイリストに載ることは一度もなかったが、こんなに信頼できる病院の誰かが好きなのだから、と視聴してみたいと思えるようになってきた。
 ネットで聴けるのは一部だったので、今度は今までリリースされた曲の歌詞に全て目を通し、感じたことをノートに書いていった。こんなに切ない恋などしたことはないが、なぜかぐっと胸を掴まれるような、共感できる歌詞が多かった。back numberといえば片思いや失恋の曲が多いイメージだったが、恋愛の歌ばかりではなく、日常や人生観について歌った曲だったり、幸福感で溢れた曲があったりして私が思っている以上に様々なジャンルの曲があることが分かった。
 歌詞を調べた後は、当然その曲たちを聴きたいと思った。アルバムだけになるが、「逃した魚」から、「シャンデリア」まで全て揃えた。歌詞だけでは分からなかった魅力もたくさん見つけた。ボーカル・ギター、ベース、ドラムのスリーピースバンドで、魂から振り絞ったような声、優しく包み込むような声、全体を支え、時には背中を押してくれるようなドラム、歌を支えながら、ここぞというところは前に出てくるベースの3人の最低限の人数で成り立っている。バンドというのは大音量で音楽をしているという先入観があったが、彼らの音楽は、大切に扱わないと脆くて崩れてしまいそうな、互いが互いを支えて成り立っている三角形だと、不思議な感覚に襲われた。

 病院に通い始めて半年がたち、2019年になって、私はようやく誰がback numberを好きなのか聞くことができた。この病院の院長であり主治医の先生を先駆けとして、病院の皆さんが好きだったのだ。
 診察の時に先生に尋ねると、
「ファンクラブにまで入ってるなんて、気持ち悪いでしょ?」
 そう言われた。歌詞を読んで、曲を聴いた私には、この問いを肯定する理由が見つからなかった。自分が好きになったアーティストを好きでいる人を、私をback numberと繋げてくれた人の事を、そんな風に思えるわけがなかった。

 その後、アルバム「MAGIC」がリリースされた。ドームツアーのライブ映像も観た。行ったわけでもないのに、鳥肌が止まらなかった。ライブになるとCD以上にとにかく歌や演奏から想いが溢れ出ているのだ。東京ドームという大きな会場で、彼らは、日常やささいな出来事を歌にして伝えてくれている。楽器や技術の事は分からないので詳しいことは書けないが、こんなにもたくさんのお客さんを魅了できるバンドに私もますます惹かれていった。
「私もライブに行きたい。直接この音楽を耳にして、先生やファンの皆さんが良いと思ったその意味を肌で感じたい。」

 アルバムがリリースされた頃、私は社会復帰のためほぼ毎日この病院に通院していたのだが、ようやくあの瞬間が訪れた。待合室でドームツアーのDVDが流れていた。ここまで読んでもらえれば分かると思うが、私がこの病院にかようきっかけとなった口コミのライブ映像は、back numberのライブの事だった。
 他の病院のスタッフの皆さんも優しく私の病気を回復させるために力を貸してくれる方ばかりで、感情の捉え方や溜め込んでしまいがちな気持ちの表現方法、衰えてしまった集中力や体力を戻すために協力してくれた。
 通院当時、私は「blues」というアルバムを車で流していた。その中に「ささえる人の歌」という曲がある。

『元気で毎日暮らしてますか 朝は起きられているのでしょうか
 野菜もきちんと食べていますか つらい思いはしてませんか

 頑張ってって言いながら あまり無理しないでって 思っています
 心配になる事も寂しくなる事も あるけど 元気でいてくれたら

 愛する人がどこにいても 心から笑えますように
 少しくらい嫌な事があっても 今日を笑って終えてくれたなら

 ただそれだけで それだけでいい こっちは心配いらないから
 たまに疲れたら帰っておいで あなたの好きなものを作って 待っているから

 人生は一度だから 自分が思うように
 生きるのもいい 本当は出世なんて
 してもしなくてもいいんだよ 間違えたっていい そのままでいい』

 この曲がドームツアーのアンコールでも歌われていた。驚きと感動で胸がいっぱいになった。診察の時にも、毎日の通院の時にも、実際にこんなことを言われるのだ。私はこの曲が車から流れるたびに、涙をこぼしながら運転した。病院の皆さんにも、back numberにも励まされている気がした。生きる活力が、やる気が湧いてきた。
 ちょうど今年はアリーナツアーが開催されることを知った。一縷の望みをかけて、コンビニ先行に応募した。ドラマ主題歌での爆発的な人気もあり、正直当選するとは思っていなかったのだが、運良く当選した。嬉しくて笑みが止まらなかった。嬉しいことがあったら「笑える」ようになるまで回復していたことに気づいた。

 私が当選したのは、5月18日(土)の新潟県で開催されたNO MAGIC TOUR 2019新潟公演である。診察の時に、先生が同じ会場は落選して行けないことを聞いていたが、きっと何らかの手段でどこかの会場には行くのだろう。そう思っていたので、ライブ1週間前の診察日まで私がライブに行くことは伏せていた。

「私、今週朱鷺メッセまでライブに行くんです。先生は、他の会場に行かないんですか?」
「行かないよ。」
「え?どこにも?」
「うん。」
 驚きと衝撃が隠せなかった。私とback numberをここまで繋げてくれたのは他でもない先生なのに、先生が行けなくて私だけが行くというのか。なんだか申し訳なくて、不条理すぎると思った。
「…行きたくないんですか?」
「行きたいよ」
「…」
 何も言えずに先生を見ることしかできなかった。どんな反応をしたらいいのか分からなかった。自分の手元にはチケットがある。でも、先生は同情されて私のチケットを渡されても、受け取らないだろう。それでも、この状況が先生への感謝とは裏腹に、まるで出し抜いているような気分になってしまったのだ。
 私は、しばらく沈黙が続いた後、何を言ったわけでもないのに、
「…冗談です」
と口にした。先生は私が何を言わんとしていたのか分かっていたのだろう。
「うん、楽しんできてね。」
と、人差し指を指して、ライブでお客さんがしているあのポーズをしてくれた。
 私は先生の代わりまで全力で楽しもうと思った。

 待合室でのライブ映像はアルバムがリリースされた週以降は流れることなく、いつも通りテレビ番組に戻ってしまっていたのだが、ライブ当日2日前になって、またドームツアーのDVDが流れた。
「…卑怯だ」
 そう思わずにはいられなかった。
なんで…。待合室の音は診察室まで聞こえるわけではない。自分は行けないのに、わずかな時間でも楽しませてくれる。この病院でback numberのライブに行くのはおそらく私だけではない。それでも私は、せっかく流してくれている画面を直視することができなかった。メンバー3人のかっこよさと、先生の優しさが同時に身に染みて泣きそうになったからだ。

 本番当日、私は発症以来1人で遠出をすることもあり、楽しみとともに不安もたくさんあった。アリーナ規模の会場でのライブで、人で溢れた空間で、体調が悪くならないかとても心配だった。
 私のチケットの番号は、92列目。入口の看板から、最後列だということが分かった。仮設スタンドがあったおかげで体調が悪くなっても誰の邪魔にもならないし、逆に誰に邪魔をされることもないことがわかった。しかも、最後列のど真ん中の通路側の席だった。ライブ初心者には最高の席だった。
 開演までドキドキが止まらなかった。1年前、自分に無理をさせて、どん底の状況だった私を掬い上げてくれたback numberに会える。マッチ棒みたいに小さいだろうけど、生で演奏が聴ける。彼らの事が、彼らの音楽が好きな人たちと同じ時間を共有できる。たまらなく、嬉しかった。
 客電がオフになり、お客さんの歓声が高まった。おそらく彼らの地元群馬県の隣県ということもあり、熱量の高いファンも多いのだろう。タイアップしていたCMも流れ、会場のボルテージはMAXになった。

 不思議なSEとゆらゆらと揺らめくツアータイトルが映り、今か今かと待ち続けた後、強烈な光とともに、メンバーの姿が現れた。1曲目は、なんと「大不正解」。私が無気力状態で何度も耳にした、あの曲である。自分でも意味が分からないが、偶然だろうけど、なんとなく必然な気がした。
 彼らの姿はど真ん中で見ることはできたが、本当に小さかった。何をしているか、どんな表情なのか、細かくは分からなかった。スクリーンに映る3人の姿を必死に目に焼き付けようと思った。
 メンバー3人と、サポートメンバー3人。6人で演奏しているのかと思えばそうではない。私は最後列にいたこともあり、スタッフさんが何度も階段を上り下りしてタブレットの画面を見ながら音響調整をしてくれていた。ライブはなまもの。最後尾の私の席にまで最高の演奏を届けようとしてくれるのがリアルタイムで分かった。
 MC中もライブに賭ける彼らの想いは伝わってきた。最高の演奏を届けるのもそうだが、お客さんの体調も気にかけてくれる。客席の隅から隅まで気遣ってくれていた。ボーカル・ギターの清水依与吏さんが、
「体調悪くなったら俺らにも合図してほしいし、周りの人とも助け合ってほしい」
と言っていた。きっとその想いは伝わっているのだろう。誰と話したわけでもないが、ここにいる人は優しい、そう感じた。
 ライブのセットリストも本当によく考えられていた。最初の3曲は「大不正解」、「ARTIST」、「MOTTO」とアップテンポで最初から盛り上がり、「泡と羊」、「サマーワンダーランド」、「オールドファッション」と温かくもさわやかな曲が続いた。
 3曲ごとにMCが入るのだが、とにかくこのバンドは演奏中とMCのギャップに驚く。演奏中のスイッチの入り方と、MCでの気さくな3人の掛け合いは、一瞬たりともこちらを飽きさせることなく楽しませてくれる。ベースの小島和也さんの誕生日が近かったこともあり、みんなでお祝いしたり、コントの様なトークをしてくれたり、今までの新潟の思い出の様な事も話してくれた。
 ライブ中は夢中で、正直冷静な気持ちで見ていることはできなかった。私は今回のツアーでこの1日しか参加することができなかったので、記憶もあやふやである。でも、強く印象に残っているのは、CDの音源、いやそれ以上の音楽が今ここで作られている。会場いっぱいに響き渡っている。そう感じた。
 うろ覚えだが、MCで印象的だった言葉がいくつかあるので紹介したいと思う。
「今日はまっすぐに歌えている気がする。いや、それはお前のさじ加減一つだろって思うかもしれないけど、そうじゃなくて、全部出んのよ」
 確かに朱鷺メッセは縦長で、曲線を描くことなく直線的だと私も感じた。おそらくステージから私の姿は見えなかっただろう。客席は暗いし、自分たちにはライトが照らされている。それでも、会場の構造の話だけではなく、毎回違う本番の中で、自分の歌が今日はまっすぐに伝えられていると、直接口にしてくれた事が本当に嬉しかった。

「俺たち3人は繋がっている。俺がミスるとその3秒後くらいに和也がミスって、その後さらに(栗原)寿がスカーンってなったりして。」
 音楽とはそういうものなのだ。3人だからこそモロにそこが出るのだろう。お互いがお互いを感じあって、感覚的にピタッとピースがハマった時にシンクロして不思議な感覚になることがある。彼らの演奏は、個人的な感想だが、「それぞれの音が来てほしい時に来る」のだ。これほど心地良いことはなかった。

 さらに、後半だったと思う。
「年を取るのは嫌ですねえ」
新曲「HAPPY BIRTHDAY」のことを茶化して言っているのかと思った。しかし、その直後、急に真剣な眼差しで、
「かと言って成長したくないわけじゃないし。」
そう、断言した。なんてことを言うのだろうと思った。去年は東名阪のドームツアー、今年は自己最多動員数を誇るアリーナツアーを成し遂げようとしている人たちが、まだ「成長したい」と言ってのけるのか。にわかには信じがたかった。今のままでも十分もう「売れているのに」と思ったが、彼らは「正直売上とかはよく分からない」らしい。本当に不思議である。心の底から伝えたい音楽を、全国の観客に伝えるためにスタジオに籠って必死に努力して練習してきている。ツアーを通して、いや、彼らはアーティストである限り、どんなに高い壁や障害物があっても、
「俺らが良いと思う音楽を伝えたい」
その一心で音楽をしてくれるのだろう。

「野暮だよなあ。全部伝わってんのに。」
 本当に野暮だと思う。メンバーが伝えたい想いの一部かもしれない。でも、ファン歴の短い私でさえ3人の想いは伝わってくる。演奏だけでも伝わってくるのに、MCでも、数々の言葉を駆使して、これでもか、これでもかと伝えようとしてくれるのだ。
 最終MCの前で、
「…何か、何か1つでもいいから、何か持って帰ってください」
 そこで流れたのが「最深部」。ツアー後半になって語られていたことだが、「日本一深い所で繋がれるバンドでありたい」という彼らの願いが根底にあったのだ。ツアー前半のこの頃には、彼ら自身もまだ一番深いところまでたどり着けず、言葉にならない想いが心の中にあったのかもしれない。
 なぜこの曲がこの場面で流れたのか。私はなぜか病気になって、偶然通い始めた病院で心から信頼できる先生に出会って、しんどい思いもしたけどback numberのことを知って、なぜか今この会場にいて、彼らの曲を聴いて、感動しきりなのだ。十分『ここまで』来ているのだ。
 最後の曲、「スーパースターになったら」。お決まりの事だが、依与吏さんの「ワン!ツー!」の掛け声の後、みんなで言う「ワンツースリーフォー!」の掛け声で銀テープが降ってくる。スタンド席にはさすがに来ないだろうと思ったが、スタッフさんが通路側の人だけではあるが1本1本手渡しで階段を上って配りに来てくれるのが見えた。私は本数が足りず、持ち帰ることはできなかったが、そういう行き届いた気配りにまた胸が熱くなった。終盤のサビではお客さんが一緒に歌う。私もステージにいる3人にまっすぐ届けたい、と思って思いきり歌った。
 そして、アンコール。ペンライトやスマホの使用はなし、拍手で迎えてほしいというバンドの願いは知っていたので、手が痛くなっても力の続く限り拍手をしようと思っていた。もっとこの場にいたい、もっと彼らの奏でる音楽を聴いていたい。帰りたくない。痛いという感覚さえなくなるくらい、ずっと拍手をし続けた。

 ツアーTシャツに着替えたメンバーたちがステージに上がってきた。もうあと数曲で終わってしまう。もはや祈るような気持ちで胸の前で手を組んだ。
 私は今、自分一人でここに立てているわけではない。
「先生、back numberというバンドを教えてくれてありがとう。先生の想いも一緒に届くように、アンコールを聴こう。」
そんな思いで曲が始まるのを待った。
 そして、流れたのは「ハッピーエンド」だった。この曲や、他の曲でもたびたび出てくる「青」を基調とした照明に照らされ、曲が始まった。
『さよならが喉の奥につっかえてしまって
 咳をするみたいにありがとうって言ったの
 次の言葉はどこかとポケットを探しても
 見つかるのはあなたを好きな私だけ』
私はこの曲を聞きながら先生との診察を思い出した。「ハッピーエンド」は恋愛の曲だけど、話し下手で自分のことさえうまく口にできない自分と重なる歌詞に、涙が溢れた。
 エネルギーが水を含んだスポンジのように出てくる3人のパワーに圧倒されっぱなしだった。去り際まで、最後の最後まで楽しませてくれようとしていた彼らが、一度切れかけた糸をまた繋ぎなおして、演奏しきった集中力の高さに、ステージにいるメンバーが曲に憑依していると思った。
 アンコール2曲目は「手紙」。みんながみんなに「感謝」して今この瞬間が成り立っていると思った。
 あっという間にコンサートは終わってしまった。時間はあっという間だが、密度が高すぎて、放心状態だった。アルバムには入っていなかったが、大好きな「ゆめなのであれば」のインスト版に合わせて余韻に浸りながら会場を後にした。
 依与吏さんはこんなことも言っていた。
「今日のライブは楽しいっていうよりも、嬉しかった」
 私も同じ気持ちだった。

 私は未だに病気が治ったわけではない。でも、1年半前と比べたら随分心境も変わって生きやすくなっている。趣味も楽しめるようになってきたし、仕事にも少しずつ戻れるようになってきた。色んなタイミングが重なったからこそ、今の私があるし、私はback numberを好きになれた私の事が好きだ。二度とあんな状態にはなりたくないし、失ったものもたくさんあるが、今では病気になって良かったと思える自分がいる。
 私はこの音楽文に何度も彼らのことを「不思議」と書いたが、back numberはとにかく不思議なバンドなのだ。不思議な魅力を持ち、不思議と好きになってしまった。
 ちなみにこの先生とは、これから始まるファンクラブイベントone room partyの事でも色々とあったのだが、それはまた次の機会にして、キーボード1つ打つこともできずにいたパソコンの前から離れようと思う。

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