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椎名林檎という歌姫を育んだ亀田誠治

若書きを若書きのまま世に放った勇気

多くのミュージシャンは、新しい曲を書くたびに成長ぶりを見せつけ、やがて才能を開花させる。つまりブレイクを果たす。それでもデビュー作に込められた想いというのは(恐らくは)格別なものであるはずで、その輝きはある意味、後発のヒット曲を上回る。若書きというのは粗削りなものであり、無防備なものである。それを世界に向けて、どのように発信させるか腐心するのが編曲者なのだろうけど、亀田氏は慎重さと勇気を兼ね備えているという意味で、音楽界に不可欠な人物であると思う。

本記事のテーマとしたいのは、亀田氏のアレンジャーとしての凄みであるけど、題材として取り上げたいのは椎名林檎の1stアルバム「無罪モラトリアム」だ。もちろん椎名林檎は、底知れない才を持ったミュージシャンであり、のちに洗練された曲や穏やかな詞を書くようになる。「ありあまる富」に込められた慈愛は、年を重ねた人しか抱けないものだと感じるし、「女の子は誰でも」の旋律は、楽曲をカテゴライズすることの必要性を疑わせるような、不思議な魅力をもつと感じる。それでも椎名林檎の最高傑作を選ぶとしたら、僕は「無罪モラトリアム」を挙げたい。11曲のすべてから、若さゆえの闘志や悲嘆が薫る。それらはもしかすると、亀田氏に編曲されなければ、リスナーに届かなかったかもしれない。

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1曲目に置かれた「正しい街」は、タイトルからして摩訶不思議だ。正しい街? 何度も歌詞カードを読み返すと、それは椎名林檎が「街」を飛び出してしまった悔いを歌った曲であり、自分が追おうとしている夢が途方もないものだという恐れを歌った曲だと分かる。椎名林檎は1stアルバムの冒頭で「悔い」を叫ぼうとしたのだ。その大胆な選択に、亀田氏は正面から応える。再生ボタンを押した瞬間、響きわたるのは粗野なドラムと歪んだギターだ。そして椎名林檎が絶叫する。キャッチーなアレンジではない。穏当な旅立ちではない。それを敢えて選んだ勇気。これは恐らく「売ることだけを目的になされた編曲」ではないだろう。

つづく「歌舞伎町の女王」の特異さは、今さら僕などが論じるべきではないと思うので割愛する。そして「丸ノ内サディスティック」や「幸福論」は、椎名林檎が天賦の才を持つこと、それが近い将来に証明されることを示すような佳曲だと思うので、それについて述べることも控えたいと思う。

僕に強烈な印象を与えたのは、5曲目の「茜さす 帰路照らされど…」の壮大なアレンジだ。感情を押し殺すような、緊張感に満ちたピアノから始まる本曲は、サビに入った瞬間、ずっしりと重いベース音と流麗なストリングスに彩られ、聴き手の胸を熱くさせる。優れた曲はギターやピアノだけで弾き語りにしても映えるというのが私見だけど、この曲は「これ以外のアレンジ」でなければ埋もれてしまった可能性があると思う。僕の旧友は、一緒に本曲を聴いていた時、サビが始まった時「音楽って素晴らしいね」とこぼした。そういう、ありふれた感懐を覚えさせてくれたのは<<切な過ぎる>>曲を書いた椎名林檎であり、慎重に装飾をほどこした亀田氏である。亀田氏は恐らく、この曲は「若書き」のまま世に放っては勿体ないと判断したのではないかと推察する。

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8曲目の「ここでキスして。」は先行シングルであり、このアルバムに収められた曲のなかでは、もっともキャッチーな曲であると思われる。それこそ弾き語りにしても(あるいはアカペラで歌っても)聴き手を惹きつけるだろうと思う。それでも本曲にさえ、まだ椎名林檎が粗削りであることは滲んでおり、それを受け止めるように亀田氏は、奇抜なベースラインを披露する。この曲をコピーしてみたことのある人になら分かると思うけど、4弦のチューニングを落とさなければ出せない、沈みこむような低音が含まれるのだ。そこからは亀田氏の編曲者としてのこだわりを感じとれるし、ベーシストしての矜持さえも伝わってくる。亀田氏はプロフェッショナルとして未完の歌姫を支えようと思っただけではなく、きっと純粋なリスナーとして椎名林檎の曲に心を奪われ、それに「参加」したいと思ったのではないだろうか。地を這うようなベース音がAメロで鳴らされるがゆえに、サビで放たれる椎名林檎の、少女らしい無垢な恋情が引き立つ。

9曲目の「同じ夜」はバイオリンとアコースティックギターに乗せて歌われる。この曲には椎名林檎が慈愛を内包することをうかがわせるものがあり、だからこそエレキギターやベース、ドラムといったパートを「引き算」した亀田氏の選択に、僕は賛同する。椎名林檎が荒々しいだけのソングライターではないということを、アルバムの後半で亀田氏は示唆するのだ。ある意味では、この曲が椎名林檎の出発点であるようにも思える。同じことが「無罪モラトリアム」に収められた全ての曲に対して言えるだろう。それぞれの曲が何かしらの美点を持っており、その後、椎名林檎が生み出す無数の名曲の原石であるのだ。原石を丹念に削った(あるいは削りさえしなかった)亀田氏の功績を、あらためて思う。

「同じ夜」の余韻を引き裂くように、エレキギターがかき鳴らされ、まるでライブ演奏の録音のような「警告」が始まる。ギターのリフもベースラインも、それほど複雑なものではなく、前奏が終わるとアレンジは実に簡素なものになり、だからこそ「椎名林檎ならではの声」がフィーチャーされる。それは亀田氏による椎名林檎の「他己紹介」なのではないか。こういう歌姫が世に出ていこうとしているという事実を、亀田氏が(言葉ではなく)アレンジによって伝えようとしているように思える。本曲は「感動」を誘うような生ぬるいものではないけど、亀田氏と椎名林檎が分かり合ったことが伝わるという意味では、十分に感動的な作品である。

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くり返すように、椎名林檎はその後、さらに輝きを増し、慈愛を放ち、その名を日本中に知られるような(紅白歌合戦にさえ出場するような)アーティストに育つ。僕は「無罪モラトリアム」だけを愛聴しているわけではなく、その後に出されたアルバムも、東京事変の曲も好きだ。それでも椎名林檎が「原石」だったころ、それゆえに生み出せた曲、それゆえに出せた声は尊いものだと思うし、それを全力で応援した亀田氏にこそ、感謝を届けたいと思う。

2020年も歌姫が生まれるかもしれない。その第一歩が、亀田氏のようなアレンジャーに守られることを願っている。

※《》内は椎名林檎「茜さす 帰路照らされど…」の歌詞より引用

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