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一青窈が押し上げてくれた青空の下

「ハナミズキ」を愛聴する人の命が百年つづくよう願って

あるミュージシャンに心酔することは、ほかのミュージシャンに出会う可能性を狭めてしまうことにもなりうる。実際、僕の好みは相当に偏っており、市民ベーシストを気どりながら、知っているミュージシャンの数は恥ずかしいほど少ない。その「自分が好むミュージシャン」を聴く姿勢も、だいぶ歪んだものであり、すべての楽曲を知ろうとするより、気に入った曲を何度も聴いて胸に焼きつけようとしている。それが「音楽を愛している」ことを意味するかは分からない。

それでも「自分にとって大事な人」が、どんなミュージシャンを好んでいるかは、できるだけ知りたいとは思っている。彼や彼女が熱弁してくれることは、ある意味では評論家が書くライナーノーツよりも深く心に刻まれる。だからこそ僕は、そのミュージシャンが書く詞を、集中力を高めて読んでみることになる。好きなミュージシャンの新曲を聴く時のものとは違った種類の集中力を高めて。

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もちろん一青窈という名前は知っていたし、ヒット曲の「ハナミズキ」は聴いたことがあった。失礼ながら「この曲が大好きだ」とまでは感じなかったのだけど、いくつかのフレーズは印象的で、個性的な作詞者だという敬意はいだいていた。歌い出しからして謎めいている。<<空を押し上げて>>と一青窈は歌う。それは何を求めての行為なのだろうか。空を飛びたい、空に届きたいというなら分かる。その「遠すぎる場所」を、さらに押し上げようとする誰かは、いったい何を願っているのだろうか。

それでもサビで歌われるのはストレートな祈りのようでもあり、特に<<君と好きな人が 百年続きますように>>という部分を聴いた時、これはラブソングの一種なのだろうと見当をつけた。自分と恋人の未来を想うラブソングではなく、たとえば大事な友人夫妻の関係が守られることを願うようなラブソングなのだろうと。他人の幸せを願うことは尊い。そのくらいの感想を受けとって、一青窈の「次の曲」へ進んだという人は、きっと少なくはないだろう。でも僕は「ハナミズキ」が大好きだという知己が、あれはラブソングではないと指摘してくれたので、あらためて歌詞を読みこんでみることにした。

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「ハナミズキ」の詞は矛盾に満ちているようにも思える。<<果てない波がちゃんと止まりますように>>だとか<<果てない夢がちゃんと終わりますように>>だとか、一青窈は永遠性を忌避するようなことを願う。その一方で(前述したように)大事な人たちの関係が百年つづくことを祈りもするのだ。知己が種明かし(のようなこと)をしてくれた。これは去っていく人たちを見送る曲であり、この場所にとどまろうとする人の無事を切望する曲でもあるのだと。それは当然、一青窈の意図にピッタリと合うわけではないだろう。どれだけミュージシャンを敬愛していても、彼や彼女の創作動機を、僕たち一般市民は直接に聞かせてもらうことはできない。

それでも知己の解釈は、少なくとも僕にとっては、説得力のあるものだった。僕が「一青窈が切望している」と確信したのは、何度目かの読み返しの時に<<船が沈んじゃう どうぞゆきなさい>>というフレーズに触れた瞬間だ。これは恐らく、今から別の世界に行かざるを得ない人が、あなたを道連れにしたくはない、だからこそ愛情を込めて突き放そうとして選んだ言葉なのではないか。そのように考えてみると、波が止まることや夢が終わることを求めるのは「鎮魂」のようなものだと思えてくるし、それゆえに命をもつ人に向けられる「つづいてほしい」という願いが重みを持つものに感じられる。僕は無礼だった。この詞に矛盾はない。

一青窈は、今なお生きつづけているというのに、どうしてこのような詞を書いたのだろうか。まるで遺言のようにさえ感じられる詞を、どんな動機にもとづいて、誰を代弁して書いたのか。そんな疑問に対する「ある程度は的を射ているはずの答え」も、知己は示してくれた。それに僕は唸らされたのだけど、それもまた「いちファンの個人的な解釈」なのだろうとも思うし、それが大正解だったとしたら、この場に書いてしまうことはネタバレのようなものになりかねない。だから、それは心のなかにしまっておくことにする。

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それにしても新春の空というのは、なんと高く見えるものだろう。それは実際に「高い」のかもしれないし、大事な人に会えたという充足感や、好きな曲を教えてもらえたという有り難さゆえに高く感じられたのかもしれない。あるいは一青窈が、本当に<<押し上げて>>くれたのかもしれない、僕たちが決して届かない場所まで。その高すぎる空の下で、僕は知己に手を振って、またねと言った。その命が百年つづくことを願いながら。

夜になって、あらためて「ハナミズキ」を聴いてみたところ、その旋律や声調に注意を向けてみたところ、かつて聴いた時には感じとることのできなかった哀惜のようなものが、ひしひしと伝わってきた。特に<<ゆきなさい>>の部分に重ねられたコーラスには、一青窈に限らない多くの「僕たちの身を案じる人たち」の思いが込められているように感じられた。その<<ゆきなさい>>という言葉を、励ましと受け止めてしまっては、いささか軽いのではないかと思う。それはきっと託された「願い」だ。きっと僕たちは、知らぬ間に多くの危険にさらされながら日々を過ごしているのだろう。比喩的な意味で、いくつもの船が沈もうとしているのかもしれない。そうなのだとしたら、僕たちは願いに応えて、その船から離れなければならない。

あるいは一青窈も、沈みゆく船から脱出した人であり、そうやって生き残った者の責務として「ハナミズキ」をリリースしたあとも歌いつづけてきたのかもしれない、活動をつづけてきたのかもしれない。その「歌い手としての矜持」は、僕が好むミュージシャンも、それぞれに持っているものだと思う。近しい人から敬愛するミュージシャンを教えてもらうと、自分自身が長い間、敬愛してきたミュージシャンへの感謝の念が、さらに強くなるものだ。だから僕は、あえて一青窈さんにではなく知己に対して「ありがとう」を言う。<<君と好きな人が 百年続きますように>>。

※《》内は一青窈「ハナミズキ」の歌詞より引用

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