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2017年7月21日

山下リン (23歳)

長渕剛を愛し、憎んだ

“とんぼ”を聴いて

 カーステレオから流れていたのは長渕剛だった。《ペンチで親知らずをひっこぬき そいつをボリボリ かじりながら》……痛そうだ。《そんな事より 俺は お前をベッドに引きずり込み/素っ裸のお前の胸にしゃぶりつく》……大人の世界だ。父の趣味だった。当時の私はまだ小学生だった。長渕剛は、熱く悪い大人の象徴だった。
 
 最近、いま挙げた歌詞が、それぞれ“親知らず”、“I love you”という曲の歌詞だと知った。子どものころの記憶を掘り起こし、スマートフォンにうろおぼえのフレーズを打ち込んで検索した。そうさせた理由があった。先日、テレビの音楽番組で、長渕剛が“とんぼ”を歌ったからだった。
 
 長渕剛が生まれた県に、私も生まれた。本土最南端だ。今も、暮らしている。ここには、自然がある。歴史がある。しかし長渕剛のように、何かにあらがう力を持った人は少ない、私にはそう思える。ここで生まれ、息をして、死んでいく人たちがいる。私もそうだ。ここの空気が、においが、温度が、体になじんでいる。好きか嫌いかではなかった。ただ、この場所のあらゆるものが身に染みていて、私は安心し、ときに不安になる。もう、外へ立ち向かっていく気力は削がれたのだろうか。いや、はなからそんなものはないのだろう。私はここに生きる。ここの人たちと過ごす。誇りもあきらめもない、ただ生活がある。それはしかし、息苦しい。長渕剛は今も歌っている。

 父がドライブのときに流していた彼の歌も、ここの記憶のひとつだ。だからこそ私は、長渕剛をまともに聴けなかった。心を震わせることができなかった。彼の音楽に感動すると、ここで生きることを認めてしまうような気がした。

 父はどんな気分で聴いていたのか。同郷の長渕剛の歌を聴いている父が、地元に生きる自分をなぐさめているように思えて、私の未来も閉じていくように感じるのだった。そんな妄想とはおかまいなく、カーステレオからは長渕剛が流れた。“巡恋歌”を聴いた。“ろくなもんじゃねえ”を聴いた。今ではドライブに行くこともない。それでも長渕剛は記憶にある。声が響いている。

 このあいだの音楽番組も、母がテレビのチャンネルを合わせていたから見ただけだった。母も長渕剛が好きなのだった。「“とんぼ”歌うよ」と母が言った。夕食のチキンカツを食べながら、長渕剛の歌う姿を見た。“とんぼ”は、口ずさめた。それほど、彼の歌は、私の思い出だった。今も過ごすこの場所から生まれた歌だった。

《コツコツとアスファルトに刻む足音を/踏みしめるたびに/俺は俺で在り続けたい そう願った》

 ひとりで道を歩いていて、この歌い出しをふと口ずさむことがある。声は長渕剛に似せている。笑い話だ。しかし私はそれが苦しかった。

《裏腹な心たちが見えて やりきれない夜を数え/逃れられない闇の中で 今日も眠ったふりをする》

 あの続きはこんな歌詞だったのか。今さら思う。浮かれた言葉はひとつもない。力がみなぎっている。いつ爆発するともしれない熱がこもり、ぎりぎりのところで抑えつけられている。そして、次だ。

《死にたいくらいに憧れた 花の都 “大東京”/薄っぺらのボストン・バッグ 北へ北へ向かった》

 何よりこの部分が聴いていてつらいのだった。都会にあこがれてここを出ていった男が歌う。ここに生きる私のやるせなさもいらだちも慢心も全部、世間にぶちまけられる。自分を重ねようと重ねまいと、彼がそう歌えば、私のよどんだ思いが世間にさらされる気がして、恥ずかしくて、そうか、だから私は今まで長渕剛を嫌い、避け、笑い、恐れ、ここまで逃げてきたのだ。

《ざらついたにがい砂を噛むと/ねじふせられた正直さが/今ごろになってやけに 骨身にしみる》

 長渕剛が歌う。ギターを弾く。引き締まった歌詞のテロップを目で追いながら、私は味噌汁をすすった。

《ああ しあわせのとんぼよ どこへ/お前はどこへ飛んで行く/ああ しあわせのとんぼが ほら/舌を出して 笑ってらあ》

 いい歌だと思った。思う自分が情けなかった。情けない自分を《とんぼ》は笑うだろう。そいつに笑い返せるのはまだ先の話だ。長渕剛は、ここ、故郷のことを考えるだろうか。ふるさとをちらりとでも思い浮かべるだろうか。私は今、ここにいる。チキンカツをかじり、味噌汁をすすっている。この夜を、いつか振り返って、あのときのおかずがチキンカツと味噌汁でよかったと思うだろう。この時間が、長渕剛にはわずか数分の歌唱であっても、私の人生の一回の食事であっても、彼が“とんぼ”を歌いながら考えたこと、私が“とんぼ”を聴きながら考えたことは、残っていく。明日からまた、それぞれの場所で生きる。

 私はじっとテレビを見つめていた。母もそうしていた。あのとき、カーステレオからは同じ歌が流れていた。家にもCDがたくさんあるはずだった。

《だけど俺はこの街を愛し そしてこの街を憎んだ》(“とんぼ”)

 私の生まれたここに根ざした歌、私の過去に流れていた歌、そして愛や憎しみといった感情が、記憶の中にうずまいている。ひとつひとつを掘り起こすように長渕剛の歌を聴きなおしていくと、素直にいいと感じたり、幻滅したり、ときどき父や母のことを考えたりして揺さぶられる自分がいて、懐かしいという言葉では片づけられない複雑な感情がわきおこったが、そもそも感情とはそういうものだと気づいた。それは長渕剛の“とんぼ”を久しぶりに聴いたからだった。

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