2814 件掲載中 月間賞発表 毎月10日
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

BUMP OF CHICKENが灯してくれた火

消えない名前を与えられた人間のひとりとして

このレポートを書き始めるにあたって、まず僕は「BUMP OF CHICKENの最新作は聴いていない」ことを白状しなければならないと思う。若かったころの自分に鳥肌の立つような思いをさせてくれたバンプの、新譜を追いつづけてはいない僕は、本当に無礼だ。そして僕のガールフレンドはバンプの作品を「天体観測」しか知らず、その曲だけは好きだと言っている。これもまた熱心なファンを不快にさせるような発言かもしれない。

でもバンプオブチキンは、その詞に込められた思想から察するに、恐らくは寛容なミュージシャンなのだろうと思う。色々な「聴き方」「ファンとしてのあり方」を赦してくれる人たちだと思うのだ。そして自己弁護をするようだけど、僕が知っているバンプの曲が決して多くはないからこそ、それらは心の深い場所で燃えつづけているのではないかと思いもするのだ。

***

バンプに出会ったのは、10代の終わりのことだった。ものすごい詞を書くミュージシャンがいるから聴いてみるといいと、ある先輩から勧められた。たしかに「グングニル」の歌詞は燃えるような怒りと伴に、慈しみも込められた、それまでに僕が見たことのない類のものだった。<<世界の神ですら 君を笑おうとも 俺は決して笑わない>>という誓いは、それからの僕の生き方に好影響をくれたといっても過言ではない。いま僕の周りには、困難な夢を追う人がいるし、客観的には大問題には思えないようなことがコンプレックスだという人もいるし、僕自身も「俺の非才を、いっそ笑ってほしい」と思うことがある。それでも僕は、彼ら彼女が誰に笑われようと、決して嘲笑したりはしない。バンプが授けてくれた火は、今でも僕の薄い胸板の奥で燃えているのだ。

火が燃えるという表現も、もちろん僕の専売特許ではない。それはバンプの「fire sign」の詞に含まれるフレーズと似ている。<<微かでも 見えなくても 命の火が揺れてる>>という保証に、救われたリスナーは多いだろう。そしてこの曲は、人を力づけようとして歩んできたバンプが、自分自身をも励まそうとして編んだものだと思う。<<自分の笑顔だけ見当たらない>>と認めたことで、恐らくはバンプは、他人を愛するように自分を愛することも大事だと悟るに至り、それゆえに今なお、ミュージシャンとしても人間としても、元気に生きつづけてくれているのではないだろうか。

***

そのような歌詞に惹かれる僕は、バンプのメロディー(演奏)も、やはり独創的なものであると感じている。「天体観測」の前奏は降り注ぐ流れ星を連想させるようなものであり、しかもそれをノイジーなギターで表そうという発想は、革新的なものだったのではないかと思う。もちろんミュージシャンは、どのような楽器を選んで表現してもいい。鍵盤もストリングスもブラスも、それぞれに<<命の火>>を持つ。それでもやはり夜空や宇宙といった深甚なものを、エレキギターで表そうとしたのは、勇気ある選択だったと思う。個人的な話をすると、しし座流星群を待ちながら、夕暮れに「天体観測」を聴いたという思い出を持つ。草原に寝ころんで、夜空に次々と線を描く流れ星を見上げた夜を、いま懐かしく思う。

ベースの話をするなら「fire sign」に含まれる「さりげない」見せ場が、とても魅力的だ。直井氏は実直にルート音を示すことでボーカリストを守りながら、時に小刻みなステップを踏み、曲にアクセントをきかせる。特に2番の歌い出しに重ねられるベースラインは巧緻だ。ドラムスについては知識を持たないので、気の利いたことは言えないのだけど、上述のような独創的なギター、そして跳ね回るようなベースを包み込み、演奏が破綻しないように「縁の下」を務めているのが、どっしりと構える升氏であることは間違いないと思う。BUMP OF CHICKENは助け合い、尊敬しあい、その輪のなかへリスナーをも迎え入れようとしてくれる、心優しいミュージシャンだと感じる。

バンプは大人と子どもを結び付けてくれるミュージシャンでもある。実際、僕はバンプが好きだという共通項から、ある少年と仲良くなれた経験を持つ。それはバンプが長い間、歩いてきた結果であり、その楽曲が普遍的な魅力を持つことを意味するのでもないか。その少年は「車輪の唄」が大好きだと語る。旅立とうとする人を駅まで送りとどけるべく、懸命にペダルを漕ごうとする主人公の姿は、すでに青年期を終えた僕にとっては、微笑ましいものに映る。それでもかつての自分が、そういう純朴さを持っていたことを思い出しもするのだ。僕は「車輪の唄」を愛聴する少年を、もちろん嘲笑などしない。僕が好きなバンプの曲と、彼の好きなバンプの曲は、たしかに違ってはいる。でも、バンプを好きだという意味で、年の離れた僕たちは、しっかりと繋がっているのだ。

***

このようにバンプは、個性的で尊いミュージシャンであり、それは僕が主張しなくても、多くの人が知っていることだと思う。その「個性」があふれる曲を、1つだけに絞ろうとするなら、僕は「K」を挙げたい。この詞は短編小説だ。抒情詩でも叙景詩でもない。物語である。そういう「リズムを持たない」詞を、ロックのアレンジで歌い上げることが、どれほど困難かは察しがつく。それでもバンプは、物語に込められた主張を、音で表すことにも成功したのだ。飼い主を亡くした猫が、その大切な手紙を受け取った瞬間、たぎるような責任感をいただいたことを、ギターソロが力強く示す。

猫は約束を守るために(手紙を届けるために)走りながら、えげつない人たちから石を投げられたり、罵声を浴びせられたりする。それでも猫が屈しなかったのは、飼い主に授けられた<<消えない名前があるから>>である。僕はいくつかの渾名のようなものを持つ。そして単に名字に「さん」だとか「くん」だとか、そういう敬称をつけて読んでくれる人もいるし、ありがたいことに「先生」と呼んでくれる人もいる。それぞれの呼び方に思いやりが込められており、自分が「石を投げられない」有り難さを日々、感じている。

それでも僕は<<消えない名前>>を持ちもするのだ。生前、初孫の僕を愛してくれた祖母は、僕に風変りな渾名をつけた。それが心に残っているから、僕は生きていられるのだと思う。偏屈なことを言うようだけど、その渾名を人に明かすことはしないし、万が一、同じ渾名をつけようとする人が現れたら「できれば別の呼び方をしてもらえますか」とお願いするつもりでいる。「K」の猫と飼い主が特別な関係を持つように、祖母と僕の間にあったのも、とても特別な関係性である。僕は祖母からもらった手紙を、大事に保管しつづけている。それを届けるべき場所は持たないという意味で、猫よりも安楽な日々を送っている。それでも、これから先、もし傷つけられることがあったら、僕は<<消えない名前>>を思い出し、歯を食いしばることになると思う。

***

BUMP OF CHICKENを好きな人たちは、あるいは全ての人たちは、それぞれに<<消えない名前>>を持つだろうと思う。誰からも愛されずに育った人はいないはずだ。だからこそ僕たちは、近しい人を嘲笑するようなことは絶対にしてはいけないと思う。それはバンプに守られた者が遵守すべき、たったひとつの厳しいルールであると言えるかもしれない。

※《》内はBUMP OF CHICKEN
「グングニル」「fire sign」「K」の歌詞より引用

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい