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“大丈夫”をもらった

BUMP OF CHICKENと、流れ星と、約束のこと

 
 
ライブの後にやってくる感情には、どんな名前を着けたら良いのだろう。

音が声が直接耳に届く場所にいられる、たった数時間。
会場を満たす全てに心揺さぶられて、いつもより素直に泣いたり笑ったりしている自分がいる。

ライブは「ここまで」という目標地点だった。そこをめがけて息をして、辿りついたら不思議に全部「大丈夫」になってしまうのだ。

ただ、終わった後の感情の揺らぎが酷い。

目標地点は通り過ぎてしまった。じゃあ、明日からはどんな風に、何を目印に生きていけばいい。昨日までどうやって息をしていたのだろう。

たくさん受け取って、満たされたはずなのに、終わってしまった途端に足りないような、空っぽになったような気がしてくる。

互いが目に見えるくらいの距離で、心と心まで向き合うような気持ちでいたのに、確かに身体の距離は離れていく。

身に付けていた、汗や涙の染み込んだタオルやTシャツを洗って、畳んで仕舞うごとに、少しずつ日常に戻っていく。

耳に残っていた音を消してしまうようで聴けないでいた音源を、恐る恐る聴いてしまう。

怖かった。
ライブが終わって、離れていくこと、過去になってしまうこと、次の約束が無いことが。
嬉しいとか、楽しいとか、幸せだとか、そんな気持ちも確かにあるはずなのに。
ライブが終わった後の手が付けられない状態を経験したことがあるから、始まる前から終わるのが怖いと思ってしまう。

余韻、という言葉はある。

だが果たして、そんな言葉で、この感情を括っていいのだろうか。
たぶん、名前なんかつかない。綺麗な言葉で手に負える感情ではなくなってしまっている。
音楽に心を預けてしまった結果がこれだ。

BUMP OF CHICKENのライブは特にそうなのだ。
いつも、心まるごと会場に置き去りにしてきたような気持ちで帰路につく。
 

11月4日、”aurora ark”ツアーファイナルのその日も、私は最大級の恐怖を道連れにライブに向かった。

数時間後の自分が全く予想していない涙の流し方をしているとは、露ほどにも思わずに。
 
 
 

「『怖いことばっかりで』って言ってたのに」
「寂しい、明日から生きていけない、って言えない」

20時半を回るか回らないか、その辺り。東京ドームの外にあるベンチで、私はそんなことを口走りながらべしょべしょに泣いていた。
会場の中で、ライブで流す涙は一生ぶん流したのではないかと思うほどだった。それほどに伝わってくるものが多いライブだった。

アンコール2曲の後、「もう1曲やればいいよな」と立て続けに投げ込まれたダブルアンコール。
「バンドのかっこいい所見せてやろうか」と、既に捌けていたメンバーを待たずに始まった【スノースマイル】で、藤くんは「俺のバンドかっこいいだろ!」と誇らしげに叫んでいた。

後から「くしゃみみたいに始まっちゃった」と表現した【花の名】。何の準備もなく、本当に想いだけで演奏されたのであろう【花の名】は、当人たちが自覚していたように、完全な仕上がりとはならなかった。

けれど、終わりを引き伸ばすかのように、今一緒にいることを愛しむように演奏してくれたあの姿を、一生忘れないだろうと思った。
周囲から聞こえてくる嗚咽を耳に、黙って泣いているしかなかった。

なのに、外に出て友達の顔を見た後には、厚手のツアータオルが湿るくらいに再び泣き出していた。

道行く人の目も忘れて、泣きながら口走った「怖いことばっかりで」という言葉は、2014年の7月31日に聞いたものだった。
 

BUMP OF CHICKENにとって初めての東京ドーム公演、WILLPOLIS2014のファイナルの日。
私が完全に”深み”にはまった日と言ってもいい。

彼らは新しい扉を次々に開いていて、あの日の東京ドームは、その集大成のようなライブだった。

アンコールの2曲目が終わった後、ひとりでステージに残った藤くんの口から、「怖いことばっかりで」という言葉が滑り出た。
はっきり言って、衝撃だった。

ああ、彼らにだって怖いことはあるんだ、と、その時初めて思ったのかもしれない。

「曲が望む方へ勇気を出している」ということ、「聴いてくれている人のおかげで、バンドが背負っている看板が大きいもの、かっこいいものだと気付いた」ということ。
そんなことをひとり喋り続ける藤くんに飛びかかるように、一度捌けたメンバーがステージ袖から再び走り出してきたのも覚えている。

肩を組んで、堅く抱き合った姿に、ここまで4人で歩いてきた道のりを見た気がした。

彼らがそれほどの思いで伝えるものを、生半可な気持ちで受け取ってはいけないと思ったのだ。
 

それから5年、ずいぶんたくさんのライブを見てきた。「行けるライブは全部行く」という強欲な姿勢を打ち出し、初めて飛行機にまで乗った。地の果てまで追いかけていく勢いだった。

ひとつひとつのライブを全力で受け止めようとすればするほど、感情は制御不能に陥るし、足りない、寂しいと依存していく自分にも気付いていた。
 
 

でも、今回のツアー”aurora ark”が終わった時の気持ちは、いつもとは明らかに違ったのだ。

寂しいとか、足りないとか、そんな言葉は片っ端から封じられてしまった。
初めて、それを言ってはいけないような気持ちになった。
大丈夫、と思わされてしまった。それも、ものすごい力強さで。
 
 

「大丈夫」の結晶みたいになってしまった曲は、やっぱり本編最後の【流れ星の正体】だったと思っている。

「最後の曲」と言われてから音が始まるまでの間に、大きなスクリーンを切り裂くように星が1つ流れた。思い過ごしでなければ、名古屋公演までは星が流れるのは曲が終わった後だけだったはずだ。シンと静まり返った空間に、藤くんの声が響いた。

「誰かの胸の夜の空に 伝えたい気持ちが生まれたら 生まれた証の尾を引いて 伝えたい誰かの空へ向かう」
【流れ星の正体】

この曲が生まれた背景を知っていた。自惚れだろうと何だろうと、BUMP OF CHICKENが私たちリスナーのためにくれた曲だと思っていた。

音源で何度も聴いている。ファイナルの日を迎えるまでに、ライブでも既に4回聴いた。それでも、何度聴いても背筋が伸びるような思いがする曲だった。
 

「君が未来に零す涙が 地球に吸い込まれて消える前に ひとりにせずに掬えるように 旅立った唄 間に合うように」
「命の数と同じ量の一秒 君はどこにいる 聴こえるかい 君の空まで全ての力で 旅立った唄に気付いてほしい」
【流れ星の正体】
 

【流れ星の正体】はBUMP OF CHICKENが、自分たちの音楽を望む人を、それを拠り所とする人全てを、ひとり残らず掬いあげようという決意、その証明のような曲だと思った。

過去の傷や現在の痛みだけに留まらず、「未来に零す涙」まで自分たちの音楽が掬っていける、それだけの強さがあると信じている気がした。

どんなにライブという時間や空間を愛していても、ライブに行っていない日常の方が遥かに長い。

その日常の痛みを、自分の心の有り様を、1番近くで知っているのは、いつも聴いている音楽だと思う。

チャマがMCで「ネガティブなバンドのファンはネガティブな人が多いってバレるよ!」と冗談のように話していたが、概ねその通りだろうと私は思っている。何よりも私自身がネガティブだからだ。

生きにくさや傷つきやすさを抱えた人ほど、たぶん、どうしようもなく音楽に救われてしまう。

【流れ星の正体】の最後で、
「太陽が忘れた路地裏に」
「心を殺した教室の窓に」
「逃げ込んだ毛布の内側に」
と歌われるように、10人いれば10通りの、5万人いれば5万通りの、気持ちを押し殺す場所や涙を隠す場所がある。

それぞれが日常の中のやりきれない思いを音楽に宥めてもらいながら、諦めそうな自分を励ましてもらいながら、毎日なんとか生きている。

そのひとりひとりの日常に、時間も空間も距離も関係なく飛び越えて、彼らの音楽は輝きを放ちながら、私たちの元にやってくる。
 
 

「どんなに離れてても曲はお前の傍にいる」
「俺たちの音楽はお前をひとりにしない」

今回のツアーの中で、何度となく藤くんの口から語られた言葉だった。多くの人の心に残ったのは言うまでもないだろう。

いつも「大勢の中のひとり」ではなく、「4人と曲とひとり」が会場の人数の分だけあるのだと話していたように、「お前」と語りかけたその言葉は、それを聞いた1人ひとりが、間違いなく「自分に向けて言ってくれている」と感じただろう。

他の誰が言っても信じないかもしれない。藤くんが言うから、BUMPの曲に救われてきた過去があるから、その言葉は絶対嘘ではないと信じることができた。

結成から23年、「怖いことばっかりで」と漏らしたあの東京ドームの日から5年で、BUMP OF CHICKENはこの言葉を力強く発する境地に辿り着いたのだと思ったら、涙が出た。

どの立場で物を申しているのか、不遜なことは承知だが嬉しかったし、ホッとしたのだ。

BUMP OF CHICKENは大丈夫だし、BUMPを選んだ私たちも大丈夫だろう、と。
 
 

ライブが終わったら明日から生きていけない?
寂しくて辛い?
そんなことはない、と今の私なら言える。

どんなに離れていたって、曲は傍にいると言ってくれたのだから。
 

「ツアーなんてそうそう出来るものでもないけど、また君に会う口実を作るために曲を書くわ」と、藤くんは最後の最後にそんなことを言った。

この日常の先に、またBUMP OF CHICKENと待ち合わせをする日がある。
いつのことになるかは分からないけれど、確かに約束だった。
来るべき、目標地点となるその日まで、私はまた曲と1対1の日常を歩く。
待ち遠しいとは思ってしまうのだけれど、もう怖くはなかった。楽しみに待っていられる。

東京ドームの外で、あの日、私が流した涙はそんな”大丈夫”の涙だった。

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