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King Gnu、レディクレで命揺らしすぎ問題

私はあの日、巨人と神様と王様に出会い血を沸騰させながら田植えをした

 
 
5時間待った。
 

ただ「待った」というのには語弊がある。2019年12月25日、インテックス大阪、FM802 RADIO CRAZYのLステージにて「パスピエ」「ビッケブランカ」「OKAMOTO’S」と3組のライブを観た。ビッケブランカに関しては既に少々嗜んではいたものの、残り2組については全くの初見だった。だがしかし「百聞は一見にしかず」ということわざをこれ以上に体感できる場所がフェス以外にあるだろうか。サブスクも、YouTubeも敵うわけがない。初代ポケモンで言うと、サブスクがポッポ、YouTubeがコラッタ、ライブがミュウツーだ。ポッポやコラッタが束になってかかってこようともサイコキネシス一発で一掃できる。もちろん今私のサブスクのマイミュージックにはこの3組がラインナップされている。とにかく、ライブというのは強大な力を秘めたものなのだ。ライブに行くことで、人間が生まれながらに持つ「感覚」の素晴らしさを体感し、そしてそれは間違いなく自分にも備わっていることを実感する。また、良いライブは自分の感覚を綺麗に洗って磨き上げてくれる。ライブに行く度に生まれ変わることができる。だから私はいつまでもライブに行くのだろう。
 

ビッケブランカもOKAMOTO’SもMCで「King Gnu待ち」というワードを発した。OKAMOTO’Sに至ってはベースのハマ・オカモトが去り際に「OKAMOTO’Sです。以後、お見知り置きを。」と一言残していった。そこに皮肉が込められているのかどうなのかは本人しか知る由がないが、アーティスト側からしてもこの状況を見て様々な感情が生まれるのだと思う。フェスというのはアーティスト側にとっても異質な種類の影響を受ける場なのだろうな、などと考えていると、その日見たどのドラムセットとも違う、禍々しいペイントを施されたドラムセットが右側から王者の行進のように悠々と堂々と進んできてステージの中心にどすんと鎮座した。円形のペイントの頂点に燦然と輝く王冠。震えた。スタッフが次々と楽器を運んでくる。キーボード、ギター、ベース。それもまた王者の行進のように感じられた。これから始まるとんでもないショーを予感させる前座のパレードのようだった。ずっと、サブスクで聴いていた。ずっと、YouTubeで観ていた。この会場に入り既に5時間が経った。足腰の痛みや気怠さなどどこにもなかった。きっと今私の身体の内分泌器は今まで28年間生きてきて分泌したことのない新種の物質を分泌している。ついに目の前に彼らが現れる時が来た。
 

まずドラムの勢喜遊が一人で登場し、私のパーソナルスペースはマイナス500からマイナス1000へと減少した。その後ベースの新井和輝が登場しパーソナルスペースはマイナス1200へと更に減少。少し間を開けて右からボーカル・キーボードの井口理、左からボーカル・ギターの常田大希がほぼ同時に現れ一瞬でリハが始まる。もうパーソナルスペースなどない。始まったのは圧縮。シーズンオフに羽毛布団を圧縮袋に入れ掃除機で空気を吸い出すように、私の身体に微かに残されていたありとあらゆる空間が圧縮されていくのを感じた。腕はあがらない。声も出ない。ただ一つ「自分の両足を地面につける」ことに必死だった。ここは地上なのに、自分の足がつかない海に入って溺れかけているかのようだった。気づけばリハは終わっていた。一体この先どうなるのか。5時間横にいて他愛もない会話を交わしていた同行者はもういない。どこにいるのかもわからない。そもそもさっきKing Gnuのような人がステージにいて演奏していた気がするが、本物だったか?もしかしてただヒゲが生えているだけの別人ではなかったか?それともスクリーンに映った映像ではなかったか?そう思ってしまうほど何も見ず聴いてもいなかった。私はここに何をしに来たのだろう。愕然としていると会場が暗転した。4人が出てきたかどうかも見えなかったがただ一つだけ見えた。王様が、沸き立つ民衆を前にして格式高い椅子にドシンと座るように、暗闇の中スクリーンの全面にドシンと現れたKing Gnuの王冠の真っ赤なロゴ。もはや彼らは口で名乗る必要すらないのだろう。ロゴを見ただけで心が震えたのは初めてだった。あまりの心の昂ぶりに、もうここで帰ってもいいとすら思えた。勢喜遊が2本のスティックを頭上に掲げ、ゆっくりと4回打ち鳴らす。ああ、そのリズムはもうあの曲しかない。イントロが鳴り始め会場のボルテージは文字通り最高潮を迎えた。最高の潮。渦潮。その日史上最強の渦が発生した。こんなところで溺れてたまるか。その第一声を聴くために今ここで生きている。それだけは、それだけは絶対に聴き逃すわけにはいかない。全神経を足から耳に移動させた。もうどうなってもいいから、その声を私の耳に入れさせてくれ。
 

「どんなゆめええ~~~ぇをみにい~こうかああ~~~ウォオ~~~」
 

次の瞬間、私の両耳の後方上から私の両耳にどっぷりと注がれたのは、名も知らない若者2名のボルテージ&ボリュームMAXのダミ声だった。私の心の中で28年の人生史上最大の「ハア!?!?」が解き放たれた。ここは、ここはあなた方のカラオケ大会の会場ではない。カラオケがしたければ今すぐここから出て行ってついでにVoltage&Volume略してV&Vというコンビを結成してM-1の予選にでも出てき・・・ここからは放送禁止用語の連発なので自粛するがそんな罵詈雑言を心の中で爆発させていると急に左側からその日史上最強の波が押し寄せてきた。まあ、少し強めの波が来ただけだ。踏ん張れば耐えられるだろう。頑張れ、私の膝よ。
 

そして気づけば私は床から人の渦を見上げていた。自分の周りだけ丸く、月のクレーターのようにへこんでいた。そのクレーターを上からのぞき込む巨大な人間達。なんだこれは。King Gnuのライブを観に来たはずなのにいつの間にか何とかの巨人の世界にでも私はトリップしてしまったのだろうか。前方の女の人と目が合った。そしてその瞬間自分の置かれている状況を認識した。そうか、倒れたのか。立った人間を床から見上げるとこんなに高くて怖いんだ。子どもに話しかける時は目線の高さをできるだけ子どもに合わせようと思った。いや、そんなことを考えている場合ではない。左足にじっくりと激痛が走った。小学生の時に下敷きを曲げて遊んでいたように、自分のふくらはぎの骨がじっくりと湾曲し始めているのを感じた。ふっと自分の左側を見ると、女の人が自分の左足の上にざっと4人くらい崩れ落ちていた。それを見た瞬間、自分の今置かれている状況を悟った。自分が一番下に敷かれている。これは折れる。そして叫んだ。「痛い痛い痛い痛い!!!痛い!!イダイ!!!」こんなに本能的に「痛い」と絶叫したのは、中2の時にバレーの試合で靭帯を断裂する怪我をしてコートの上に転がりながら叫んで以来だろう。そして、もし周りの人間たちが私の上半身めがけてさらに崩れ落ちてきたら上半身も圧迫され呼吸が出来ず本気で命が危ういのではと悟った。間違いなく今2019年史上一番「死」に近い場所にいると感じた。何が2019年ロックの大忘年会だ。ここで死んだら2019年どころか私の人生の大忘年会になってしまう。とにかくここで死ぬ気で叫ばないと誰にも気づいてもらえない気がして、とにかく叫んだ。同じように崩れ落ちている女性たちも「痛い!!」と叫んでいた。人間、本当に痛い時は「痛い」しか出てこないのだなと痛感した。1人あたり体重が50kgだと見積もっても4人となれば200kgだ。もう足が折れると悟ったので痛いと叫びながら今後のシミュレーションをし始めてしまった。まずここで骨が折れる。この狂った渦の中からどうにかしてスタッフさんが引きずり出してくれるのだろうか。さすがに骨が折れた観客が引きずり出されたらライブは一旦止まるのだろうか。「2019年のレディクレのKing Gnuで骨を折った女」として名を刻むのだろうか。写真を撮られTwitterにあげられたりするのだろうか。こんなことで目立ちたくない。このまま入院だろうか。ここは大阪だ。自宅までは電車で2時間。夫は車で迎えに来てくれるだろうか。いやまず折れたら入院か。そうなったら自宅近くの病院までどうやって移動するのか。仕事はどうなる。嫌だなぁ。骨折りたくないなぁ。絶叫しながらそんなことを走馬灯のように考えていると後ろから「大丈夫!?!?」と声がして右腕がグッと上に引っ張られた。か、神様がやってきた・・・と思ったのも束の間、全く立ち上がれなかった。立ち上がれるわけがない。ただでさえ圧縮された圧縮袋たちが、巨大な圧縮袋に入れられひとまとめにされ更に圧縮されている状態なのだ。おまけにまだ私の下半身には人が乗っている。「まだ上に人が乗ってるから立てない」と神に伝えようにもその時の私の語彙は「痛い」しかなかったのでひたすら「痛い痛い、痛い痛い」と壊れかけのレディオのように言うしかなくそれこそフェスの名前のようにレディオクレイジー感があって本当に申し訳なかった。「痛い」以外の語彙を全て失った女。この日クレイジーレディオと化した人間選手権があったら間違いなく私が優勝だろう。そんな中、私の下半身に乗っていた人達にもそれぞれ神様が降臨したようで、徐々に下半身に感じる重みが減ってきた。ついに最後の神様が現れ、私の下半身への圧迫はなくなった。ああ、折れずに済んだかもしれない。神様に右腕を引き上げられながら無我夢中で左手でどこの誰かも知らない人の肩を掴む。あなたの大切な時間を邪魔して本当に申し訳ない。でもあなたの肩がないと私は一生床の上なのだ。全身の力を振り絞って、立った。自分が28歳にもなって「立つ」ことにここまで苦労する日が来るとは夢にも思っていなかった。もはや気分はクララ。きっと遠いアルプスでハイジも祝福してくれていることだろう。ようやく立ち上がり、神様にお礼を言おうとするも顔の向きを変えられないくらい人が密集しているしそもそも一体誰が神様なのかわからない。もしかしたらV&Vの一人が神様だったのかもしれない。だとしたらV&Vの一人だとしても心から感謝御礼申し上げたい。あなたはきっと立派な大人になるのだろう。誰に言うでもなく「あり・・・がとうございます・・・」と声を振り絞った瞬間大きなシンガロングが起こった。
 

《大雨降らせ 大地震わせ
 過去を祝え 明日を担え
 命揺らせ 命揺らせ》
 

どうやら私が床の上で文字通り命を揺らしている間に曲の1番と2番はとっくに終わってしまったらしい。皮肉にも《命揺らせ》という曲で本当に命を揺らしてしまった。なんだこれは。呆然と立ち尽くすことができればよかったが、相も変わらず会場の渦は止まることを知らず私はまた圧縮され前後左右に振り回されるだけだった。
 

私の足の痛みなど関係なしに次の曲が始まる。King Gnuの楽曲の中でも3本の指に入るくらい好きな曲だった。だが、会場前方の私の周辺は見るとか聴くとかいう自由すら失われた地獄だった。そして立ち上がったからこそ気づく。とにかく足を踏まれる。その数、3秒に1回ほどだろうか。いち、に、さん、イデッ!!のリズムでとにかくつま先を踏まれる。全体重をかけた分厚いスニーカーのかかとで。周り全員が自分の両足を地面につけるのに必死なのだ。だから力加減などない。だから痛い。あまりにも痛すぎる。体は圧縮されながら渦に巻き込まれ、つま先をかかとで踏まれ続けながら必死で両足を地面につけようとする。もう何も見えないし聴こえない。だが私はこの曲で常田さんが発する「Sorrows!!」というシャウトがとにかく好きだった。CD音源では割と控えめな部分なのだが、ライブになると体の底から振り絞るように「Sorrows!!」がうねり飛び出してくるのだ。それだけはどうしてもちゃんと自分の耳に入れたかった。チャンスは1曲の中で3回。結果を文字で表すと「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いSorrows!!痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いSorrows!!痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いSorrows!!!!」という感じだった。その瞬間だけ耳には入れたがもはや常田さんが言ったのか井口が言ったのかわからないレベルだった。そして続くカラオケ大会。もしかしたらその「Sorrows!!」は名前も知らない誰かの声だったのかもしれない。
 

次の曲のイントロが流れ出したその瞬間、会場は沸いていた。しかし私は相変わらず渦の中で痛覚に体中を支配されていて聴覚と視覚を使う余裕がなく、イントロを聴いて何の曲か判断できるという状況にすら置かれていなかった。歌い出しが聴こえて初めて「ああ、傘か・・・」とぼんやり気づいた。傘が演奏されている間もつま先をエンドレスで踏まれ続けた。それは傘の先でブスブスとつま先を刺されているかのような痛みが続いた。傘というタイトルの由来は「スタンディングライブでこの曲を演奏すると観客が観客の足を踏みまくり足先に傘の先で刺されているような痛みが走り続けるため」だったのかとすら思えた。もう足の爪は割れているだろうと確信した。こんなに足を全力で踏まれたのは人生で初めてだ。爪が割れ、血が滲んでいる様子が容易に想像できた。まさに《寄せては返す波の中を 必死に立っていたんだ》という状況で《ゴールなんか有りはしないよな》という状況でもあった。この渦は一体いつなくなる?ゴールはどこだ?私は今日何をしにきたんだ?大阪まで来て床で命を揺らしながらクララのごとく立ち上がる訓練をしに来たのか??まさに心模様は土砂降りだった。傘も持たずに何処かへ行ってしまえるのなら行ってしまいたい。でもどこにも行けない。今はここで渦に巻き込まれながらつま先に傘の先をブスブスと刺されるしかないのだ。この渦は止まない。どこにも行けない。痛い。とにかく痛い。痛いしかない。私の心に痛いという雨が降る。この雨はいつか止むのだろうか。そして止まないカラオケ大会。頭上から降り注ぐどこの誰かも知らない他人の声。誰か、傘をくれ。
 

会場が暗転し、井口ただ一人だけが真っ白なスポットライトに照らされる。会場に響き渡る、井口の深いブレス音。そのブレス音だけで、会場全体が鎮まったのを感じた。その真っ白なスポットライトは会場の高い所から井口に向けて降り注いでいて、それは天空から射す光そのものに見えた。歌い始める井口。きっとこれこそが真骨頂なのだろう。それまで会場に巻き起こっていた渦とカラオケ大会は嘘のようにピタッと止まった。私はこの時初めて、自分の両足を地面につけしっかりと立った。ようやく顔をあげ、まっすぐステージを見る。自分で自分の立ち位置すら選べないこの場所で、私は常田さんの真正面に立っていた。やはり、神様はいるのかもしれない。この曲がまるで接着剤の役割を果たすかのように、観客の両足は地面にしっかりと吸い寄せられた。きっと、どんな局面であってもその曲が流れるだけで場の空気を一変できたり、どんな困難な事態をも打破できたりしてしまう曲こそ、名曲と呼ばれるにふさわしいのだと思う。そういう意味で、この曲を名曲と呼ぶのに何の疑いもない。この曲の求心力は本当の意味で異次元なのだとこの時深く感じた。そして井口と対極とも言える常田さんの声は、地下牢から這い上がってくる魂の叫びのように聴こえた。きっと誰しもの心の中には天使と悪魔のようなものが棲んでいて、生きるということは常にその天使と悪魔にそそのかされ続けるということなのかもしれない。それを振り切り自分で決めた険しい道を行くのか、甘く簡単な方に流されていくのか、そうして葛藤し続ける人間の様子がこの曲では表現されているのかもしれないと思った。井口の声は天空から降り注ぎ、常田さんの声は地下牢から這い上がる。その遠く離れた場所にある両極を支えて繋ぐのは、スローでありながらも圧倒的な膨らみと太さを持つ新井のベースと勢喜遊のドラム。完璧な名曲だと思った。今までに巻き起こった様々なことは全て忘れた。この曲を聴いて、全てが報われた気がした。真正面から見る常田さんは、ものすごく顔を歪めながら歌っていた。この曲に込められた苦しみを表情で表しているようだった。常田さんの顔の彫りの深さに加え歪んだ表情、そして頭上から真っ白なスポットライトで照らされていることにより常田さんの顔には影が出来ていて、それを真正面から見ると寄り目で歌っているように見えた。めでたく、初めて常田さんの顔を真正面から見た感想は「寄り目で歌っているのかな・・・?」となった。とにかく、この曲は鎮魂歌の要素すら秘めている日本音楽界の歴史に残る名曲であると、生で聴いて確信した。
 

次の曲で、観客の足の裏につけられた接着剤はどんどん乾き、ついに完全に固定されたようだ。曲のタイトルにあるようにこの曲もまた鎮魂歌的要素を含んでいるのだと思う。歌い出しから、井口の表現力はまさに圧巻で、あれだけ狂っていた会場全体が完全に鎮まったのを感じた。King Gnuの何がそんなに人々を惹きつけるのかずっと考えていたが、この時初めて生で彼らの音楽に触れ分かった気がする。きっと、彼らの音楽は人々の魂すら容易に操ることのできる力を秘めているのだと思う。人々の魂を奮い立たせ熱狂の渦を巻き起こすこともできれば、人々の魂を両足が地面に吸い付いて離れなくなってしまうくらい鎮めることもできる。音楽で人の魂を打つ。言葉で言うのは簡単だが、そんなことをやってのけることができるアーティストが今の日本に一体どれだけ存在するだろうか。きっとKing Gnuの音楽は我々の耳などではなく体のもっと奥深くの、それこそ自分でも触れたことのないような部分を打ち鳴らしてくるからこそ多くの人々を突き動かすのだとこの曲を聴きながら感じた。
 

曲が終わり、井口が軽くMCをしている中、常田さんが台の上に置いてあった拡声器を手に取り、勢喜遊の座っているドラムセットの傍らに腰を下ろす。ああ、ついに次はあの曲か。ステージは赤い照明のみで照らされ、彼らは全員真っ黒な影となった。顔も表情も何も見えない。ただの黒い影。観客に背を向け、ドラムセットの正面に仁王立ちする常田さん。拡声器を両手で持ったまま、後ろに仰け反る。イントロが始まっても観客に背を向けたままの常田さん。歌い出しの瞬間にバッと客席の方を向き、拡声器に向けて歌い出す常田さんを目の当たりにして「これが王様か・・・」と思ってしまったことは残念ながら事実である。人生で初めて「王様」を見たと感じた。そうだ。そうでないと自分たちのバンド名に「King」などと付けられるはずがないのだ。多分彼らは自分たちが王様になることができると最初から確信しているのだと思う。その確固たる自信と彼らの圧倒的な音楽が重なった時、もうこの世の何も彼らには敵わないのだと思う。そんな彼らの王様の貫禄に圧倒されていると「Singing!!」という声が響き渡りシンガロングが始まった。《Wake up people in Tokyo Daydream.》この短いフレーズを大声で叫びながら私は心を決めた。「一生この人たちについて行く」と。思えばこれが私が本当の意味でヌーの群れの一員となった瞬間だったのだろう。理屈や理論や理由などそこにはなかった。ただ、今この時この場所で自分の魂が震え血が沸き立っている。ただそれだけが答えだった。今まで生きてきて、自分の魂が震え血が沸き立つような音楽にいくつ出会っただろう。ただ一つだけ言えるのは、King Gnuの音楽は間違いなく今ここで私の魂を震わせ血を沸き立たせている。もうそれ以上の根拠など必要ない。一貫して血の海のような深くて暗い赤に包まれたステージは、人々の血と血が混ざり合っている様を表しているようにも思えた。アーティストとオーディエンスが熱い血と血を持ち寄り、ライブでその血を更に沸き立たせる。そんな感覚のするライブに来たのは初めてだった。その様子はもはやどこか宗教的とも言える異次元の空間だった。「一生ついて行く」そんな妄言のようなことを馬鹿正直に、でも至って真剣に思ってしまった1曲だった。
 

沸き立った血を一度鎮めるようにまた鳴り響き始めた静かなピアノ。思わずその指先の動きと表情に釘付けになってしまった。この曲は静かでスローテンポで壮大で落ち着いた曲なのかもしれないが、決して何かが冷めた訳ではないのだと感じた。強火で一度激しく沸騰した湯は、火力を弱めても静かに沸騰はし続ける。沸騰の具合が違うだけで、激しくても静かでも沸騰は沸騰なのだとこの曲を聴きながら感じた。静かに沸騰し続けている。終盤になるにつれて激しさを増す常田さんの指の動きと首の動き。常田さんは歌ってはいなかったが、ピアノと表情だけでその感情を表現していた。ああ、アーティストってこういうことなんだよなぁ、とおこがまし過ぎるにも程がありすぎて失礼極まりないようなことを思ってしまった。
 

あと2曲!と井口が叫び、始まったイントロ。「跳べ跳べ跳べぇ!!!」という煽りの中、観客は一斉に跳び始める。ああ、またつま先が・・・しかも今度はジャンプで踏まれるのか・・・と久々にやってくるであろう爪の激痛に一瞬身構えたが全て杞憂に終わった。間違いなく観客は全員跳んでいるのに、私のつま先は誰にも踏まれなかった。「白日」「Prayer X」「Slumberland」「The hole」という一種の鎮魂歌メドレーにより観客の足と魂はしっかりと鎮まり地上に根付いたらしい。人々の魂を自分たちの音楽で一旦めちゃくちゃに解放してからまた自分たちの音楽でしっかりと集めて整え地に根付かせるKing Gnu。もう無敵だ。自由自在に人々の魂すら操ることのできるアーティストが今この日本にいるだろうか。きっとこの世に彼らの脅威となる存在など現れないだろう。彼らが王様なのだから。
 

井口が歌い出した瞬間、沸き立つ会場。始まった瞬間思う。ああ、あと3分で終わってしまう。最後の最後の曲で、4人がそれぞれ思うがままに衝動を爆発させる。でも不思議だ。4人それぞれが衝動を爆発させているのに、乱れなどどこにもなくむしろ一体感は増すばかり。自分たちの魂をめちゃくちゃに解放してから、整え鎮めて、最後は爆発させて終わらせる。なんとも彼ららしいステージの流れだと思った。観客達は間奏で《Teenager Forever》と声をあげる。もう心の中は無敵だった。自分の心の中で何が起きているのか理屈も根拠もわからない。ただ、9曲だけで十分だった。もうこの9曲目が終わる頃、私の心の中には何もなかった。空っぽだった。無敵だった。ラストで井口が衝動という目に見えない感情を具現化した誰も真似できぬような凄まじい動きを見せ眼鏡を飛ばし全てが終わった。「余韻」という言葉の存在を認めていないかのように恐ろしい程素早く、目にも留まらぬスピードで常田さんはステージ袖にはけて行き、その後をのんびりと新井と井口がはけて行き、最後になぜかズボンの脱げた勢喜遊がその美脚を見せつけながら堂々とステージを右から左へと横切り去っていった。
 

全てが終わり、会場を後にして何よりもまず先に足の先を見た。よりによって真っ白なスニーカーを履いてきていた。踏まれに踏まれ、これを履いて田植えでもしたのかというくらい見事に真っ黒だった。立ったまま、色の変わったスニーカーを脱ぎ靴下の上から恐る恐るつま先を指で触り確認した。よかった、足の爪は割れていなかった。左右合計10枚の爪は全て無事だった。人間の爪は案外丈夫なのだと知った。一時は推定200kgが乗っていた左足も、なんてことは無い。丈夫にたくましく産んでくれてありがとう。遠くに住む両親に久々に感謝の念を送った。
 

長々と書いたが、結局この一言で全て終わりなのだと思う。
 

King Gnuは、王様だった。

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