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『退屈の花』の森で眠る

GRAPEVINE 花と狂気 小さな死

「〝Our Song〟 僕が高校生のとき。」

ベッドの上にいるわたしに、医師は、にこやかに告げた。
先生は、前の日にわたしがGRAPEVINEのファンだと話したことを覚えていて、「思い出した」と、それだけ言いに来てくれたのだった。

2018年12月26日。わたしは大学病院の精神科閉鎖病棟に入院した。
 

長年の鬱が治ったと思ったら、
こんどは躁鬱病だって。

通っていたクリニックから紹介状をもらい、2018年12月25日、入院予定の大学病院を受診した。

問診票を何枚も書かなくてはならなかった。けれど、手が思うように動かない。その何日か前から手が動きづらくなっていたような気がする。記入するのに苦心して、時間がかかった。

診察室で初めて出会った担当医は、若くて、人の好いお兄さんといった話しやすい感じの人だった。

驚くべきことに、先生は、わたしの手が震えていることに、いち早く気づいてくれた。問診票にその症状を書き忘れたから自分から話さなくては、と思っていたのに。それ以前に、手を使っていない時にも震えていることに、先生の言葉で初めて気づいたのだ。

わたしは少しばかり花を扱う仕事をしていて、手を使う細かい作業が必須だ。問診票に書いたその業務内容を見て、先生は言った。

「手が震えちゃうと、お仕事大変だよね? 入院中に、お薬替えましょうね。」

先生は、優れた観察力で患者のわずかな症状に気づき、手の震えが薬の副作用からきていることを見抜き、患者であるわたしの生活に即座に寄り添ってくれる、あかるくあたたかい人だった。
 

先生は、暗闇の中の灯りだった。
 

閉鎖病棟とはいっても、わたしは、看護師の付き添いなしで、届を出せば、近所への散歩程度の外出が許される患者だった。

どうしても観たい美術展があった。美術館までは、病院から近かったが、散歩以上の距離はあった。担当医と相談して、年が明けて、比較的コンディションが整った頃、許可が下りた。

単独でもOKだったのだが、友人に付き添いしてもらえたら安心だ、心強い。そう思って連絡したら、あっさり断られた。
親友だと思っていたのはわたしだけだったの…?
混乱した。悲しかった。

その、「わたしにとって」大切な友人から秋にプレゼントされた鉢植えを、病室に持ち込んでいたのだが——枯れそうだった。

高3の息子は大学受験を控えていた。進学校でなく、完全アウェーの試合、担任も気にかけてくれていないと感じた。電話で担任を怒鳴りつけた。
母親としてわが子を支えるべき人生の肝心な局面で、何の役割も果たせない自分が不甲斐なかったし、何より、もっと自分が前もって担任に働きかけていれば。という自分への苛立ちや後悔を担任にぶつけてしまった。最低の部類だった。
 

わたしのこころはぐちゃぐちゃだった。
1月の寒空の下、外出届を出しては、イヤフォンを耳に突っ込み、大音量で「望みの彼方」を聴きながら、〈 冬の舗道 〉を歩いた。

GRAPEVINEを創ったリーダーでありベーシストであった西原誠さん。ジストニアのため休養し、とても辛かったであろう時期に、西原さんのそばにいた「望みの彼方」。復帰第一弾のライブでも、やらせてほしいと言って、その日の最後に演奏されたという。

独り暗闇にいた西原さんが好んでいた、西原さんにとって大切な曲。その曲が、あのときの暗闇のわたしに、寄り添ってくれていた。
 

    真夏に咲いた花は枯れて
    あの日繋いだ手は解けて
    誰かが言った 僕の所為だって
    全てを変えた

    まだ夢は見れますか? 君が何度も言ってた
    頭の上に撒散らした 望みの彼方を見てた
    (望みの彼方)
 

頭からフードをすっぽりかぶり、眼鏡とマスクをして、独り号泣しながら、さまよい歩いた。何日も。わたしは完全に怪しい女になっていた。
 

入院中、散歩の途中で、花屋さんでレモンイエローのラナンキュラスを買い求めて、ペットボトルに飾っていた。閉鎖病棟は、刃物類の持ち込みが禁止となっていた。入院時に私物として持ってきたハサミ類は、ナースステーションに預けられた。看護師さんに声をかけて、花バサミを使いたいと申し出て、毎日、水切りをした。
 

大学病院は、40日を超えての入院ができない決め事になっていた。2月の声を聞く頃、郊外の病院へ転院した。

GRAPEVINEは新しいアルバムを出した。『ALL THE LIGHT』。素晴らしかった。
なかでも、「雪解け」はわたしのこころに合った。しみた。
 

    独りかい
    怖がらないでいい
 

というはじまりから、
 

    春の芽を
    繋いだ手を
 

という最後に至るまで、

ありとあらゆる歌詞が、
息子とわたしを映していた。
田中和将さんが紡ぎ出し、歌い上げる言の葉たち。
そのすべてが、
息子とわたしの18年間の痛みを
すべてをやさしく包み込んでくれていた。
レースのカーテン越しの薄明かりの病室で、
独りそれを聴いていた。

院外では、梅の花が「開花」していた。
 

退院後、友人の誕生日に、花束を作ってプレゼントした。
その足で、赤坂へ向かった。GRAPEVINEのライブ。中村佳穂さんとの共演。
這うようにして、なんとか会場のBLITZへたどり着き、手すりにつかまって、最後まで、観た。「すべてのありふれた光」で、田中さんが、一瞬、両手を広げてくれているように見えた。田中さんは、やさしく、あたたかく、春のやわらかな光のようだった。
 

友人もわたしも花が好きだった。ふたりで一緒に春の野原に埋もれながら、桜の花を眺め、とりとめない話をしていた。絵本のような光景だった。
 

5月の薔薇の季節に、友人の庭を訪れた。1年前に写真を見せてもらってからずっと憧れつづけていた花。その実物を見せてもらえたのだ。
風に揺れるたおやかで可憐な小さな薔薇の群れは、この世のものとは思えない美しさだった。この上なく綺麗だった。天国かと思った。
 

    決して枯れない花をそのまま
    そっと記憶の庭に埋めた
    いつまでもこうして眺めていたい
    (エレウテリア)
 

そんな特別な花なのだった。
 
 

季節がすすむと、友人は、庭の紫陽花を切ってくれた。
わたしはそれで花飾りを作り、スナフキンのように帽子にとめた。
乾燥させた花びらで、小さなリースも作った。

GRAPEVINEのツアーには、2回行った。郡山と、お台場。どちらにも、白いアナベルが咲いていた。
 

真夏のある朝、ふたりで、蓮の花を観に行った。わたしは生まれて初めてだった。
昔、ある小説家が書いていた記憶がある。
「世界は色んなことをいっぺんにあらわしている」
と。なのに、自分の目で見ようとしなければ見えずに一生を終えてしまうかもしれないものが存在していることを知った。
 

秋になると、蔓と葉が付いた葡萄をプレゼントしてくれた。わたしがGRAPEVINEのファンだと知っていてくれてのこと。お気に入りのグラスで葡萄ジュースまでふるまってくれた。
 

金木犀の香りが漂う季節になると、オレンジ色の甘い香りのする枝をくれた。
 

秋も深まった小春日和の日。また庭に呼んでくれた。わたしも水やりを手伝った。カフェオレをいれてくれた。青空の下、白いガーデンチェア。植物に囲まれながら、ふたりで楽しい話をした。
 

それが最後だった。
友人は、本当に、今度は本当に、
わたしの前から姿を消してしまった。
 

もう戻れないだろう。

けれど、それでいいと思える日が来る。

わたしたちは、花を通じて繋がっていた。
他にも、ふたりできれいなものを見たり、美しいものに触れたり、色んなことを語り合って、楽しかった。
けれども、傷つけ合ったりもした。

近くにいてはいけないどうしだったのだろう。きっと。
 

     いまはそばに何も要らぬ
     それがアナタであれ
     夜明けの繰返しはやめだ
    (25)
 

2ndアルバム『Lifetime』に収録されている「25」。

20年あまり経って、この歌詞はかなり衝撃的だった。
人は夜明けに希望の光を見出すもの。
それを一蹴してのけている。
毎日の繰返し。堂々巡りを潔くやめろ。根拠のない光を待つな。騙されるな。孤独を恐れるな。

田中さんに鋭く言われた気がした。愛をこめて。
 

    どうせいつか何処かで 会う日まで バイバイさ
    手のひらを返して
    どうせみんなどっかで諦めた恋なんです
    全てを敵にまわして
    ゆけ 残り僅かな未来へ
    (25)
 

田中さんは、
優柔不断なわたしの心を目覚めさせ、
今度こそ、かの友人と、バイバイした。
新たなステージへ向かうために。
 

退院後、実は、わたしの経過は思わしくなかった。
元々疲れやすかったが、さらに疲れやすくなっていた。

最初は、
「2ヶ月も入院していたのだから、しようがない。焦らず、ゆっくり回復してゆけばいい。」
と思っていた。

でも。入院日から1年経っても、入院前の状態にさえ戻らない(もちろん、入院直前の最悪な状態よりはマシなのだけれど。)。
 

独りでいると、否応なしに闇にのまれてしまう。
ぼんやりとした闇に包まれながら、
西原誠さんのライブに通った。

もう2日連続でライブに行くことはできなかった。体調を崩してしまうおそれがあるから、西原さんとGRAPEVINEのライブが連続になった場合には、西原さんのライブを優先しようと決めていた。GRAPEVINEのFALL TOUR 中野サンプラザのチケットを取っていたが、そのような理由で、他のファンの方にお譲りして、行かなかった。
 
 

わたしは、
親しい友人を失い、
仕事もままならないどころか、
家事もできないことだらけだ。
それでも生きてゆけるのは、
夫が養ってくれ、面倒を見てくれているからだ。

    ゆけ 残り僅かな未来へ
    (25)

と、20代の田中さんが力強く歌う。
20代でよくもこんな歌詞が書けたな。
そして、20年の月日を経て、いま、
このフレーズが、深く刺さっていることに、
驚きと感謝の気持ちでいっぱいだ。
 

わたしの心を大きく占めていた友人を失った。
仕事も、生活も、どうしたらよくなるのか?
どうしたら一過性ではなく、
真に持続的に元気になれるのか?
それとも、元気にならなくていいから、
このままの生活を続けていけばよいのか?

否、
それではわたしは胸を張って生きてゆけない。
自分に誇りを持って生きるためには、
どうしたらいい…?

分かっているのは、
今のわたしは、どこへも行けないということだ。
どこへ向かえばいいのか分からない。
ただ、花と共に生き、花バサミだけは〈 大事な道具 〉。
それだけ。

なぜか、GRAPEVINEの1stアルバム『退屈の花』が聴きたくなった。
出口の見えない鬱蒼とした森へ
みずからすすんで入っていきたくなった。
 

    もう飛べないよね もう羽根は 戻んなくなってね
    みっともないよね 買被らせて悪かったね
    (鳥)
 

1曲目のしょっぱなから、小さな死を歌っている。
飛べない鳥である、みっともないわたしを受け入れてくれている。
田中さんは、優しかった。
 

2020年になって間もなく、熱を出した。

『退屈の花』には、曲目に記載されていない曲、最後にシークレットで「熱の花」という曲が入っている。

偶然の一致。シンクロニシティ。

歌詞がうまく聞き取れないが…

LSDみたいな世界に酔いながら…

まさに、熱にうなされながら、
何度も聴いて、歌詞を何とか拾った。
 

    熱にうなされていた
    決して許されない願い
    明日が雨になればいいさ

    見捨てられた花は
    咲き乱れることを望まない
    見捨てられた花は(✳︎)
    あなたのことを思うばかり開いた(✳︎)

    熱にうなされたのさ
    熱にうなされたのさ
    熱にうなされたのさ
    (熱の花)
 

「見捨てられた花」
という歌詞が、耳に残る。

うまく聞き取れていなくて、間違っているかもしれないけれど…

✳︎ ネットで後で検索してみたら、
「見捨てられた花 あなたの心の中開いた」となっていた。わたしには「あなたのことを慮り(おもんぱかり)開いた」とも聴こえた。✳︎

見捨てられた花は、
ほどけかけた蕾のまま、
鬱蒼とした森の陰で、ひっそりと、
誰にも見つからずに、
誰にも見られずに、
雨に打たれている花なのだろうか。
ただ、「あなた」のことを思う熱だけで、
かろうじて生きながらえ、ついにはひっそりと開き、死んでゆく。そんな花だろうか。
そこには、孤独と哀しみと、醜さと美しさが共存している。
 

『退屈の花』というアルバムを聴くと、
20年前もいまも、狂気じみたものを感じてしまう。それは美しさを伴っているのだけれど。
 

いっそのこと、狂ってしまえばいいのかもしれない。
いや、もう狂ってるんだ。わたしという人間は。

まともになりたいとか、普通になりたいとか、
そう願うこと自体が間違いだったのかもしれない。

ずっと狂ったまま、一生を終え、死ねばいいのかもしれない。
 

西原さんが健やかな手でベースを弾けたアルバムは、1stアルバム『退屈の花』だけ。デビューミニアルバム『覚醒』と合わせれば、2枚だけ。切ない。けれど、濃厚で揺るぎない存在感がある。

どこへ行けばいいのか分からなくても、
いまは、ただ、西原さんの歌うようなベースが作り出した4人のGRAPEVINEの音に浸って、眠っていればいいのかもしれない。
人生も、覚醒と眠りを繰り返すものなのかもしれないから。
 

わたしは「そら」という楽曲が好きだ。西原さんの、自由に歌っているようなベースラインが好きだ。まるで空模様のように、色いろにめまぐるしく変わる、かわいらしくも不思議な感じのする、独特なメロディ。西原誠作曲、GRAPEVINEのファーストシングル。わたしの中でも特別な愛すべき一曲。

つい最近、「そら」という名前の可憐な愛らしい小さな薔薇を見つけた。
その花は、本当に、「そら」の歌詞からイメージされるような、夕方のオレンジ色やピンク色の美しいグラデーションをしていて、見とれてしまう。
 

    傾く陽もお構いなし 生足はまだうろついてる
    (そら)
 

『退屈の花』の森で、「そら」を夢見ながら、今は眠っているとしよう。
 

    ゆけ 残り僅かな未来へ
    (25)
 

というフレーズを、
激しさを伴ったバンドサウンドを、
ラストに向かって切なく高鳴らされるそれを。
わたしの奥に、抱き抱えながら。

(そこには、西原さんの痛みも混じっているのだ。)
 

過去を振り切って
次のステージへ行くのさ
分かるかい?
分かるかい?

分かったよ、
分かってるよ…
 

目を閉じて泣きながら
わたしは答える。
 

1月の雪の中「Our Song」とほぼ同時に生まれた息子は、もうじき、19歳の誕生日を迎える。

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