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いつか椎名林檎に会えるとして

向かい風を実直に受け止めるスター

椎名林檎さんとイチロー選手が「僕らの音楽」で語り合うのを観た時、まったく異なるフィールドで闘う2人が価値観を共有していることや、同じような痛みを味わってきたがゆえに互いを応援していることを知り、僕は「尊敬」という言葉では足りないような感情をいだいた。恐らく僕は一生、椎名林檎にもイチローにも会えないだろうし、2人に誇れるようなものを獲得できる日は来ないだろうと思った。椎名林檎はミリオンセラーを生み出しているがゆえに「スーパースター」なのではない。そしてイチローは最多安打の世界記録を持つがゆえに「スーパースター」なのではない。そう僕は解釈した。

イチローは椎名林檎に語りかける(少し僕自身の言葉に置き換えて要約します)。

他人と違うことを試みてきた貴女には、向かい風が吹いたはず。自分も先人とは別のことをしてきたがゆえに、向かい風を受けた。女性である貴女が風に耐えていることを思うと、切なくなった。

その言葉が説得力をもち、椎名林檎を(ため息をつくほどに)感動させられたのは、やはりイチローが「圧倒的な実績」を持つスターだったからだとも思う。ただポイントになるのは、両者が「向かい風に耐えた」経験を共有することなのではないだろうか。その手の痛みは僕も少しくらいは味わってきたし、この拙文を読んでくれている人たちが味わってきたものだとも思う。イチローがバッターボックスで受けたものや、椎名林檎がステージで受けたものに比べれば「微風」であるのだとしても、やはり僕たちは生きているのだ、同じ時代を、それぞれに痛みを感じながら。

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そういう意味では、僕はイチローや椎名林檎と言葉を交わす資格のようなものを、少しくらいは持っているのかもしれない。僕だって人とは違うことを試み、それを時として批難され、その痛みを受け入れてきた。ただ椎名林檎の楽曲は、それよりも更に難しい「課題」を突きつけてくる。その曲を好むがゆえに、僕は二人と自分との間に、とてつもない距離があることを認めるしかない。椎名林檎のファンに吹く「風」は、あまりに強い。

椎名林檎はアルバム「三文ゴシップ」の2曲目に「労働者」という曲を置いた。そして歌う。

<<したいことだけしてたい>>

と。

これはリスナーの気持ちを代弁するような曲のようにも感じられる。そのように始まる「三文ゴシップ」の13曲目「余興」で、椎名林檎は突風を放つ。

<<どんなに要領良く硬貨を動かして居たって 対話が演技じゃ興味が湧かない>>
<<女だって 男だって 実直なほうが美しい>>

このメッセージは、淡々と等間隔で鳴るベース音に乗って、リスナーへ静かに届けられる(ベースラインは2番から大きく動き始めるけど、アレンジの妙は本記事の主眼ではない)。椎名林檎の用いた「実直」という言葉の重さに、正直に言って僕は沈んだ。我が身を恥じた。椎名林檎は他者とは「違うこと」に挑んできたわけだけど、それは自由気ままな活動ではなく、奇をてらった発信ではなく、大真面目な選択だったのだろう。

もちろん僕は、こまめに動かすほどの「硬貨」を持つような裕福な暮らしはしていない。それでも小賢しさや計算高さをもつ人間ではある。まったく「実直」ではない。美しくない。はたして僕は椎名林檎と会えたとして、演技ではない言葉を交わすことができるのだろうか。そう考えると、椎名林檎の曲を聴くことが怖くさえなった。

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文字通りの「向かい風」に耐え抜いたことが(少なくとも)一度はある。ある市民レースで、42.195キロを3時間台で走りぬいた時だ。その日、コースには、歩行者がよろめくほどの風が吹いた。それでも僕が、掲げた目標を投げ出さなかったのは、一切の妥協をしなかったのは、文字通り「生きていくため」だった。自分は頑張れる人間なのだという確信を得なければ生きていけないと思った。走り終えた瞬間、今から冴えない日常が再開するのだなと思ったけど、家路をたどりながら徐々に嬉しくなった。そんなにも「静かな喜び」を味わうことは、それまでになかったかもしれない。

もちろん僕の記録したタイムは凡庸なものであり、椎名林檎やイチローの功績に比べたら、客観的には価値のないものだった。それでも、その3時間余の間だけでは、もしかすると僕は「実直」だったかもしれない。それを認めてもらえるだろうか、椎名林檎に、そしてイチローに。

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椎名林檎は東京事変のヴォーカリストとして「スーパースター」という曲の詞を書いた。そこにイチローへの思いを込めたことを公言している。イチロー自身は「スーパースター」という言葉が嫌いだと、椎名林檎との対談で語った。それでも、そのフレーズの前に<<私の>>という言葉が置かれたことに、喜びを感じたという。球場を埋め尽くすファンから声援を届けられてきたイチローは、きっと「大衆」を思って安打を放ちつづけてきたのではないだろう。「大衆」を作り上げる、かけがえのない個人を思って、バットを振ってきたのだろう。イチローの生み出した安打には、僕のような面識のないファンへの励ましも込められているのかもしれない。そうだとしたら生きていける。強く生きてはいけないけど、生きていくことはできる。

椎名林檎は歌う。

<<もしも逢えたとして喜べないよ>>

僕だって喜べるわけがない。それは苦しい時間にさえなるかもしれない。でも、それは自分が「スーパースター」でないからではない。どうせ椎名林檎のような、イチローのような才はない、そんな風に思うことは卑下であり、先方に対して失礼なことだとも思う。いちばんの問題は、自分が実直さを欠いていることだ。曲を生み出せないことは仕方ない、安打を放てないことも受け入れるしかない、僕はミュージシャンでもアスリートでもない。

それでも今後、もう一度だけでも、向かい風に耐え抜くことができたなら。この拙文は届きますか、椎名林檎さん、イチロー選手。

※《》内は椎名林檎「労働者」「余興」、東京事変「スーパースター」の歌詞より引用

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