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エレファントカシマシ 新春 大阪フェスティバルホール

最高に楽しかった大阪

大阪は、梅田の再開発の真っ最中に行って以来だった。何年ぶりだろうか。
2020年のエレファントカシマシ新春は、eプラスからのお知らせで「チケットご用意できませんでした」にすっかり慣れるほど何回もトライして、やっと大阪が当たったのだ。東京公演も大阪二日目も最後の最後までトライしたが、ダメだった。全部全部行きたかったけれど。欲張りめ。
毎年、全部申し込めば良かったのにと、いつも後悔がつきものだったから、全部トライしたおかげで、すっかり諦めもついた。
道中、いまだに慣れないスマチケに漠然とした不安を抱えながら、友人と新幹線で新大阪に着き、地下鉄御堂筋線で淀屋橋駅に行き、まずはホテルを目指し、駅の地図に明記されている2番出口を探したら、これがないのだ。
「えー?」という感じでインフォメーションで聞いたら、2番出口ってないそうだ。「皆さん、迷われる方多いのです。」という、しゃらっとした受け答えに驚きつつ、大阪って、やはり面白い。なにしろ、私達はエレファントカシマシの新春コンサートに行く当日なので、気分は上々、多少のことでは怒る気がしない。
やっと、駅から外に出たら、途中、緒方洪庵記念財団の除痘館記念資料室があった。コンサート開演までには時間が十分あるので、まずは、寄り道することにした。階段が急なので、リュックやバックをロッカーに入れることを受付の人に勧められる。設計士の友人と建物に感銘を受けながら見学したのだが、70歳目前の私達には、ものすごい急階段で恐れ入った。コンサートに行く前に転げ落ちたら大変だ。宮本さんのご両親が70にならんとかって歌詞が、確か「地元の朝」という歌にあったな。緒方洪庵先生の開設した「適塾」には、福沢諭吉先生も学ばれたと書いてあった。ゆかりの人にパンフレットをお土産にすることにした。
食事をしてから、なんとかホテルにたどり着き、荷物を軽くして、フェスティバルホールに向かった。
大阪は、前からあるイメージとぜんぜん違って、昔の建物をうまく残しながら、たいそう近代的な美しい街だった。
フェスティバルホールの場所を確認してから、周辺を散歩した。
大阪市立東洋陶磁美術館を発見した。明日、見学することにした。骨董好きと公言している宮本さんも見学しとことがあるかもしれない。
フェスティバルホールに戻って、私は、グッズ売り場で、スマホケースを購入した。実物を見ないと、アスマートでは買えないものだったからだ。
アンドロイドには、ピッタリサイズだった。
さて、いよいよ高齢者には鬼門のスマチケのチェックが始まる。
なにしろ、友人は、スマホの中のチケットの表示がどこかへ行ってしまったと新幹線の中から困惑していたし、私にいたっては、ダウンロードしてチケットに1と表示がついているところを、怖くて開かずに来てしまった。野音では、なんとかしたのに、本当に馬鹿。
案の定、私達は係りの方にしっかりお世話をおかけした。
そして、安堵のあまり、私は席を間違えた。
再度、係りの方にご案内されてというか促されて、自分の本来の席にやっと着席した。でも、幸いなことに、間違えて着席したところより、ずっと良い席だったのだ。
「俺の道」から始まって、平成の最後に聴きたかった「平成理想主義」を令和2年に高らかに歌い上げる宮本さんは、私の席からは20代にしか見えなかった。
二人の冬では、その当時がそのまま再現されているような少年の声に聞こえた。
私は、その瞬間に、エレカシのなんちゃってママのつもりを返上して、なんちゃってババに変更した。
30歳もステージの上で若返る人が、この世にいるなんて信じられない。
エレカシの4人は、本当にかっこいい。
今日は、高緑さん寄りの左端の席なので、音響の良いフェスティバルホールでは、ベースの音が聞き取りやすい。高緑さんの、ずっしりしたベース音が私はとても好きなのだ。
金原さんたちストリングスを囲んでいるアクリルガラスには、冨永さんの背中が映って見える。東京国際フォーラムの2公演で「トミのドラムがすごかった。」というツイッターがたくさんあったけれど、本当にそのとおり。
石森さんは、相変わらずの宮本さんの相棒だし。そう、私は石森さんには、いつか宮本さんのことを書いた本を出版して欲しい。題は勿論、石森さんにお任せする。
ステージで、石森さんに絡みに行く宮本さんは、ステージの緊張を一瞬癒しているのだと思う。
ソロの宮本さんを誰が癒してくれるのだろう。すごく応援しているけれど、なんちゃってババの心配はつきない。余計な心配なのは十分に承知している。
今回は、サポートギターの平間さんが不在で寂しい気持ちがしたけれど、若い山本さんが頑張っている。抜擢されるなんて、すごいことだと思う。
宮本さんの自由自在な歌についていくことは、大変なのではないだろうか?
キーボードの村山さんもいつも素晴らしいし、支える人たちも全部含めて、エレファントカシマシは尊い。
いまや、エレカシとソロの宮本さんは、私が勉強にいそしんでいる時の支えであり、眠るときの子守歌でもある。
奴隷天国でも大丈夫眠れる。何故かというと、宮本さんの声が心地良いからなのだ。
ソロとバンドを両立させてから、メロディももちろんだが、声の快進撃がすごい。
ドビッシャー男を歌ってくれたのも、未来の生命体を聴けたのも嬉しかった。
未来の生命体では、あきらかに会場の高まりもマックスになって、宮本さんが「あまり知られていない曲に喜んでくれてありがとう。」みたいなことを言っていたような気がしたけれど、知られてないなんてことはないと思う。私だって、家で100回以上は聴いている。
私は、音源を持っていても、ファンとして視聴回数に貢献するべく、勉強しているときは、ユーチューブを流しぱなしにしている。
聞き惚れて、勉強に集中できない時が、多々ある。
宮本さんは、歌がうまいのは勿論だが、声が良い。歌がうまい人はたくさんいるけれど、声質に恵まれる人はそうはいない。
そして、感情豊かな宮本さんは、次の旅立ちの朝の時に急に少し音痴になった。やっぱり、泣いていた。
宮本さんのソロの決意は、今思えば、Wake Upのアルバムですべて語られていたのだ。
しかも、エレカシとエビバデに誠実な約束手形を残して。それは、この新春と野音とROCK IN JAPAN FES.だ。
貴重なエレファントカシマシの新春に参加できたことを、私は神様に感謝する。
勿論、毎年参加したいけれど、昨年の雨の野音と今年の新春で大満足で、次回抽選に外れたら、悲しいけれど、神様を恨まない覚悟はしている。
できるだけ、たくさんの人たちに、素晴らしいエレファントカシマシのコンサートを見て聴いて欲しい。
想いを残して、コンサートは、アンコールの「友達がいるのさ」と「ファイティングマン」で終了した。
お隣の方に「楽しかったですね」と声をかけると、終了のアナウンスを「あれは、ミヤジの声です。」と教えてくれた。

翌日、私達は、フェスティバルホールへ再度向かい、記念写真を撮った。午前中は、さすがに人が少なく、ホールの美しい階段のところで、ゆっくり写真を撮ることができた。
それから、昨日決めていた、東洋陶磁美術館へ向かった。
竹工芸名品展をやっていた。ニューヨークのアビー・コレクション・メトロポリタン美術館所蔵の素晴らしい竹工芸品を鑑賞することができた。
常設の方は、「安宅コレクション」などで、驚くほど見応えのある美術館だった。
特に気に入ったのは、「加彩婦女俑」だった。何度でも会いに来たい。背中が特に美しい。
館内のレストランで食事してから、大阪城までアクアライナーに乗船して行くことにした。
途中、淀川沿いの帝国ホテルとかを眺めながら、友人と二人で、もしかしたら、エレカシ泊まっているかもと、楽しい想像をした。
下船して、大阪城ホールと天守閣を眺めて、大阪駅に戻り、駅近くの梅田食堂街とやらで、念願のたこ焼きを購入し、新大阪に向かい、帰りの新幹線内で、
ビールとたこ焼きで乾杯した。
車窓に美しい月がついてきて、私達の新春が終わったことをかみしめた。最高に楽しかった大阪にさよならだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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